mk98LL
2026-07-12 16:38:39
5324文字
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冬に置いたまま

名取×的場、恋人未満どころかたぶん友達未満。学生時代で的場が高校三年生。
何かでボツにしたネタのメモが見つかったのでコネコネしてみた。テーマは「お下がり」だったらしい。

※誹謗中傷や意見は受け付けません。
※全ては作者の見た夢、幻です。


 季節は冬から少しずつ春に近づき、日中ならば暖かい日も増えてきたとはいえやはり曇り空の下は肌寒い。
 名取周一は通り雨が上がった一瞬の隙を見計らって、自宅からそう遠くない書店を飛び出ると足早に帰路についた。この角を曲がればもう、先月引っ越した新しい自宅マンションが見えてくる。そういえば少し昼を過ぎたところか、昼食は何にしよう。そう考えながら角を曲がった視界に人影が映り込むのと、声が耳に届くのは同時だった。
「──こんにちは、周一さん」
「ま、的場静司!? お前なんでこんなところ、に……
 一人暮らし用として人気の高い小さな部屋が立ち並ぶマンションは、建物への入り口もそう豪華な作りではない。エントランスの入り口、階段とエレベーターがある奥まで吹き抜けの通路となっているそこで、顔見知りの少年はいつものような食えない微笑を浮かべて壁を背にしゃがんでいた。
 肩口まで伸びた黒髪と、着ているパーカーの肩や腕を雨水に濡らして。
「何だその恰好! いつからここに?」
「ご心配なく、ついさっきです。というのも、周一さんが最近この辺りのマンションに引っ越したって教えてくれたでしょう。近くまで来たから顔を見ていこうかなって思ったんですが、通り雨にやられて」
「あぁ、さっきまですごい降ってたな。止んだから帰って来たんだが……というかよくわかったな、どこのマンションかまでは教えてないだろ」
「そこはほら、式紙を飛ばしたんです。本人じゃなくて、気配や残り香の強い場所を探すように命じてね。まぁ、式紙を追いかけている途中に降られてこの様ですし、式もおじゃんですが」
 やれやれ、と少年らしからぬ声を上げて立ち上がった的場は、すっかり色の変わった衣服に顔をしかめ、ぺたりと頬に張り付く濡れた髪をうっとおしそうに払いのけた。
「この格好ですから、今日は帰ります。周一さんには会えたし、今度は晴れてる日に遊びに来ますね」
「今度って……いや待て、たぶんまた降り出すぞ。お前、傘は?」
「周一さんたら。持ってたら濡れてませんよ俺」
「あ。あぁ、だよ、な……
 まったくもってその通りだ。突然自分を訪ねてきた的場に動揺したのか、おかしなことを聞いてしまった。
 だからだろうか、気が付けば声に出していた。
……時間あるなら、上がっていけ。髪の毛くらい乾かして行かないと風邪ひくぞ」
「え、ですが。こんな状態ですから」
「そんな状態だから言ってるんだろ。いいから来いって」
 きょとん、とした顔で普段ならしない遠慮をされて、少し勢いを削がれつつ的場の片手を掴むようにしてマンションの中に引き入れた。いつもはこちらの事情なんてほとんどお構いなしな顔をしておいて、こういう時には遠慮するとはどういうわけだ。濡れた服で他人の家に上がることを良しとしないなんて、そんな良識を普段から発揮してくれていたのなら、名取が年下の男に抱く印象派もう少しばかり好意的なものだったかもしれないのに。
 ……いや、そうだろうか。わからない。名取はまだ、的場という一つ年下の男のことを友人と呼べるほどにも知らないし、知ろうとしたこともないのだから。
 それでも。帰ります、と立ち上がった的場が濡れた服の二の腕を軽く押さえてふるりと身を震わせたのは、見間違いなどではないだろう。


