arhmkataomoi
2026-07-04 19:14:44
4135文字
Public
 

『カルペノクテム』文庫化に寄せて

『カルペノクテム』( https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24762559 )の解説風の文章です
好きすぎるあまりに書きました

文庫化おめでとうございます!




 シャア・アズナブルという人物を理解することは難しい。
 名前が複数あるだけでなく、その立場、主張、目的でさえも作品ごとで移り変わりゆくキャラクターだからだ。
 れ事故くんさん著、『カルペノクテム』は、そんなシャア・アズナブルの複雑怪奇な中身を、あたかも何層にも重なりあった卵の殻を剥がしていくかのようにつまびらかにし、最後にはただの一人の人間に至った(あるいは、頂上から引き摺り落とされてしまった)シャアの選択を描いた素晴らしい長編作品である。
 物語は、『逆襲のシャア』の後、辺境のコロニーにアムロとシャアが漂着するところから始まる。そこでアムロはコロニーの首長であるオットォと共にシャアのコクピットを壊し、中からシャアを引きずり出す。そこでのサザビーのコクピットが「赤い卵の殻」と表現されるとおり、本作には「殻」がシャアに対する一つのモチーフとしてイメージが幾重にも塗り重ねられている。そしてそんな「殻」を剥がしていく主体が、『カルペノクテム』の語りの焦点人物ともなっているアムロ・レイだ。
 では、アムロはどのようにしてシャアの「殻」を剥がし、その絡まった内面を白日の下に晒していくのだろうか。
 本作においては、その手段は暴力とセックスである。
 『カルペノクテム』には印象的なセックスシーンが三種類存在する。
 一つは、冒頭部分の言い争いから始まる暴力に連なるレイプシーンだ。自らの性器を「武器」として語る行為には性的な興奮は存在せず、シャアの男としてのプライドをへし折るためだけの純粋な暴力に留まっている。アムロの手による死を求めているシャアへの代替手段としてのレイプなのであり、ひいては殺人の模倣に他ならない。アムロの武器によってシャアは生きながら殺され続けているのだ。だからこそ、シャアを繰り返し擬似的に殺し続けなければならないアムロが疲弊し、ガンダムでシャアを握り潰す夢を見てしまうのもそうした日々の倒錯的な行為が背後にあると考えられる。
 次が、薬を使った後にある種の合意が果たされた後のセックスシーンである。ここでは、シャアがアムロを求めていることを口に出し(なお、アムロも同じくシャアを求めているが、それは口には出されない)暴力を伴わない性交に至る。アムロとシャアの二人が和姦に至るまでの流れはトリップ描写も含めて大変素晴らしく、作者であるれ事故くんさんのアングラカルチャーに対する深い造詣がうかがわれる。
 そして、最後が対話後のフェラチオシーンだ。そこでは完全なシャアのアムロに対する隷属が語られる。いわば、合意のセックスが自らの肉体がアムロに負けている(肉体で負けたからこそ、シャアはボトムをせざるを得なくなっている)ことをシャアが受け入れることであるならば、フェラチオは自らがボトム役であること、肉体のみならず精神もすべてアムロに敗北していることをシャアが受け入れる行為として描かれる。客観的にみれば、性器を相手の口腔内に収める行為は、アムロ自身が、シャアは自分を傷つけられない存在、すでに自分に屈している存在なのだと無意識のうちに理解しているからこそ提案したと言える。シャアもまたアムロの性器を傷つけるような発想すら微塵も持ち得ていない。それは、シャアがアムロに肉体的だけでなく、精神的にも敗北しているためであり、この行為が暴力行為の延長線上ではなく、セックスの代替行為であると認識しているからだ。
 そんな肉感を伴う強烈な体験を通して、アムロは次第にシャア・アズナブルの「殻」を段階的に外していき、その人となりを理解していく。
 なお、本作における性描写でもう外してはならないのがサバト後にトリップした後、シャアのバッドトリップをケアするアムロのシーンである。
 偶然にもシャアの「殻」が外れてしまった姿を見てしまうことで、アムロはシャアの人間的な側面を知るきっかけになる場面だ。原作において、終始アムロはシャアへの期待の言葉を口にしている。逆襲のシャアにおける「貴様ほどの男が」という叫びは、アムロがシャアへと抱く期待と評価の表れと言える。
 だからこそ、この自慰を介助するシーンは、アムロが見上げ続けていたはずのシャアが、ただの一人の人間として、肉体の欲を発散するだけの姿を初めてアムロの前に晒している状況に他ならない。これを契機にして、アムロは自らのシャアに向ける感情と向き合わざるを得なくなってしまうのだ。「この一箇所だけはコロニー内の空気の匂いがまったくしなかった」とまで語られるほど身体と身体を密着させるこの行為は、匂いに表象される悪魔のコロニーの特殊空間の影響を受けていない行為であることの表れであり、アムロがシャアへの抱く純粋な性欲とも言えるだろう。
