任務で怪我をすることは珍しい事ではない。シャドウサーヴァントやワイバーン等の敵性存在からの攻撃もあれば、高所からの落下や寒冷地での凍傷など環境的な要因のものなど、今まで立香が負ってきた怪我は少なくなくて。
その度に死ななければどうとでもなるし、例え死んでも何とかするしかない状況にいたから、今さら傷の一つや二つで大事になるなんて思っていなかった。―――思っていなかったはずだったのだが、それは時と場合によるというのを立香はすっかり忘れていたらしい。
きっかけはリチャードとジョンと共に行った素材回収のさなか、運悪くワイバーンとキメラの縄張り争いに巻き込まれてしまった事が原因だったことを覚えている。
敵を追いかける形で平野から林の中へ入り込んでしまったとき、まさにキメラがワイバーンに飛びかかる瞬間の場所に出くわした。キメラの獅子を模した前足がワイバーンの鱗ごと切り裂き、ワイバーンも負けじと鍵爪で肉を抉る。
その一頭と一匹の衝突が口火を切ったのか、あたりで睨みあっていた無数のキメラとワイバーンの間で衝突が始まった。縄張り争いのにらみ合いのさなか、まさに衝突が始まる場所に居合わせてしまったのだからタイミングが悪い。興奮しているのか、ワイバーンもキメラも見境も容赦もなく目の前の相手に対して爪や牙を向けてくる。
「っ、リチャード、ジョン!ここから撤退することを最優先に!戦ってたらキリがない!」
じりじりとこちらに近寄るキメラから逃げながら視界の先で戦う二人に声をかけた。紫炎が追いすがるキメラを焼き、鋭い剣閃が飛びかかるワイバーンを退けてはいるもののあまりにも数が多い。
幸いにも当初の目的である素材の回収は達成していたから、後は無事にカルデアまで戻れば任務自体は成功になる。無理に殲滅をするよりも、速やかに退避した方が被害は少なくすむはずだ。
「わかった。やってられるかこんな数!兄上、お聞きになりましたね?撤退を」
「さすがにワイバーン、キメラ狩り競争と洒落混むには数が多いからな」
方や苛立ち混じりに、方や苦笑混じりに返す声に頷いて、二人に近づいた。速くこの場を離れるに越したことはない。
「リチャード、道を拓いて欲しい。ジョンは殿をお願いできる?」
「ああ、任された!」
「お前がそういうのなら」
構えた二人に合わせて立香も自身に身体強化の魔術をかける。二人しかサーヴァントがいないのであれば自ら走り抜けるしかない。霊器グラフで召喚する影は戦闘は頼りになるが、移動においては維持し続ける立香の魔力に不安が残る。
自らの無力さに歯噛みしながらも頷けば、リチャードが眼前で剣を構えた。振り払われるのはかの王と似て非なる幻想の一閃。
「『永久に遠き───勝利の剣!』」
編まれた魔力が振り下ろされた剣とともに放たれて鮮やかな金の軌跡を描く。高密度の魔力に焼かれてたまらずキメラとワイバーンが逃げ出し、真っ直ぐに道が拓いた。
「―――走れ!」
戦場にリチャードの一声が響くとともに立香は駆け出した。隣で駆けるジョンが走りながらも紫炎で再び道を塞ごうとする敵を防ぐ。
「まったくなんで余がこんなこと……王使いが荒いな、マスター!」
「それは本当にごめん!後でエミヤ特性のシードルを献上するので許して欲しい!お兄ちゃんと一緒に飲んでね」
「兄と呼ぶやつは選べと言ってるだろうが!」
互いに走りながらも軽口を飛ばすのは状況が逼迫しているからこそだ。リチャードが先頭で道を切り開いてくれてはいるものの、やはり物量が苦しい。それに加えて、キメラもワイバーンも共に遠距離攻撃を放つのがたちが悪い。
今も上空に飛ぶワイバーンが羽ばたいて作り出す風の刃がキメラに当たり、それに対してキメラが獅子の口から魔力塊を打ち出す。強烈な一撃にワイバーンの堅牢な鱗ごと貫かれ、胸元に空いた風穴から血飛沫を撒き散らして落ちていくのが恐ろしい。
あれが体に当たったらと不吉な想像に冷や汗を流しながらも先を行く。あと少しで入ってきた林の入り口が見えるというところで、リチャードが一際体の大きなキメラに飛びかかられるのを見た。通常のキメラと色合いが違う、ホワイトキメラと呼ばれる個体はおそらくは群れのリーダー格か。
「っ、リチャード!」
咄嗟に礼装で回避を付与し、ジョンに援護を頼む。基本的にバーサーカーの属性を持つキメラの一撃は当たればサーヴァントとてただではすまない。リチャードが回避したのを確認して立香の前に出たジョンが茨にも似た炎を放ち、追撃をかける。
