Hayate
2026-07-09 02:31:52
4719文字
Public 無双(CPネタとか)
 

【満于】同衾

文字通り添い寝する満于の話。
そういや満寵殿も兗州出身だなぁ……と思ったので……。

 深夜。静かな回廊に松明の火が爆ぜる音が響く。眠たげに目を擦っていた見張りの兵は于禁の姿を捉えるなり、慌てて姿勢を正した。于禁はその横を通り抜けながら、視線で「気を抜くな」と兵に釘を刺した。
 とは言え、于禁も本来なら床に就いている時間帯である。それが何故この時間まで起き、かつ官舎に向かっているのか。その原因を作った張本人の部屋の前へ至ると、于禁は自然と眉間の皺を深くせざるを得なかった。
 内側から聞こえてくるのは、ぶつぶつと途切れることのない、どこか楽しげな呟き声。
――いや、この経路では伏兵の配置が甘い。むしろあえて敵を誘い込むために、こちらの防備を薄く見せるべきか……。しかし、そうなると兵糧の輸送路が削られる。やはり優先すべきなのは……
 声の主は満寵である。于禁は深く息を吸い込み、戸を開けた。
「満寵殿、時間です」
 有無を言わせぬ威厳を孕んだ声が、室内へ響き渡る。しかし満寵は机の上に広げられた何枚もの地図や書簡に視線を落としたまま、微動だにしない。手にした筆を顎に当て、独り言を続けている。
……うん、于禁殿の部隊をここに配置すれば、全ての懸念は払拭されるかな? よし、この案で――
「満寵殿!」
 于禁は一歩踏み込み、机を軽く叩いた。その音でようやく、満寵の意識が現実へと引き戻される。満寵は瞬きを数回繰り返すと、いつもの穏やかな笑みをその面に浮かべた。
「おや、于禁殿? どうされたのですか、こんな夜更けに」
「どうされた、とは……。寝食を忘れ、夜を更かす己に時を教えて欲しいと申したのは、貴殿でしょう」
 首を傾げていた満寵だったが、ようやく思い出したのか「ああ」と大きな声を出して頷いた。
「そうでしたね。夢中になるとどうしても時を忘れてしまって……いやはや、面目ない」
 そう言って頭を掻く満寵だが、その表情にあまり反省の色はない。于禁は内心で、この男の無頓智さにまたしても胃が痛むのを覚えた。戦場では頼りになるものの、平時においてはこれほど自分を乱してくる存在もいない。
「納得したならば、速やかに就寝されよ。私はこれにて失礼する」
 于禁が背を向け、去ろうとしたその時だった。
……困りましたね。こうして卓を離れても、頭の中で色々と考えてしまいます。独りになると、灯りを消した途端に起きて、考え込んでしまうかもしれません」
 満寵は寝台の端に腰掛け、首を少し傾げて、得も言われぬ柔らかな微笑みを于禁に向けた。その瞳は、悪戯っぽくもあり、同時にどこか真剣でもある。
「なので、一緒に寝て貰えますか」
……は?」
 于禁は己の耳を疑った。今、この男は何と言ったか。「一緒に寝て貰えますか」、だと?
……お戯れを。男二人が、しかも将同士が同じ寝台に収まるなど、軍紀に悖る行為です」
「そんなに堅苦しく考えなくとも。ただの添い寝ですよ、于禁殿。貴方が傍にいてくだされば、私のこの、回りすぎている思考も静かに止まってくれるような気がするんです」
「っ……厳として拒否します」
 于禁は明確に拒絶し、出口へと歩を進めようとした。しかし、満寵は素早く立ち上がると、于禁の逞しい腕を両手でそっと掴んだ。その力自体は決して強くはない。于禁が本気で振り払えば、容易く引き剥がせるものだ。
だが満寵の、その曇りなき瞳で見つめられると、何故か身体が強張ってしまう。
「そこをなんとか、お願いできませんか? 私の不眠の危機を救うと思って。明日、私が寝不足で軍議に遅れでもしたら、それこそ軍紀の乱れでしょう?」
「それは貴殿の自己責任――
「それに、貴方も少しお疲れなのでは?」
 満寵の言葉に、于禁は息を呑んだ。確かに最近はよく眠れていない。元々平時から睡眠は浅く、夜中に目を覚ますことも珍しくなかった。
「実を言えばここの所、于禁殿の顔色が良くないと思いまして。その様子だと、どうやら当たりだったようですね?私が傍にいることで、貴方もよく眠れたら良いんですが」
 だとしても何故添い寝をしなくてはいけないのか。于禁は再度断ろうとしたものの、満寵の圧を前にして渋々頷くしかなかった。 
……一度だけなら。ただし二度はありません」
「ええ!ありがとうございます、于禁殿」
 満寵は嬉しそうに目を細めると、先に寝台へと潜り込み、于禁のために半分空間を空けた。
「安心してください、この寝台は大きめですから」
 于禁は重い溜息を吐きながら、冠と簪を外し、寝台へと身を横たえた。満寵の体温が、思いのほか近くに感じられ、肌が粟立つような奇妙な緊張感が走る。しかし満寵はというと、于禁が横になったのを見届けると、ものの数分もしないうちに「すぅ……すぅ……」と規則正しい寝息を立て始めた。
「早い……
 呆れ果てた于禁は、天井を見つめながら呟いた。人をあれだけ振り回しておきながら、当の本人はこの速さで深い眠りに落ちるとは。だが隣から伝わってくる温もりと、穏やかな呼吸の音は、不思議と于禁の張り詰めていた神経を緩めていく。
(私としたことが、何をしているのか……。無理矢理にでも寝ることにしよう)
 于禁は目を閉じ、深い、深い闇の中へと意識を沈めていった。



