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2026-07-05 22:52:19
4448文字
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萩景掌編01
※生存IF
その日、萩原研二は珍しくスーツで登庁していた。
普段の萩原は機動隊員であるからして、出動時は出動服であり訓練中は指定された制服を着用している。重い装備を身に付けて汗だくで体を動かしながら笑っていたりする姿の方がずっと馴染み深い。
けれど今日は、別部署との会議に出る必要があった。
課長から「せめてスーツで来い」と釘を刺され、萩原は久しぶりにきちんとしたスーツに袖を通した。
そして、その結果。
庁内の廊下が、少しざわついた。
背が高い。
肩幅がある。
胸板が厚い。
脚が長い。
目を引く整った顔立ち。
甘いタレ目に、襟足の長い髪。
普段出動服で隠されている体の線が、スーツによって妙に引き立っている。
廊下ですれ違った若い職員たちが、ちらちらと萩原を見ているのがわかった。
「あの人誰?」
「あんな人いた?」
「たぶん機動隊の人じゃない?」
「顔良すぎない?」
ひそひそ声は、萩原にも当然聞こえていた。聞こえていたので、萩原はにこっと笑って振り向いた。
「爆処の萩原です。研二って呼んでね☆」
ついでにウィンクまでした。
若い女性職員たちが、ぱっと顔を輝かせる。
「研二さんっていうんですね」
「爆処ってかっこいいですよね」
「普段は、あの重い装備なんですか?」
「え、絶対似合う」
「このあとお時間あったりします?」
萩原はすぐに囲まれた。
こういう時の萩原研二は強い。相手の距離に合わせて軽く笑い、冗談を返し、褒め言葉を流しながらも相手を気分よくさせる。女の子に優しい。話しやすい。軽くて、少しチャラそうで、でも嫌味がない。
「いやあ、そんな褒められると照れちゃうな」
「本当に背高いですね」
「中身は意外と繊細だから優しくしてね」
「えー、見えない」
「ひどくない?」
萩原が笑うと、また周囲が華やぐ。
そこを、たまたま通りかかったのが諸伏景光だった。諸伏は廊下の角で足を止めた。
少し離れたところに、スーツ姿の萩原がいる。しかも、若い女性職員たちに囲まれている。
諸伏は数秒、その光景を眺めた。
――
ああ、変わらないな。
そう思った。
警察学校時代から、萩原はこうだった。どこにいても目立つ。すぐに人に囲まれる。特に女性には本当にモテる。甘い顔で笑って、軽口を叩いて、あっという間に場を自分の空気にしてしまう。
諸伏はそれをよく知っている。
知っている、のだが。
「研二さんって、お酒強いですか?」
「まあまあかな」
「じゃあ今度飲みに行きません?」
「いいねえ、楽しそう」
――
楽しそう?
