ten_matoi
2026-07-06 18:21:38
3810文字
Public
 

曖昧模糊

クリレオ



 太ももの付け根、被弾した箇所からひたすら赤い血がこぼれていく。痛みはまだ感じていない。ひたすら熱く、じんじんしている。歩きづらいと思う。ずり、ずり、と引き摺っている足の先から、ポタポタと血が地面に落ちてまるでヘンゼルとグレーテルだ。嫌な目印だと思うけれど、しかしレオンを追いかけてくる者たちはその目印にも気づかない。ただ、肉を食むためにぞろぞろと彷徨う屍たちは、レオンをもう見失っているだろう。
 BOWの痕跡を追って侵入した廃屋には、レオンが予想していたよりも多数のBOWたちが蔓延っていた。単独行動が常なレオンは慣れているとはいえ、膨大なそれらに舌打ちをしてしまうのは許してほしい。数で押されると、レオンとしても面倒なことになる。騙し討ちで退路を確保し、HQにすぐさま連絡を取って応援部隊を要請した。この数では、レオンだけでは時間がかかりすぎる。
 油断してしまった。これは確実にレオンのミスである。視線を逸らした一瞬で、まさか銃を持つ感染者に出会すとは。
 サブマシンガンを手に持ったセキュリティらしき感染者が、銃口をこちらに向けている。レオンが障害物の後ろに飛んだ途端に発射された弾が運悪く、太ももの付け根に当たった。
 ぶつっと、肉を貫通する感覚。息を詰めてなお、レオンはそのセキュリティに対して愛銃を向けて眉間に一発お見舞いした。もんどりうって倒れた対象に安堵して、レオンは太ももを見下ろす。じわじわ、血が滲んでいる患部を避けて持っていた布を裂いて止血帯を作って巻く。それでも動けば溢れる血に、どうやら太い血管を傷つけたらしいと予想して息を吐いた。
「くそ」
 悪態をついたのは自分に対してだ。油断にも程がある。四十も後半になり、勘が鈍っているのかもしれない……と苛立つけれど、ここには自分しかいないので自分へ八つ当たりするしかなかった。
 ずりずり、ずりずり、足を引き摺って出口付近へ戻ってきた。出会す感染者やBOWたちは適当にあしらいつつここまで来たが、まだ応援が来るには時間がかかるだろう。
 ふわふわする。背筋がさーっと冷えて、全身がおこりのように震えた。くにゃり、とレオンは遮蔽物の隅に座り込んでしまう。ぐわんぐわん、視界が揺れて乾いてがさがさの唇を舐めても全然和らがない。レオンは血を失いすぎていることに気づいたが、どうしようもなかった。衛生班などいない。救急キットも軽いものしか持ってきておらず、止血以外の処置はできなかった。ぐっしょりとズボンを濡らす血に、レオンもこれはやばい……と思い始めるが堂々巡りだ。
 は、は、と息も上がっている。とくとくとく、心臓の音も速くなってじゅわっと冷や汗が肥大を伝った。
 座り込んでいる床に自分の血が水溜まりを作っている。そろそろ視界が狭窄して白んできたのでレオンは眠気を振り払おうとかぶりを振って、急激な眩暈にぐ、と唇を噛む。
「った、く……こんな時、に……
 レオンが苦笑して思い浮かべたのは、もちろんパートナーのことだ。クリス、と唇に乗せるとより一層虚しい。虚しいのだが、やはり走馬灯を繰り広げるのは彼との思い出なのは仕方ないことだろう。
 寒さで震えてるいる左手を右手で握り込み、指輪をまさぐった。銀色のそれはクリスとのつながりを唯一レオンに思い知らせる。大切なものであり、無二の宝物だった。
 人間、危うくなると当然のように人生を振り返って色々と後悔を思い出すものだが、レオンはとりあえず少しだけ口喧嘩をして仕事に出てきてしまったことを後悔していた。些細なことを売り言葉に買い言葉で大きくしてしまった自覚があるので、そればかりぐるぐるしてしまって溜息が漏れた。
 その溜息だって震えている。寒い、眠い、寒い、眠い……。繰り返し襲ってくる寒さと眠気に追加されたのが、痛みだった。
 今更痛みまでやってきたが、それも鈍いのは失血死が近いということかもしれない。少しだけ……ほんの少しだけ、安らいだ気持ちになってしまったのはクリスには言えないレオンの本音である。
 死にかけているなんて信じたくはないけれど。レオンとて、死にたくはない。だが、DSOからの応援はまだ来そうにないし、あれから何分……何時間経ったのかも、よく分からない。時計の秒針が霞んで見えず、視界が白んだまま戻らないのだ。
 寒気がひどい。眠気も最悪だ。ここで眠れば本当に天に召されてしまうことは自覚しているけれど、レオンはその心地よさに抗うのが難しくなってきた。
 クリスを置いていく? 脳内で考えるのは彼のことだ。レオンと同じく、さまざまなものを失ってきた男。レオンの憧れで、パートナーで、愛しい男。身近な存在になった今でも、彼への憧れの心は健在だった。
 どうしても、クリスの元へ帰りたい。帰りたいのに、立ち上がるのが億劫で……朦朧、曖昧模糊とした意識がシャットダウンしそうになった。がくっと一瞬だけ落ちた意識を患部を避けつつ傷ついた太ももを叩くことで覚醒させ、レオンは震える息を吐き出して冷たい指を握った。
「レオン!」
 ジジ……と、耳に着けていたイヤホンが通信を告げて、驚くほど鮮明にクリスの声が聞こえてレオンは息を飲む。震える手で耳のイヤホンに触れながら、レオンは「ああ」と掠れた声で応答した。
「中にいるな?」
「いり、ぐちに……
「レオン?」
 異変を察知したらしいクリスが怪訝な声を発する。レオンはふ、と笑ってヘリの旋回する音を聞いて緩慢な動きで体を動かした。痛み、寒気、眠気、それから眩暈。寒いのにじくじく疼くような痛みを訴える患部は熱かった。
 刹那、レオンが固く閉ざしたはずの両開きのドアが弾け飛ぶような勢いで開く。レオン! とまたクリスの声がしたので、レオンは必死に足を引き摺ってその声を目指した。
「っ、ばかやろうっ!」
 レオンの惨状を認識したらしいクリスが、ばっと走り寄ってくるのが分かる。ひゅ、と彼が近くまでやってきた気配を感じて、レオンは前に倒れ込んだ。力強い腕が受け止めてくれて、すぐさま抱き上げられた。痛みと眩暈に声が漏れたが、暖かなクリスの腕に抱かれてレオンはものすごく安堵する。
「複数の感染者並びにBOWを感知。どうしますか?」
 タンドラの声がクリスに問いかける。それに「殲滅する」と瞬時に命令をくだし、歩き出した彼の後ろで「了解」と聞こえた。
「な、んで……ここへ?」
 目を閉じても意識を失わないように、レオンはクリスに声をかける。ぎゅっと、クリスの腕に力がこもって、「DSOからのヘルプだ」と淡々とした声がした。
「ハニガンだな……
「DSOの応援は空きがなかったらしい」
 ハウンドウルフ隊にヘルプを出したほうが、時間的にもレオンの精神的にも余裕が出るという判断だろう。しかし、あまりこの姿をクリスには見せたくなかったというのが本音だ。
「クリス」
「なんだ」
「怒ってるだろ?」
「当たり前だろ。俺の知らない所で死にかけてるんじゃない」
「はは、走馬灯であんたを思い出してた」
 言うや否や、レオンはヘリのメディックに預けられる。クリスは振り返りもせずに行ってしまったようだが、当然だろう。
 すぐさま飛び立ったヘリの上で、レオンは今度こそ落っこちるように失神した。
 
