鯖男
2022-12-20 22:01:29
1529文字
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リンニク4

天使堕ちニクの話

ああ、また。
ニールの視線は、当たり前に不法侵入している兄へと向けられていた。
兄はというと、まるでそこの住人であるような自然さで冷蔵庫を開け、家主であるリンの手作り菓子を銜えている。今日はドーナツだ。シンプルなものからチョコやアイシングでコーティングされたものまで何個か箱に入れられていた。
一見すれば既製品のようだが、兄が躊躇なく口に入れたということは、先生の手作りなのだろう。
ニールはぼんやりと当然のように思う。この部屋に関係のない第三者が見れば異議を唱えるであろうその思考は、年月をかけて住人に浸透していったものだ。
そしてニールの視線は兄が動く方向へ、つられて動いていく。
……なんだよ、そんなにじろじろ見て」
さすがに煩わしいと思ったのか、ニックは怪訝そうに言う。だが弟の視線が自身ではなく更に上を眺めているのに気づき、ああ、と声を漏らした。
ニックの頭上には、見慣れたが見慣れないものが浮いていた。
天使の輪、である。
リンやリリィの頭上に浮かぶ光輪は見慣れている。天使なのだから当然だろう。
だがニックは悪魔だ。禍々しい角や尻尾も悪魔であると肯定している。
そのニックの頭上に光輪が輝いているのだ。
「ねえ気づいてる? 頭」
ニールが気怠そうに頭上を指差せば、んん、とドーナツを咀嚼しながら肯定する。
「似合う?」
「全然」
「やっぱり? そっかあ」
指先に付いた砂糖を舐め取り、ニックは笑う。似合っていないのが当然であるように。
「リン先生のおやつ食べるのやめたら?」
天使に対する悪徳。平たくいえば盗み食いである。
塵も積もればなんとやら。些末な盗み食いは徐々に確実に積み上がっていき、東洋の罪人のように第三者が分かるように焼き印を残す。神々しく輝く光輪という焼き印を。
「仕事にも悪影響でしょ」
「そうでもないぞ。堂々としてるとファッションとして見てくれる」
「本当~~?」
疑わしい。だが兄が言えば本当のような気がするから不思議だった。悪魔的話術ということか。
「にしても盗み食いねえ……
「昨日は何か食べなかったの?」
「──ああ、そういえば食べたよ」
濃厚な生クリームを。
ちらりと見える舌は蠱惑的で、兄が悪魔の営業マンとしてトップを走っている理由を少し理解する。
だがシュークリームでもショートケーキでもなく『生クリーム』?
菓子ではなくクリーム単品をあげられたことに、ニールの小首は斜めに傾く。
「まだ調理前の食べたの?」
「いいや、完成品だったよ。濃厚なクリームでな、喉に通りづらくてまいったよ」
役者よろしく、大仰に首を振る。そんな動きも様になっていた。
「そんなにこってりしてたの? リン先生が作るものにしては珍しいね」
「そうだな。あいつが作るもので初めてじゃないか」
にたりと何かを含んだ笑みは、ニールの居心地を悪くさせる。まるで気づいてはいけないものに触れかかっている警告のような。
「こってり濃厚でさあ……ぶっ飛んじまいそうなほど甘かったぜ」
うっそりと目を細め、腔内で味を思い出す。
恐ろしいまでの罪の味。
天使に染め上げられる背徳感。
ニックは昨晩を思い出し、唇を舐め取る。
唇についた『何か』を取るような、そんな仕草だった。
「──なあ、リン?」
「え、リン先生? おかえりなさい」
馴染みのエコバックをぶら下げて、話の中心となっていた男はなんとも言えない表情を浮かべていた。くだらない話をしているのを呆れているのか、はたまたニックが飽きもせずに不法侵入していることに怒っているのか。ニールには読み取れず、怯えた犬のように尻尾を縮こまらせる。
そんな二人をニックは喉奥で笑いながら眺めていた。