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2026-07-02 20:21:04
4336文字
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燭鶴「深夜のおばけ」

夜遅くまで作業をがんばる光忠くんのもとに鶴さんという名のおばけが現れる話です。光忠くんも鶴さんも相手に甘えながら相手を甘やかすのが上手いと思ってます。

「俺はそろそろ寝ようと思うんだが、光坊、きみはまだ寝ないのかい?」

 文机に向かっていた光忠は隣から鶴丸に覗き込まれて顔を上げた。そのまま掛け時計を仰ぐ。日付がまもなく変わろうとしていた。

「わ、もうこんな時間」

 気づかなかった、と光忠が驚いた声を漏らしたので、鶴丸が笑っている。

「きみにしちゃめずらしく忙しそうだが、急ぎなのか?」
「いや、そこまで急ぎってわけじゃないんだけど、早めに終わらせておこうと思ってね。やらないといけないことがずっと残ってると落ち着かないから」
「相変わらず光坊は真面目だなぁ。何か手伝えたらよかったんだが」

 鶴丸の声音は称賛と同時に呆れを少しばかり含んでいて、光忠は曖昧に笑った。まぁ、我ながら生真面目過ぎると思うときも、ある。これは性分なので、致し方ないとは思うけれど。

「大丈夫、ありがとう。僕が一人で担当してる任務の件だからね。僕は終わらせてしまうまでやるけど、鶴さんは気にせずに先に寝ててほしいな。あっ、でも、机の明かりだけでも眩しい?」
「あぁ、いや、俺は平気だ。そういうことなら天井の明かりだけ消させてくれ。すまんな、先に寝る」

 じゃ、と鶴丸は片手を挙げて、布団の方へと立ち上がった。立ち上がった彼を見上げて光忠も片手を挙げると、彼は何かを不意に思い出したような顔をして言った。

「精が出るのはけっこうだが、ほどほどにな。あんまり夜遅くなるとおばけが出るかもしれないぜ」
「おばけ? あはは、僕たちも付喪神だし、そんなに怖くないかも。でも、なるべく早く寝るように気をつけるよ」

 光忠が笑ったのを見て、本当にだぞ? と鶴丸は念押しして、一足先に布団に向かう。

 おばけ、ねぇ、と光忠は小声で呟いて、再び書類へと向きなおった。この作業がおばけが出る時間まで終わっていないとしたら、いっそちょっと手伝ってほしいかも、なんてことを思いながら。

 夜はさらに深くなって、鶴丸が先に布団に行ってからしばらく経った。

 皆が寝静まった深夜というのは作業がはかどりそうで意外とはかどらないものだ。それは今夜の光忠も同じで、終わらせてから寝ると鶴丸に言ったものの、光忠の作業はなかなか進んでいなかった。

 今日はここまでにして休もう、とも思わなくもないのだが、すっきり終わらせてから寝たいという生真面目な性分が顔を出してきて、ずるずると作業を続けてしまっている。そこまで疲れていないはずなので、もうしばらくは平気だと思うし。

 もう少しきりのいいところまで、そしてなんなら終わるまで、とペンを握りなおしたところで、つつ……、と冷たい何かが首筋を這ったので光忠は飛び上がった。

「う、わ、?! ……何!?」

 驚いて飛び上がった勢いのまま振り返ると、そこには真っ白なおばけがたたずんでいた。真っ白な、おばけ、というか……、いや、白いシーツを被った、人。まぁ、おそらくは――

「えっと、鶴さん、……? 何やってるの?」
「鶴さんじゃない、おばけだ」
「えぇ……、いやいや、明らかに鶴さんだけど……

 鶴丸であるということを否定するその声音がもう鶴丸その人自身なのだが、彼は堂々とおばけだと名乗った。先ほど光忠の首筋を這った冷たい何かは、どうやらこの人の指先だったらしい。

「もうこんなに夜は深い。おばけが出る時間ってわけだ」
「うん、思ったよりこの作業、時間かかっちゃってね。鶴さんは、えぇっと、それはおばけごっこ?」

 光忠がシーツをめくりあげようと手を伸ばしたら、それをひらりとかわされた。

「鶴さんじゃない。『おばけ』、な? 軽々しく触ると呪われるぞ」
「あはは、……うん、じゃあ、おばけさんということにしておこう、……かな?」

 シーツは生地が薄いので、それを被っている鶴丸からはこちらのことが見えているらしい。光忠からは彼の表情は見えないけれど、有無を言わさない調子でおばけであるということの圧をかけられたので、とりあえずは言われるとおりおばけであるということにして、頷く。
 彼には子供っぽいところがあるので、これも何かしらのごっこ遊びなのだろう。

「ということで、おばけさん……、はどうしたの? 眠れない?」
「おばけはきみにやってもらいたいことがあってそれをねだりにきたのさ」
「やってもらいたいこと」

 光忠は言葉を繰り返して、首を傾げた。なんだろう、このごっこ遊びに付き合う、とか? 夜のお散歩とか? それともお腹が空いているのだろうか。

「ちなみに、おばけに応えてくれないときも呪われるからな」
「報復がワンパターンだね……

 光忠は少し呆れた調子で――面白がってもいるけれど――苦笑いして、それで? と目の前のおばけに尋ねた。

「おばけさんのおねだりって、何?」
「まず、机に広がっているその書類を片づけてもらいたい」
「あ、でも、これ、もう少し頑張ったら終わりそうなんだ……、片づけちゃわないとだめかな?」
「呪われたいのか? おばけのねだりごとを聞いてくれ。だいたい、急ぎじゃないんだろう」
「まぁ、うん、そうだね、オッケー、片づけるよ」

