mcmc333
2026-07-12 17:09:26
4716文字
Public
 

無題

疲労で熱を出す楓と、楓の代打で商談に出た可不可のSS。原作程度の恋愛感情描写のつもりですが、楓可不の気持ちです。
新人主任なので未読スト多いです!間違っていたらすみません⊂( ᴖ ̫ᴖ )⊃


 昼に楓ちゃんに送ったPechatの返信を眺めながら、不安ごと体内から出すように、小さく息を吐いた。『ちゃんと水はこまめに飲んで、何か欲しいものがあったらすぐに朔次郎に言って、絶対に仕事はしないこと!』と朝にも僕がしつこく言った言葉に対して、『分かった!』と、それからありがとうのしゅうまいスタンプ付き。流石に疲労で熱が出た日に仕事はしないだろうけど、彼のことだから恐らく責任感で落ち込んでいる。
 何故なら彼が根をつめて取り組んでいた、朝班コラボ企画の商談をする日が今日だったからだ。主任である彼を中心に、僕と練牙も少し手伝って企画を練り資料を作成したから、代打は順当に練牙か僕だ。だけど練牙は今日モデルの撮影が入っていて、スケジュールの調整が難しい。僕は多少融通が効くから、楓ちゃんが火照った顔で何かを言う前に仕事を巻きとった。もちろん彼の表情に気が付かなかったわけじゃない。解熱剤を飲めば短い商談の時間くらいは何とかなったかもしれない。だけど僕は、彼を行かせることはしなかった。無理をした身体の弱さを、人間の脆さを、僕はこの寮で一番と言っていいほど分かっている。
 これまで頑張ってきた仕事を自分でやり遂げられないのは、苦しいだろう。辛いだろう。両親に似たのか体がすこぶる丈夫である楓ちゃんが体調を崩したことなんて、ほとんど無いはずだ。高校だって無遅刻無欠席の皆勤で、雪風も感心していた。
 そんな彼が今日に限って体調を崩した。客観的に考えれば、あんなに無理をして当然のことだけれど。どうしてこんな大事な時期に、と、自分を責めたはずだ。上手くいったとPechatは送ったけれど、今もきっと。
 タクシーを降りて寮の明かりが見えると、僕は駆け足で扉を開けた。
 楓ちゃんが体調を崩していること、食事や必要なものを届ける以外では部屋に立ち入らないよう区長の皆には伝えてある。心なしか控えめに談笑している彼らに『おかえりなさい』と迎えられ、『ただいま』と返す。
「おかえり可不可。上手くいったみたいだな」
「当然。あの子が企画したんだから。それで、どう。具合は?」
 雪風に問うと、今は熱も引いて、大分いつもの調子に戻ったと言う。
「食事以外はずっと眠っていた。睡眠不足もあったのだろう。食欲は十分にあって、先程夕飯を食べ終えたからきっと起きている」
「そう。…………ありがとう」
「当然のことだ」
 弟のためだからな。彼はそう言って微かに微笑んだ。そうだね。雪風にとっては、当然のことだろうね、と心の中で頷く。
「お前のことをとても気にしていた。顔を見せに行ってあげるといい」
「うん……ちょっと、頭撫でないで」
 すまないと悪びれることなく瞬きするこいつはきっと、僕の知らない楓ちゃんをたくさん知っている。看病したことだってある。いとこだから。家族だから。いつでも連絡のつく関係だから。だけど僕は、そうじゃない。
 弱った姿を、楓ちゃんは僕に見られたいのかな?なんて思う。僕は本当なら、幼いころ病院で見せたいろんな姿を見られたくなかった。本当なら、いつだって元気に彼の手を引いて駆け回りたかった。まあ僕が僕である以上それは叶わないし、病気でなかったら出会えていないかもしれないのだからいい。
 ただ、今はなるべくかっこいい姿だけを見せたいのだけれど、あまり上手くはいっていない。
 思えば僕は、たいせつなひとや生きものが弱っている姿は、しゅうまいと母以外に見たことがない。けれど人と一緒に住んでいる以上、今後はこういうことも増えるだろう。そのときは動線とか色々考えないとなあとぼんやり思っているうちに、楓ちゃんの部屋の前へと辿り着いていた。
