『記念日、またの名をいつもの日常 ―SAKAI. Sweet salad, A.K.A. the Immediate neighbor-lover!』
サラダ云々はだいぶ前から書きたかった内容で、七夕と県境絡めて短い文章を書こうと思いこれにしました。
[記念日、またの名をいつもの日常
―SAKAI. Sweet salad, A.K.A. the Immediate neighbor-lover!]
長野と群馬、県境に位置する、峠のパーキング。ロマンチックにありふれて、今夜も落ち合えば。時間も丁度頃合いで、そばびとと眺める澄んだ星空はとうとうと潤いをたたえている。そんな天の湧水が溢れ落ちるでもないこのよきひに、僕は思う。
「
……、
…この県境が、天の川でなくて、良かった。今年のように、逢えるばかりではないだろうから。僕はきっと、永劫、晴れを、願い続けることしか出来ぬ非力ものであったことだろうね」
ほしぞらだってこらえているから、だからだろうか、僕がそらよりも容易にこぼせば。隣で、なによりまばゆい恒星が、ぱちくりとまたたくのがやはり、いつでも僕を救うのだ。
「んー、
…僕は、天の川が、県境だったらいいのにな~って思いますね。そしたら、いつでも会えるでしょうから」
にひり、と、いたずらっぽく笑むきみよ、ああ、永劫少年じみて見せる年下の先達よ。きみはその無邪気で、無意識下やけに真理を知るおとなびている。ああ、ああ。発想の、転換とはよく、言うけれど。彼のもたらす転回は、いつでも僕に、なにもを与える。
「
……っ
……、
……そうか
…。それも、そうだね
…。“僕たちのように”
…、織姫と、彦星とが、いつでも会えるのなら、それに越したことは、無いのだろうね」
「ですねぇ」
にこにこと笑む恒星は、そこにほしのひかり吸うてさえなお、映してなお、それに傲慢を、てんで知らない。他人事をいくらも自分事にするきみよ、きみの祈りが何よりまばゆいのは、きっとその無邪気に、在るのだろう。
こうしたことは、しばしば在る。コペルニクスの論点は、事を喜楽の文面に限らない。
あの時も、こうだった。また別の時も、こうだった。そんな列挙は、幾らも出来る。胸に沁みるほしの温度を噛み締めながら、そうするのも、無論悪くない。だが、特に、あれは殊更に。記念日というものの興りを、僕に普遍めいて思わせたことだった。折しも今日とて、僕たちだけで無いだれかの記念日で、だからきっと、天の川はやはり、県境で在れることなのだろう。
誰もが授業で触れる著名作を、こんな折につけ、僕は幾度も思い出すのだ。
あの時は、僕が、『サラダにドレッシングを掛けて時間をおいてしまうと、野菜がしんなりとしてハリがなくなり、僕は好きではない』という雑談を、自宅のリビングにて、彼に振ったのだった。だって、共に見ていたテレビドラマで、ドレッシングをかけたサラダを放って長らく会話を進めたものだから、つい。すると彼は、『へぇ~! たかあきさんはそー思うんですね。僕は、こーゆーの、ドレッシングが水っぽくなっちゃうのになぁ~って思うんですよネ』と返してきたのだった。なるほど、興味深い。更にやりとりを重ねれば、ミサオさんはドレッシング目当てでサラダを食べていて、僕は野菜を目当てにサラダを食べている、ということが解った。
僕たちの感想は、どちらも、野菜の水分がドレッシングの塩分で脱け出すことに起因する。そして僕たちはともに、それを、勿体ないこと、惜しいことと感じている。結論としては、同じ事だ。起点だって同じなのだ。だのに、プロセスのベクトルが真逆を向いている。それでも、同じ、『勿体ない』、という感想を、食に関する普遍じみて共有する。なるほど、野菜とドレッシング、どちらに着目するのかが、人によって、異なるのだな。こうしたことは、職務上、目撃情報の吟味等にも有用だけれど、斯様に日常にもありふれているのか。僕は、そう思うほどに日常をありふれて得ているという事実が、あまりにもまばゆい宝石にしみじみ確認でき、ほろりと泣けてくるのをこらえて、けれど彼の肩を借りて、あまえた。
同じ事象に起因して、同じ結論を有する感想を抱く。だのにアプローチは真逆で、だのに、それでも何故だかやけに、符合して。そんなことをやけに、ああしあわせなのだと思うのが、記念日の興りを、そこに見せるのだ。ほしとは、いつでも、生まれ続けている。
記念日の興りは、日常にありふれている。たまの会える日、会えずともやりとりし合う日々、それさえない時間にもふと想い合える日々。こんな風に甘い、あまい日常もにがい日常も如何様な日常さえも集めたサラダボウルを、すぐ近くの隣人は、彼だけのドレッシングで味付けしてくれている。張り詰めた張り子の外殻を崩し、本音を、外界へと導き出している。僕は、僕の細胞壁も僕として重んじながら、彼に救出された水分で、ほしのよう、そらにたたえられるのだ。ぼくの日常は、彼だけの付与し得る、サラダなのだ。
こんな記念日の数々、またの名をいつもの日常たちを、僕らは、幾らも、幾らも暦にいきてゆけるから。だから天空の県境に、僕らは、今年も如何お過ごしですかとにこやかに、問うのだろう。
終
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