諸伏の眉が、わずかに動いた。
萩原はいつもの顔で笑っている。軽くて、甘くて、人懐っこい笑顔。相手に失礼にならないよう、上手に受け流しているのも分かる。恐らく本気で誘いに乗るつもりはない。
分かっている。
分かっているが、面白くはない。
女の子たちが萩原を褒める。萩原がにこにこする。さらに女の子たちが距離を詰める。萩原はそれでもにこにこしている。
諸伏は静かに息を吐いた。
それから、低く名前を呼んだ。
「萩原」
その声に、萩原がぱっと顔を上げた。
諸伏を廊下の角に見つけた瞬間、萩原の表情が明らかに変わる。先ほどまでの誰にでも向ける甘い笑顔ではない。
もっと分かりやすく、嬉しそうな顔。
「あ、諸伏ちゃん」
萩原は女性職員たちに軽く手を振って、迷いなく諸伏の方へ歩いてきた。その様子を見て、諸伏の胸の奥が少しだけ満たされる。
呼べば、来てくれるのだ。嬉しそうに、自分のところへ来てくれる。それだけで、諸伏の機嫌は随分上向いた。
けれど、全部ではない。
「どうしたの、諸伏ちゃん。そっちも会議?」
「少し用があっただけ」
「そっか。俺、スーツ珍しくない?」
萩原は両腕を広げて「似合う?」と軽く首を傾げて見せる。諸伏は改めて萩原を見た。
似合う。かなり、似合う。
普段のラフな格好ももちろん好きだ。スタイルの良い彼は何を着ても似合ってしまうので、たとえ安い量販店のTシャツとジーンズであっても良く似合う。
けれど、スーツの萩原はまた別だった。
甘い顔立ちに、広い肩。
長い脚。
少し緩めたネクタイ。
笑うと可愛いのに、黙ると綺麗な横顔。
目立つに決まっている。
諸伏は、萩原の胸元へするりと手を伸ばした。
「ネクタイ」
「ん?」
「少し曲がってる」
本当は曲がってなどいない。けれど萩原は素直に立ち止まった。
諸伏は萩原のネクタイに指をかけた。そのまま、少しだけ引き寄せる。二人の距離が、ほんのわずかに縮まる。萩原が目を瞬いた。
諸伏はネクタイを直すふりをしながら、萩原の耳元へ顔を寄せた。
そして、低く甘い声で囁く。
「浮気するなよ? 研二」
萩原の体が、びくっと跳ねた。
「ひゃいっ!」
廊下に、妙な返事が響いた。諸伏は少しだけ目を細める。萩原は耳を押さえて、真っ赤になっていた。
先ほどまで女性職員たちに囲まれて余裕の笑みを浮かべていた男とは思えない。
「諸伏ちゃん
……
!」
「何?」
「今の、ずるい」
「何が?」
「名前! あと声が良い!」
萩原は耳まで赤い。ひどく動揺している。諸伏は、その顔を見て胸の奥が満たされるのを感じた。
可愛い。
本当に可愛い。
あれだけ周囲を騒がせるほど華やかで、スーツ姿が似合っていて、女性たちに囲まれて平然と笑っていた萩原が、自分に名前を囁かれただけでこんな顔になる。
諸伏はわざとゆっくり目を伏せ、色気を含ませて微笑んだ。
「返事ができて、良い子」
萩原は完全に固まった。
数秒、口を開けたまま動かない。
それから、茹でだこのように真っ赤に染まった顔を両手で覆った。
「
……
俺の彼氏、ヤバい」
諸伏はそんな萩原を満足げに見つめてから、小さく笑う。
「会議、遅れるぞ」
「誰のせいだと思ってんの!?」
「萩原が女の子に囲まれて喜んでたから」
「喜んでないとは言い切れないけど、浮気はしてませんっ」
「知ってる」
そう、そんなことは知っている。本気で彼があの女性たちの誰かと浮気をするだなんて思ってはいない。
「少し腹が立ったから」
萩原が顔を上げた。赤い顔のまま、目だけがきらりと輝く。
「嫉妬?」
「少し」
「え、嬉しい」
「調子に乗るな」
「乗る。これは乗る」
萩原は本当に嬉しそうで、尻尾が生えていればぶんぶんと振り回していそうだ。諸伏はそれ以上付き合わず、萩原のネクタイを軽く叩いた。そして、再度萩原の耳元に顔を寄せる。
「じゃあな、研二」
「だから名前
……
!」
萩原がまた耳を押さえる。
諸伏はその姿に満足して、踵を返した。
