ポほ
2026-07-03 23:16:38
6218文字
Public オトメビギナー
 

プール(12歳の夏)

人生で初めて買ったCD(多分)のピカチュウのなつやすみの主題歌CDに「プール11歳の夏」という曲が入っていたのですが全然ポケモン関係ないやんと思った記憶があります。

ギリシャ文字のくだりは何かのパロディのようで特に意味はなく、なんかこういう謎の配慮ってありそうだなと思って入れた。

ちなみに樹は9月20日、宗真は3月2日が誕生日です

 いよいよ六月も後半、一・三組合同の水泳の授業が始まった。
 最初に泳力テストが行われ、生徒たちは習熟度ごとに三つのグループへ分けられることになった。
 クロールがまだ泳げないα組。クロールは泳げるが二十五メートル未満のβ組。そして二十五メートル以上泳げるγ組。
 数字やA・B・Cだと優劣をつけているように感じる生徒もいるため、あえてギリシャ文字を使っているのだと先生は説明していたのだが、樹たち生徒にはいまいちよく分からなかった。
 
 幼稚園から小学校の間にスイミングスクールに通っていた樹は泳力には自信があったため、樹は名取と一緒にγ組へ向かおうとする。
 しかし、名取はその場から動かなかった。
「私、実はあんまり泳げなくて……β組なんだ」
 少し照れくさそうに笑う。
「樹ちゃん、あとでね」
「う、うん」
 樹は少し驚いた。
(名取さんって、何でもできる人だと思ってた。……なんか意外)
 ひとりでγ組へ向かうと、その中に見慣れた顔を見つける。
「宗真!」
 宗真が振り返る。
「やっぱりこっちだったんだ。久しぶりに一緒に泳げるねっ」
 嬉しくなって、いつものように少し前かがみになって話しかけた。樹の方が五センチほど背が高いため、普段から自然とそういう姿勢になる。
 もちろん、本人に他意はない。
 ――だが、その体勢は思いがけず、水着越しの胸元を強調する形になってしまった。
「え!? う、うん……
 宗真は反射的に――
(あ……
 樹の水着姿を真正面から見てしまった。
 ……特に目に飛び込んできたのは、その胸元だった。
 思わず息が止まる。
(やべ……!)
 身体が勝手に反応しそうになるのを感じ、宗真は慌てて前を向き直った。
 水着の位置を直すふりをしながら、必死に気持ちを落ち着かせる。
「ご、ごめん! ちょっと集中したいから!」
 妙に早口だった。
「え?」
 樹はきょとんと首を傾げる。
(そんなに真剣だったんだ……?)
 宗真が別の意味で必死になっていることなど、樹は知る由もなかった。

 宗真は下半身を隠すように足早にプールへ向かい、そのまま勢いよく飛び込んだ。
「せ、先生! もう泳いでもいいですか!」
(なんで……? 俺、怒らせるようなことしたのかな)
 樹は戸惑いながら、その背中を見送る。
 教師が苦笑する。
「月城、随分張り切ってるなぁ?」
「いやー、僕、プール大好きなんで! あはは……
 どこか空元気な笑い方だったが、教師は気にする様子もなく頷いた。
「じゃあ、早速クロールで五十メートル行ってみようか。前の人が旗のところを過ぎたらスタートね」
 モヤモヤした気持ちを抱えたまま、樹も自分の番を迎えた。
 中学入学前にスイミングスクールは辞めてしまっていたため、こうして本格的に泳ぐのは久しぶりだ。
(でも……
 水へ身体を預けると、自然と感覚が蘇る。
(やっぱり、水の中って気持ちいい)
 久々とは思えない泳ぎで五十メートルを軽々と泳ぎ切り、樹はプールサイドへ上がった。
「ふぅ……
 全員が泳ぎ終わるのを待ちながら座っていると、不意に誰かの視線を感じた。
……?)
 辺りを見回す。
 しかし誰とも目は合わない。
 ただ、何となく落ち着かない、不思議な嫌な気持ちだけが胸に残った。
 実際には、近くにいた宗真以外にも、何人かの男子が樹の水着姿――とりわけ胸元へ何度も視線を向けていた。
 だが、樹はまだそこまでは気づいていない。
(そういえば……
 ぼんやりと考える。
(小学校高学年ぐらいからは、男女合同でプールって、今思うと結構気まずかったのか……?)
 小学校の頃を思い出す。
(生理も始まる時期だし、女子も胸が大きくなってくる頃、だもんな……。確かに恥ずかしいよな。女子を見て反応しちゃって、からかわれてる男子もいたような……
 そんなことを思い返しながら、樹はまだ、自分がその「見られる側」になっていることには気づいていなかった。