 じっとりとまとわりつく冷雨。そして、鼻を突く血と泥の臭い。
 于禁は走っていた。目の前に広がっているのは、夥しい数の死体の山。旗と衣服から、それが仲間たちであることはすぐに分かった。黄巾の残党、青州の賊たちとの激しい死闘の跡。
『何処だ……何処におられますか!』
 于禁は狂ったように死体をひっくり返し、顔を確かめていく。冷たくなった顔。怨嗟の表情を浮かべたまま息絶えている者もいた。しかし于禁が探している人物の姿は、どこにもない。どれだけ探しても、いくら泥を掻き分けても、見つからない。
……殿! 何処に……!」
 泥の底から、何か黒い手が伸びてきて、于禁の足を掴むような錯覚に囚われる。主を失う。それは配下として、この上ない無能の証明。最大の恥辱。せめて、せめてその亡骸だけでも取り戻し、手厚く葬らねば、己の犯した罪は永久に贖えない。
 だがどれほど叫んでも、返ってくるのは虚しい雨の音と、泥を踏みしめる自らの足音だけ。
『鮑信殿……っ!!』
 叫びは霧の彼方へと消えていく。その瞬間、視界が激しく歪み、世界が反転した。
——于禁殿?」
 于禁は跳ね起きるようにして目を開けた。飛び込んできたのは、見慣れた満寵の顔。心配そうに自分を覗き込んでいた。
……満寵、殿……?」
「ええ、私です。急に大声を出されたので、驚きましたよ。大丈夫ですか? 酷くうなされていたようですが……
 満寵の気遣わしげな声音に、自らの額にびっしょりと汗が滲んでいることに于禁は気づいた。先ほどまで見ていた夢の残滓が、胸の奥でドロドロと渦巻いているのを自覚する。
(このような時に……
 あの悪夢だ。年月が経とうとも、曹操軍の将としてどれほどの手柄を立てようとも、決して消えることのない、あの泥濘。于禁は満寵から顔を背けるようにして、寝台の上に座り直した。
……見苦しいところをお見せした」
 掠れた声でそう言うと、于禁はそれとなく、袖の先で目尻を拭った。濡れているわけではない。だが夢の鮮明さが、どうしても目元に熱を帯びさせていた。将たるものが悪夢に怯えて涙を浮かべるなどあってならないと、唇を噛み締める。
 そんな于禁の隣に、満寵は静かに座り直した。
「私も兗州の出ですから。鮑信殿のことは、よく存じています。……本当に、惜しい方を亡くしました」
 どこか遠くを見つめるような満寵の瞳に、軽薄な色は一切ない。だからこそ于禁は、ぽつり、ぽつりと、自分でも驚くほど素直に言葉を紡ぎ始めた。
……主を失うとは、配下として最大の恥辱」
 普段の彼なら、絶対に胸の奥底に秘匿し、誰にも明かさなかったであろう、柔らかく、脆い部分。それを、この静寂な夜の空気と、満寵の眼差しが引き出していく。
「ならせめて、その遺体をと……。泥濘を、私は這いずり回って探した。だが発見できぬまま、主の骸は今もあの地に……
 言葉を詰まらせる于禁の拳が、寝台の布を強く握りしめる。過去の痛恨をこれほど打ち明けたのは初めてだった。満寵は何も言わず、その話を聞いていた。安易に慰めを口にせず、言葉の重みを、そのまま受け止めるように。
 そして満寵はそっと、于禁の肩に手を置いた。
「于禁殿」
 呟きと共に満寵の身体が近づく。刹那、于禁はその腕で抱き締められた。
「なっ……!?」
 于禁の身体が、一瞬で硬直する。男に抱き締められるなど、戦場での組み合い以外に経験したことがない。ましてやこれほど優しく、包み込むような抱擁など。
「満寵殿、離れ――
「今だけでいいです。少し力を抜いてください」
 満寵の耳元での囁きは、どこか慈愛に満ちていた。その温もりに気圧されるようにして、于禁の身体から徐々に力が抜けていく。
……温かい)
 悪夢と、過去の悔恨で冷え切っていた心が、満寵の体温によって少しずつ溶かされていくのが分かった。
「大丈夫ですよ。誰にも口外しませんから」
 背中を摩る手つきは、まるで子供をあやすそれだった。于禁は恐る恐る、己の顔を満寵の肩口へと埋めた。
衣服から漂う、微かな墨の香りと、満寵自身の匂い。
……満寵殿は、私が思うよりも……
 今まではただ自分を振り回す、掴みどころのない変わり者だと思っていた。だが今の状況は。満寵に対する認識を根本から改める必要があるかもしれないと、于禁はその心地よい温もりの中で真剣に考えていた。
「さあ、もう一度寝ましょう。今度は、良い夢が見られるといいですね」
 満寵が身体を離し、優しく微笑む。于禁は小さく頷き、今度は先ほどよりもずっと穏やかな気持ちで、再び寝台へと横たわった。