*****
 

 自室に招き入れた的場にタンスから引っ張り出したシャツとズボン、数本のハンガーを手渡し「風呂場に乾燥機付いてる。棚にタオルとドライヤーあるから使え」と広くない部屋の一角を指差した。我ながら雑な指示だったと思うが、的場は少し戸惑ったような年相応の顔で「ありがとう、ございます」と頷くと洗面所の方へ消えていく。その背中を見送りながら、やかんを火にかけお湯を沸かし手早くインスタントコーヒーを淹れた。それほど自炊をしないので物の少ないキッチンだが、実家でお世話になっていた家政婦のアドバイスに従って「料理のさしすせそ」くらいは常備していたので砂糖はある。二つのうち一つのカップには砂糖と牛乳を加えてカフェオレに、自分の分はブラックだ。
……あいつ、甘党だからカフェオレでいいよな?」
 的場の好みに関して思い込みだけで作ってしまってから、まぁいいかとそのまま進めた。気に入らなければどうせ飲まないだろう。そう考えて家具の中で一番面積のあるローテーブルにマグカップを並べれば、洗面所の扉が開いて名取のズボンを身に着けた的場が現れた。「周一さん、」と呼びながらキッチンスペースに入ってきた的場は言いつけ通り髪を拭くことにしたのか、その両肩にはヘアタオルが掛かっている。しかし上半身はパーカーを脱いだだけのようだし、ドライヤーの音もまだ聞こえていない。見咎めるような名取の視線に、的場はひょいと肩をすくめて湿った髪の毛先をいじった。
「パーカーが厚手だったおかげで中のシャツは無事だったので、ズボンだけお借りします。髪の毛は、タオルで十分だから」
「そうか……まぁお前がそう言うならいいけど。あ、カフェオレで良かったか?」
「淹れてくれたんですか? すみません、ありがとうございます」
……まぁな。砂糖とか足りなかったら自分で足してくれ」
 素直に礼を言われたことも、いつもの不遜さが鳴りを潜めていることも相まって、何となくむずがゆい。世話になっているという意識があるのか、しかし会合であれだけ好きなように動き回っていた男が、知り合いの家で雨宿りするくらいを気にするのだろうか。
 いや、きっと自分が慣れていないのだ。年の近い知り合いを家に入れて、タオルを貸したり温かい飲み物を用意したりなんてしたことがない。だからきっと、この妙な雰囲気を感じているのも自分だけなのだ。
 不安定な思考を断ち切るように苦いコーヒーを啜りながら、ちらりと隣に座って髪を拭いている的場を見る。パーカーの下に着ていたらしい薄手のシャツは、確かに濡れた様子はないもののほっそりとした体のラインが分かるような薄着だった。雨にやられたパーカーはそこそこ厚めだったようだから下を薄くしたくなるのはわからないでもなかったが、このままでは見ているこちらが寒くなる。
 おもむろに立ち上がると、名取は自身の寝室にしている部屋へ入った。寝起きに簡単に整えた布団の上で、これまた簡単に畳まれていた寝巻を手にして戻れば、髪を拭き終わったらしい的場はカフェオレの入ったマグカップを両手に持って、ちびちびと飲んでいた。時おり肩がふるりと震え、カフェオレを啜る口からほぅ、と息を漏らす様はやはり寒そうだ。体が冷えているのだろう。
「エアコンあるけど、暖房入れるか?」
「いえ、大丈夫です。今つけてないってことは、周一さんもっと寒くならないと使わないんでしょ。電気代とか高そうだし」
……別に、そんな大層な家じゃない。お前の……
……周一さん?」
 お前の御大層な家とは違うからな、なんて。反射のような言葉が出そうになったのを寸でのところで飲み込む。どうにも的場静司を相手にすると心がざわざわとして仕方ないが、今はそんな会話をしたいんじゃないと思えば自然と言葉を引っ込められた。
 あれ。じゃあ、どういう会話をしたいんだろう、俺は。
 首を傾げてこちらの様子をうかがっている的場に気付き何でもない、と首を振って妙な考えを中断する。それから片手に持っていた上着を差し出した。寝巻代わりに使っているもこもことした生地のパーカーだ。少々古いが機能性はまだまだ十分で、これなら電気代もかからない。
「なんか、見てて寒いからこれ適当に羽織っておけ。他に貸せるような上着があればよかったけど、そんなに服を持ってないんだ」
……ありがとうございます。お借りします」
 軽く押し付けるように渡したそれに引く気はないと察したのか、的場は素直にそれを受け取った。本当に、今日の的場の態度は調子が狂う。
 洗濯してまた一晩しか着ていないので汚れてはいないと思うが……と様子をうかがっていれば、軽く肩から羽織るくらいだろうと思っていた的場はしっかりと袖に腕を通し、体の前のチャックも締めて着込んだ。名取が着ていても少し大きめに作られているそれは、着古して袖も襟も伸びているうえに体格差のせいでさらに大きく見えた。襟元のふわふわした生地に埋められた鼻先がスン、と小さく鳴る。
