ポほ
2026-07-03 23:09:56
4259文字
Public オトメビギナー
 

水着と夏服

こっちはスピンオフなので特に本筋とかもなく、ただ思いついたら投げていこうと思う
絵は内容とは関係ありません ただお下げが可愛く描けたから貼ってる

 五月も終わりに近づき、来月の後半にはプールの授業が始まる頃だった。
 夕方。樹は何気なく、全国ネットの情報番組を眺めていた。
『今どきは学校のプールの授業にも変化があるんです』
(あ、プール!?)
 その一言で、樹はすっかり忘れていたことを思い出す。
 ――プールの授業。
 今では宗真と名取以外、誰も樹が元は男だったことを知らない。身体も完全に女の子なのだから、女子として授業に参加するしかない。
(女子の水着なんて……恥ずかしい……! ていうか、更衣室とかも……
 一人で勝手に青ざめていると、番組は続けた。
『例えばこちらの水着。現在は男女共通デザインで、ラッシュガードを着用する学校も増えています。露出を抑えられるので、肌を見せることに抵抗があるお子さんにも配慮されていますし、体型も隠しやすく、日焼け対策にも――
(そっか……! 今はこういう水着なんだ)
 胸を撫で下ろす。
(だったら、そんなに心配しなくてもいいのかも……!)
 すると隣から、呑気な声が飛んできた。
「えー、かわいくなーい! 昔のやつの方がよかったー」
 コン太郎だった。
 樹は呆れたようにため息をつく。
「お前みたいな変態狐はそうかもしれないけど、普通はそうじゃないの。……ていうか、俺もだし」
「ぶー」
 コン太郎は頬を膨らませた。
 
 ――翌朝。
 ホームルームで、水着購入用の注文票が配られた。
(こ、これって……
 樹は思わず固まる。
 そこに載っていたのは、昨日テレビで見たようなジェンダーレス水着ではなく、男子用と女子用がはっきり分かれた、昔ながらのスクール水着だった。
「先生ー!」
 一人の生徒が手を挙げる。
「うちの学校って、ジェンダーレスのやつじゃないんですか? ラッシュガードと短パンみたいな」
 教師は申し訳なさそうに頭をかいた。
「それが、今年は導入が間に合わなくてな。少なくとも来年からになる予定だ」
「えーっ! じゃあ来年また買い直しじゃないですかー!」
 教室から不満の声が上がる。
(うちみたいな田舎には……令和の価値観はまだ早かったのか……
 樹は心の中で静かに肩を落とした。
 
 休み時間になると、名取がそっと声をかけてくる。
「樹ちゃん、大丈夫? もしかして、プールのこと気にしてる?」
……うん」
 樹は苦笑しながら頷いた。
「私も、今どきの水着なら着てもいいかなって思ってたから……
 少し間を置いて、恐る恐る続ける。
「それに……名取さんは、私が女子更衣室に入ったりするの、抵抗ない? 他の人は……まあ関係ないかもしれないけど、嫌じゃない?」
 名取はきょとんとしてから、優しく微笑んだ。
「全然」
 あまりにも即答だった。
「というか、今の樹ちゃんが男子更衣室に入った方が、むしろ問題かもね」
 そう言って、ちらりと樹の胸元へ視線を向ける。
 樹はその意味に気づかず、素直に頷いた。
「た、確かに……そうかも」
 少しだけ肩の力が抜けた樹を見て、名取も安心したように微笑んだ。

 放課後。
 仕事から帰ってきた母に、樹はリビングで声をかけた。
「お母さん。プールの授業で水着買うから、この封筒にお金入れといてくれる?」
「あー、もうそんな時期かぁ」
 母は気楽に頷く。
「はいはい。あとで入れとくね〜」
「ありがと」
 それだけの、どこの家庭にもありそうなやり取り。
 けれど樹の胸の内は、まったく穏やかではなかった。
(どんなに嫌でも、水着を買うこと自体は親に頼まなきゃいけないわけで……
 樹の両親は、コン太郎の暗示によって「樹は最初から女の子だった」と完全に信じ込まされている。
 しかも、その暗示は学校関係者にかけられたものよりも、はるかに強力だった。
 
——今の身体になって間もない頃、樹は必死に説明しようとしたことがある。
 小学校時代のアルバムを開き、
「ほら、この頃は男だったんだって!」
 そう訴えた。
 だが返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「樹って昔から男の子みたいな格好するの好きだったもんねぇ」
 それだけだった。
 さらに、生まれたばかりの頃の写真まで見せても――
 性別がはっきり分かる写真でさえ、
「え? この子、誰?」
 と、本気で他人の赤ちゃんだと思われてしまった。
 そこまで来ると、もう何を言っても無駄だった。
……ああ、この暗示はどうにもならないんだ)
 その日以来、樹は両親に本当のことを話すのを諦めた。
 
 今回だって同じだ。
 もし今さら、
「男子用の水着が欲しい」
 なんて言ったところで、笑われるだけだろう。
 樹は机の上に置いた注文票を見つめ、小さくため息をつく。
……しょうがない、か」
 そう呟いて、震える指で女子用スクール水着の欄に、静かに丸をつけた。