 扉は微かに開いている。逡巡したのち、扉を叩こうと拳をあげた。しかし叩くまでの勇気が出ない。すぐに顔を見たい。心配だ。だけど、ゆっくり休んでいるところに入るのも……とぐるぐる考えていると、突然「可不可?」と声が聞こえた。
「楓ちゃん」
「やっぱり。可不可だと思ったんだ。入ってきていいよ」
 超能力でも身につけたのかと思っちゃった、なんて軽口を叩きながら部屋へ足を踏み入れた。楓ちゃんの髪は少し乱れていたけれど、顔色はいつも通り健康的な色に戻っていて、ほっと胸を撫で下ろした。
「体調はどう?」
「うん。見ての通り、もうすっかり元気になったよ。雪にぃも毎食作って持ってきてくれて……明日またお礼を言わないと。何より可不可にも。迷惑かけて本当にごめ――
「こら」
 謝ろうとする彼の唇を咄嗟に人差し指で塞ぐ。思わず触れてしまったかさついた唇の感触から気を逸らしながら、離した指を目の前へ差し出す。
「いい? 僕たちは同じ会社の同僚なんだから、互いの不調をカバーするのは当然。お互いさま。だから謝るのは無しって、最初にキミが言ったはず」
……そうだった」
「うん。それにお礼だって、本当はいらない。雪風も同じように『当然のことだ』って言うだろうね」
「ふふ。もう言われた」
 楓が眉を下げて笑った。知らずのうちに強ばっていた肩の力を抜いて、傍にある椅子を引いて座った。
「でも言わせて。改めて、可不可。今日はありがとう。本当に助かったよ。俺、もう休みなって言う可不可の言葉を蔑ろにして、自分の限界も分からずに仕事して。結果こうなって。すごく久しぶりに熱が出ちゃった。多分……高校生以来かもしれない」
「そんなに前なの?」
 元気なのが取り柄ですから、と楓がガッツポーズする。驚いた。まさかそれほどまでに身体が強いとは思っていなかった。そういえば、昔からある流行病にもかかったことが無いと言っていたっけ。椛ちゃんが風邪をひいたとき、楓ちゃんだけ元気なことも多いとかなんとか言っていたような気もする。
 しかしそんな彼がこうなってしまうことに、僕は気がつけなかった。もうすこし強く止めておけば。社長権限──いや幼なじみ権限で、添い寝でもなんでもして寝るまで見張っておけばよかったとも思う。
 だけどそんなことはしない。彼の行動を縛りたくはなかったから。見ると寝ているあいだに相当汗を掻いたのか、額に前髪が張り付いている。いつもサラサラと揺れて艶のある、綺麗に整えられた束。それを掬って払い、タオルで額を拭いた。
「ごめん、拭いて着替えたけどシャワーは浴びて無いから、頭は」
「大丈夫だよ。大丈夫」
「ええー? そう? まあ、可不可がいいならいいけど……ちょっと擽ったいって!」
 僕がそのまま頭を撫でつけていると、楓ちゃんが身じろぎして笑う。
「今日上手くいったのは、楓ちゃんの頑張りが実を結んだから、だからね。何か欲しいものがあれば言ってよ」
「とんでもない。上手くいったのは可不可のおかげだよ」
「いいや? 僕はただキミになったつもりで、キミが作った企画書を持って、キミみたいに喋っただけ。それで上手くいってすぐ稟議にかけるって先方が言ってくれたのもね」
 ふふ、俺みたいに?と、楓ちゃんが可笑しそうに喉を鳴らした。僕は人よりもスピーチやプレゼン、商談が上手い自覚はある。口もよく回るほうだ。だけど必要なのはそれだけじゃない。浜咲楓に向いている、彼にしか出来ないことがこの世に──特にHAMAツアーズの仕事においては山のようにある。楓ちゃんだったらどんな風に言うだろう。ここにいる人たちとどうやって仕事をしていくんだろう、なんて考えながら望んだ打ち合わせだった。
「だって僕、誰よりも主任ちゃんを見てますから♪」