後ろで萩原が何か言っている。たぶん「待って」とか「もう一回」とか、その辺りだろう。けれど、ここで振り返ると自分も負ける気がしたので、諸伏はそのまま歩き出した。
女性職員たちは、完全に沈黙していた。
目の前で何を見せられたのか
……
やがて一人が小さく呟く。
「彼氏持ちか」
「しかも彼氏にベタ惚れですね」
「今の返事、可愛かったですね」
「あんな感じになるんだ
……
」
萩原はまだ耳を押さえたまま、よろよろしていた。
「違うんです、今のは不意打ちで」
「彼氏さん、すごく格好いいですね」
「はい」
萩原は即答した。そして、はっとする。
「いや、はいじゃなくて」
「好きなんですね」
「
……
好きです」
女性職員たちは顔を見合わせ、きゃあ、と小さく盛り上がった。
萩原はますます赤くなった。
「もう勘弁して
……
」
その一部始終を、少し離れた廊下の柱の陰から見ていた男がいた。
降谷零である。
降谷は片手で口元を覆っていた。しかし、肩が震えている。
完全に笑っていた。
「ヒロ
……
」
声を殺しきれない。
あのヒロが。あの諸伏景光が。廊下のど真ん中で、萩原のネクタイを直すふりをして耳元で囁き、真っ赤にさせてから悠然と去っていった。
しかも萩原の返事が「ひゃいっ」。
これは報告案件だった。
降谷はすぐにスマートフォンを取り出した。同期のグループLINEを開く。
普段は飲み会の日程調整や、どうでもいい写真や、松田と降谷のくだらない言い合いで埋まっている。
降谷はそこに、素早く文章を打ち込んだ。
『速報』
すぐに松田から返事が来る。
『何だよ』
伊達も続く。
『どうした?』
降谷は笑いを堪えながら入力した。
『スーツ姿の萩原が若い女性職員たちに囲まれて調子に乗っているところに、ヒロが通りかかる』
『ヒロ、萩原のネクタイを直すふりをして耳元で何か囁く』
『萩原、真っ赤になって「ひゃいっ!」と返事』
『ヒロ、追い打ちで何か言って去る』
『萩原、廊下で撃沈』
松田から即座に返事が来た。
『動画は?』
降谷は肩を震わせた。
『撮ってない』
『無能』
『咄嗟すぎた』
伊達からは少し遅れて返事が来る。
『職場で何をやってるんだあいつらは』
『ハギの「ひゃいっ」だけでも録音しとけよ』
その直後、萩原からメッセージが入った。
『降谷ちゃん?????』
続いて諸伏。
『ゼロ』
降谷は笑いすぎて壁に肩を預けた。松田がすかさず送る。
『諸伏、何て言ったんだ?』
数秒沈黙。
諸伏から返事。
『別に』
『別にじゃない』
『ハギ、何て言われた』
『言えるか!!!!』
降谷は、もう駄目だった。廊下で声を出して笑いそうになり、慌てて拳で口元を押さえる。
その時、廊下の向こうから諸伏が戻ってきた。
「ゼロ」
「ヒロ」
「今の、グループに送っただろ」
「送った」
「ゼロ」
諸伏の声は低かった。けれど耳が少し赤い。
降谷はそれを見て、また笑いそうになる。
「ヒロ、ずいぶん楽しそうだったな」
「
……
少し腹が立っただけだ」
「嫉妬か」
「少し」
「萩原、相当効いてたぞ」
「知ってる」
諸伏はそう言って、ほんの少しだけ目を細めた。
その顔を見て、降谷はまた肩を震わせた。
「萩原にはあとで謝っておけよ」
「何を?」
「職場で腰砕けにしたこと」
「そこまではしてない」
「してた」
諸伏は少し考えた。腹の虫はもう収まってはいたけれど、それでもやっぱり萩原には後でもう一度言っておかねばならないと思っている。
「だって、アイツは俺の男なんだから。女性にちやほやされてニコニコしてるのはイラっとするだろ」
降谷はスマートフォンから顔を上げて諸伏を見てから、長い、長いため息をついて疲れた様子でスマートフォンをスーツの胸ポケットに仕舞う。
「聞かなきゃよかった」
大きく肩を落とした降谷に、諸伏は「なんで」と首を傾げつつ、萩原たちが入って行った会議室をちらりと振り返ってから自分の仕事へと戻るのだった。
(了)
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