 翌朝。
 六月になり、今日から衣替えだった。樹も冬服をしまい、今日から夏服に袖を通す。
 このセーラー服は冬服と同じく、宗真の上の姉・静乃から譲ってもらったものだ。
(静乃さんからもらったの、こっちもぴったりだな……よかった)
 女子の冬服は、紺色の長袖シャツをベースに、紺のラインの入ったチャコールグレーの襟と、同じ配色のスカーフを合わせた落ち着いた印象だった。
 一方、夏服は白い半袖シャツに、白いラインの入った淡い水色の襟、そして紺色に白のラインの入ったスカーフ。
 ぐっと爽やかな雰囲気になる。
 スカートだけは冬服と同じ紺色だが、夏用は生地が少し薄く、履いた瞬間に軽さの違いが分かった。
 ちなみに、樹たちの中学校の制服は地元でも「可愛い」と評判だった。
「へぇー、なかなかいいね」
 いつの間にか現れたコン太郎が、腕を組んで頷く。
「宗真に見せたら喜びそー」
「変なこと言わないでよ……
 樹は少し頬を赤くした。
「どうせ毎日見ることになるんだから」
 そんなことを言われたら、こちらまで意識してしまう。
 樹は玄関に置かれていた、水着代の入った封筒と注文票を鞄へ入れ、家を出た。
 
 通学路には、今日から夏服になった生徒たちがぞろぞろと歩いている。
 少し前方に宗真の姿を見つけると、今日は珍しく樹の方から声をかけた。
「おはよ。今日から夏服だね」
「う……うん、おは、よ……
 宗真は返事をしながら、どこかぎこちなく目を逸らした。樹の夏服姿を見て照れてしまったのだろう。
 もっとも、本人はそんな理由など知る由もない。
「どうかした?」
「い、いや、なんでも……
 宗真は慌てて誤魔化す。
「女子って夏服になると結構変わるんだなって思ってさ。男なんて半袖になるくらいしか変わらないように見えるけど。一応ズボンも夏用なんだけどさ。樹も、スカートは同じっぽいけど」
 ちょっとだけ早口。
「あ、女子もね。スカートはちょっと涼しい生地になってるんだって。履いたら結構違い分かったよ」
 そう言ってから、樹は思い出したように笑う。
「あ、そうだ! 静乃さんに私からのお礼伝えてくれる? 夏服まで譲ってもらえて、本当に助かったから」
「ああ、静姉ね。うん、言っとく」
 宗真は頷いた。
「そういえば静姉も、樹の顔見たいって言ってたし。またうち来いよな」
「う、うん……
 いつもなら、教室へ着くまで宗真があれこれ話題を振って、たわいない話を続ける。
 だが今日は違った。宗真の口数が、妙に少ない。
「大丈夫?」
 樹は首を傾げる。
「ちょっと早い夏バテ?」
「そ、そんなんじゃないから!」
 宗真は慌てて首を振った。
「でも、ちょっと蒸し暑いよな。早くプール始まらないかな!」
 そこまで言ってから、ふと思い出したように樹を見る。
……って、お前。そういえばプール、どうすんの?」

 宗真の問いに、樹は少し困ったように笑った。
「ちゃんと参加するよ。水着も女子用の買うことにした。……名取さんにね、聞いてみたの」
「何を?」
「私が女子更衣室で着替えて、そのまま女子としてプールに入ってもいいのかって。名取さんだけは事情を知ってるから」
「それで……名取さんは何て?」
「全然気にしてないって」
 樹は少し安心したように微笑む。
「むしろ、男子更衣室に入った方が問題かも、って言われちゃった」
「そりゃなあ……
 宗真は思わず苦笑した。
 自分たち男子が着替えている更衣室に、今の樹が入ってくる光景を想像してしまう。
……いや、それはダメだろ)
 制服越しでも分かる胸の膨らみ。女子そのものの身体で、更衣室に入ってこられたら――
「お互い、その……刺激が強いだろうし……
「え?」
 樹はきょとんと首を傾げた。
「宗真もなの?」
……当たり前だろ!」
 思わず声が大きくなる。
(ていうか、男子で唯一事情知ってるオレは余計ヤバいような……
 そんなことは口が裂けても言えない。話題を変えるように宗真は咳払いをした。
「ところで、ちゃんと水着まで買うなんて、樹は真面目だな」
「え?」
「そんなにコマ数ないし、サボってもいいわけじゃん。そういえば女子って、セーリで入れない日もあるっていうだろ? 小学校の時も見学してる女子、結構いたし」
「あ……
 樹ははっとした顔になる。
「おい」
 宗真は呆れたように笑った。
「『その手があったか』みたいな顔するなよ」
「じ、冗談だって……!」
 樹は慌てて手を振る。
「でも、水泳は結構得意だから、サボったらもったいないかなって。それに、ちゃんと受け入れてくれた名取さんにも失礼だもん」
「そっか……
 宗真は少しだけ照れたように笑う。
「樹のそういう、妙に真面目っていうか、律儀なところ……オレは――
「おはよ」
 不意に後ろから声がした。二人が振り返ると、名取が小走りで追いついてくる。
「樹ちゃんも月城くんも、夏服似合ってるね」
……タイミング悪ぃな!)
 宗真は心の中だけで肩を落とした。
「おはよう」
 樹は笑顔で手を振る。
「名取さんはカーディガン着てるんだ?」
「うん」
 名取は袖を軽くつまんで見せた。
「今の席、冷房の風が直接当たってちょっと寒いから。それに朝もまだ少し涼しいし、羽織ってきちゃった」
「そうなんだ……
 三人はそのまま並んで歩き始める。
 夏服姿の生徒たちで賑わう校門をくぐり、いつものように教室へ向かった。