 ふと、自分の胸元へ視線を落とす。
(そういえば……今の俺、結構……
 水着越しでも分かる、その膨らみ。
(いや、結構どころじゃなくて……だいぶ大きいんだった。 コン太郎のせいで……
 そこで、不意に先ほどの宗真の様子が頭をよぎる。
 目が合った瞬間、慌てて視線を逸らし、顔を真っ赤にして飛び込んでいった姿。
(あ……
 樹はようやく、その理由に思い至った。
(さっきの宗真の反応って……俺のこと嫌いになったとかじゃなくて……
 胸がどくりと鳴る。
……まさか!?)
 思い返してみれば、樹が男子更衣室に入ったとしたら宗真は「お互い刺激が強い」と言っていた。
 あれは、自分を避けようとしたわけではなく――
 その結論にたどり着いた瞬間、樹の頬までじわじわと熱くなっていった。

 二本目は、平泳ぎで五十メートル。
 クロールよりもゆったりとしたリズムで進むせいか、自然と考え事をしてしまう。
……そういえば)
 以前、コン太郎があんなことを言っていた。
「宗真、樹の写真見ててさ。顔赤くして、息が荒くなって、それからズボン下ろして……
(宗真のやつ……そういえば俺で、してたんだった)
 そのことを思い出しても、不思議と嫌悪感は湧いてこなかった。
(なんか……そんなに気持ち悪いとか、思わなかったんだよな)
 もちろん、別に積極的に見たい光景ではない。
 けれど――
 
……逆の立場だったら?)
 水をかきながら、ふと考える。
(もし俺が男のままで……逆に、あいつが女の子になってたら……?)
 自分は、本当に何も感じずにいられただろうか。
 今はもう、その答えは分からない。
 男だった頃の感覚は、少しずつ遠ざかっている。
 息継ぎで顔を上げたとき、プールサイドに座る見学の女子たちが目に入った。生理か、体調不良か――理由はそれぞれなのだろう。
 彼女たちが毎月経験する痛みやつらさを、宗真たち男子が完全には理解できないように。
 今の樹にもまた、男子が思春期に経験する身体の反応や戸惑いを、以前と同じようには実感できなくなっていた。
 だからこそ――宗真が見せたあの反応を、頭ごなしに責める気持ちにはなれなかった。

 三本目は、再びクロールで五十メートル。
 樹は、自分の順番が来るのを静かに待っていた。
……宗真と話すのは、プールが終わってからにしようかな)
 小さく息をつく。
(なんで俺、女の子になんかなっちゃったんだろう)
 もし、あの日あんなことが起きていなければ。
 今頃は何も気にせず、宗真と並んで泳いで、いつものように笑い合っていたはずなのに。
 
 そんなことを考えながら、ふと隣のレーン――β組の方へ目を向けた。
……あれ?)
 一人の女子生徒の泳ぎ方がおかしい。腕も足も力なく、水面に沈みかけている。
(違う……溺れてる!?)
 教師も周囲の生徒も、まだ誰も気づいていない。
 樹は考えるより先に飛び込んでいた。
 力の抜けた身体を抱え、必死にプールサイドまで運ぶ。
(あれ、この子……
 顔が見えた瞬間、樹は息をのんだ。
(名取さん!?)
「先生ーっ!」
 見学していた女子生徒が慌てて職員を呼びに走る。
 樹は迷わなかった。
 つい最近、保健体育で習ったばかりの救命講習。
 教わった手順を思い返しながら、落ち着いて救命処置を始める。
(名取さん……お願い、無事でいて……!)
 やがて教師たちも駆けつけ、周囲は慌ただしくなった。
 