 
 太ももの痛みでレオンは顔をしかめてゆっと意識を浮上させた。
 案の定、見知らぬ天井を見上げているので溜息をつく。病室だと分かりきっているので、見回したりはしない。麻酔が切れて痛みがひどいが、耐えらないほどではなかった。
「起きたか」
 さっきからずっと手を握ってくれている感触があった。視線をずらすと、クリスが渋い顔をしているのでレオンは肩を竦める。
「あんたに謝らずに死ぬのを後悔ばっかりしてたから、生きててよかったよ」
……笑えないよ」
 クリスの表情がくしゃっと歪む。握っている手にも力がこもって、レオンも同じく彼の手を握り返した。
「頼む……頼むから……
 レオンの手に額を擦り付けて、クリスが懇願するようにつぶやく。彼の気持ちは痛いほど分かっている。レオンは息苦しさには、と息をついてからクリスの髪をなぜた。
「あんたの声はちゃんと分かったんだ」
「うん……
 クリスがレオンの指先にキスをする。
「俺の帰る場所は、あんただ……クリス」
……ちゃんと、分かってるんだな?」
 力強い視線が、レオンを射抜く。力強いが、潤んでいる瞳がいまだに懇願している。レオンはゆっくり、頷いた。
「分かってるから、帰ってきただろ?」
 迎えにきてもらったとも言う。レオンが心中でつぶやいていると、クリスがやっと体の緊張を解いたらしい。
 曖昧模糊な意識のなか、レオンの耳に唯一届いたのはクリスの声だ。
 彼を自分の帰るべき場所だと認識したのは随分と前のことになるが、間違ってはいなかったらしい。クリスも同じく、レオンを帰るべき場所だと認識しているのだろう。確かめるように指輪をなぜた彼の指先が、祈るようだったのを見ていた。
「クリス」
「どうした?」
「麻酔切れたらしい。すごく痛い」
……それをはやく言え!」
 慌ててナースコールを押してくれるクリスにくすくすっと笑って、レオンはぐるぐるまた回り出した視界に目を閉じた。