よるうみはる。
2026-07-07 22:02:55
5738文字
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真ん中バースデー

2026.0707 れめしし真ん中バースデーって最高ってやつ。
銀行が消えてなくなったあとのふたりの話。

 六月のスペインはもうすっかり夏だった。
 五月の終わりから兆していた熱気は、気付けばあっという間に汗ばむほどの陽気へと変貌していた。街行く人々の服装は半袖のTシャツに短パンだなんていうのは少なくない。欠かせないのはサングラスと日焼け止めで、太陽の照りつく強さには眩暈がしそうなほどだった。
 アンダルシア州に位置するグラナダは、眩いほどに白く塗られた家々が身を寄せ合うように立ち並ぶ、人口二十万人ほどのこじんまりとした街だ。シエラネバダ山脈近くの平野を基盤に建てられており、肥沃な土地柄もあったためよく栄えていた。今なおラテンの陽気で華やかな気配が満ち満ちており、往来を飛び交う人々の声もどこか音楽的な響きを帯びている。
 そんなグラナダの南東、小高い丘の上に威容を誇るのが、イスラムの美学が息づくアルハンブラ宮殿である。スペインは今でこそ敬虔なるキリスト教であるが、キリスト教国による国土再征服――かつてレコンキスタという歴史の荒波によってキリスト教国の手に渡り、モスクが教会へと姿を変え、修道院や礼拝堂が継ぎ足されたという複雑な過去を持ちながらも、美しいタイル張りの宮殿は特別目を引き、ここグラナダにおいて随一の観光名所であった。
 そんな眩いばかりの陽光を浴びながら、叶黎明は、隣を歩く男の涼しげな横顔を盗み見ては、胸の奥で燻る熱を確かめていた。
 日本からはるか遠く離れたこの異国の地で、かつて自分たちの世界の中心であり、すべてでもあった賭博という場所を失くしてからの日々は、まるで終わりのない白昼夢のようだった。観測する場がなくなり、何をしようかと悩んで、結局のところとりあえず日本から脱してしまおう、という考えに至った。
 命を賭した狂乱のゲームで荒稼ぎした金は既に暗号資産に変えてしまっているうえ、口座の残高も足のつかない海外の機関へと送金済みだ。少なくとも界隈の騒ぎが落ち着くまでは日本以外を転々とするのも悪くないだろうと、叶は考えていた。軍資金が少なくなれば、カジノという手もある。英語はかじる程度にしか話せないが、どうとでもなるだろうという彼特有の楽観主義がそこにはあった。
 何せ自分の人生だ。何を誰に言われたところで、叶黎明は好きに生きる。
 家族も基本的には放任主義なので、年単位の連絡が無くても気にもとめないのは、昔からのことだ。案じていないわけではないだろうが、死んだときには連絡がいくようにしてあるので、そうでなければ生きていると向こうも思っているだろう。
 ――そんな計画を立てている最中、ふと海外に逃げるついでになんとなく、頭の片隅にいた男の存在が浮かんだ。死に物狂いのゲームの中で著しく成長し、魅せてくれた男。言葉にしたことは無かったが、元より自分を認識させた頃からきっと惹かれていたのは事実だ。
 でなければ、害の無い人間を自分の視界に入れるようなことを、果たして――しただろうか。自分よりもわずか低い身長の、下方から覗くたれ目がちの瞳。夏の空のようにからりとした青の残響を、叶はもっと、誰よりも近くで見ていたいと望んでいた。
 単なる友人という枠組ではいられない、という気持ちが互いの間に横たわっていることには気付いていた。あと一歩、どちらかが踏み込んでしまえば、恐らく坂を転がり落ちるように二人でどこまでも堕ちて行けるであろうという、甘い期待を持っていたのだ。
 もしかしたら二度と会うことは出来無いのではないか。そう思い至った瞬間の叶の行動は早かった。勝手知ったる家へと趣き、そこにいる目的の人物を見つけるのは容易く、腕を取ると逃げ道を塞ぐように力強く抱き締めて「オレと一緒に行こうよ」と――

 ――耳元で甘く、あるいはどこか逃れられない呪いのように告げた日のことを、叶は強い日差しの中でふと鮮明に思い返していた。突然の提案に彼――獅子神敬一はずいぶんと驚いた表情で叶を見つめた。目を丸くして、呼吸を忘れたかのように一瞬だけ硬直していたけれども、ぽすりと、肩口に額を預けると緊張していた身体の強張りをそっとほどいた。
「オレも、言いに行こうと、思ってた」
 薄いシャツ越しに伝わってきた彼の体温と、すこしだけ早くなった鼓動の音を、叶は一生忘れることはないだろう。賭場という狂気の世界から切り離された途端、彼自身もまた日常という名の退屈な中で息継ぎの仕方を忘れてしまったかのように見えた。自身の差し出した手を無防備に、けれど確かな力で握り返してきた瞬間、彼が叶黎明のそばにいることを望んでくれたことを思い出すだけで、今でも嬉しさでたまらなくなった。
