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クドリャフカ
2026-07-04 19:14:55
3749文字
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寺川がトガシくんのマネージャーになる話⑪
──2027年、秋。
この年の世界陸上で、男子リレーで日本は見事メダルを獲得した。何十回、いや何百回と磨き上げたバトンパスは最後まで精度を失うことなく威力を発揮し、実に日本らしい勝ち方だった。その一方で、トガシの100メートルは、準決勝敗退という結果に終わった。調子は悪くなかった。スタートも悪くないし、致命的なミスもない。にもかかわらず、それでも決勝のスタートラインに立つことすら叶わなかった。
その差、0.01秒。
そのたった百分の一秒の数字に、世界との差が凝縮されている。
翌年のオリンピックまで、トガシに残された時間はもう僅かだった──。
○
そんな怒涛の今シーズンを終え、再びカリフォルニアでの生活に戻った頃。
「ゆうてトガシくんさ、せっかくのアメリカだぜ? アメフトは絶対見るべきアメリカ文化のひとつだと思うわけよ」
相変わらずの寺川が、のんきにもアメフト観戦に誘ってきた。トガシの置かれた状況も焦りもまるでお構いなしである。
「結構です。俺は100メートルだけで手一杯なんで」
「狭量だねェ。100ヤードで勝負する競技からだって、学べることはあると思わないのかい?」
「アメフトから?」
「アメフトもスピード競技だよ?」
「うっ
……
」
寺川の言い分も、理屈としてはあながち間違いではない。間違いではないので、余計にタチが悪い。確かに、どんな競技であれトップアスリートともなれば、短距離走者に匹敵するタイムを叩き出す者は必ず存在する。アメフトだからといって、学べる要素が無いとは言い切れないのである。
「ね?ね? トガシくんも見といて絶対損はないって」
「
……
行きませんよ」
「よし決定!行こう!」
「いや!だから、行きませんから
……
っ!」
──行った。
押し切られたというか、丸め込まれたというか、なんというか。結局なんだかよく分からないまま、トガシは寺川に連れられてNFL観戦に行っていたのだった。トガシは流されやすい男である。
訪れたロサンゼルスの巨大なスタジアムは、とにかく凄い熱気で満ち溢れていた。グリーンのフィールドをぐるりと囲む超満員の観客席。何万人もの熱気が渦を巻き、油っぽいジャンクフードとアルコールの匂いが入り混じりになって会場の空気を満たしていた。踊るチアリーダー。打ち上がる開幕の花火。正面の巨大スクリーンでは選手紹介が次々と映し出され、その度に声援が波のようにスタンドをうねっていた。やがて場内がふっと暗転する。スポットライトに照らされたフィールドから白いスモークがもくもく噴き上がり、その向こうから隊列を組んだ屈強な選手たちが満を持して登場する。スタジアムを揺らす勢いで歓声が膨れ上がり幾重にも反響していく。音楽も演出もなにもかもが桁外れにド派手で、まだ試合前だというのに、もうすでに何かのショーを観ているみたいだった。
「なんか、お祭りみたいですね
……
」
「これが本場ってやつよ」
ご機嫌な寺川はすっかり現地民の顔をして巨大なホットドッグを頬張っていた。腹立つくらい美味そうだったので、トガシが思わず「あ」と口を開けると、寺川は何の躊躇もなく食べかけを差し出してくれた。一口齧る。美味かった。結局ホットドッグはそのままトガシが全部横取りした。
試合が始まると、屈強な選手たちがさっそく激しくぶつかり合っていた。衝突音がスタンドまで聞こえてきそうな迫力である。一回の攻撃は、たった数秒。長くても数分。そんな僅かな時間の攻防のために、全員がずっと全力だ。その凝縮されたエネルギーは、見ているだけでも思わず圧倒されそうになる。ふいに、ひときわ速く駆け抜ける選手が目に入る。その選手はフィールドを切り裂くみたいに加速して、ディフェンスを崩しながら走っていく。トガシの視線は、ボールの行方よりも自然とその走りを追っていた。
「ほら、アメフトもスピード競技って言っただろ?」
「
……
まぁ、言いたいことはなんとなく分かってきましたけど」
寺川が得意げに笑う。ちょっと癪ではあるが、トガシも否定はしない。確かに速い。ボールを持った瞬間のあの加速スピードは、目を瞠るものである。短距離走とは身体の使い方も重心も全然違う。それでも、“速さ”の絶対的な正しさだけは、競技が変わろうとも嘘をつかない。
……
