鯖男
2022-10-19 19:16:10
4888文字
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ハオホロif書き足し

ハオホロifホ一人称にして2000文字ちょい増やしました。

今にして思えば、アレは確かに恋だった。
夜を溶かし込んだ髪は鮮やかな黒をしていた。
白く透明感がある肌は、早朝の新雪を連想させる。
下校時に見せる柔らかい笑みは、春風のように暖かかった。
「ねえ、ホロホロって呼んでいい?」
下校中、あいつはそう言った。勝手にしろ、と言えばあいつは満足げに顔を緩ませる。学校では見たことのない朗らかな顔に、体温が上がったのを覚えていた。顔を見るのがどうにも気恥ずかしくなり、視線をあげればカーブミラーが真っ赤な顔を写していた。
端から見れば、はみ出し者同士が肩を寄せ合っているようにしか見えなかっただろう。
でもその瞬間だけは、ほんの少しだけ呼吸がしやすくなっていた。
歯車が狂ったのはいつだったか。そもそも最初から狂っていて、決定的に破損したのか。視野が狭いクソ野郎には理解なんてできない。
最期に見たあいつの顔はどんなものだったか覚えていなかった。
なにせ顔すら合わせていない。声をかけられても、悲痛をぶつけられても、無視し続けたのだから。
狼の名を受け継いだシャーマンと都会の女。
自然を繋いでいく者と自然を破壊する者。
正反対の生き方をする生き物が手を取るなど、土台無理な話だった。


「黒部民子さんが亡くなりました。」
あいつが学校を休むようになって数ヶ月後。
授業が始まる前の朝の会にそれは告げられた。現実味がなく、熱がなく、感情がない伝達事項。それは受け持っている生徒の死を理性的に処理しようというものではなく、単にいい厄介払いができたと安堵を感じられた。
普通ならあり得ないことだろう。だが片田舎の閉ざされた学校では、それは確かに存在していた。
自身に不利益をもたらす異質。
自身と異なる者を拒絶する多数。
俺もあいつも拒絶される少数だった。
「亡くなった」という強すぎる言葉に、教室の空気が一変する。水を打ったようとはまさにこのことだ。数十の瞳があいつの席へ視線を寄越す。その中の二個が俺のものだ。ただの空席だったはずなのに、今見れば視線を外した瞬間、席が消えてしまいそうな希薄を感じさせる。
だがそれは一瞬のことで。
波紋のように雑談の声が広がり、一時間目を知らせるチャイムが鳴る頃には、日常の空気へと戻っていた。
そもそもあいつが亡くなったことを、気に留める人間などこの村にはいなかった。
当たり前の朝の風景がひどく不快だった。
一時間目の授業の説明が勘に障った。
いつも通りの日常すぎて自分だけ違う世界に放り込まれたのでは、という錯覚に落ちた。
窓から覗く空は相変わらずの快晴で。
青空に早咲きの桜の花びらが数枚舞っていた。
春の訪れだった。

あいつの死因は遭難による凍死だった。
あいつが亡くなったことを親父に伝えると、口数の多くない親父はそうか、と言ったきり、無言となった。一際大きな家鳴りが合図だったのか、親父は緩慢な動きで立ち上がり、箪笥の下段を開けた。そこは俺と妹の冠婚葬祭衣装が仕舞ってある。
「電話が、あったんだ」
親父はあの日あったことを語っていった。
行方不明になったのは、学校を休んだ最初の日。あいつの両親は学校へ連絡し、連絡網にて同級生の親へ聞いて回っていた。当然うちにも連絡は来た。電話を取ったのは親父であり、親父はあいつの居場所など知らない。一般家庭への聞き込みはその時点で終了していたらしい。そこではあいつの居場所を知っている者はいなかった。
瞬間、脇腹を冷えたナイフが掠めるような怖気が全身に広がる。
行方不明になったのは学校を休んだ最初の日。前日に何があった? 変わらない日常だった。相変わらず廃れた一族の末裔で、一族の決まりに寄り添った名前を持つ俺は腫れ物のように扱われていた。あいつも似たようなものだ。何があった? 思い出そうとすると、こめかみの辺りが痙攣する。まるで思い出すのを拒否しているようだった。それでも思い出さなくてはならない。あの日に何があったのか。
脳裏に蘇るのはあいつの悲鳴。小さく鼻を啜る音は、綺麗なあいつには不釣り合いだったことを思い出した。
ああ。
息が漏れる。
なんだ。
原因は俺か。
俺を追ったのか。
都会暮らしだから、山の歩き方なんて分からなかったろうに。
吹雪の中、学校で着ていた服では寒かっただろうに。
ごうごうと雪が降り積もって、足跡が消えていくのは怖かっただろうに。
生徒に行方不明の情報が降りてこなかったのは、不要な混乱を避けるためだ。
だからお前が気に病むことでは無い。親父の手は慰めるように俺の背を撫でる。無骨な手は布越しでもわかるほど温かで、今の俺には過ぎた優しさだった。

