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ngr_ps21
2026-07-01 17:30:00
9211文字
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参将シリーズ
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不信を信ずるⅦ
参将シリーズ7話目
全てを信じられない参🎈×全てを信じる将🌟のお話。
※縦読み推奨
7
星とは、ひとりでに輝くものだ。
月の如く日の光を必要としない。火の如く薪を必要としない。ひとりで燃えている。内側で熱く。煌々。躊躇わず。何にも左右されず。闇の中で輝いている
……
他の何者も、必要とするような弱さはない。縋る悲壮もない。引力に巡るそれを連星と呼びたがるのは。見えない糸を手繰り星座と呼びたがるのは。
いつだってさみしさを観測した人間たちだ。
この際、寂しさであろうと脆さであろうと、愚かさであろうと何でも良い。星から星へ。引っ掛けた糸を今、片側外して地上へ引き摺り下ろしてやる。自らの小指に結んで繋がってしまえ。あまりの距離に糸が張り、この肌が食い込んで傷を生んだとしても──挙句に紅が滲んだとして。その色が糸を染めるのならば素敵じゃないか。まるで運命みたいで。
そんな夢を見てしまう。
何億光年にも及ぶような闇が、自分たちの間に広がってしまうのならば。どうか。
***
ふ、と。重要書類二十一頁六行目、二十四文字目から目が滑っていたことに気付き作業を中断する。
数回瞬きをして、吐息。うたた寝をしていたわけではないけれど、意識は上の空を漂っていたようだ。気が緩んでいる証拠である。もう五日も纏まった就寝時間を取っていないことにも起因しているだろうが──関係ない。大事な時期に職務を熟せずして何の意味があろうか。
手元のカップへ手を伸ばし、カフェインを求めた。しかし思いがけぬ軽さに顔を顰める。中身が空になっていた。しぶとく残る底の珈琲、三日月のかたちに跡を残してこちらを嘲笑っている。舌打ちを飲み込み、一度席を立って淹れ直すか、考えて、止めた。そんな時間すら惜しい、というよりも億劫だった。
激務の際は何かを考えることなどしない。「自分は何故、今この作業をしているのだろう」と思い悩むことは以ての外だ。効率を鑑みる上での「この作業をしている意味」の模索であればまだしも、「この作業をしている意味」を悲嘆に重ねてしまえば即ち死を意味する。
だから考えてはならない。
「
…………
」
くしゃ。書類の右下端が歪む。
寄った紙の皺が〝軍事召集〟の文字にアウトラインを引く。指先に力が籠ったついでに、その後に続く上司の名前を隠してやった。
「軍事召集の命を受けた」
窓の外。あまりにも暖かで、鮮やかな色合いをした季節を眺めながら将校は凛と言い張った。
知っている、と答える代わりに沈黙の首肯で返す。そんな参謀の瞳を、暫し彼は覗き込んでいた。秋の色──窓の外、現在の季節──が頭を過る。じぃと参謀も見つめ返していれば、何だか頭は頓珍漢な錯覚をしてみせた。
──季節の風景と、将校が同化して溶けてゆくのでは。
馬鹿馬鹿しい想起に瞼を伏せる。この男が溶けたとてどうするだろう。褪せるだろうか。埋もれるだろうか。消えるだろうか。命の芽が摘まれてゆく世界の時間と共に。
絶えず指先を冷水へ浸した時と、似た感覚を覚える。
「
……
と、言ってもお前は知っているか」
呆気なく逸らされた視線は、窓の外へと向かう。
はらはら。平穏に静かに紅葉が落ちた。これからあの落下速度よりももっと速く、夥しく血が流れるのだろう。口惜しいことだ、と他人事のように思った。言葉が浮かんだだけで、事実そう感じていたかは分からない。ただ。
「貴方が守りたいものは、随分と儚い」
「そうだな。自分の信ずるように行動しようと、軍事協定を突っ撥ねようと、戦争は起こる」
将校は表情を変えなかった。
「今回赴く地は南西の方角。前に話を
嗾
けしか
けてきたヒアイラルムとは反対の場所だ。それよりもずっと大きな国が、別の大国と争っている。流通が制限されたことによってな。憤った片国は、流通に使用される共用の経路を爆破した。諍いの両国とは無関係の者も通る道だ、当然巻き込まれる人間がいるわけで
……
本国の人間も、そこで何人か死んだ」
だから爆破の加害国と敵対する方に加勢、というわけだ。
否、こんな経緯はきっときっかけに過ぎない。
今そうならなくとも、いずれ行き着いた結末だろうから。
「国と国の怨恨。そう単純であれば、まだ話は早かったのですがね」
「
……
」
「爆破を仕掛けたのは、実は第三国なのでは、という可能性も耳にしております」
「
……
流石だな」
その賞賛は固く、手放しに喜べる賛辞ではない。
そう。誰かが殺し、殺された
……
明確な矢印が見えているのならば、ここまで人は不安にならないものを。爆破事件には、該当国とは別の存在も示唆されている。そうなってくれば、巡るのはやはり疑念だ。
誰が味方か?
