鯖男
2021-11-25 21:33:12
4925文字
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にゃんこが口の中のご飯を探す話

ちゅーしたからぷらいべったーにしました。とうもぐ。

野球中継。教育テレビ。中身のないバラエティ。
ザッピングを繰り返す百暗を、真木は横目で眺めていた。
詳細は割愛するが、真木は大学のレポートをぎろちん本舗で行っていたのだ。Wi-Fiまで使わせてもらい、できるだけ早く済まそうとキーを叩いていく。
ぎろちん本舗の店主たる見目麗しい女性は、それを柔和な笑みを浮かべながら眺めていた。その視線はどこか老成したものを感じる。
「あ」
声は百暗のものだった。声と同時に次々を入れ替わっていた画面が固定される。映し出されたのは愛らしい仔犬だ。そういえば、と真木はここへ来る前の八重子との会話を思い出した。本日、動物番組のスペシャルがあるらしい。それがこの番組なのだろう。
子犬が玩具にじゃれつく映像が暫く流れていた。ナレーションの吹き替えはないらしい。主張しないBGMと共に仔犬がはふはふと玩具に飛びつき、振り回す。その無邪気さに真木は実家の犬を思い出した。
「動物番組好きなのか」
ふと聞いてしまう。すると百暗は煮え切らない返事をし、「まあ嫌いじゃねえな」と一言。
「可愛いもんは好きさ。ただそれに意識が割けないくらい貧窮してるだけで」
「ああ、うん。なるほど」
随分と返答しにくい答えに真木の歯切れも悪くなる。だが短い時間とはいえ、この死なない男と関わってきた側としては、言葉以上の意味は込められていないことは分かっていた。この男は同情を引く意としてトラウマを話すが、同じテンションで貧窮していることを口外するのだ。全てが地続きだ。
分かった上で歯切れが悪い返事になってしまうのは、ひとえに真木の性分なのだろう。典型的なお人好し。突っ込まなくていい首を突っ込んでしまう。こと霊に関してはその傾向はあまり良いとは思えなかった。
様々な犬種がわふわふと遊ぶ動画が終われば、次はくりくりとした瞳をまたたかせた仔猫が現れる。一匹が餌を食べていると、脇から他の猫が割り込んでいる。人間の目から見れば愛らしいことこの上なかったが、猫たちからすればたまったものではない。なにせゆったりと食べているところから横取りされるのだから。
「そういえば」
と、餌の取り合いをしている仔猫を眺めて思い出したかのか、百暗は声を上げる。
「猫って相手の口の中に餌がないか探すじゃん」
「猫限定だったっけ?」
「いやよくわからん。でも探すんだよ。イケブクロさんが俺の口の中探してた」
イケブクロさん。
それは猫附現当主の化け猫である。猫ではあるが、化け猫だった。
それが目の前の男の口の中に餌がないか探していた。
真木は何回が復唱し、飲み込もうとしたが、嘔吐くばかりで全く理解が出来なかった。
「えーーーーーーっと?」
「俺が猫附屋敷で寝てるとき、よく探されるんだよ。藤史郎の奴、イケブクロさんに餌やってねえんかな」
小首を傾げる百暗。画面では仔猫が戯れる愛らしい動画が流れている。店主は相変わらず柔和な笑みを浮かべていた。異様であった。
真木は異議を唱えようとするも、口内で言葉が止まる。そして次に出た言葉は「……ソウカモネ」となんとも無味乾燥なものが出た。
突っ込まなくていい首を突っ込まないことに成功したのだ。


まだ百暗が真木や八重子と出会う前の話。
日が落ちきる少し前。猫附屋敷のインターフォンが鳴る。
「旦那様、百暗様がお越しになりました」
「ああ、通してくれ」
女中は恭しく頭を下げ、部屋を後にした。
猫附当主たる藤史郎は最奥の自室にて執筆活動を行っていた。祓い屋と大学教授と平行している第三の職業だ。開かれたノートパソコンには自身の体験談をあるところは詳細に語り、あるところは煙に巻き、綴っていた。これが世に言う『幻想小説』になるのだから笑えない。藤史郎が書き綴ることは九割は体験談であった。つまりカテゴリとしては『ノンフィクション』。だがそれは藤史郎が見ている世界を共有している者しかわからなかった。