 夜明け直前。于禁は久しぶりに深く、心地よい眠りについていた。満寵の言う通り、誰かが傍にいるという安心感が、彼の張り詰めた精神を完全に弛緩させていたのだろう。
(やはり、満寵殿は侮れぬ男だ。これからは、満寵殿への態度を少し改めねばならんか……
 半ば覚醒しつつある意識の中で、于禁はそんな殊勝な思考を巡らせていた。満寵との関係が、この夜を境に一歩深まった。それはこれからの軍にとっても、非常に有意義なことに違いないと。
……だが。そのどこか感傷的な幻想は、突如として破られた。
――ドゴッ!!!
「ぐ、はっ……!?」
 猛烈な衝撃が、于禁の顔面の中心を捉えた。容赦のない、そして全く予測していなかった角度からの打撃。それは満寵の、寝相の悪さによって振り回された、硬く重い拳(あるいは肘)であった。
「う…………。だから、そこは城壁を……
 当の本人は寝言を呟きながら、気持ち良さそうに寝返りを打っていた。自らの放った一撃のことなど露知らずと言った様子の満寵の横で、于禁はあまりの痛みに跳ね起きた。
「つ、ううううっ……!?」
 鼻の頭を両手で抑え、悶絶する。じんじんと顔面全体へと広がる痛みは、戦場で敵の刃を受けるよりもよっぽど不意を突かれた一撃だった。幸いにも鼻血は出ていないが、間違いなく赤くなっているだろう。
 于禁は痛む鼻を抑えながら、眼下で何事もなかったかのように「すぅ、すぅ」と健やかな寝息を立てている満寵を、涙目で睨みつけた。
「っ……前言撤回だ!」
 于禁の怒りと、痛みの混じった呻き声が、薄明かりの室内に虚しく響いた。