冬暁
2026-07-07 23:51:09
1649文字
Public 悠アキ
 

それから、僕

七夕前夜、ざらざらで黄色の願い星を一つ。

 見慣れた店内に、見慣れない鮮やかさがあった。
「これって笹?」
「明日は七夕だろう? 店にどうかって笹を貰ったから飾ったんだけれど、これが意外に好評なんだ」
「へぇ」
 ちびすけより少し大きいくらいだろうか。カウンター側で重たげに葉を垂らし、色とりどりの短冊がかけられている。
 多種多様な字は、それだけ多くのお客さんが店を訪れ、願いを綴っていったことを示していた。
「いつから飾ってたの?」
「昨日からだよ。小さな笹だからあっという間にいっぱいになってしまったね」
 アキラくんの白く嫋やかな指が笹の葉を掬う。傷のない、だけれど見えることのない痛みを抱えてきた手だった。その全てを僕は知らない。そしてこの先も知ることはないのかもしれない。
 カサリ、とその手に触れて短冊が揺れた。
——ホロウ災害がなくなりますように。——
「良かったら君も書いてくれないかい?」
「こんなにたくさんあって吊るす場所なんてある?」
「一枚吊るすぐらいわけないさ」
 笹の下に置かれていた無地の短冊を掴むと、アキラくんはその中から黄色を差し出した。

「う〜ん」
 マーカーペンを片手に無地を見つめる。パッと浮かぶのは仕事だった。明日は内勤、出来れば遠慮したいところだ。もちろん休暇申請したところで、「お休みってぇ貰えたり……、しないですよね〜」と返すことになるのは間違いない。そもそも休んだところで逃げられやしないからね。休んだ分が重ねられて机にドンと山を作るだけだろう。
 本当に休みが欲しいわけではないし、それがわかっているから月城副課長もバッサリ切ってくる。ただ、流石と言うべきか。彼女の目は的確に休みが欲しい時を見抜いてくる。そういう時は言わずとも見逃されるし、申請を却下されたこともない。
 分かりやすく態度に出してないはずなんだけどなぁ。なんでわかるんだろう。

 キャップを外してペン先を滑らせる。少しざらりとした触り心地の紙に黒いインクが染み込んでいく。
 短冊買ったのはリンちゃんかな? アキラくん、雑なところあるから。
 くるりと指先を回してペンを離す。
——アキラくんとリンちゃん、ちびすけたちにたくさんの幸せが訪れますように。——
 キャップを戻そうと手を浮かせたところで短冊を見つめ直した。ペン先がくうをかく。
 天井を見上げて、それから後ろから聞こえるコトン、コトンとビデオを戻す音に耳を傾けた。
……うん」
 もう一度ペン先を落としてさっと書き足す。最初から見直して今度こそキャップを閉めた。
 書き終えたのを見てアキラくんが帰ってくる。
「この辺りならかけられそうだ」
 少し短冊を分けて指差された先に紐をかけた。アキラくんの視線が僕の手元に辿ってそろそろと外される。
「その、見てもいいかい?」
「見られて困るようなことは書いてないよ」
 どーぞ、と促せば新緑の瞳孔が文字を辿る。途中で一度止まって、それから最後まで動いた。
「よかった」
 ポツリと落とされた言葉の意味はすぐにわかった。きっと気にするだろうな、と思っていたから。
 僕の短冊を優しく持ち上げていた手が、ある一文をなぞる。
「僕たちだけだったら怒っていたところだよ」
 すりと撫でた指が離れると僕の短冊は彩り豊かな笹に紛れ込む。黄色なんて目立つ色もこんなに色があればそうでもなかった。他の短冊と同じように、ごくありふれた願いを綴ってそこにある。
「悠真、この後仕事は?」
「今日は終わりだよ。あとは帰るだけ」
「本当かい?」
「本当だって〜! 今日は定時!」
「それなら良かった。願い事を叶えるなら、君にも協力してもらわないといけないからね」
……?」
 アキラくんは看板を返すと僕の手を取った。温もりが指先に絡んで柔らかく包み込む。
「七夕にはひと足早いけれど」
 掠めるように唇が触れる。じわりと眦が染まるのを見て胸がきゅぅと締めつけられた。
「君もいないと叶わないからね」
「アキラくん……!」


Posted by 冬暁/薄明