「オッス。なにそれ仕事持ち帰ってんの?」
障子なのでノックは出来ないながらも、声かけくらいはできよう。だが当然入室してきた男は、そんな素振りすら見せずにノーモーションで障子を開ける。気遣いがないのではなく、猫附の当主全員に対し、こういった態度だった。
藤史郎も自身の父と百暗の会話を聞いていたときがあった。歳が離れているというのに、まるで気が置けない友人のように、雑であり親しみある関係に思えたのだ。
現在の百暗はその延長線なのか、藤史郎の父と変わらない対応をしていた。藤史郎は思う。自身の子である梗史郎が当主になったときも、また梗史郎の子が当主になったときも、百暗は対応を変えることはないのだろう。
「まあ、そんなところです」
藤史郎はパソコンを閉じ、広げてあった資料を纏める。
執筆活動のことは百暗に伝えるつもりはなかった。別段理由があるわけでもない。ただわざわざ伝えることでもないと思った。本屋に並んだのも、平積みされるほどベストセラーというものではない。本棚にひっそり入っているのを、いくら本名で執筆しているとはいえ、発見できるものでもあるまいに。
「そっか」
興味なさそうに鼻を鳴らすところは、どこか野良猫に似ていた。人好きの顔を浮かべるところは尻尾を振る犬のようなのに、対する人によって性格ががらりと変わっているように感じる。
「イケブクロさん、いる?」
イケブクロ。藤史郎に憑いている化け猫である。
呼ばれたイケブクロはむずがるように鳴き、姿を現した。全身黒を基調としている藤史郎とは正反対の白猫だった。大福のように丸々とした身体は、通常の猫の大きさならば愛らしいことこの上ない。だがイケブクロは化け猫であり、藤史郎の使い魔でもあった。馬よりも牛よりもずっと大きな猫は、視覚だけで言いようのない恐ろしさを体現していた
気配を殺すのが得意な動物霊は、霊能力者が意識したところで、はっきりと見えることは少ない。それが猫附という化け猫憑きの猫なら尚更だ。だがこうして呼びかけに応じ、姿を見せた。それだけでイケブクロにとって百暗は警戒するような人間ではないことが理解できる。「イケブクロさん、今日もお願いしていい?」
新雪のように真白な毛に顔を埋めながら、百暗は言う。
するとイケブクロは少し眉間を寄せた。表情に乏しい(もしかしたら人間には見分けにくいのかもしれない)イケブクロがあからさまに渋るのは珍しい。
藤史郎は文机の引き出しから、小さな巾着を取り出した。瞬間、イケブクロの耳が藤史郎へ向けられる。霊とはいえ、鼻の良さは動物そのものだ。
「桃弓木さんの頼みを聞いてやれ。報酬にマタタビをやるから」
イケブクロはその魅力的な報酬に逡巡しながらも、やがてんん、と唸った。了承の鳴き声だ。
「おお、ありがとうな。藤史郎、イケブクロさん」
ふにゃりと表情を緩める様は警戒心を解いた猫のようだった。やはりこの男は猫なのでは。藤史郎の視線は、自然と頭上や腰辺りを彷徨ってしまう。が、当然、そこには耳も尻尾も存在しなかった。

時は昼下がり。庭を照らす日の光は眩むほどに強い。だがその強い光は縁側までだ。廊下、障子を挟めば日の光は弱まっていく。その結果、藤史郎の自室には柔らかな光が差し込んでいた。この時期ならば夕方くらいまで蛍光灯はいらないだろう。藤史郎は垂れ下がっている灯りの紐を引っ張り、電気を消した。薄暗くなるが、今までが明るすぎたのだ。読書をするにしても丁度いい灯りだろう。
ふと、部屋の隅を見やる。そこには巨大な白い毛玉が鎮座していた。否。毛玉には獣の耳が生えていた。尻尾が生えていた。
先ほどとは形状は変わっているが、化け猫イケブクロ。藤史郎の使い魔だ。
