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yoAi_mochii
4579文字
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【狛日】熱帯低気圧の罠
台風にちなんで嵐の日を書いた
未機パロ
狛枝に押し切られ、なし崩しに付き合うことになってから、まだ数日。
恋人らしいことなど、何一つしていない。そんな折、よりにもよって、接近する台風を押して任務が強行された。
案の定、任務を終えて帰路に就く頃には、交通網が完全に麻痺していた。道路は至るところで冠水し、外では立っていることさえ難しいほどの暴風雨が吹き荒れている。救援もすぐには望めず、俺たちは任務先の街で、事実上の遭難状態に陥っていた。
辛うじて逃げ込めたのは、駅裏にひっそりと建つ、うらぶれたビジネスホテル
――
を装った何かだった。
やけに薄暗い照明。二人で泊まるにしても妙に広いベッド。無駄なほど充実したアメニティ。本来なら部屋の用途を察してもおかしくないほど、そこかしこに違和感が散りばめられていたが、そのときの俺には、いちいち気に留める余裕など残されていなかった。
「
……
クソ。ここまで荒れるって分かってたなら、最初から任務を中止にしろよ」
窓ガラスを狂ったように叩く雨音を背に、俺は壁へ深く背を預けた。
全身がじっとりと重い。せめてホルスターに収めた銃だけは濡らすまいと庇っていたつもりだったが、あの横殴りの雨の前では、ほとんど意味をなしていなかった。
濡れそぼったネクタイを苛立ち紛れに引き抜き、そのまま胸元を横切るサスペンダーの留め具へ手を掛ける。
ジャケットの代わりに身につけていたホルスターサスペンダーも、今では水を吸い、普段以上の重みで肩へ食い込んでいた。
金具を外し、身体を締めつけていた黒いベルトを肩から引き抜いていく。濡れたシャツまで肌へぴったりと張りついているのが鬱陶しくて、前身頃を鷲掴みにした。身体から強引に引き剥がすように何度か布地を揺らし、肌との隙間へ冷えた空気を送り込む。
そのとき初めて、胸元へ突き刺さる視線に気づいた。
(
……
あいつ、さっきから何じっと見てるんだよ)
狛枝の淡い瞳が、外したサスペンダーを持つ俺の手元から離れない。
銃だ。
あいつが見ているのは俺じゃない。俺の腰に収められていた銃と、雨に濡れたホルスターだ。
この地域には、まだ絶望の残党が身を潜めている。逃げ込んだホテルだって、本当に安全だと確認できたわけじゃない。いつ襲撃されても反撃できるよう、銃が雨で使い物にならなくなっていないか、装備の状態を確かめているだけだ。
そうに決まっている。
――
そうでなければ困る。
無理やり自分へ言い聞かせ、胸の奥で暴れ始めた動揺を、どうにか理性の下へ押し込める。
ふと顔を上げれば、そこには盛大な濡れ髪バグを起こした狛枝がいた。
膝裏まで届く深い緑色のフード付きロングコートは、雨を吸ってすっかり重たくなっていた。濡れた布地は足元へ向かって暗く沈み、裾からは絶え間なく水滴が落ちている。その内側で、同じように雨を含んだジャケットが細い身体へ重たくまとわりつき、普段は制服の直線的なシルエットに隠されている肩や腰の輪郭を、嫌になるほど鮮明に浮かび上がらせていた。
そのうえ、いつもなら気ままに広がっている白髪までが、雨水の重みに潰されている。フードの影から覗く濡れた毛先が頬や首筋へ張りつき、重たく垂れた前髪の隙間からは、普段は半ば隠れている形のいい額と、室内の薄明かりを受けた淡い瞳が覗いていた。
ただそこに立っているだけなのに、その顔を目にした途端、必死に繋ぎ止めていた俺の理性は、呆気なく溶かされていく。