 『カルペノクテム』は、そうした暴力、セックスの巧みな描写とともにアムロとシャアの関係性の段階的かつ緩やかな変化が見事に描かれている。
 そして、そんなアムロとシャアの二人が、原作ではなしえなかった関係性に至る物語の根本を担っているのが悪魔のコロニーの存在だ。
 オットォから始まり、信者たちの奇妙な言動、そして繰り返される悪魔崇拝についての緻密かつリアリティーのある描写は、アムロとシャアが特殊な環境に置かれていることを示していると同時に、通常とは異なる倫理観とそんな閉鎖空間において価値観が揺らいでしまう必然性を担保するものだ。信者たちを通して、自らの尊厳を投げ捨ててまで他者に隷属する喜びが繰り返し描かれているからこそ、シャアの変化やアムロの選択についても違和感を抱かせない展開になっている。特に、小説『密会』とも接続している「サジズム」な自身の一面とアムロが向かい合わざるを得なくなっていく一つの理由が、この悪魔のコロニーの環境そのものにある。この異常な空間においては、アムロは自らの嗜虐を好む性質を抑圧しなくても良い。皆、アムロによって蹂躙され破壊されることを求める。けれどもアムロは強固な理性と倫理観を最後まで持ち合わせたまま、オットォのことを嫌悪し、コロニーに対する嫌悪感を常に抱き続ける。体臭と対比されるコロニー内の空気の描写もそうしたアムロ自身の嫌悪の表れとも言える。しかし、そんなアムロの理性が唯一揺らいでしまうのがシャアを目の前にしたときであり、自身の暴力的な衝動を抑えることができない。ついには、そんな敵対していたはずの相手と性行為にまで及ぶことになる。シャアにとってもアムロが他の人物とは違うように、アムロにとってもシャアは代替不可能な存在なのだ。
 本作のラストシーンでは、『機動戦士ガンダム』、『機動戦士Ζガンダム』、『逆襲のシャア』を経て敵対関係に陥った二人が、その後どのようにして生きていくのか、行き先についての一つの問いがある。
 アムロとシャアが共に生きていくにはどうしたらよいのか。
 シャアがアムロと離れたならば、それはいつか必ずアムロの前に敵対者として現れることに他ならない。そんな関係に逆襲のシャアで至った二人だからこそ、アムロはシャアへと自分に付き従って生きるのかを問う。共に生きてけないのなら、片方は死ななければならないからだ。
 もし、この問いがこの作品の序盤――暴力による形での対話に留まっていた二人の間で交わされたのだとしたら、どうなっていただろうか。
 おそらく、シャアの答えも、アムロの振る舞いも大きく異なっていたに違いない。物語序盤で、アムロは終始シャア・アズナブルの求める他人の手を使った壮大な自死を自らの手では引き受けたくないと語られ、だからこその代替手段として男としてのシャアを殺すためのレイプ行為に徹する。けれども最後、悪魔のコロニーを出て行く日取りが決まったときのアムロは、シャアの返答次第ではシャアを銃で殺すことさえ決めている。
 一体何故か。それは、アムロにとってのシャアがただの敵対者ではなくなってしまったことに他ならず、そして自らの支配下にある所有物(とアムロ自身が自覚しているかは語られないが、それほどまでにシャアが自分に隷属しているとは気がついている)と認識しているためだ。自分のものではなくなるというのなら壊してしまっていとわない。それはアムロが認めたくないとまで語る自らの嗜虐的な一面の表出と言える。
 シャアもまた、アムロによる死を追い求めていた序盤とは真逆の回答に至る。シャアはアムロの手によって、自らを取り巻いていた「殻」である社会的な立場もなくし、理性、そして自我さえも一度は完全に失ってしまう。そうして「殻」をなくした何者でもない己が、それでも追い求める「慾」の行き着く先――重なり合った殻の中心にある欲求の形がアムロ・レイであることに自覚したためだ。それは、原作において真のニュータイプを追い求めていたシャア自身の欲望でもあり、また役割と目的が複雑に絡み合うシャアの人生において、唯一役割に伴う関係性から外れた存在がアムロ・レイであるからだろう。Zガンダムにおいて、シャアと再会したアムロが頑なに「シャア」としか呼ばないように、逆襲のシャアにおいてもアムロはネオ・ジオン総帥であるシャアではなく自らの敵対者であるシャア個人を見つめたところで対話を繰り返しているところからも、そんな二人の関係が読み取れる。
 では、殻をなくした卵はどうなってしまうのだろうか。
 雛鳥として、殻を持たずに生きていくことができるのだろうか?
 もしくは雛鳥になり得ず、ドロドロに溶けて腐り落ちてしまうのだろうか?
 『カルペノクテム』の続編である『アイコノクラズム』では、そんな卵の中身の行方――アムロとシャアのその後の物語が語られている。また、三作目であり最終章と言われている『メタモルフォシス』は鋭意執筆中とBlueskyでれ事故くんさんがお話されている。
 本作『カルペノクテム』において、アムロとシャアの関係の再構築はまだ始まったばかりだ。三作目にはブライト・ノアも登場するという。宇宙世紀を生きる彼らがどのようにして変化していくのか、これからが楽しみでならない。