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2026-07-03 23:11:16
2976文字
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260703/主明ワンドロワンライ『雨』

1時間+30分くらい…!!2学期、ニイジマパレスのあたりのお話。

 雨だ。うっかりしていた。散々惣治郎さんに毎朝天気予報を見ろと言われていたのに、今日に限ってその時間がなかった。要するに寝坊したわけである。
 今日は朝から携帯端末の充電は失敗していて(もちろん朝のアラームも何故か解除されていた)モルガナに文字通りたたき起こされ、買い置きがあったはずの歯磨き粉は見つからず、癖毛でうねる髪はいつもより爆発しており(これに関しては自分しか分からないものだったらしい。杏にはいつも通りでしょ? と首を傾げられ、竜司もその横できょとんとしていた)何故か知らないが愛用の黒縁眼鏡はフレームががたついていた。昨日まで元気だっただろお前。惣治郎さんから差し出されたカレーで見事に上あごを火傷し、ほうぼうのていでルブランを出たのはいつもよりも数分遅れていた。寝坊したとて朝のルブランカレーを逃すつもりはないので仕方ない事ではある。
 案の定というべきか電車は朝から遅延しており、いつも以上の満員電車で息苦しいったらありゃしなかった。鞄の中でつぶれてしまいそうなモルガナをなんとか死守した事を褒めて欲しいくらいだ。その満員電車の中でもげほげほと体調の悪そうな咳が至る所から聞こえてきて、正直嫌だなと思うばかりだった。インフルエンザ注意報などというものが出ていたにもかかわらず、世の中の人間は多少の体調不良でも労働に勤しまなければならないらしい。世知辛いばかりである。
「はぁ……
 零れる溜息は時間が経つごとに大きくなっていた。学校に着いたら着いたでそりゃあもうよくわからないレベルでついていない事が連発したわけだが――もう覚えてられないと記憶から抹消した。こんな悲しい事に俺の記憶領域をくれてやるつもりはない。
 朝から夕方まであらゆる物事でアクシデントが起こり続けた俺は、イセカイへ行った日以上の疲労感を抱えていた。普通の一日を過ごしただけなのにどうして、とやり場のない怒りが沸き起こるも、それを放出する元気もなかった。
「レン……オマエ、今日はもう早く寝ろよ……
「あぁ……うんそうする予定……
 ニイジマパレスの探索も調子よく進んでいる。一日くらい休みにしたって問題ない程度には。俺は手早く携帯端末を操作してチャットを送った。『今日の探索は休みで』ぽこぽこすぐに返事が飛んでくる。了解、お疲れ、また連絡をくれ、おっけー。様々な返事をぼんやりと見つめながら、返事の数がひとつだけ足りないな、と思った。既読の数には入っているから読んではいるのだろう。
まぁいいか」
 モルガナがしゅるりと鞄の中に入っていく。いつも通りずしりと重い鞄を肩に掛けて学校を後にした。あまりにも気疲れしていたからか、その時に空模様を見ることもしていなかったのだ。
 そうして駅に着いたところで、ぽつぽつとアスファルトが黒く濃く滲みはじめたのだ。降り出した雨はあっという間に勢いを増して足元を濡らしていく。
「あー……
「今日はツイてないな……オマエ折り畳み傘、鞄の中にねぇぞ……?」
 どうせ後はもう電車に乗って四茶で降りるだけだ。駅からルブランまで少しだけ距離はあるがなんとかなるだろう。多分。この間使った折り畳み傘を干して畳んで、そのままさっさと鞄に入れればよかったのだ。おそらく愛用している折り畳み傘は、いつもの作業テーブルの上に鎮座していると思う。数日前の自分の挙動にがっかりするしかない。
 携帯端末で天気予報を確認しようとした瞬間、ディスプレイがすぅっと沈黙した。うん、充電が完全に切れた。逆によくここまで充電が持ったもんだと思う。帰ったらすぐ充電してやるからな、と俺はそっと鞄に携帯端末をしまい込んだ。
 空を見上げるも、重く垂れこめる灰色の雲が一面に広がっている。晴れ間なんてものはない。また一つ溜息が落ちた。
「あれ?」
 そんな時、後ろからここ最近よく聞くようになった声が聞こえた。振り向くと、そこにはきっちりと制服を着た明智吾郎がいつものアタッシュケースを片手に立っていた。恐らく毎朝アイロンをかけているのであろう、さらりとした癖のないミルクティーみたいな髪が小首を傾げると同時に揺れる。なんかシャンプーのCMでもやってるのかもしれない、と思うくらいにはその動きが似合っていた。流石、テレビに出ている人間は常日頃の身だしなみから違う。
「何やってるの、蓮。ぼーっと空見て」
「あぁ、お疲れ明智。いや……雨だなって」
「昨日から今日の午後は雨だって天気予報やってたよ。見てなかったの?」
「確認し忘れたんだ……
 呟いた言葉が、どこかバツの悪そうな響きになってしまったことに我ながらモヤモヤする。こんな言い訳じみたことを言うつもりはなかったはずなのに。
「あぁ……傘でも忘れた? 君でもそんなことあるんだね」
「俺だって普通に忘れたりするぞ」
「今日みたいに?」
……
 ふふ、とからかうように笑われてしまい俺は一瞬たじろいでしまう。こういった年上の余裕みたいなものを感じる距離感に、俺は弱いのだと自覚せざるを得ない。どす、と鞄の中からモルガナが俺の事をつついているのを感じる。
「風邪を引かれても困るしね。はい、貸してあげる」
「え」
 楽しそうに笑っていた明智が、仕方ないねとばかりにアタッシュケースの中から折り畳み傘を取り出してこちらに差し出してきた。反射的に受け取ってしまう。明智らしいシンプルなデザインで軽量のそれは、手のひらよりも少しだけ大きいくらいのサイズだ。
「明智は?」
「僕はこれから撮影。帰りはタクシー使うから大丈夫。気にせず使ってよ」
 じゃあ僕はそろそろ時間だから、とひらりと黒い手袋に覆われた手を振って颯爽と去って行ってしまった。俺は渡された、というか、半ば押し付けられたような形になってしまった折り畳み傘を片手にぽかんと明智が消えていった方角を見つめる。いくら見つめても、彼が戻ってくることはないとわかっているのに。
「えー……
「ありがたく使わせてもらおうぜ、レン」
「まあそうだな」
 鞄の中からぴょこんと顔を出したモルガナが俺をつつく。とりあえずその折り畳み傘を鞄の中に入れて、俺はルブランへの道を急ぐことにした。


 結局四茶に着いても雨脚は緩んでおらず、有難く明智の貸してくれた折り畳み傘を使わせてもらった。いつものルブランの屋根裏部屋で、見慣れない傘を開いて乾かしているのが少し不思議な気分だった。
「なあ、モルガナ」
「なんだ?」
「これも作戦のうちのひとつだったりするんだろうか」
……さあな。他人の心のうちは誰にもわかんねぇよ」
 いつもの硬いベッドに腰掛けて、俺はぼんやりと見慣れない傘を見つめる。きっと俺は甘いんだろうな、と思いながら、雨音の響く屋根裏部屋でごろりとベッドに転がった。ほんのりと好意を寄せている人間とのやり取りに、期待するなだなんて酷だ。俺はそこまで大人にはなれないし、割り切ることができない。傷つくのはお前なんだからな、と何度言われても、その微かな可能性に夢を見ることをやめられない。愚かだ、と自分でも思ってしまう程には。
 くしゅん、とくしゃみが出る。十一月の寒さにぶるりと震えながら、俺は傘に背を向けて布団へともぐりこんだ。