鯖男
2023-01-28 22:08:11
1786文字
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とうもぐ

マギーくん登場回でお祓いをとうしろに頼むももゆきの話

百暗の言うことは聞かねばならないよ。
瞬間、まるで心臓に刺さった杭のような言葉は、己の人生と共にあった。
彼は一族の恩人なのだから。
父は言う。
猫附当主は言う。
父も祖父に聞かされたのだろう同じ言葉を言う。
だがそこに悲壮はなかった。
陰鬱も諦観もなかった。
なら代わりに何があったのか。
幼かった私には、言い表すことができなかった。
言い表すことが、である。
名状しがたき『それ』は私の心に確かにあったのだ。

夜である。
星が見えるほど空気の澄んだ田舎町に男はいた。
片田舎には旅館やホテルなど気の利いたものは存在せず、辛うじて民宿が一軒あった。客は居らず、最低限の明かりがもの悲しさを語っている。しかしまあ部屋が空いていたのは僥倖だった。
男はスーツに似合わない背嚢に似たリュックを降ろし、一息つく。
男は大学教授である。
フィールドワークを主としているのならともかく、登山者もかくやとばかりのリュックを背負う大学教授がいるのだろうか。
答えは男の別の職業にあった。
男は『大学教授』の他に『文筆家』と『御祓い屋』を兼任している。
今回は『御祓い屋』として村に出向いたのだった。
簡単に風呂を浴び、食事を取って、あとは寝るだけだとなったとき、視界の端で何か光るものを見つけた。スマートフォンの着信である。数字だけが表示される。登録していない番号だが、その並びには見覚えがあった。
「はい」
「あ、藤史郎? 俺」
……詐欺は間に合ってます」
「携帯に非通知じゃない時点で詐欺じゃねえだろ。百暗だよ」
百暗。
百暗の言うことは聞かねばならないよ。
条件反射のように思い出される言葉は父のものだ。
「あのさあ、近々時間とか作れたりするか?」
「何かあったのか」
「お前のゼミに真木っているだろ。そいつのバイト先で霊が立ち退かなくて困ってる。しかも会社が形として御祓い希望してるから梗ちゃんだと都合が悪い」
「ああ、なるほど」
時たまある依頼だった。
霊の強さは関係なく、男の持つ社会的地位が必要となる案件。
そんなとき、百暗は男に頼むのだ。
──そんなことでもないと男は頼み事をしないのだが。
「明日にはそちらに戻るから明後日でもいいか?」
「ああ、助かる」
連絡事項が終わる。
無言、だった。
無駄話と世間話と茶々入れを足してミキサーでかき混ぜたような男である。人恋しいのか、誰かといるときに口を閉ざしていることの方が少ないだろう。そんな男が無言だった。
……忙しいのに悪いな」
ややあってスマートフォンを通して耳元で囁かれるのは謝罪だった。普段の百暗からは想像できない固い声だ。だが幼い頃から百暗と関わりのあった藤史郎は、そんな百暗をよく知っていた。自身ではどうしようもできない出来事を前にした無力な男のものだ。
「時間は空けられるから気にするな。うちの学生も関わってることだしな」
「いやそうなんだけど……
なんとも歯切れの悪い声に、藤史郎の悪戯心が芽を出した──第三者が見れば加虐心とも見えるが、幸か不幸か第三者はいなかった。
「なら『命令』すればいい。猫附はお前の頼みを聞くぞ」
「何でそんなこと言うんだよ」
不満げな声はなんとも幼い。
「ほら、「タダで御祓いをしてこい」と言えばいい」
「藤史郎……意地悪するなよ」
「ふん、意気地なしめ」
喉奥で笑えば、スマートフォンの向こう側からもふは、と空気混じりの声が聞こえた。
「じゃあ、頼んだよ」
「ああ」
通話は途切れる。黒く沈んだ画面には自身の仏頂面が映り込んでいた。
男は手帳を取り出し、明後日の予定を記帳する。そしてもそもそと布団へ潜り込んで電気を消した。

百暗桃弓木という男は意気地なしである。
猫附に命令できる立場を手に入れたというのに、百暗はそれを良しとしなかった。
猫附の当主や子供にちょっかいを出すくせに、『命令』をしないのである。
自身ではどうしようもない状況でようやく『お願い』をする。
命令すればいいのに。
男は思っていた。
そして歴代当主も思っていた。
神託のように受け止めただろうに。
運命のように受け入れただろうに。
──ああ、だからか。
自身が人を狂わせることを自覚しているから、命令しないのか。
男は少しずつ夢の中に入っていく意識のまま思う。
まあ、手遅れだろうに。