誰が敵か?
どちらがどちら側なのか?
今、隣に立っている人物は本当に隣人だろうか?
何を信じたら良いのか分からない。ほんの少しの不安だけで人へ刃を向けることが出来る。そんな混沌の渦中、将校は片側の「味方」として身を投じることとなる。
「戦争が起こる」
もう一度、将校は述べた。
秋の色が参謀を捕まえる。彼がこちらへ視線を戻したのだ。平穏な情景から、ただ冷たい現実を見据える。凛とした表情は未だ解かず。伸ばした背筋を少しも小さくすることなく、言葉を続けた。
「参謀」
「は」
「ヒアイラルムに動きは?」
「現時点ではございません。此度の状況で、回答を急かすような動きも見られないかと」
「そうか。私が席を外す間に何か接触があるかもしれない」
「ええ。最低限の守備体制は残していただけると助かります。指揮は私が執りましょう」
「分かった。こちらは預けた」
預けた、などと言う。
見事に晴れやかな信頼だ、と、ここに置かれて何度感じたか分からない。先日「将校の言葉に嘘偽りがない」と実感が追いついて以降、この気味悪さは尚胸を焼いた。
「加えて、だ。お前には、私が率いる軍の戦況を遠隔で動かしてもらう」
「
……
私が?」
眉を顰める。
実際の戦況を動かす〝参謀〟は、当人も戦地に身を置くことが通常だ。「預けた」というからには自分はこの館に残るのであって、ブレインは別の人間を連れるものかとてっきり考えていたのだが。
「非効率では? 情報伝達が遅くなります。貴方は次の駒を進める上で三日伝書鳩を待てるほど悠長なお方なのでしょうか」
「回りくどい嫌味は慎め。戦況は、何も軍へ直接指示を出して動かすだけが全てではないだろう」
鋭い目を細めて。
「当然現地で判断を下すのは私だ。だが、場にいない人間だからこそ掴める情報がある。それを、お前が掴み、噛み砕いて、私に伝えろ。狼煙でも音でも何でもいい。
……
舞台を整えるのは得意分野だろう」
「
……
宜しいのですか。明け渡してしまって」
「何を言う」
貫かれる。後ろに組んだ手を、将校が解くことはない。それでもこちらへ手綱を渡されていると、そう感じる。生を響かせる低い声が伝えた。「お前しかいない」
「まぁ、ひとまずは手前段階だな。これから抜かりのないよう準備をせねばならない。私の不在を埋める役割分担。有事の際に備えたマニュアル。本件に関する重要書類の一読と、必要なものには公印を。それから当然、諸々の実行計画を」
淡々と語る彼は、既に自身の感情から切り離されている。民の笑顔を願い、参謀の周囲が笑顔で溢れるようと口にした男とは別人のようだ。
「忙しくなる。お前にも身を粉にして動いてもらうぞ、参謀」
「何なりと」
残酷なことだ。
民の笑顔を願い、参謀の周囲が笑顔で溢れるようと告げたその口で。外ならぬ将校が。参謀へ「戦争をしろ」と命じている。
***
温度のない日々が続いていた。温かさはおろか、冷たさすらない無機質さでその日が迫ってゆく。あまりの多忙に、窓の外を見ることすら忘れた。もう季節の鮮やかな葉も全て落ちただろうか。気にする余裕も情緒もない。時折森の民の少女たちが訪問してきたが、只ならぬ雰囲気を感じたのかその足も遠のいていった。
