鯖男
2022-06-17 22:14:23
1350文字
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オムファタールするももゆき

本誌ネタバレあり。人とアンテナが合っちゃうと歯車を狂わせるももゆき

百暗桃弓木と書いて破滅させる男と読む。
それほどまでに百暗という男は、負の要素を多く孕んでいた。
だが百暗と会話した人間は、こぞって「話し上手聞き上手とはまさに彼のこと」と絶賛するのだ。ならば私が間違っているのか。
否。断じて否である。
以前、大学の校門にて、百暗と他愛もない会話をしたときがあった。その際、同僚の一人が百暗に興味を持ったのだ。なんてことはない。私が個人的な知り合いと会っているのを初めて見られたからである。私とて仕事を介さない知り合いはいる。だがそれはわざわざ同僚に話すことでもなかろうに。
話し上手聞き上手な百暗である。詐欺師もかくやとばかりに、するりと相手の心に溶け込むのだ。同僚も例外ではなかった。
「百暗さんと付き合いは長いんですか」「百暗さんの好きな食べ物って」「百暗さんはいつ来るのですか」
最初はまだ理性が働いており、探るような口調だった。しかし二週間、三週間と日が経つにつれ、同僚の目には、鬼気迫ったものが見え隠れするようになったのだ。恋い焦がれるなんて可愛らしさは微塵もない。せめてもの救いは、同僚が独り者だったということか。これで妻子ある身ならば救えない。
「猫附さん、百暗さんは──」
「百暗とは一体誰のことでしょうか」
私はとぼけた。阿呆のように小首を傾げ、同僚の言葉を待つ。面白みの欠片もない私が不意にそんなことを言いだしたので、同僚は呆気に取られ、金魚のように口を開閉させた。
「いや、なに、え? だって、」
「大学に足を運ぶ私の関係者は妻だけですよ」
そう嘯けば、同僚は肩を落として下を向く。それでも漏れてくるのは、百暗の存在を信じる言葉だ。だが同僚は百暗の連絡先も住居も何も知らない。そもそも住民票すらない男である。どんなに調べたところで、噂話程度しか出てこないだろう。半分都市伝説みたいな男だ。
やがて同僚は大学を辞めた。理由は『一身上の都合』としか言われていないが、原因は明らかだろう。
「桃弓木、二度と大学には来ないでくれ。お前のせいで人生が終わる奴が出てくる」
……俺のせいかな、それ」
電話口の男は、若干の苦みを滲ませる。
自身の行動の有無を問わず、アンテナが合う人間の歯車を狂わせる。
半ば呪いのようなそれ。
百暗桃弓木という男はそういう奴だった。

人魚伝説が色濃く残る島。
未だ少女と言っても差し支えない女性。
島民にしては垢抜けた風貌で、おっとりとした目元もなるほど、保護欲を掻き立てられる。
「矢を当てたの、かっこよかったです」
少女は口元を綻ばせる。そこには完全なる好意があった。
「見られてたのか、恥ずかしいな」
「弓道か何かやってたんですか?」
話は弾むが、私の心中は穏やかではなかった。
脳内では同僚の変わり果てた姿が蘇る。
「百暗」
「悪い、あいつが呼んでるから」
駆け寄ってくるや否や、胡乱げな目で睨めしつける。
「犬じゃねえんだぞ」
「お前、忘れたのか」
言葉少なく問えば、帰ってきたのは失笑だった。
「あの子は大丈夫さ。性根がしっかりしてる。……まあ、良い意味でのしっかりではないが」
このときの私は、百暗の言葉の意味がわからなかった。
理解したとき、人間の深淵と更に深い百暗の闇を垣間見たような気がした。