鯖男
2022-09-13 21:58:50
515文字
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花ホロキス

キスしろ〜と思ったらしなかった。無念。

心臓が跳ね上がる。
誰も来ませんように、と祈るように、ゆっくりと男の唇に指を這わせる。親指でなぞる男の唇は当たり前だがカサついており、グラビアの女のようにぽってりともしていなかった。だからこそ再認識させられる。俺は今からこの男とキスをするのだと。
だが情けなくも意気地の無い俺は、何度も指を往復させることで時間を引き延ばしていた。
窓ガラスの向こうでは日常が広がっていた。前の道路を通る車のエンジン音。一階の廊下を歩く生活音。遠くでは蝉の鳴き声がした。閉め切った部屋の熱気は外気温のせいか、はたまた俺が緊張して体温が上がったせいか。冷静な判断力は既に死に絶えていた。
そうしてどれだけの時間を無駄にしただろう。今まで大人しかった男の口元が歪んだ。まるで悪戯を思いついたクソガキのように。
あ、と思ったときには俺の指は男の腔内に入っていた。犬歯を見せながら甘噛みされる。そして舌で掬い取り、リップ音をさせながら指を解放した。
夏らしく突き抜ける青空が窓ガラス越しに写っている。まるで額のように切り取られたそれの中心に自身の指を翳した。夏の光に照らされるそれは、男の唾液で淫靡に濡れており、空の健全さとのギャップに目眩がした。