詠夕れもん
2026-07-11 15:14:33
2785文字
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ふたりの波間(狛日)

狛日版週ドロライ「帰り道」のお題で書かせていただきました。ED後(後に未機パロになる想定)、全員が目覚めて本土に帰る最中の話です。お互いに相手への感情の整理がついてない感じの二人です。

水面を搔きわける駆動音にただ耳を澄ませて、どれくらいの時間が経過しただろうか。
微かな振動は眠気を誘うような心地良さを伴っていたが、それでも暗闇を見つめるばかりの意識を微睡ませるには至らない。ただぼんやりと夜闇の中眼前に広がる海原を見つめ続けていたって何も起こることはないのに、ずっと、日向は動けないままでいる。
日が昇るまではまだ長い。まだ暫くこの停滞は続くだろう。
――なんて、そんな予想を裏切られたのはそこからたった数分後の出来事だった。
駆動音、それからそれに伴って波が立つ音に紛れて、背後から軽い靴音が耳に届く。それはゆるい歩調でこちらに近付き、やがては日向の隣、……と形容するには少し遠い、人ひとり分と少しの距離を空けた位置に人影が立ち止まったのが、辛うじて視界の端に映る。
ふたりの間を海風が駆けぬける。穏やかで、潮のにおいを纏ったそれは、夜半にこっそり部屋を抜け出す子供の好奇心のような温度を伴っていた。
黙ったまま、どころか視線の一つすら投げかけられる気配はない。まるで日向の存在に気付いていないかのような素振りの相手に対し、少しの逡巡の末日向は口を開いた。ともすればそれは独白に近いようなもので、反応を期待してのものではなかったが。

「今更、怖くなってきたんだ」

一つ間を空ける。返答はない。気にせず日向は言葉を続けてみる。

「自分のしたことの結果に向き合うこともそうだけど、……皆にもそれを背負わせるのが、怖い」

自分たちが過ごしたあの常夏の島を離れ、生まれ育った場所への帰路の最中。まだ水平線の先に大地が見えてくるまでは暫くの期間があるけれど、それは途方もない未来の話ではない。
……そうして帰りつくその場所に、もう自分達の居場所は無い。穏やかな日常に帰るための道も、閉ざされてしまっている。そんな事は勿論全員承知の上で、それぞれの意思で各々の罪に向き合うことを決めて、この船に乗っている。だから、こんな風に感じるのは傲慢なのかもしれない。
それでも。最初に全てを壊す切掛けを作ったのは自分だし、最初に未来を創るのだと踏み出したのも自分だった。それを周囲に強制しようとは一度も思わなかったけれど、そうあってくれたらという願いが無かったとは間違っても言えなくて、それに、他に彼らに選択肢があったのだろうかと考えると答えが見つからないのも確かなことだ。
だから、どうしたってこの恐怖を拭うことはできなかった。

「その先で皆が傷付くのも……その事で自分が傷付くのも」

虚構の中で巻き起こった惨劇の時に抱いていた弱さを、自分はまだ克服できていない。否、きっとこの先どれだけ努力したところで克服できる日はこないのだろう。
けれど多分、それで良い。この弱さを、恐怖を、傷を、全部飲み込んで痛みを覚えながら生きていくことが、きっと自分が真直ぐ立つためには必要なのだろうから。
そう内心で結論付けたところで、ふと視線を感じた。隣に目を向けると、鈍色の虹彩が小さく疑問を示すように細められている。

「キミはもう、弱音なんて二度と表に出さないものかと思ってた」
…………、そうだな」

その指摘を否定せず日向は頷いた。確かにあのプログラムから目覚めてからずっと、日向は克服できないままでいる内心の脆い部分は努めて表には晒さないようにしていた。
その理由をひとつにおさめるのは難しい。周囲に余計な心配をかけたくないという意思もあったし、他人に慰められる資格を自分は失っているという諦念もあったし、外面は虚勢のひとつでも張り続けていなければ直ぐに自分の足が崩れ落ちてしまいそうだという不安もあった。
それをどうして今更、と、彼は問うている。しかし日向は直ぐに解を導くことは出来なくて、ただ船の頼りない灯りに照らされたその相貌を見つめるばかりの時間が過ぎた。プログラムの中と比べて少年らしさが削ぎ落されたその顔は、まだ少し見慣れなかった。それは多分、現実に彼が目覚めて後、日向が彼との向き合い方を決めかねていたからなのだろう。狛枝凪斗と視線を合わせたのは、随分久しぶりの事のように感じられた。
あの頃と変わらない、矛盾した明暗がそこには今も潜んでいる。ただ当時は溢れ出しそうだった熱量はどこか凪いだように息を潜めていて、それから、それに入れ違うようにその輪郭にはさみしさのようなものが揺らいでいた。それは現実に帰った後、いつからか彼の目に浮かぶようになっていた。ー日向の胸をどうしてか詰まらせて、狛枝から目を逸らすようになった切掛けとなった、理由の見えない感情。
今もやはりそれは、胸の奥をきゅうと締めてきた。日向を希望と錯覚していた頃に差し向けていた憧憬じみた信仰のようなものとも、日向が希望ではないのだと理解した後に投げつけてきた嫌悪と拘泥の狭間にあるようななにかとも、重なっているようで離れているようなそれ。それと相対する度に、自分は彼を壊してしまったのではないか、なんて荒唐無稽な不安がどうしてか現実味を伴ってかたどられてしまって、だから、気付けば彼に向き合えなくなってしまっていた。

「そうしたかったけど、……何でだろうな」

煙に巻く理由は、きっと探せばいくらだって作ることができる。目の前の海原が真暗だったからだとか、海風が冷たく感じたからだとか。環境の所為にして、無かったこととして扱えば、また同じように曖昧な距離をつくることができるだろう。
なのに、そうできなかったのは、何故だろうか。儘ならない感情に導かれ、日向は眉を落として小さな笑みを浮かべた。

…………もしかしたらお前が、……最初に俺の手をとってくれたからなのかも」

その後、明確に自分はあれを虚構だと断じたけれど。
電子の海の中とは思えない眩しい日差しの下、最初にそばにいた彼の温度を、その中にあった何かを否定したくないという願いが生まれてしまったのは、きっとこの薄ぼけた光源の中で彼のさみしさと相対したからなのだろう。

…………
 
少しだけ目を丸くした狛枝は、自らの手元へと視線を落とす。僅かに唇を噛んで何か逡巡するような素振りを見せていた彼は、暫くの沈黙の後、意を決したように顔を上げ、ふたりの間にあった空白へと足を踏み出し、日向のすぐそばに立った。
船べりについていた日向の右手に、そっと狛枝の左手が重ねられる。彼のその手にはもう血が通っていないのも、その硬質な手のひらに微かに音を立てるくらいに日向の手が震えているのも、あの時とは何もかもが変わってしまっていることをこれ以上ないくらいに示していて。
それでも、狛枝が言葉を探すように口を開きかけた後、結局何も言わないまま僅かに眦をゆるめてみせる様には、少しだけあの頃の面影が重なるような気がした。