ただし。アメフトの場合は、トップスピードに乗った矢先に容赦なくタックルでぶっ飛ばされるスポーツであるということだ。
「うわっ
……
!」
「ナイスヒット!」
途端、スタンドから大歓声が上がる。
フィールドを駆ける選手がボールをキャッチして走り出した、その刹那、突如として相手チームの巨漢が横から凄い勢いで突っ込んできたのだ。さっきまで颯爽と走っていたはずの選手は、一瞬のうちに芝生に転がって動かなくなっていた。トガシは恐怖に慄いて、思わず隣の寺川の腕を掴んだ。すげー痛そう。死んじゃう。青ざめるトガシを横目に、寺川は楽しそうにケラケラ笑っていた。
「いやいやいや、今のダメですよね?」
「何が? めちゃくちゃいいタックルじゃん」
「あれ絶対死んでますよね!?」
「アハハ、死んでない死んでない」
「だとしても絶対どっか折れてますよね!?」
「ハハ、確かにそれは否定できないけどね〜」
「ほらぁ!」
「
……
そこに、アメフトの醍醐味があります」
「財津さんのネットミームやめろ」
そうやってフィールドではあちこちで選手が吹っ飛びまくり、その度にスタンドは熱狂していた。その一方でトガシはすっかり怯えきってしまい、寺川の腕にぎゅむぎゅむしがみついていた。
「ちょ、トガシくんあんまくっつかないでよ。ゲイだと思われるだろ」
「まさか。大家さんじゃあるまいし、そんなこと誰も思いませんよ」
「やれやれ、トガシくんはこの国を知らな過ぎるなぁ。いいかい? こっちの国では男同士でくっついてたらまずゲイ認定されるんだよ。なんならトートバッグ持ってるだけでゲイだし、足を組んで座ってもゲイ、スタバのフラペチーノ飲んでてもゲイ、ハイスクール・ミュージカル観てる奴なんかもうみんなゲイだよ」
「そ、そ、そんなに
……
っ!? え、じゃあ俺と先輩が毎朝欠かさずスポンジボブ観てるのもゲイになるんですか!?」
「いや、それはゲイじゃなくて、スポンジボブが好きなただのヤベー奴だから大丈夫」
「なんだぁ、それなら安心ですね」
※全て偏見です。性的指向は個人の自由であり、ハイスクール・ミュージカルに左右されるものではありません。また、スポンジボブはとても素晴らしいアニメです。
○
さて、やがてハーフタイムになると、場内の巨大スクリーンが観客席を映し始めた。いわゆるキスカムというやつである。カメラに抜かれたカップルたちは照れ臭そうにオーバーなリアクションを見せるが、でもどこか嬉しそうにキスを交わしていた。その度にスタジアム中からは歓声やら口笛が湧き上がっており、いかにもアメリカらしい盛り上がりなのである。
──と、トガシがホットドッグを齧りながらのほほんと画面を眺めていた、次の瞬間だった。
「
…………
は?」
目の前のスクリーンいっぱいに、自分と寺川の姿が映っていた。とどのつまり、カメラマンにゲイ
…
もといカップル認定されてしまったわけである。大の男二人の登場に一拍遅れて周囲がざわつき、それは瞬く間に「やれ!」「いけ!」「キス!」「チューしろ!」みたいな囃し立てる声へと変わっていった。
「え?え?え?」
トガシはホットドッグ片手にオロオロと間抜けな声を漏らしていた。そして、この瞬間、とてつもなく嫌な予感がした。恐る恐る隣へ顔を向けば、案の定、寺川がとびきりの笑顔でこちらを見ていたのである。
「だから言ったじゃん、トガシくん」
「いやいやいや、ちょっと待ってください」
「待たない」
あっさり言い切られ、後頭部をぐっと掴まれた。
「あ、ちょ──」
抵抗するより先に、寺川の唇が触れた。
どっと沸くスタジアム。何万人もの歓声や拍手に包まれながら、トガシだけが一人真顔のまま固まっていた。至近距離で目と目が合う。寺川の色素の薄い瞳が、イタズラを成功させた悪ガキみたいに笑っていた。そうして唇が離れたと思ったら、ついでのように唇の端をべろっと一舐めされた。
「〜〜っ、アンタ何してんですか
……
!」
「ケチャップついてたから」
「そうじゃなくてっ!!」
「盛り上がったからいーじゃん」
そう言って寺川が悪びれもせずヘラヘラ笑い、周りの観客へ向けて手を振っている。スクリーンはすでに別の客席へと切り替わり、次のカップルが歓声をさらっていく。トガシは無言で寺川のTシャツを掴み、自分の唇を乱暴に拭った。ホットドッグのケチャップなんて、とっくに取れていた。なのに、どういうわけか、あの一瞬触れた熱だけは、なかなか消えてくれなかった。
──後日。遠い日本の地で《コレ、トガシ選手じゃね?》と、キスカムの切り抜き動画が爆発的に拡散されるわけであるが、それはまた、別のおはなしである
……
。
続
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