 今もこうして隣で、わずかに気分を高揚させるような愉しそうな空気を纏う姿に、自然とくちびるの端がほどけた。白い壁の続く坂道を歩む獅子神敬一の存在だけが、叶にとっての切り離せない確かな現実として映っている。
 歩みを運ぶたびに、石畳に反射した強い光が獅子神の眦のやわらかな視線を遮るように瞬き、そのたびに彼は、かけられたサングラスの奥でわずかに碧を煌めかせていた。薄い生地のシャツから覗く、容赦のない太陽に照らされた首筋には、微かに汗の玉が浮かんでいるのも健康的で、爽快さすら覚える。
 元が欧州的な顔立ちのため、撫でつけられたブロンドとその恵まれた体躯は、日本でなくとも人の目を引きつけるらしい。隣に叶もいるので余計かも知れない。とはいえ、身長的な面だけで言えば日本ほど目立ってはいないので、本当に時々、というくらいだ。
「なあ、叶。この先だったか、その言ってた宮殿」
「そうそう。サグラダ・ファミリアと並ぶくらい人気のやつ」
「へえ。見たことねえから、スゲー楽しみなんだよな」
 獅子神は快活な笑みを向けてくる。今は、とりあえずヌエバ広場まで向かっている最中であるが、ここから更に登るのかと思うと叶自身としては、途中でバスかタクシーでも拾いたいところだ。獅子神と行動するにあたって、よく歩くようにはなったが、元々の運動不足や体力の差で、音を上げるのはいつも決まって叶の方である。
 ただし、その分明日は一日ホテルに籠もらせてもらうつもりだ。当然、獅子神も道連れである。シーツの海から出してやる気は毛頭なかった。
「なんかオメー、変なこと考えてるだろ……
「なーんにも。明日はインクルーシブのホテル楽しもうねってだけだよ!」
 海外を逃避行の地に選んだことで、当初、楽観的に考えていた言葉の壁は、獅子神のおかげで特に問題なくクリアできてる。彼自身の職業が投資家ということに加え、本人の勤勉さゆえか日常的な会話程度であればそつなくこなしてくれるのだ。流石にスペイン人の早すぎる英語には、若干苦戦していたが、それでも意思疎通が図れていたので充分だろう。
 叶は、獅子神の背中を追いかけながらスマートフォンの電源を入れると配信の画面を呼び出した。
 ストリーマーの仕事は未だに細々とやっている。更新頻度も減ったし、SNSの運用もしていない。かつて人気コンテンツだったゲーム配信も環境的にできなくなったので、雑談だったり、こんな風に旅の風景を時たまに流す程度の配信や、短い動画を上げる程度だ。
「ごきげんよう、観測者の諸君。こちらレイメイだ。今日は絶対に配信しなきゃならないからな、気付いてたやつもいるのか? よく観ているなえらいぞ」
 登録者数は激減したものの、告知もない突発配信にも関わらず叶のファンはすぐさま閲覧しにきてくれる。今も見ている数は着々と増えていっているが、叶はそれに気にも留めずに、レンズを自分から獅子神の方へと向けた。
 海外の配信をするようになってからは、叶が獅子神と一緒にいることを明かしたのはつい最近のことだ。当初は、一人で配信をしている様子を装っていた。獅子神自身、配信なんてガラじゃないということもあるし、男同士で二人きりの旅を永遠と配信続けているのもどうかと思う、という指摘からだった。
 しかし、叶からすればだ。「なんでオレが敬一くんの存在を隠さなきゃなんないんだよ」という理不尽な怒りが芽生え、その怒りのままに獅子神の存在を暴露してからは、堂々とふたり旅の配信を行っている。
 ついでに言えば、恋人だということも明かしているのでこうして一緒にいることを疑問に持たれることも無い。ここは叶黎明の世界なのだ。他者の言葉など、聞き入れる必要もなかった。
「今回はスペインにいるぞ! ケイイチくんは後ろ姿だけど今日もかっこいいだろ! 今からオレたちは、すごい人気の宮殿に向かってる最中だ」
 楽しげに画面へ語りかける叶の声に気づき、数歩先を歩いていた獅子神がくるりと振り返った。手元の画面に自分が映り込んでいることに気付くと、呆れたように小さく息を吐き出す。
「配信すんなら声かけろよ、急にはじめんな」
「こういうのは、急にするのがいいんだよ。ほら、ケイイチくんも挨拶してよ」
「あー、日本は今深夜だっけ? 遅い時間まで起きてんなよ。まあ、オレは叶がバテないように、とりあえず引っ張ってくな」
 サングラスを少しだけずらし、深い碧の瞳を覗かせてひらひらと手を振る獅子神に、画面の端では滝のようにコメントが流れ始める。そのほとんどが歓喜の声と、二人の仲の良さを冷やかすようなものばかりだ。
