鯖男
2022-06-20 20:51:02
1297文字
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百暗のカンテラキメ

出禁のモグラで百暗がカンテラの灯キメてるところ

百暗は逡巡した。
頭から零れる流血でコンクリートを濡らしながら逡巡した。
時は戻って数分前。なんてことはない。とあるマンション下を鼻歌交じりに歩いていたら、植木鉢が落ちてきた。ただそれだけのことである。とある青年たちに出会ってから、頭上からの運にとんと見放されている気がした。そのキッカケでもある数日前に拾った広辞苑は未だにもぐら湯に置いてある。
落下してきたのが五階などからなら、逡巡することなく息絶えていただろう。ただ鬼火を持つことを禁じられている百暗が息絶えたとしても、あの世へは行けず延々と彷徨うだけ。亡霊となるだけだ。運が良ければ知り合いの祓い屋に祓ってもらえるだろうが、祓われた後はどうなるか分からなかった。なにせ百暗はあの世から門前払いされているのだから。
今回は幸いにも二階からだった。そして積み重ねてきた年月が物を言ったのか、百暗の危機回避能力は高かった。致命傷は避けれたのだ。と言っても頭から血を流している状態だ。一刻も早く治療しなくては死ななくとも障害は残りそうだった。
百暗が植木鉢と激突して数分が経過した。マンション下で植木鉢と激突したのだ。
一定の距離から離れた人間の視線。視線。視線。我関せずな人間の足早な足音。足音。足音。誰一人として救急車を呼ぶ素振りを見せないのは、百暗にとっては最良だった。なにせ保険証はない。医療費もない。治療して貰ったところで、金で詰むのだ。……やはり彼らは希有な存在だった。百暗は胸に灯る温かなものを逃さぬよう、胸を掻き毟り、すぐさま優しく撫でた。奇行とも呼べるその行動に、野次馬は一歩下がる。そのまま帰っていただけないだろうか。百暗の願いも空しく、野次馬はスマホを片手に百暗を撮る。
こうして冒頭に戻るのだった。
逡巡。
最近出会った青年らのお陰で、順調にカンテラの灯が貯まっていった矢先の事故だった。ようは浮かれていたのだ。
だがここまで大事になっては仕方がない。百暗は断腸の思いでカンテラを口元へ傾ける。幻想的な青い炎が燻り、ランタンの蓋からこぼれ落ちる。まるで自身を必要としている人のところへ向かうような意思を感じさせながらゆるりゆるりと。青い炎が白い唇に触れれば、そこにほんのりと色がつく。血行がいい春の桜の色だった。炎はそのまま百暗の腔内へ滑り込み、喉を通っていく。丹田まで染み渡れば、そこから放射状に身体全体に炎は広まっていく。命の灯が身体を癒やしていく。指先に熱が戻る。頬の紅潮が血の巡りを回復させたことを意味する。視線の定まらない双眸はうっとりと濡れ、遙か彼方を見やっていた。スマホ越しに視線を合わせた者は、その人ざる者の雰囲気に息を呑み、シャッターを押すことも憚られたのだ。
日本人は信心深いものでなくても、心の奥底では神を信じていた。
百暗に神の一端を見たのだ。
「──はい」
ぱちん、と柏手が入る。
「これにてストリートパフォーマンスはおしまい!」
百暗の頭からは血は止まっていた。血の気が引いた顔は血色が良く、死人のように真っ白だった唇はうっすらと桃色に染まっていた。どこからどう見ても健康体の男だった。