鯖男
2023-06-29 15:13:17
1151文字
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グレおじが戦場で歌う話

死にかけの兵のために子守唄を歌うグレおじ

グレゴールは戦場を走っていた。
脳を揺さぶる轟音。銃撃戦か、悲鳴か、怒号か。既に破れた鼓膜には関係のないことである。数メートル先に人影を見た。反射的に右手の異形を振りかぶる。虫の甲殻に似たそれは、既に赤黒く汚れていた。
ぎ、と短い悲鳴はすぐさま煙に撒かれる。殺した実感すらも煙に飲まれていく。
息を整え、再びグレゴールは走った。仲間と合流すべきと分かっていたが、旗持ちすら見失ったこの状況では悪手である。
とにかく、と敵地へ向かう。一般社員から兵士に造り替えられた模造兵には、戦略も何もわからない。それが限界だった。
悲鳴が大きくなる。瓦礫に反射し、煙が反響させるのか。波紋のように広がる悲鳴は、悪魔の鳴き声を思わせる。
死体が多くなってきた。穴だらけの死体。首を切断された死体。強化改造虫兵士のものだろう、と結論づける。変異が右手のみだったグレゴールは希有な存在であり、他の者は皆、目や顔、背中などに虫の特徴が顕著だった。
死体が多くなってきた。様々な会社との合同戦争のため、軍服も色とりどりなのである。色とりどりの死体だった。
ふと、自身と同じ青い軍服を発見する。頭から生える二本の角と複眼。見覚えがあった。
また戦線が佳境に入る前に話したことがある同郷の男だ。強化改造を受け、市民のために戦う力を得た、と意気揚々と拳を握っていた。しかし今思えば変異した身体から目を背けるための空元気だったと思う。
そんな男が虫けらのように四肢が千切れて息絶えていた。──訂正。息絶えかかっていた。虫はしぶといのである。
グレゴールの足は止まった。兵士ならば見向きもせずに行くのが正解だろう。時間は有限であり、虫兵士には限りがある。
だがグレゴールの足は縫い付けられたように動かない。
男の口が動いていた。ちろちろと最期の灯火のようにか弱い。

かあさん

ああ、と息を漏らす。納得か了承か。グレゴールは男の傍まで駆け寄り、男の頭を膝に乗せる。角を避けながら頭を撫で、ああ、と息を漏らした。「頑張ったね」とは言えなかった。「頑張りなさい」とも言えなかった。
男はそれしか言葉を知らぬとばかりに「かあさん」と鳴く。帰郷の色を滲ませた声にグレゴールの喉がヒクついた。
「かあ、さん」
「──おや、すみ、いとおしい、こ」
轟音に紛れ、悲鳴に紛れ、叫声に紛れ、グレゴールは歌う。
それは故郷の歌だった。子どもに歌う子守歌だった。
「すてきな、ゆめを、ごらんなさい──」
胸を一定のリズムで叩きながら歌う。穏やかに緩やかに。
決して戦場の真ん中で歌っていると思わせない慈しみをもって。
「かあ、さ、」
複眼の光が消えていく。瞬間、それは肉の塊と化した。
グレゴールは空を見上げた。
空などなく、そこは蠱毒の底だった。