 その直後だった。
「げほっ……! げほっ……!」
 名取が大きく咳き込み、水を吐き出した。
 ゆっくりと目を開ける。
 ぼやけた視界の中、一瞬だけ――見知らぬ男の子が立っているように見えた。
 どこか樹によく似ている。
 けれど、樹よりも凛々しく、堂々とした雰囲気をまとっていた。
……だれ?)
「名取さん……!」
 安堵した樹は、思わず名取へ抱きついた。
「よかった……!」
……あれ、私……?」
 状況が飲み込めずにいる名取へ、教師が優しく声をかける。
「吉田さんが助けてくれたのよ。人工呼吸も胸骨圧迫も、授業で教えた通りに落ち着いてできていたわ。本当に立派だった」
「そ、そんな……! たまたま習ったばかりだっただけですから……!」
 樹は照れくさそうに首を振る。
 一方、名取は教師の言葉を聞いて目を丸くした。
(え……? 今……樹ちゃんが、私に人工呼吸をしたって……?)

 水泳の授業が終わり、生徒たちはそれぞれ更衣室へ戻っていった。
 女子更衣室では、着替えを終えた生徒たちが次々と出ていく。
 やがて静かになり、残ったのは樹と名取の二人だけだった。とはいえ、二人とも制服にはもう着替え終えている。
 名取が、少し照れたように口を開いた。
「さっきは……本当にありがとう」
 樹が振り向く。
「あの時、足をつっちゃって。樹ちゃんがいなかったら、私……死んじゃってたかもしれなかった」
(俺じゃなくても、誰かは助けただろうけど……
 そう思いながら、樹は照れくさそうに笑う。
 すると名取は、少し間を置いて続けた。
「あとね、私……
「へ?」
 名取は少しだけ頬を赤く染める。
「誰かとキスするの……初めて、だったの」
「えええっ!?」
 樹の顔が一瞬で真っ赤になった。
「お、俺だって、初めて……!」
「樹ちゃんも?」
(あの時はそんなこと考える余裕なんて全然なかっ……!)
「ていうか、ごめんね……! 私なんかが……
 慌てて頭を下げる樹に、名取は首を横に振った。
「ううん」
 優しく微笑む。
「樹ちゃんのことだから、私を助けようって、それだけで必死だったんだろうなっていうのは分かるから」
「あはは……
(名取さんって、ほんとに鋭い)
 樹が苦笑していると、名取は少し恥ずかしそうに目を伏せた。
……でもね。初めての相手が樹ちゃんで、嬉しかったの。命がかかってる時にこんなこと言うの、不謹慎だけど……ね」
「えーと……
 樹は何と返せばいいのか分からず、頬をかいた。
 すると名取は、少しだけいたずらっぽく笑う。
「あとね。……樹ちゃんの初めても、私だったのが嬉しいの」
「え……?」
「てっきり月城くんあたりと、もう『してる』のかなって思ってたから」
「そ、宗真と!?」
 樹は慌てて両手を振る。
「してないよ〜!」
(こないだ手を繋いだくらいで……!)
「なんでこの流れで宗真が出てくるの?」
 何気ない疑問だった。
 けれど、その質問に名取は少し考えるように首を傾げてから、小さく笑った。
「うーん。……負けたくない、からかな?」
(な、何のこと!?)
 樹が目を丸くすると、名取はくすっと笑って肩をすくめた。
……なんてね。冗談♪」
 そう言ってロッカーの扉を閉める。
「そろそろ出よっか」
「う、うん……
 二人は並んで更衣室を後にする。
(名取さん、いい子なんだけど……時々、何考えてるのか分からない……かも)
 そんなことを思いながら、樹は首をかしげるのだった。