ふざけて言ったつもりが、楓ちゃんが大真面目に「そうだね」と頷くので、ちょっと恥ずかしくなって口を噤んだ。撫でまくっていた手を降ろして掛け布団の上に置くと、彼が手を重ねてきゅっと握る。思わず瞬きして彼の顔を見れば、びっくりするくらい穏やかな顔で微笑んでいた。見惚れて息をのんだ。
「主任になる前からずっと、可不可は俺のこと見てくれてる」
「う、うん。当たり前……
「ねえ、可不可。欲しいもの言っていい?」
「もちろん!」
 僕のポケットマネーから出しちゃう、と言うことは出来なかった。この感情を抱えてもう十年は経つのに、未だにちょっとしたことで馬鹿みたいに顔が熱くなってしまう。楓ちゃんは僕を手招くと、頭を撫でたいと言っててっぺんに手を置いた。あたたかい。椅子に座ったままだと僕の方がつらいのでベッドに乗ろうとして、まだシャワーを浴びていないことを思い出した。
 しかし楓ちゃんは察して「俺もお風呂入るしシーツは明日洗うから」と、なんと僕をベッドに引き込んで抱えて寝転がった。
「ふふ。相変わらずまるい……
「あのさ。こんなんでいいわけ……?」
 向き合って間近にある楓ちゃんの、首のあたりを見つめた。顔はなんとなく見られなかった。僕が病院にいたころは、手術や嫌いな検査の前によくこうして手を握って抱き締めてくれた。彼や彼の妹の手はとてもあたたかく、それを思い出すだけで僕は何だって出来るような気がしていた。流石に会社を立ち上げて寮に入ってからは一度もなかったけれど、本当はずっとこうしたかったような気がする。
「これじゃ僕のご褒美なんだけどな……
「ん?」
 ぼそぼそ呟いた言葉を聞き取れずに、楓ちゃんが俯いた僕の顔を覗き込む。顔は赤くなっていないだろうか。息を吐くのを誤魔化すために咳払いをした。
「なんかさ、可不可のこと撫でてるとすごく落ち着くんだ」
「ふうん? まあ、昔からよく言われるかも」
「ふふ。そうだね。小さいころからずっと変わらない。でも、変わったこともあって……
 楓ちゃんの手が止まる。そのまま髪の隙間を縫って指が頭皮をやさしく叩く。一定のリズムでトントン、と叩きながら、言葉を探しているようだった。
「俺、最後に熱出したの高校生のときだって言ったでしょ。そのとき、椛たちと離れてJPNに一人だったから、自分でいろいろやらなきゃいけなくて、寝ようにも不安でなんだか上手く眠れなくて……。ずっと意識があるまま、ぼんやりしてたんだ。そのときのことを思い出して」
 そうだ。楓ちゃんは高校生になるときにJPNを拠点にしたから、いくら親戚が近くにいるとはいえ、一人で不便なことも多かったはずだ。楓ちゃんにそれとなく理由を聞いたとき「やっぱりHAMAとHAMAの海が好きだから」と笑っていたけれど、多分、それだけじゃないことを僕は分かっている。僕はしっとりとした彼の頭を撫でた。僕と同じくらいまるい頭の形が好きだと思った。
……今日は、どう? 休めた?」
「うん。今日は……雪にぃと朔次郎さんにたくさん助けてもらったし、すっごくよく眠れたよ」
「良かった」
「ふふ。それにね。よく眠れたのはきっと可不可のおかげなんだ。朝は仕事を放り出しちゃったって焦ったけど、でも、可不可なら絶対大丈夫だって思って。信じて任せようと思ったらどんどん眠くなってきて、起きたときには元気になってた」
 可不可と一緒に仕事ができて、嬉しいよと笑う。それは僕の方だ。楓ちゃんの言葉はいつもきらきらしていて眩しくて、僕の心をぎゅっと掴むみたいに真っ直ぐ届く。それが苦しくてうれしくて、いつも僕は堪らなくなって、忘れないように心のなかで繰り返す。
 信じてくれてありがとう。キミがあのとき信じてくれたから、手をとってくれたから、今こうしてここにいる。どうかこれからも信じてそばにいて欲しい。だいすきだよ。ずっと。口にしたら止まらなくなりそうだったから、ただ笑った。