猫は百暗の頼みを聞き(藤史郎の報酬のお陰だ)、昼寝クッションとなったのだ。なのでそのクッションには、身体を丸くした百暗が乗っかっていた。その様はやはり猫のようで。素足を擦り合わせ、イケブクロの毛の中に足をつっこむ。次に頭の位置が気にくわないのか、むずがりながら少しずつ頭をずらす。やがて丁度いいところを見つけ、寝息は穏やかで規則的になっていった。眠りが深い証拠だった。
藤史郎はゆっくりとイケブクロと百暗に近づいていく。畳を擦る音にイケブクロの耳がこちらを向いた。そして首を百八十度回し、硝子玉のような瞳を開く。そこには剣呑な色が含まれていた。これから藤史郎のやろうとしていることを分かった上の視線だった。
……お前には世話をかけると思ってる」
だからこその謝罪、ではなかった。ただの事実。その行為については悪いとは微塵も思っていない。そうイケブクロは判断し、鼻息で返事をする。なんと不器用で面倒くさい人間なんだろうか。あきれ果てた顔を最後に、イケブクロはクッションとなることだけに専念した。
自身の影が百暗の顔に掛かる。だが長い睫毛に縁取られた双眸が開くことはなかった。藤史郎は百暗の胸に手を置き、心音を確認する。規則正しい心音だ。数分待ってみてもそれは変わらない。狸寝入りという線は消えただろう。
小さく開かれた唇を見やる。女性のように手入れされていない唇は、当然のことながら毛羽立っていた。そして隙間から覗く赤い舌は酷く蠱惑的で、女性とは異なった色を感じさせた。生唾を飲み込む。この歳になって思春期のようにガツガツしてしまう自身をみっともない、と恥じる心はある。だがそれ以上に目の前の男に対して欲求が抑えることができなかった。否。ここに子である梗史郎や学生がいれば、自制心は働いたであろう。
周囲に、誰もいない。
塀を越えた先で車が通過する音がする。自転車のベルの音がする。日常の音がする。それに引き替え、猫附の屋敷は無音だった。日常の音を聞きながら、化け猫の責めるような視線を思い返しながら、藤史郎は百暗の唇を舐めた。
舌先に感じるのはざりざりとした皮剝けだ。数分もすれば皮剝けも唾液で湿って、舌触りが悪いということはなくなった。
そして薄らと開いた口元に自身の舌を差し入れる。百暗の腔内は思っていたよりも熱く、人外然としているというのに、それは生きた人間そのものだ。その腔内に収まる弛緩した舌は難なく絡め取ることに成功した。舌の付け根を舌先で擽ったり、擦り合わせたり。それは秘部の愛撫を思わせる淫らさがあった。
時たま口端から熱い息が漏れる。百暗と藤史郎、両者のものだ。百暗の吸う酸素や吐く二酸化炭素までも食い尽くそうと噛みつくような口づけをする藤史郎と、意識のないまま喘ぐように酸素を食む百暗。そこには愛など甘い営みは存在せず、ただ食らう側と足掻く側の縮図だった。
「っあ、はぁ……ぁあ……
切なげに顰められる眉に藤史郎の加虐性が掻き立てられる。薄らと滲む目尻の涙は生理的なものか、この行為に対してか。どちらにせよ、普段飄々としている男の涙は珍しいものだった。
やがて散々腔内を蹂躙しきると、二人の唇に隙間ができた。その間には名残惜しげに銀の糸が引かれ、ぷつりと切れる。それがイケブクロだけが知っている藤史郎の秘め事の終わりの合図だった。
顔を上げ、百暗の目に掛かった髪を指で払う。これだけ無体を働いているというのに、青灰の双眸は藤史郎の顔を映すことはない。穏やかな寝息のまま、幼子のようにむずがる。弱々しい光の下、百暗の唇だけが生々しく潤っていた。
心臓がうるさかった。そして藤史郎は毎回考えてしまう。
もしかしたらこの心音で桃弓木が目を覚ましてしまうかも知れない。
そんな恐怖を毎回考えるのだ。
毎回。
百暗が猫附屋敷へ寝に来るのは初めてのことではなかった。自宅の煎餅布団よりも、いいとこの布団。当然だろう。だが毎回行くのも気が引ける。なので一・二ヶ月に一回となった。この決まりは藤史郎が定めたのではない。百暗が決めたのだ。
内心、安心した。幼い頃から煮詰まった言いようもない感情を持て余しているのだ。何度も無防備にされていては、いずれ道を踏み外してしまいかねない。そういった意味では百暗は藤史郎にとって理性を試す人外だった。