 コメントが目についたのか、獅子神は少しだけ眉をひそめた。が、その耳の先がほんのり赤くなっているのを叶が見逃すはずもない。
「ケイイチくんとは今日もラブラブだぞ! あとで、スペインのパエリアとかトルティージャを食べに行こうと思う。おすすめの場所があれば教えてくれ」
 叶がそんな風に声を掛けると、コメント欄にはざざっとおすすめの店舗が流れてくる。金額付きで流れてくる店は目につくので、獅子神が隣でその店を検索したりしている。いつの間にか獅子神と寄り添って歩いている様子や風景を映しながら進める。腰にするりと手を回すと「暑いからやめろよ」と照れ隠しの声がした。
「いいだろ! 今日はなんせバースデーだからな!」
「? テメーの誕生日は終わっただろうが。オレはまだ先だぞ。誰と間違えてんだよ」
 わずかに顔をしかめる獅子神に、まあまあとなだめる。異国の地、叶と二人になったからか、獅子神は以前と比べれば素直に感情を向けてきてくれる。嫉妬も甘えている一種だと叶は思っているのでそんな可愛さに今すぐキスをしたくなった。
 身を捩じって逃げようとする獅子神の腰を引き寄せ、叶は顔を近づける。カメラ少し画角を外して、叶と獅子神の顎先しか見えないだろう。わずかに下方に向けられた画面外で何をしているのかは、想像を働かせるほかない。折角のお祝い事の日なので、特別サービスだと言わんばかりに、叶は獅子神に会話を振った。
「今日は何日か知ってるか、ケイイチくん」
……七月七日、だろ? 七夕が誰かの誕生日なのか?」
「そうだな。二人、誕生日がいるんだ」
 まるでなぞなぞだ。叶の問いかけに若干苛立ちを起こす獅子神の声に、コメント欄は喧嘩を心配する言葉が流れていた。
 叶はくすりと笑うと、不機嫌そうに唇を尖らせる獅子神の横顔へとさらに顔を寄せた。
「喧嘩なんてしてないよな」
 わざとらしくマイクに拾わせるように囁きながら、叶は獅子神の首筋、ちょうど脈打つあたりにそっと唇を落とした。ちゅっ、という水っぽい音が響き、獅子神の喉がびくっと跳ねる。画面外の出来事に、コメント欄は心配から一転して黄色い悲鳴のような文字の奔流へと変わった。
「おま、っ……え!」
「ほら、仲良し仲良し。まあ、鈍いケイイチくんにネタ晴らしな。オレの誕生日は五月十七日だ。そしてケイイチくんは八月二十七日。そのちょうど真ん中が今日ってわけ。七月七日の七夕が二人の真ん中バースデーってやつだ。ロマンチックじゃない? 一年に一回しか会えないやつらの日に、オレたちはお互いを祝える日があるんだ」
 きょとんとした表情で叶を見つめ返した獅子神は、数秒かけてその言葉の意味を理解したらしい。「は?」と素っ頓狂な声を上げたあと、みるみるうちに耳まで朱に染めていく。
「ま、真ん中バースデーって……お前、そんな女子高生みたいなこと言ってんのかよ……。歳考えろよ……
「流石に言い過ぎじゃない?! もーいいじゃんか~、折角だからお祝いしようよ~。スペインの太陽の下で、ケイイチくんと二人きりでお祝いできるなんて最高だろ?」
 あー、と間延びした声を上げた獅子神は、徐ろに叶の頭をぐいっと引き寄せると、ちゅうっとくちびるが触れ合う。恐らくカメラには、獅子神の後頭部しか映ってはいないが、キスをしたことは一目瞭然だ。一瞬の出来事だったが、叶の目の前にいたのはにやりと不敵な笑みを浮かべる獅子神の姿だった。
「誕生日、なんだろ。お返し」
 にやりと口角を上げる獅子神に「ずるいよ、ケイイチくん」と思わず口元を抑える。これ以上可愛いことをされると、今すぐホテルまでのタクシーを呼びつけてそのまま部屋の中で一日中抱き合っていたくなる。
 叶は後から来た羞恥からか、先にすたすたと進んでいく獅子神を追いかけるべく、配信を終了しようとスマートフォンに視線を向ける。そのうちに、スパチャを投げるHNに既視感を覚える名前がいくつか混じっていることに気付いた。
 神に、M.Sに、雨マークの絵文字。
……あはっ」
 それぞれのコメント欄には『神は祝福しよう』『今度パエリア作ってね!』『待ち合わせ場所は連絡しろ』というようなものだ。暇なのかよ、と思わず言いたくなってしまうが、それよりも今はこの報告を彼にしてやる方が先だった。
「スパチャありがとうな! それでは諸君、オレは今からケイイチくんと思う存分いちゃついてくるから、これで配信は終了だ」
 叶は流れるコメントに名残惜しむ暇も与えずに、配信の終了ボタンをタップすると、勢いよく彼の元へと駆け寄ると、先ほどのお返しだと言わんばかりに背後から抱き着いて、深くくちびるを重ねたのだった。