「ジョン、そのままリチャードと一緒に」
押しきって欲しいと言いかけて、視界の端を赤い影がよぎるのを見た。緑のワイバーンと異なり、赤い鱗を持つワイバーンドレッド。
縄張り争いに乱入してきたこちらを明確に敵と見なしたのか、背中を向けるジョンに対して今にも翼から風の刃を放とうとしている。瞬間、立香の脳内で目まぐるしく情報がめぐる。
(礼装の回避は?まだ使えない。令呪は?魔力を込めるのが間に合わない。なら他にできること―――できることは)
いずれにしろ、この包囲網から抜け出さねば死の可能性が変わらないのであれば差し出すものは一つだけ。
身体強化をかけた足でジョンの背へ駆け寄り、勢いのままに両手で突き飛ばす。不意打ちにも似た出来事にジョンがたたらを踏みながらも前へ行った。立香とジョンの立ち位置が変わった刹那、頭上で鋭い風音が鳴る。顔を守るために腕をかざすより早く、左目で熱が弾けて血飛沫が舞うのを右目で見た。
「何が……っ、立香!」
「……、」
声すら出ない衝撃の中で咄嗟に止血のために覆った左手でどろりとした感触に触れる。血の中に混じるどこかゼリーのようにも感じる固体に、場違いにも学生の頃の生物の授業がよぎった。教師がシャーレの上で半分に切ったそれの中から溢れ出たそれの名前は確か。
(―――水晶体)
片目を手酷く損傷したのだと理解して、けれどもパニックになるのを意識的に押さえた。礼装の加護のおかげで首も頭もついてる。腹を砲弾で損傷し、指先が壊死したときもあった。腹の中身を素手でかき混ぜられたときも。だから生きているならなんとかなる。
(医療部が治してくれるはず)
魔眼でもない目の再建など医神であるアスクレピオスにしたらきっと児戯にも等しい。だからまずはここから生きて戻らないと。ナイチンゲールとサンソンには随分と心配をさせてしまうかもしれないけれど。
ごっそりと削れた視界の中でジョンがワイバーンドレッドを焼いて追い払い、茨にも似た紫炎で鳥籠のように周囲を包む。ふらつきながらもアドレナリンで痛みが飛んでいるうちにと鎮痛剤と止血効果のあるアンプルを腕に打ち込んでいれば、その手を強く捕まれた。視線を上げれば、怒りながらもどこか泣き出す前にも似た表情を浮かべた人がいる。
「ジョン、はやくここから出ないと。リチャードの援護を」
「っ……そうじゃないだろ!お前なんで俺なんかを庇った!愚王でも腐ってもサーヴァントなんだ。あれぐらいなら耐えられたはずだ!」
「―――はず、だと困るからだよジョン。君が倒れたらここから抜けだす事は難しい。マスターの俺が怪我をしても、最悪死ななければ戦線は崩壊しない。ただ、君が今退去すればそうではないから」
確実な生存と脱出のために差し出せるものがあるのなら、マスターとて天秤にかける。ただそれだけの話だ。潤沢な魔力も有効な魔術も持ち得ないのなら代償を選べる立場になくて。
リチャードに負担がかかってしまうと促せば、ジョンはたいそうな舌打ちの後に目を覆う手に触れた。
「せめて最後に怪我の具合は見せろ。傷はどうなって―――」
止める間もなく伸ばされた手が立香の手をどける。隠していた傷口が晒された瞬間、ジョンの目が見開かれ、口から息を飲む音だけが漏れるのを聞いた。
「ジョン、大丈夫だから」「―――灰も塵も、何一つ残さぬ」
ざらりとした酷く冷えた声と共にジョンの霊器が変わる。何がおきているか理解できないままに見つめていれば、枯れたと称する姿になった人にそっと傷ついた方の目じりを撫でられた。その手つきは確かに優しいのに、眼差しに宿る雰囲気は常の穏やかなものではない。まるで。
(黒獅子のような)
明確にどろりとした恨みと殺意が入り交じるそれに戸惑う間にも、周囲には偽りの十字軍が召喚されていく。立香に背を向け、フランベルジェを構える姿は禍々しい。
「血と共に、荒野に滲め」
立香が制止する言葉を発するよりもはやくジョンの口から言葉が漏れた。キメラ、ワイバーン問わずに偽りの十字軍の兵が襲いかかり、紫炎が敵を焼き尽くす。敵の殲滅と言えば聞こえがいいが、やっていることは一方的な鏖殺に近い。
「ジョン、戻って!」
マスターとして声をかけるが、ジョンは歩みを止める様子がない。令呪を切るべきかと思ったところで隣から声をかけられた。
「立香、無事か!何があった?」