やっぱり俺は、こいつの顔に弱い。
悔しいほど、どうしようもなく弱い。
濡れた狛枝の姿と、自分の胸元へ注がれる熱っぽい視線。さらに、部屋中に漂う妙に甘ったるい空気。そのすべてに挟まれ、俺の処理能力はあっさりと限界を迎えた。
「
……
っ、俺、先にシャワー浴びてくるからな!」
これ以上ここにいたら、うるさく鳴り続ける心臓の音だけで、狛枝に何もかも悟られてしまいそうだった。
俺は誤魔化すように怒鳴ると、外した装備一式を狛枝の胸元へ押しつけ、備えつけのタオルを引っ掴んだ。そのまま逃げ込むように浴室へ駆け込み、背後でドアを閉める。
カチャリ、と無機質な音が響いた。
浴室の扉には鍵がなかった。だからといって、さすがの狛枝だって、シャワーを浴びているところまで押しかけてはこないだろう。
そう思いながら顔を上げて
――
俺はようやく、このホテルに漂っていた違和感の正体に気づいた。
「
……
なんで、こんなに広いんだよ」
浴室は、ホテルのうらぶれた外観からは想像もつかないほど広かった。
曇りガラスで仕切られた洗い場に、どう考えても一人用ではない大きさの浴槽。壁際には、用途のよく分からない照明の操作盤まで取りつけられている。
先ほど目にした巨大なベッド。過剰なほど充実したアメニティ。そして、この浴室。
ここ、ビジネスホテルじゃない。
あまりにも遅すぎる理解が脳へ到達し、俺はタオルを抱えたまま、その場で固まった。
◆
――
銃なんて、見ていなかった。
日向クンはただ、任務を終えて装備を解除していただけだ。そんなことは分かっている。
水を吸ったサスペンダーの留め具を外し、肩から黒いベルトを引き抜いていく。任務をともにするなかで何度も目にしてきた、ごくありふれた動作。それなのに、濡れたシャツの上を辿っていく彼の指先を、どうしても目で追わずにはいられなかった。
ボクが見ているのは銃だと、どうにか思い込もうとしていたのだろう。
彼は露骨に視線を逸らしながら、外したホルスターの状態を確かめるふりをしていた。けれど、ボクが凝視していたのは、そんなものじゃない。
サスペンダーの締めつけから解放された、日向クン自身の胸元だった。
彼が鬱陶しそうにシャツの前身頃を掴み、濡れた布地を肌から引き剥がす。シャツは一瞬だけ身体から浮かび、次の瞬間には、厚みのある胸板の形を改めてなぞるように張りついた。
呼吸に合わせて上下する胸元。濡れた布越しにもはっきりと分かる、しなやかな筋肉の動き。その内側にある体温まで、冷え切った室内へ滲み出してくるようだった。
あんなものを見せつけられた瞬間から、彼を一人で浴室へ行かせ、自分はここで大人しく待っている
――
そんな理性的な選択肢は、ボクのなかから綺麗さっぱり消滅していた。
何より、日向クンの動揺はあまりにも明らかだった。
ボクの視線に気づいた途端、胸元を掴んでいた指が不自然に止まる。あからさまに顔を背けながらも、完全には目を逸らしきれず、何度もこちらの濡れた髪や顔へ視線を戻してしまう。
そして最後には、耳の後ろまで真っ赤にして、外した装備をボクへ押しつけたまま浴室へ逃げ込んでしまった。
あれが単に寒さのせいではないことくらい、分かっている。
ボクに見られていることを意識したから。そして同時に、彼自身もまた、ボクを一人の男として見てしまったからだ。
それを察せないほど、ボクは愚かじゃない。
告白して、押し切って、恋人という肩書きを手に入れることはできた。それでも、日向クンがボクを同じ意味で意識しているという確信までは、まだ持てずにいた。
でも、ボクなんかの濡れた姿を前にして、あれほど分かりやすく取り乱してくれたのだ。
