鯖男
2022-01-07 12:43:27
2166文字
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貧乏くじ引く百暗と真木くん


病院の外は既に日が傾いており、目に痛いほどの西日に各々目を細めた。
近場の空は澄んだ青だというのに、徐々に西日に染められ、赤く変化していくのだろう。そしてあっという間に日は沈み、夜となる。『光陰矢のごとし』とは冬の夜のためにある言葉ではないか、と真木は思う。
「ほら、問題は解決したんだから早く家に帰るといい。あっという間に日が暮れちまうからな」
百暗は手を叩きながら、まるで引率の教諭のように言う。さっきまで凶霊成りかかりの霊と対峙していたと思えないほどの緩んだ笑みだ。
だからこそ真木は先ほどの光景と重ね、そのギャップに眉を顰めた。
『誰かを救おうとした奴が悪者になるのは嫌だ!!』
それは妹を守るために伯父を呪い続けた姉に向けられたものだったが、同時に自分と重ねているようにも思えた。
普段曝け出さない本心の欠片を覗いてしまった罪悪感か、真木は百暗から目を逸らす。だが元来真木は『嘘を吐く』という行為が苦手な質だ。不自然さは当然、百暗の目についただろう。それを見逃す程度に百暗は真木を気に入っているし、大人だった。
「八重ちゃんは早めに帰るんだぞ。女の子なんだから。真木はちゃんと送ってやるんだぞ」
「兄貴、今日は家で夕飯食っていく? それなら母さんに連絡しておくけど」
「んー……、食っていこうかな。丁度夕飯ぐらいに帰れるだろうし」
「それなら私、一人で帰るよ?」
「「いやいや、女の子を一人で帰すなんてそんな」」
兄弟の息の合った返しに、互いの顔を見やる。どんなに性格が異なろうと、性根は似ているのだ。複雑そうに顔を歪める兄弟の傍らで、百暗と八重子は微笑ましげに口を緩めた。
「──桃弓木さん?」
聞き慣れない呼び名に各々振り返る。だが当の本人だけは数秒間を空けてから振り返った。西日に照らされた顔は、気まずそうに目を泳がせる怒られる予感をしている子供の顔を思わせる。
既に日が沈み、濃さを増す建物の影に立っていたのは、猫附藤史郎だ。
短く切りそろえられた髪と皺一つないスーツから清潔さを、影の中でもありありと分かる濃い隈と鋭い眼光から裏の職業を感じさせる男だった。だが真実、藤史郎の職は大学教授であり、幻想作家であり、祓い屋当主である。百暗に言わせるのなら、後者の印象だけは当たらずも遠からずだろ、とどこかの猫のように口を三日月にして笑うのだろうが。
「藤史郎、『仕事』の帰り?」
「ええ、まあ」
百暗の言う『仕事』とは、大学教授ではないことぐらい真木にはわかった。肩に乗る化け猫イケブクロやスーツに似合わない大きなスポーツバッグがその証拠だろう。以前、真木のバイト先にお祓いに来たときも、袈裟やイケブクロの玩具など、そのバッグに入っているのを見たことがあった。
「俺、ちょっとコイツと話すことあるし、帰ってていいぞ」
「うん、今日も冷えるし早く帰った方がいい」
大人に促されれば、断る理由のない真木たちは帰らざる得ない。一番両者と関わりのない梅晴は一足先に離脱した。八重子の付き添いは兄だけで十分と判断してのことだろう。実際、それは合っていた。
だが真木と八重子はその場を離れる気配がなかった。
「どうした?」
「別に俺たちがいてもいいだろ。……いない方がいい話なら帰るけど」
尻すぼみになっていく言葉に真木の気弱さが滲み出る。だがそれは相手の気を悪くさせるものではない。百暗も柔らかい視線がそれを物語っていた。
「別に居ていいけど……真木、お前そんな貧乏くじ引いてて大丈夫か?」
「お前に言われたくねえんだけど!」
貧乏くじ。
百暗の行為はまさにそうだろう。
コツコツと貯めた灯を、知り合って数分の人間のために消費する。しかも躊躇いがない。我欲に囚われた人間から見れば「どうかしている」と揶揄されても不思議ではない。だが百暗は揶揄されても「そうだな」と受け入れるだけなのだろう。真木は今までの百暗を見てきて、そうとしか思えなかった。
ふと、藤史郎の視線が不自然に降りているのを真木が見つける。視線の先を辿ればそこには百暗が肌身離さないランタンがあった。青い炎が揺らめくランタンは以前よりも明るさを失っている。
「桃弓木さん」
藤史郎の声には些か棘があった。百暗と付き合いの長い藤史郎だ。すぐに灯を誰かに分け与えたことに気づいたのだろう。こめかみを押さえながら息を吐く藤史郎は、怒りを抑えているようだったが、どこか悲しげにも見える。
「ごめん藤史郎。灯減っちゃった」
百暗はふにゃり、と笑いながら告げる。大したことない、と言いたげに。真木はその顔を見て「外野がいくら言ったところでこの男は変わらないだろう」と悟ってしまった。自身の刑が増えても他者が助かるならそれでいい、と思っている者には何を言っても響かない。
まるで殉教者だ。
自身の祈りにも似た信念を通すために、百暗の刑は続く。
藤史郎が生きているときに終わるのか。真木が生きているときに終わるのか。はたまた先の子孫が生きているときに終わるのか。
百暗が信念を曲げない限り、終わりは見えない。
それでも百暗は他人に灯を使うことを躊躇わないだろう。
真木は百暗が恐ろしく、そして悲しくて、滲む涙が零れないよう、空を見上げた。
空は先が見えない闇に包まれていた。