……周一さんの匂いがする」
「嗅ぐな! ……要らなくなったら脱げよ」
「──ううん。これいいね、ふわふわしてあったかい」
「そうかよ。寝巻ので悪いけどな。……カフェオレ冷めるぞ」
「うん。いただきます」
 飲み物はもう程よい温度に下がっていて、二人はしばし無言のまま飲み物を口に運んでいた。帰宅したら昼食にしようと思っていた名取だったが、不思議なことに空腹感はやってこなかった。
 窓の向こうは薄暗い雲が空を覆い、また降り出してきたのかさあさあと微かな雨音が耳に届き始める。暖房を使っていない部屋で、窓の向こうから微かな雨音と、二人分の飲み物を飲む音、その呼吸。届く音はそれだけの静かな空間だったけれど、そこにあるのは息の詰まるような緊張感ではなく、穏やかで程よく緩まった空気だった。
……ごちそうさまでした。カップ洗います」
「いや、いいよ。後でまとめてやるから軽くすすいで流しに置いておいてくれ」
「わかりました」
 カップを片手にキッチンへ向かった的場の姿を目で追って、名取もすっかり冷めたコーヒーの残りを一気に口へ流し込む。その時まるで見計らっていたように、風呂場の乾燥機の稼働音が甲高い合図を最後にぴたりと止まった。どうやら的場はタイマーを設定しておいたようだ。名取も腰を上げてカップを片してから風呂場へ向かうと、ハンガーから服を回収した的場が渇き具合を確かめていた。
「どうだ、もう少し乾燥させていくか」
「いえ、十分乾きました。帰る時間も考えたら、そろそろ本当にお暇します」
「それもそうか。着替えたら服はその辺に置いといてくれ。洗って返すとか手間だからいいぞ」
 今日は何かと律儀な的場のことだ、また似たようなことを言い出すんじゃないかと先んじて指示を飛ばし、脱衣所の扉を閉めてやった。「はぁい」と含み笑いをした声を聞きながら玄関に向かい、一本のビニール傘を用意する。どこかのコンビニで急遽購入した、出番のない余り傘だ。今日は一日中不安定な天気のようだし、使っていないビニール傘の一本くらい帰ってこなくても大して困らない。
「──お世話になりました。あの、これ」
 元の格好に戻った的場が名取に差し出したのは、途中から着込んだあの寝巻のパーカーだ。ズボンと一緒に置いておかれるとばかり思っていた名取は、瞳を瞬かせて「置いといていいって言ったろ」と小首を傾げる。
「このパーカーだけ別の部屋から持ってきてくれたでしょ。寝巻だって言ってたし、元の部屋にあった方がいいんじゃないかと思って」
「よく見てるな……
 いつもと違うように見えても、そこは的場静司だ。名取はひっそり感心しつつ差し出されたパーカーを受け取ろうとして、ふと気が付いた。的場の視線が、ずっと自分の差し出すそれに刺さっていること。その中に、どこか名残惜しそうな色が滲んでいることも。
 夕暮れ時、帰らなくてはいけないとわかっていて、駄々を捏ねたら親を困らせることもわかっているから、何も言えずに下を向く子供のような。そんな、この一つ年下であり自分よりもずっと高みにいる男がそんな感情を抱くなど思ってもみなかった色を滲ませているものだから。
 だから、ふと口をついた。
「それ、やろうか」
「──え、」
「あ、いやえっと……なんか、随分気に入ったみたいだと思、って……
 裏起毛になっているパーカーのふわふわしたところが気に入っているように見えた。着ている時にチラチラと盗み見た的場の表情は、頬擦りして頬を緩ませる様があどけなくて、いつもより幼く見えた。
 こいつでも、こんな顔をするんだな、と思ったのだ。
「──いいえ、結構です。周一さん、あんまり服持ってないんでしょう。着るもの無くなっちゃいますよ」
 けれど、玄関で着替えて靴を履いた的場は、もういつも通りの的場だった。お気持ちだけで、という言葉と共に、差し出した傘もやんわりと名取の方へ押し戻す。
「借りたからには返さなきゃならないけど、いつお返しできるかわかりませんから」
 それじゃあさよなら、周一さん。
 一言残して、まだ灰色の深い空が広がる外へ出ていった。パタン、と静かに閉められた扉の前で、受け取られなかったビニール傘を手に、名取はポツリと声を落とす。
「また、来ればいいだろ……返しに」
 今度は晴れている日に、なんて言っていたくせに。
 ぎこちない動きで玄関に鍵をかけて、流しに片付けた二人分のカップを洗い始める。温水に切り替えていない水道の水は、ひどく冷たい。
 的場の高校卒業が目前に迫った、冬の終わりのことである。