「っ、リチャード!」
ジョンの放った炎で対峙していたキメラが引いたのか、異変を察して戻ってきてくれたのだろう。こちらの顔を見るなり難しい顔をした人が口を開く。
「君、その目は……もう見えてないだろう。痛みは?」
「鎮痛剤を使ったからしばらくは大丈夫。それよりもジョンを止めないと」
こうしている合間にもジョンはワイバーンを茨に似た炎で絡めては地に落とし、キメラを手に持つフランベルジェで撫で斬りにしては前に進んでいく。降りかかる攻撃は全て偽りの十字軍の兵士が肉壁として受けるせいか、歩む後には兵士と敵の残骸が横たわり紫炎で燃える様はここが地獄というに相応しい。
「あそこまでジョンが激昂するとはな。立香、君何をしたんだ?単に目を怪我しただけなら、きっとあれほどには怒らないはずだが」
「……本当はジョンが受ける攻撃を俺が引き受けたからだと思う。ジョンが退去したらここを抜けるのは難しいから」
生きるために必要だと思ったと伝えればリチャードが深いため息をついた。仕方ないとでもいったような笑みが顔に浮かんでいる。
「確かにマスターとしてのその判断は間違いではないだろうが……立香、一つ忠告しておこう。王というのは自らの所有物が傷つけられること、損なわれることを嫌う。それはわかるか?」
「ええと、それはなんとなく……自分の権力や権威の象徴だから?」
「ああ、その通りだ。宝にしろ、領土にしろそれを持ち得るこそが王の故と言った方がわかりやすいか。だからそれが傷つけられること、損なわれることはある意味で自らを傷つけられるよりも厭うもの。ましてやお前はジョンにとって何より得難い宝にあたる。それは自覚しているか?」
「それは……」
―――北天にある星としてあり続けよ。かつてスノーフィールドの特異点で言われた黒獅子の言葉がよぎる。
ジョンの霊器の中でもっとも苛烈な人が残した言葉は、きっと他の姿のジョンも思うことで。年若く情深い姿であれば、なおさらに立香に対して心を砕いている事は容易に想像できた。大切だからこそ自ら身を投げ出して傷を負ったこと、傷を負わせた相手が許せなかったのだと。
「―――ごめん。俺、ジョンに酷いことをしてしまった」
「それは後でちゃんとジョンに言ってやってくれ。それに王云々を差し引いても、単純に好きな人に傷ついて欲しくはないからな」
やわらかに笑って、それはさておきと立香を見つめるリチャードの瞳には不可思議な炎が宿る。―――それはまるで獣のような。
「―――ところで俺も王であり、君は唯一無二の宝であるわけだが。傷はカルデアで治せるな?」
「……アスクレピオスなら必ず」
「ああ、そうだな!カルデアには医神殿がいるのだった!神代の魔術だ、治らないはずがない!」
だったら「まだ」カルデアを燃やすわけにはいかないな。よかったな立香!セイバーの俺はまだしも、バーサーカーとライダーの俺だったらかなり怪しかったぞ!お前の瞳は綺麗だからな、大事にした方がいい!
さらりと治せなかったらカルデアを焼くつもりだった、と物騒なことを言うリチャードに対して冷や汗が流れる。やると言ったらやるのがこの人の美徳でもあり、危うさであることは理解していたが改めて突きつけられた気がした。ただ忠告してくれるあたり、リチャードも今の環境を壊したくはないのだろう。
「リチャードもごめん。軽率な事をした」
「なに、マスターとしては間違っていないと言っただろう。折り合いの問題というやつだ。それはさておき、ジョンをどうするかだが」
今もワイバーンとキメラを鏖殺し続ける人にリチャードは視線を向ける。
「マスターが望むような止め方は出来そうにないな。話し合いどころか、声すら今は届かないだろう。少なくともジョンが応報すべき、と思う相手がいる間は止まることはない。それが復讐者の性だろう?」
「確かに復讐者にはそういうところがあるけれど……令呪はできれば使いたくないんだ。ジョンに負担がかかるし、元はといえば俺にも原因があるから」
「ならやることは決まりだな。―――復讐する対象が無くなれば、自ずとジョンも落ち着く。つまるところは殲滅あるのみ、というやつだ」
穏便な撤退は諦めてくれ!と笑いながら言いきる人に頷いて、立香は霊器グラフに魔力を込める。ジョンを止めるのであればやるしかない。
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