 一年一組の教室へ戻る廊下。
 樹は名取と並んで歩きながら、ぼんやりと先ほどの出来事を思い返していた。
(さっきは、なんで女の子になんかなったんだって思ってたけど……
 ふと、自分の手を見る。
(でも、咄嗟に名取さんを助けられたのは……俺が女の子だったから、だよな)
 もし男のままだったら。
 人工呼吸をする瞬間、ほんの少しでもためらってしまっていたかもしれない。
 その間に、きっと別の誰かが助けていた。
 それに――
(そもそも、名取さんとも、こんなに仲良くなれてなかっただろうし)
 女の子になったことで失ったものは、たくさんある。
 けれど、その代わりに得たものも、確かにあった。
 
 一方、その隣を歩く名取も、別のことを考えていた。
(さっき、一瞬だけ)
 救命された直後に見えた、不思議な光景。
(樹ちゃんに似た、誰かを見た気がする……
 凛々しい、見知らぬ男の子。
 どこか樹に面影があった。
(あれ、何だったんだろう……
 ふと、以前聞いた話が頭をよぎる。
(もしかして……男の子だった頃の樹ちゃん……いや、『樹くん』だったのかな……
 そんな考えが浮かんでは消えていった。

 一方、その頃。
 三組の教室では、プールの話題で持ちきりになっていた。
「吉田さん、すごかったな!」
 宗真の友人が興奮気味に話しかける。
「だから樹をそういう目で──」
 反射的に言い返しかけた宗真だったが、途中で言葉を飲み込む。
……って、自分のこと棚に上げてるけどさ)
 ついさっきまで、自分だって樹の水着姿に動揺していたばかりだ。
 友人はそんな宗真の内心など知る由もなく続ける。
「溺れてる女子を助けるとか、めっちゃかっこよくね? 見た目おとなしそうだから意外だったわ」
 そして、にやりと笑った。
「もし吉田さんが男だったら、今回の件であの二人ワンチャン付き合ってるかもな。なんたって人工呼吸……キスしてたし」
「は、はあ!?」
 宗真は思わず大きな声を上げた。
「お前、何言ってんだよ……ただの医療行為だろ」
 名取が溺れていた時、宗真は隣のレーンで泳いでいたため、樹が名取を助け出してから救命処置を行う場面までは見えていなかった。
 友人はきょとんとする。
「なんだよ。見学してた奴らがあんなに騒いでたのに、聞いてなかったのか?」
……え?」

 友人の言葉に、宗真は固まった。
(人工呼吸……
 さっきまで、名取が助かったことしか頭になかった。樹が誰を助けたのか、どうやって助けたのか――そこまで考えていなかった。
(そっか……樹が、名取さんに……
 胸の奥が、少しだけざわつく。
 もちろん救命処置だ。
 命を助けるために必要だったこと。それくらい理解している。
 それでも、どうしようもなく心が引っかかってしまう自分がいた。
……最低だな、オレ)
 視線を机へ落とす。
(でも……名取さん、いつも樹のこと気にかけてるし)
 樹が男だったことも知っている。それは自分も同じだ。
 だが、名取は……女子の身体のことだって相談に乗れる。同性同士ならスキンシップだって……。きっと今の樹には、自分より名取の方が必要なんだろう。
(それにオレは……
 今日のプールでの自分を思い出す。
 樹の水着姿を見て、思わず目を奪われたこと。慌てて飛び込んで、その場から逃げるように泳ぎ出したこと。
 ――本人には、気づかれていない。
 ……そう信じたい。※バレてます
(友達なのに、あんな反応してるなんて知られたら……
 いや、知られなくたって同じことだ。
(そんなこと考えてる時点で……
 宗真は小さく拳を握る。
(オレ、あいつのそばにいる資格なんて……ないよな)
 窓の外では、初夏の青空がどこまでも広がっていた。
 
 一方その頃、一組へ戻った樹は、そんな宗真の葛藤など知る由もなく。
(今日も放課後、一緒に帰れたらいいな)
 そんなことを、何気なく考えていた。