翌日、担任と同じクラスの生徒があいつの家に集まった。
皆、黒を基調とした服を着ており、慣れない雰囲気にそわそわと目を泳がせている。小学生にとって、冠婚葬祭なんて自身に関係のない人物のだったら全て同じだからだ。俺だってそうだ。今日だってそっち側がよかった。
だが祭壇に飾られた見覚えのあるぬいぐるみが見咎めるのだ。黒い瞳でじっと。それは俺にやましいことがあるからだ、と首を振る。ぬいぐるみの無感情な瞳を見返すことはできなかった。
皆が集まったのは、線香をあげる為だった。一クラスと言っても田舎の学校なので、三十人も満たない。担任が手本を見せ、続くように同級生が線香をあげていく。噎せ返る線香は否応なくあいつの死を叩きつけてきた。その後、ぽっかりと記憶が抜けたようで上手く線香をあげれたか覚えていない。叩き出されていないところから上手くできたのだろう。
特に感傷もない事務的な線香はすぐに終わった。
家の前で担任から解散の号令がかけられ、皆散り散りとなっていく。この後火葬があるが、誰一人として残らなかった。なんと虚しい最期だろうか。
あいつはここで努力したのだと思う。
だが前提が無理だった。
ダム工事現場監督の娘。
住んでる土地を沈めに来た人間と仲良くする者は、この村にはいなかった。
澄み切った晴天も、俺の心境を笑っているようで心の中で唾を吐く。
なんて惨め。
クソみたいな気持ちのまま、当てもなく歩いていく。
歩いていく。
歩いていく。
幽鬼のように歩いていく。
辿り着いたのは以前、丘スノボーをしていた土手だった。今ではその姿はない。ダム建設の一環として、見渡す限り建設機械の駐車場と化していた。風景と不釣り合いな異質だった。
ふと遠くの方で煙が登る。小さく飛び出た先端は煙突だ。そこは田舎に唯一の火葬場だった。白い煙がぐんぐん登っていき、ある程度まで上がると消えてしまう。上空は風が強いので、簡単に掻き消されてしまうのだ。
瞬間、理解した。