 シーツの中の鶴丸の表情は見えないけれど、不満げに口をとがらせているのは声音で分かったので、光忠はそれ以上食い下がらずに頷いた。
 基本的にこの年上の恋人――今はおばけであるが――に光忠は甘いから、かわいい顔で要求されるとなんでも受け入れてしまうのだ。今はシーツを被っているので顔は見えないが、彼がかわいい顔で口をとがらせているのは間違いなかった。そもそも、この人はいつでもかわいいのだから。そういう人にねだられては仕方ないのだ。

 光忠は広げていた書類を一つにまとめた。鶴丸に言ったとおり、この作業は急ぎではない。一人で取り組んでいた時には早く終わらせないと、という気持ちになっていたけれど、こうやって今夜はもう作業をしないことにすると、肩の力が抜けて少し気が楽になる。

「僕の作業は今夜は終わりということにして、おばけさんは僕と何かしたいことがあるのかな」
「きみに布団に横になってもらいたい」
……? うん、」

 ほら、行った行った、と机上の明かりを消しながらおばけが追い立てるので、光忠は立ち上がって布団へと向かった。横になるようにと言われるので身体を横たえると、肌布団を掛けられる。

 布団に横になってみると、思いのほか自分が疲れていたことに光忠は気がついた。作業中はもう少し、なんなら終わらせるまでやれると思っていたけれど、こうやって休む体勢になってみると、身体は疲労に正直である。

「最後にきみにやってもらいたいことは寝ることだ。寝つけないなら、おばけの子守唄を歌ってやってもいいぜ」
「ふふ、大丈夫、子守唄はなくても眠れそうだよ」
「そうか。……真面目に頑張れるのはきみの美徳だが、根を詰めるのはほどほどなほうがいい」

 おばけ――鶴丸は、光忠の布団の横に腰を下ろして年上らしい言い含めるような口調で穏やかに言った。

「ありがとう、僕を心配してくれたんだね」

 おばけの真似事なんて、はじめは子供っぽい何か茶番だと思ったけれど、そうではなく、どちらかといえば年上らしさのある世話焼きだったのだ。無理をせず早く寝るようにとたしなめるより、自分のねだることに応えてほしいと言うほうが光忠が受け入れやすいだろう――実際、それはそうだ――という思慮深さによるものだろう。

「心配、な。……まぁ、そういう殊勝な理由もあるっちゃあるが――

 おばけは少しばかり言い淀んで、口ごもった。何かを言うかどうか迷っているみたいに感じられる。

「きみは、おばけはどうして夜遅くに現れると思う?」
……? 夜行性だから、かな?」
「そういうこともあるかもしれんが、……きっと人恋しいのさ。特に、今夜みたいな雨の降る夜は肌寒いしな」

 確かに彼の言うとおり今夜は雨がひどくて肌寒い、と光忠は思った。光忠自身は寒がりではないので平気だけれど、鶴丸という人は冷えやすいのできっと寒く感じるだろうと思う。先ほど、首筋に這わされた彼の指先がとても冷たかったことを、光忠は思い出した。

「じゃあ、もしかして、おばけさんが一番ねだりたかったのは、一緒に寝ることだったのかな?」
「ま、そうなんじゃないか? 肌寒い夜に独り寝ってのはきっと寂しいんだろうよ」

「おばけ」は急に他人事のような口調で答えた。たぶんちょっと、照れみたいなものを誤魔化そうとして。

「そっかぁ」

 この人の茶番は、思慮深い世話焼きであると同時に、子供っぽいおねだりでもあったのだ。光忠は愛おしく思って微笑んで、おばけを――鶴丸を見上げながら続けた。

「そうだとしたら残念だな、僕はそんな寒がりの寂しがりな人をぎゅっと抱きしめて寝てあげたいけど、おばけさんに触れると呪われちゃうんでしょう? あなたがおばけじゃなくて鶴さんだったらぎゅっとできるのに」

 先ほど言われた言葉を繰り返して光忠が言ったら、彼は笑ったみたいだった。そして、ばさりとシーツが脱ぎ捨てられる。

「おっと、よく見てみな、光坊。きみの前にいるのは鶴さんだ。おばけはどこかへ消えちまったみたいだぜ」

 そこにいたのはずっと鶴丸なのに、この人があまりに白々しく宣言するから光忠は笑ってしまった。

「あはは、本当だね。じゃあ鶴さん、あなたもおばけと一緒で、寒がりで寂しがりってことで……、いいのかな?」
「さてな、きみはどう思う?」
「ふふ、僕は、一緒かなって思うよ。だから僕にぎゅってさせてほしい」

 自分に掛けられた肌布団をめくって懐に来るように呼んだら、仕方ないな、と言葉では譲歩したようなことを言いながら彼は嬉しそうにするりと光忠の腕の中に収まった。

 その体温は、やはり少しだけ冷えていて、それをあたためようとぎゅっと抱きしめると、なんだか心がとても緩む感覚があった。人恋しかったのは、鶴丸だけではなく、光忠も同じだったのかもしれない。

 大きく息を吐いた光忠の腕を、とんとんと軽く鶴丸は叩いて言った。

「ちなみに、おばけに触れると呪いがかかるが、俺に触れるとまじないがかかるぜ。深く眠るまじないさ。きっと疲れただろう、ゆっくりおやすみ、光坊」
「ありがとう、鶴さんにも僕の体温でそのおまじないがかかりますように。おやすみ」

 深い夜、立ち現れたのはおばけじゃなくてきっと人恋しさだった。だから二人一緒に眠ろう。おやすみなさい。