鯖男
2022-07-19 15:52:31
1683文字
Public
 

用務員ホと理系教師レ


痛いくらいに鮮やかな青空と、アクリル絵の具で描いたような透明感のない入道雲。
窓ガラス越しでもわかるほどに、外の気温は常軌を逸していた。
世間は初夏を過ぎ、梅雨に差し掛かる六月後半。
なはずだった。
梅雨を追い越したのは、攻撃的なまでに地上を照りつける太陽だ。
世間は七月の頭が漸く見えた頃だというのに、真夏の装いをしていた。

男は冷房の低音をBGMに紙束を捲っていく。紙束は生徒のテスト用紙だった。規則正しい丸つけとチェックの音だけが耳に馴染んでいく。
今回のテストは少々難しすぎたか。男は多くなるチェックに嘆息する。テスト作りというものは何年経っても慣れることはない。毎年毎年生徒の学力は変化するし、理解力も変化する。時代によって柔軟な指導が大事、と決まり文句のような通達があるが、男はその『柔軟』というのがどうにも苦手だった。
授業では大分噛み砕き、指導できている(と思っている)
質問も随時受け付けていた(質問に来る生徒は決まっていた)
だがクラスの平均点は伸び悩んでいるのが現状だ。
赤ペンを置き、身体を伸ばす。自身では買うことのない安物の椅子の背もたれが、ぎちぎちと嫌な音を立てた。
瞬間、窓ガラス越しでも分かるほど硬い澄んだ音が鼓膜を奮わせる。音の主は野球部だ。
運動着の袖を半袖のままと肩まで捲ることで、チーム分けをしているようだった。歓声が飛び交っているところから見るに、正式な試合ではなく練習試合か。男は遮光効果がある薄手のカーテンを開ける。すると遮断していた熱が容赦なく襲いかかり、男の端正な顔が顰められた。だが開けたお陰で視界はクリアになった。
試合は既に終盤にかかっていた。得点ボードから察するに点数差は無い。つまり一回のエラーが命取りとなる。そんな中、後がないチームの最後の打者が回ってきた。
最後の打者は皆の運動着同様泥に汚れており、防御の方でも参加したのがわかった。手に馴染ませるよう二三度バットのグリップを握り直し、バッターボックスへと立つ。
「オラァ! ビビってフォアとか出すんじゃねえぞ!!」
最後の打者は生徒ではなかった。
学校の用務員であり、れっきとした大人だった。
「何やってるんだあの男……
用務員にも仕事はある。むしろ生徒が学内にいない放課後こそ仕事があるのだ。だが当の用務員は現在バッターボックスに立っている。男の脳内には『サボり』の三文字が浮かぶが、仕事放棄してまで遊びに傾かないだろう、と即座に却下する。その程度の信頼はあった。
用務員に煽られたピッチャーは怯むどころか、口元を楽しげに歪ませる。そして数度首を横に振ってから縦に振る。球種が決まったのだろう。
「食らえ精神入魂球!」
ピッチャーは叫ぶ。このような雑談が入るのが練習試合の醍醐味か。
「ぶちかませ碓氷!」「そのまま三振しろ!」「とにかくやっちまえ!」
最早ヤジとも言っていい言葉の数々。だがピッチャーの笑みは崩れない。男の位置からは背しか見えないが、用務員の顔も想像に容易い。あの男はこういった大一番を好んでいた。
ピッチャーがモーションに入る。この一球で勝負はつく。ヤジという名の応援は止まない。
そして。
空気を切り裂く鋭い音は、ガラス越しでも男の耳に届いた。白球は青空に吸い込まれていき、その姿をどんどん小さくしていく。ジャストミート。ホームランだった。
用務員はバットを転がし、ホームを順番に歩いて行く。歓声を上げていた野球部の一人が我に返ったようで、小走りでボールを取りに行く。部費から出ている物だ。一個でもなくせば大目玉だからだろう。
瞬間、男の双眸がこちらを捉えた。勝ち誇ったような笑みは存外生徒と変わりない。
「蓮! 見てたか俺のホームラン!!」
「見るわけ無いだろう」
「なんでだよ、見ろよ!! すごかったぜ!」
距離が開いていて窓ガラスが閉まっているからか、用務員の声はでかい。一試合終えた男の声量とは思えないほどだった。
「じゃあ今度は見てろよ! もう一試合やっから」
「仕事しろ!!」
「終わったんだよバカ!!」