鯖男
2022-01-11 23:20:38
747文字
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とうもぐがちゅーしてるだけ


ちゅ、と可愛らしい音と共に柔らかいものが額に当てられた。
額から始まり、目尻、鼻先。リップ音と共に唇が当てられていく。
頬まで降りれば、あとは分かるだろう。藤史郎は目の前の男を見やる。期待に濡れた視線にはなっていないだろうか。残念ながらこの場には鏡などは存在しない。素数を数え、がっついた心を覆い隠すのに精一杯だった。
そんな藤史郎の心中を知ってか、男はどこかの童話に出てくるような猫を彷彿とさせる憎たらしい笑みを浮かべた。
そして息を浅く吐いてから、藤史郎の唇を食んだ。戯れだ。証拠に男の、桃弓木の仄暗い瞳は愉しげに細められている。藤史郎は数百も年上の男に遊ばれているのだ。
藤史郎はこの男になら遊ばれても構わないと思う。だが振り回されるのは性に合わない。
自身のそんな性根を知っているから、桃弓木は敢えて挑発してきたのか。そんな都合のいい夢を抱いてしまう。知らず知らずのうちに弧を描く口元を隠すように、藤史郎は桃弓木の唇へ噛みついた。
普段体温が低い桃弓木だったが、腔内は恐ろしいほどに熱かった。それは興奮しているからなのかわからない。互いの舌が擦れ合い、絡まり、弱いところに触れる度に鼻から抜ける声が鼓膜を揺らす。
藤史郎は妻とは情欲に塗れた口づけをしてこなかった。美しい彼女に唾を吐きかけるようで、敬遠していたのだ。
なのでこの歳になって初めて、情欲に溺れる口づけを行った。
舌先から融けるような快感は筆舌に尽くしがたく、食っているのか食われているのか分からなかった。だが離すまいと感情は思ったようで、桃弓木の後頭部を掻き乱すほど乱暴に抱き寄せる。柔らかな黒髪は藤史郎の指へ絡まり、これくらい桃弓木も自身に縋ってくれればいいのに、と誰にも言えない本音を心の片隅へ転がしたのだった。