ダム子、死んだのか。

情報としての死が、実感となる。
がらんどうの胸に空風が吹く。そこには虚しさだけが残された。
涙は出なかった。
湧き上がるのは悲しみではなかった。
それは自分への失望。
自分は一族の未来を背負う狼などではなく、未来のプロスノーボーダーでもなく。
ただの人殺しだった。
「────、」
息が、漏れる。息を吸う。肺を満たす空気は痛いほどに冷たい。このまま肺を凍らせてくれればいい。だが季節はようやく雪解けした春。肺など凍るはずもなく。
罰など下るはずもなく。
「碓氷ホロケウだね」
不意に声をかけられる。周囲には誰もいなかったはずだ。こんなダム建設の象徴とも言える機械が軒を連ねているのだ。地元民はまず近寄らない。
俺よりも年上だろうか。濡羽色の髪を一つに纏め一瞬女かと思ったが、剥き出しの上半身から男と理解する。ネイティブアメリカンを模した衣装はこの辺りでは随分と目立っていた。こんな場所にいるのだから旅行者だろうか。
「酷い人間達だったね」
男は嘲笑とも侮蔑とも言える笑みで吐き捨てる。そのくせ声は優しく甘く。縋りたくなるほどに魅力的だ。
男の言う通りだった。酷い人間達だった。
人が亡くなったというのに事務的に線香をあげる担任と同級生。恐らく明日になればあいつ──黒部民子の席に花が飾られ、それで終わりなのだろう。何も残らない。遺らない。
……ひどいのは、おれもだ」
漏れ出る声は掠れていた。干からびていた。
担任も同級生も酷いが、自身こそが最大の害悪である。
この土地で唯一とも言えるあいつの寄る辺。だというのに俺はあいつを拒絶した。勝手な差別によって手を離した。見捨てた。
「俺が、ダム子を──」
ころした。
鋭い言葉が胸を切り裂く。このまま殺してくれればいいのに。そしたらこんな痛みが終わるのに。
こんなことを思う自身が嫌になる。被害者面する自身に吐き気がした。それでもじくりじくりと胸が痛みを訴えるのだ。痛くて、痛くて、見ず知らずの男の前で嘔吐した。胃液で喉が焼けていく。痛みは延々と俺を苛んでいく。
忘れるな、と言いたげに。
地面に吐瀉物が染みこみ始めた頃、影がかかる。気配から男が傍まで近づいていたのがわかった。
「ホロケウ、僕の元に来るといい」
「────は、」
丁度太陽を背負う位置にいた男には後光が見えた。だからだろうか、その言葉と差し伸べた手からカミサマのように錯覚した。
錯覚。
実のところ、理性が錯覚であると認識していた。なにせ幼い頃から教え込まれ認識していた『カミサマ』は無条件で人を助ける存在ではない。
自然の脅威と恩恵。様々な現象に関わっており、その一端を人間に与えているに過ぎない。
脅威には祈りを。恩恵には信仰を。
この男は神ではない。
だが飴色の双眸には嘘は混ざっていなかった。
その強さに背筋が震える。まるで自身が神であると言ってるようではないか。
「僕は差別がない世界がほしい。そのためにシャーマンキングになるんだ」
「シャーマンキング……
爺さんの言葉を思い出す。
地球に生まれた全ての魂の智恵と力を持つ全知全能。
俺は数年後に行われるシャーマンキングを決める大会で優勝し、自然や一族を守れと決定づけられていた。
既に滅びる寸前の一族を守れ、と勝手に決められた運命。子供の目から見ても滅びる他ないというのに、みっともなく足掻く爺さん。
親父は……よくわからない。チセで暮らすのを止めないくせに、ホテルマンという堅実な職を持っている。今のご時世、子供二人育てるのに狩りだなんだ言ってられないからか。爺さんよりもよっぽど現実を見ていた。
俺は……なんだろう。シャーマンキングになりたいのか。なってどうしたいのか。別に滅びかかった一族を守ろうとは思わなかった。一族が滅んだとしても俺は生きているのだから。では言われるがままに、シャーマンキングになるべく修業するのか。それは俺の人生か。
こいつは、シャーマンキングになる意志と願いを持っているのか。
俺はこいつよりも強い願いを持っているのか?
簡単だ。持っていない。シャーマンキングになりたいのは爺さんだ。そして一族を守りたいのも爺さんだ。俺の願いではない。俺の願い。俺は何を願ってるんだ。
「僕はね、差別がない世界がほしいんだ。差別がなければこんな馬鹿げたことはもう起きない。そうだろう?」
「あぁ──」
差別のない世界。
それは今、俺が欲しいものだ。
それさえなければ俺はあいつの手を離さなかった。俺はあいつを視界から追い出さなかった。俺は──俺たちは小さな輪から追い出されることもなかった。
なんでこいつは俺の欲しいものが分かるんだろう。
ふと湧いた疑問は、砂に描いた絵のように音もなく掻き消された。
視界が歪む。目の奥が熱く燃えているようだった。溢れ出るものを必死に抑えるが、決壊は間近だった。
決壊の瞬間、男は手のひらで俺の両目を覆う。温かな両手は久しぶりの他者の体温だった。
「キミを強くしてあげよう。何物にも負けないように。敵意にも、差別にも負けないように」


北海道で一人の少年が行方不明となった。
警察が包囲網と敷いたが、結果は芳しくなく。
数年後、捜索が打ち切られた。