それを知ってしまった今、何も気づかなかったふりをして、一人で大人しく待っていられるほど、ボクは聞き分けのいい人間ではなかった。
ボクは預かった銃とホルスターサスペンダーを、室内の水気が届かない棚へ丁寧に置いた。それから、濡れたジャケットの袖口から床へ雫を落としながら、浴室の前まで歩み寄る。
閉まった扉の向こうから、日向クンの乱れた呼吸が微かに聞こえていた。
ボクにとって幸運なことに、その扉には鍵がない。
迷う理由など、どこにもなかった。
ドアノブへ手を掛け、そのままゆっくりと回す。
ガチャリ、と。
扉は、呆気ないほど簡単に開いた。
◆
ガチャリ、と。
今しがた閉めたばかりのドアノブが、外側から迷いなく回された。
「うわっ!?」
反射的に振り返る。
開いた扉の向こうには、来るはずがないと思っていた男が、何事もなかったかのような顔で立っていた。
「日向クン、急に一人で閉じこもるなんて水臭いじゃないか」
濡れた白髪を頬へ張りつかせたまま、狛枝が当然のように浴室へ足を踏み入れてくる。
「おい、待て! なんでお前まで入ってくるんだよ!」
俺は咄嗟に、手にしていたタオルを盾のように突き出した。だが、狛枝はそれを制止と受け取るどころか、濡れたジャケットの裾から床へ雫を落としながら、さらに一歩こちらへ近づいてくる。
「だって、ボクもずぶ濡れだからね。このまま待っていたら風邪を引いてしまうよ」
「だったら順番を待て! シャワーくらい、すぐ済むだろ!」
浴室の外へ押し戻そうと腕を伸ばす。
狛枝は一応その場で足を止めたものの、淡い瞳は俺の腕をゆっくりと辿り、そのまま濡れた胸元へ落ちていった。
「でも、任務中に長時間の別行動を取るのは危険じゃないかな?」
「この浴室とベッドの距離で言うことか!?」
俺は反射的に、狛枝の背後にある部屋を指差した。
口にしてから、しまったと思った。
案の定、狛枝はゆっくりと背後を振り返り、部屋の中央を占領する巨大なベッドへ目を向ける。それから再び俺を見ると、濡れた前髪の隙間で淡い瞳を愉しそうに細めた。
「へえ。日向クンも、あのベッドのことが気になっていたんだ?」
「今そこを拾うな! 思春期の男子高校生か、お前は!」
「あはっ、ごめんごめん」
まるで悪びれていない声で笑いながら、狛枝は頬に張りついた白髪を指先で払い除けた。
「でも、安心したよ。てっきり日向クンは、このホテルがどういう場所なのか、まだ気づいていないのかと思っていたから」
「気づいたから、お前を入れたくないんだよ!」
言い返しながら一歩退く。すると、その分だけ狛枝がこちらへ踏み込んだ。
「それは残念だな。ボクは、気づいたからこそ一緒に入りたいと思ったのに」
囁くように告げながら、狛枝の手が背後へ伸びる。細い指が、開いたままのドアノブをゆっくりと掴んだ。
「それに、ボクたちはもう『付き合ってる』んだよ? この程度のことで、今さら遠慮する必要なんてないでしょ」
「そういう問題じゃない!」
俺の制止など、最初から聞く気もないらしい。
狛枝は俺から目を逸らさないまま、背後の扉をゆっくりと閉めた。
カチャリ、と小さな音が響く。
扉が噛み合うと同時に、外で荒れ狂う嵐の音が一段遠ざかった。代わりに、濡れた衣服から床へ滴る雫と、二人分の息遣いだけが、やけに近く響き始める。
さらに距離を取ろうとした俺の背中が、曇りガラスの仕切りへぶつかった。
つい先ほどまで不自然なほど広いと思っていた浴室が、扉を閉ざされ、狛枝に一歩近づかれただけで、どこにも逃げ場のない密室へと変わっている。
それだけで、冷え切っていたはずの空気が、一気に熱を帯びた。
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