鯖男
2022-06-20 20:50:07
1685文字
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百暗と子供藤史郎

出禁のモグラの10話の猫附一族と百暗さんの約束の話(九割方模造)

猫附家は短命の一族である。
三十が精々で、五十も生きれば大往生と言ったところか。
原因は分かりきっていた。
鼓膜を揺らすのは猫の声。鈴を転がす可愛らしさなど毛頭なく、地響きを思わせる低い鳴き声。喉を鳴らす音は雷鳴が落ちる前兆のようだ。
猫附家は化け猫憑きの家系だった。

人里離れた広大な土地にぽつんと屋敷があった。
ぽつん、など謙遜が過ぎる。どん、と言うのが正しかろう。
平屋のそれは、武家屋敷を連想させる厳格な顔をしていた。
年期の入った表札には『猫附』と。小さな猫のひっかき傷と共にかけてあった。
そんな家の前に少年がいた。
最初に目につくのは幼子には不釣り合いな黒々とした隈だった。寝られないのだろうか。だが虚ろな目をしておらず、逆に炯々とした双眸で空を見やっていた。
空。
頭上に広がるは山火事のような赤だ。そして遠くには藍色が少しずつ侵食している。夕が夜に喰われる瞬間。少年はこの時間が一等好きだった。人の時間から魔性の時間へと反転する、と言っても過言ではない。少年の肩に乗った巨大な化け猫が鳴く。地を這うおぞましい声だ。だが敵意を持ったものではない。産まれたときから一緒なのだ。化け物といえど、そこいらの有象無象よりかは分かっているつもりだった。新雪よりも白い白い毛並みを撫で、夕が夜に食い尽くされたところを確認する。
からん、と乾いた音が鳴る。からん、かろん。耳馴染みのいい音だ。少年は前を見やる。玄関から一直線に拓かれた道の真ん中には人影があった。身体を左右に揺らし、酔っ払っているようにみえる。だが彼は下戸なので酔っ払うことはあり得ない。ならばただ単に身体を揺らして気分良く歩いているだけなのだろう。徐々に近づくにつれ、彼が歌っているのが分かった。生憎少年には知らない歌だったが、歌詞からして頭がふやけた人間が考えたに違いない、と当たりをつけた。
「やあ、久しぶり。元気だった?」
気さくに手を上げる男。少年はこの男があまり好きではなかった。
というのも父も祖父も彼に会うと、普段とは違う一面を覗かせるからだ。
それが子供ながらに仲間はずれのような、なんとも居たたまれない衝動に駆られる。
厳格な父も祖父も、彼の顔を見れば子供のように顔を綻ばせ、友人のように恩人のように壁を取り払うのだ。
元々化け猫憑きである猫附家の者は、親しい人間があまりいない。数少ない親しい友人なのか、と思ったときもあったが、年齢を考えるとその考えは却下された。
何度訪問されても、少年には男の立ち位置が分からなかった。
「お祖父さんかお父さんはいる?」
少年は首を縦に振り、踵を返す。父か祖父がいれば態度の悪さに渇を入れられただろう。だがそこには得体の知れぬ男しかおらず、その男も声を荒げて怒るということをしなかった。
「だるいとか身体の調子が悪いとか、そういうのはない?」
まるで医者のように問う男の声には、不器用な慈しみがあった。あまりそういったものに触れる機会がなかった少年は、温かなものを取りこぼさぬよう、敏感に感じ取ったのだった。
……だるいのは猫がいるから、仕方ないです」
化け猫が宿主の精気を吸う。それは猫附家の人間には当たり前だった。それにだるいという不調も漏らすつもりはなかった。なにせ父も祖父も当たり前に付き合っている不調なのだから。
だが少年からの言葉を聞き、男は腰にぶら下げたカンテラをそっと開けた。隙間から仄かな炎が零れ落ち、少年の身体に纏わり付いていく。
「なに……!」
「落ち着いて。大丈夫」
肩を掴まれ、耳元で囁かれる。
「俺が来たのはコレが目的だから」
炎は少年の口元を撫で、口の中へ滑り込んだ。熱さはない。ただ常日頃からの倦怠感が和らいだ気がした。それは少年が久しぶりに手にする健康な身体だった。
「え」
「約束だからな」
少年の顔を見ながら、男の瞳が細められる。だが少年には自身を見ているようには思わなかった。自身を通して別の誰かを追憶しているのか。自身とその誰かはそんなにも似ているのか。
それは少年にはわからないことだった。