鯖男
2022-03-10 18:15:45
3662文字
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ピノホロになりきらなかったなにか

モブパッチ族が気持ち悪い。

ビロードのような手触りのいい夜にぽっかりと浮かぶ白い月だった。
男の故郷でもあまり見ることのない見事な満月。環境汚染が進んだ国と聞いていたが、と男は感嘆の息を漏らす。
木々も空も海も寝静まった良い夜だった。こんな夜は自身の神経が冴える。故郷に居るときから愛用してきたコートのフードを被り、周囲を睥睨した。研ぎ澄まされた巫力は波紋のように広がり、周囲の情報を得ていく。男──ピノが現代にアレンジしたシャーマン能力である。
土地の起伏。木々の長短。洞で休む小動物。周囲のマップを立体的に捉え、それを受けたバズヴが氷を生成する。するとピノの眼前には氷で作成された小さなジオラマが現れた。透き通った芸術的な模型といってもいい。強さを競うシャーマンファイトでは無用の長物だろうが、故郷及び仲間の故郷では戦闘技術と並ぶほど、必要なものだった。なにせ吹雪が多い土地柄である。度々現在位置を確認しなくては遭難してしまう。
「あン?」
ピノの瞳が細くなる。原因は氷のジオラマにあった。そこには現在位置より離れた場所で、簡略的な氷の人形が置かれていたのだ。──つまり誰か居る。全てが寝静まった夜に出歩く無粋な輩がいるということになる。その『無粋な輩』に自身が入るのには目を背ける。
だが怪訝そうな顔は一瞬でなりを潜め、すぐさま可能性を模索し始めた。
(巫力の動きから戦闘じゃねえ。ただの立ち話か。こんな夜更けに? ……だが少なくともこちらに気づいてないわけだし関わらねえ方が賢明だな)
元来ピノは思慮深い。勿論追い詰められればその限りではないが、むやみやたらと首を突っ込むような血気盛んではないのだ。
脳裏に浮かぶのは民族衣装を身に纏う空色の少年。自身と同じ氷を扱うシャーマンだというのに、その巫力は煌々と燃えているようだった。なんて不釣り合いな色を持つのか。使用する属性とシャーマンの性質が正反対なのも少年が伸び悩む原因であろう、とピノは思う。
すると上空を旋回していたバズヴがピノの肩に止まり、嘴を向ける。まるで囁くように、歌うようにピノへ告げた。
……は、マジか」
バズヴの目が捉えたのは、数キロ先にいる謎の人物だった。一人は特徴的な民族衣装。もう一人は先ほどピノが脳裏に思い描いた少年。
特徴的な民族衣装とはこの島の住人であるパッチ族だ。バズヴの記憶では、十祭司の中では見たことがない。裏方に回ったパッチ族であろう、と当たりをつける。
バズヴの情報により、更に訳が分からなくなる。なぜいち選手である少年──ホロホロが担当十祭司ならともかく、裏方のパッチ族と会っているのか。一瞬、裏取引という言葉が浮かぶも、すぐさま霧散する。戦闘関係なしに話した欲目からか、そういった言葉は彼には似合わないと思ったからだ。
数分後、舌打ちを一つ。それが合図だった。ピノは氷のジオラマを放り捨て、自身の身長ほどの杖を担ぐ。そして目的の方向へ走り出した。
「別に確認しに行くだけだからな! 顔見知りだし!? ガキが夜ぶらついてんじゃねーって!!」
ピノは吠えた。言い訳がましく。誰に問われたわけでもないというのに。
バズヴはピノの眼前を横切り、瞳を細める。もし女神の姿だったらそれは幼子を見るような慈しみの瞳だったに違いない。
ホロホロという少年について、ピノはそう多くは知らない。
チーム『THE 蓮』のメンバーであり、自身と同じ氷を使う日本のシャーマンということだけ。
ピノ達のシャーマンファイトが終わった後、多少なり会話はしたが、それだけだ。
ピノはホロホロについてよく知らないのだ。

ビロードのような手触りのいい夜にぽっかりと浮かぶ白い月だった。
月明かりは優しく地表を照らしていた。世界を青白く照らす幻想的な光景だ。
幻想的な世界に、顔面を腫らした男が横たわっていた。
その傍らに見慣れた少年が立っていた。横たわる男を凝視する少年の表情は見えない。見えないが、小刻みに震える拳は恐れか怒りか。ピノは後者をとった。命のやり取りなどシャーマンにとっては日常茶飯事である。いくらホロホロが子供とはいえ、その点は変わらないだろう。
「ホロホロ、か」
……ぴの」
声は幾分幼かった。弱々しくもある。それだけ見れば憐れな子供と錯覚するほどに。
月明かりが強くなる。薄雲のヴェールが剥がされていく。
ホロホロの両手はどす黒く汚れていた。鼻孔がヒクつく。修行時に随分と嗅ぎ慣れた鮮血のニオイだった。
「なにして」
「こいつ、ピリカを見てたんだ」
ホロホロが言うには、無残に横たわるパッチ族の男はピリカ──ホロホロの妹を見ていたようだった。
ただそれだけではないだろう。血気盛んな少年とはいえ、当たり屋よろしく、喧嘩を売るようには見えない。ピノは続きを待った。
「──ナメクジみたいな気持ち悪い視線だった。買い物するピリカを見ながらしこってた。チョコバナナ食ってるピリカ見ながら「俺のも咥えて欲しい」とほざいていた」
「あーーー……クソだな」
眉を顰め、舌を出す。迫り上がる不快感を唾と一緒に吐き出したくなるが、深閑とした空間を穢すようで、ゴクリと飲み込んだ。
「それから──俺を見て「二人一緒も悪くない」だと」
「───」
言葉を失った。遅れて腹の底からぐらぐらと煮えたぎるものを感じる。呼応するようにバズヴが甲高く鳴いた。それが合図となり、ピノの周辺の気温が急激に下がっていく。木々の表面に霜が下り、月明かりを反射し始める。足下の草は凍り付き、踏みしめれば霜柱が砕ける音がする。瞳の奥が赤くなる。毛細血管がはち切れたのか、怒りと嫌悪によって視界が染まったのか。人としての嫌悪がそこにあった。
瞬間、鈍い音がピノの意識を浮上させた。同時に集中が途切れ、冷気が止む。
鈍い音はホロホロのものだった。正確に言えば、ホロホロがパッチの男を殴る音だ。
振りかぶって殴る。
振りかぶって殴る。
振りかぶって殴る。
まるで機械仕掛けのように同じ軌道を辿りながら、ホロホロは男の顔を殴り続けた。
子供とは言え、シャーマンになるために心身ともに修行してきた少年だ。一撃は重く、人体の急所を狙う。男の顔は次第に腫れていき、目を開いても瘤が邪魔して視界が開かないほどだ。鼻はおかしな方向に曲がっている。歯の何本かは折れており、口を開く度に間抜けなすきっ歯が顔を出す。
殴られて当然だ、と思った。むしろ殺されないことに感謝すべきだ。
ピノは攻撃態勢を解き、木に寄りかかって腕を組む。全てが終わったら兄として妹を守ったことを労ってやろう。ただ少々意外だったのは、ホロホロが怒りを露わにせずに、淡々と事を起こしていることだった。だが事が事である。変に騒がず、妹の耳に入る前に済ませてしまおうという腹だったのだろう。

……得体の知れないものが肌を這いずっているような悪寒があった。
鳴り止まない殴打音は、さながら最悪のオーケストラで。
観客はピノと持ち霊たるバズヴのみで。
演奏者は見知った少年で。
楽器は性犯罪者一歩手前の男だった。
「ホロホロ」
殴打は止まらない。
「ホロホロ」
殴打は止まらない。
「っ! ホロホロッ!!」
殴打は、止んだ。
男が生きているのかはわからない。──否。生きていた。僅かだが指先が震えた。だがそれだけだ。懇願する力も残っていない。もはや血が詰まった肉袋といっても過言ではない。
「もういいだろ。それ以上やったら死ぬぞ。あとは十祭司に任せとけばいいだろ」
大会運営が十祭司の仕事なら、こういった身内の恥の処理も十祭司の仕事だろう。なにせ参加選手の身内に手を出そうというのだから。特にホロホロ担当の十祭司が黙っていない。
「殴って始末した方が実感するだろ」
「──は、」
一瞬理解ができず、間の抜けた声をあげてしまった。そんなことは知らぬとホロホロは背を向けたまま言葉を続ける。
「人殺しは俺の民族では禁忌だ。でも素手ならそう簡単に死なねえし、恐怖を植え付けるにはいいだろ」
ピノは自身の指先が冷たくなるのを感じた。
確かに殴打はフィジカルに左右されるので、格闘家でない限り決定打は出にくい。それに引き替え、武器は素人が使っても簡単に人は殺せるし、その実感も湧きづらい。
実感が湧かない最大の理由は感触が残らないことだ。その点素手は感触がストレートに残るので理性が歯止めをかけるのだろう。
攻撃される側で考えてみると、その差は歴然だ。
武器やシャーマン特有のオーバーソウルで攻撃されれば、簡単に死に至る。だが素手ならば骨が折れ、内臓が負傷する程度かもしれない。死ではない。生きてはいるが、激痛に苛まれるだろう。延々と続く激痛がやがて恐怖となるのだ。死ねば終わるのに、死ななければ終わらない。簡単な話だった。
「二度と馬鹿な真似ができねえよう、俺を見ただけで思い出すようにしてやる」
固い声だった。冷たい声だった。
さながら強固な氷のような声だった。