とはいえ、彼女らが絶えずこちらを気にしているのも理解している。
『なんだかみんな、モワモワ~ってしてるね』
『将校さんも参謀さんも、すごく大変なのかもしれないけど、無理しちゃだめだよ! ちゃんと食べてね!!』
『というわけで、はーい! これ、最近森で採れた果物なんだあ。すっごく美味しいから食べてみて!』
明るい文面と共に届く手紙からは、ピンクガーネットの瞳の気遣いを感じるし。
『こっちの環境を、危なくするのだけはやめてよね』
『森を巻き込まない努力をしてくれてるのなら、わたしたちもそのための力を貸すことは出来るから』
素っ気ない文面と共に届く手紙からは、菫の瞳の優しさを感じる。
果物も。葉も。花も。鳥の羽も。微かな季節の香りも。無機質に差し込まれた、確かな時間の栞だった。将校へと報告すれば、長く硬さばかりを帯びている口元も少しばかり綻ぶ。
(私には)
出来ないことだ。
参謀にし得る行動は、ただ感情とかけ離れた場所から将校を支えること。大臣の下にいる時からずっとそうだった。構わない。構わない。構わない。この手は一つの生を握っている。自分以外の一人分。判断を誤れば星は落ちてしまうのだから、自分は淡々と事を進めるだけ。
将校は依然として強い光を失わなかった。
誰かの瞳が不安に塗れていれば視線を合わせ、誰かが臆病に背中を丸めていればその背を叩く。
皆の視線の先、指の先に、将校は立っている。
行くべき場所へ導く星の如く。
(私は将校どのが生き抜くための計画を拵える)
全てを支配して。
(どんな慢心もしてはならない。あらゆる可能性を信じずに、潰す)
疑うことが自分の使命。
紙面を広げ、ペンを走らせ続けた。机上の右側では戦地の地形標高自然の配置に書き込んだ一枚。上に重ねたのは敵側の軍事規模を記した一枚。左側に状況の事前情報。自分の考え。予測。可能性。策略。別案。否定。別案。幾ら重ねたところで、正解は〝その時〟にしかない。
目の前が揺れる。薄闇の中で、ただ自分の「想定内」と戦っている。
はらり。
瞬き。
逡巡の隙間、差し込まれる音があった。霞んだ視界が奪われる。視線を移しても、今の今まで見つめていた文字たちが残像として空間に浮かんでいるように見えた。それ程までに。自分が書面を凝視し続けていたのだと気付く。
音の主は、また一枚の紙だった。何かの折に机から落ちたらしい。
拾い上げて、それが自分の書き上げたメモなどではなく、公式書面であることに気付く。
──合意書、だ。
将校──有事の際、全ての権限は一時的に──へ譲渡のこと。
参謀が用意するよう仰せつかった書面のひとつ。
「
……
」
浅く息を吐く。
「
…………
は、はは」
声を乗せれば、
恰
あたか
も笑い声のように響いた。
どうしてしまったのだろう。分からない。自分でも、何故いま発声しようと思ったのか分からなかった。無意識に漏れた笑いが肩を震わせる。呼吸が浅い。そんな中で笑えば苦しい。
「っく
……
はは」
引き攣るばかりの笑い声を零して、お腹を抑えた。ぐら。揺れる。唐突に眠い。外が暗い。もうずっとずっと時間の感覚が無いが、夜だろうか。この暗がりが、宵の入り口なのか最中なのか、朝焼けの手前なのか。曖昧さだけがある。たとえ宵の最中だとて未だ目を閉じるわけにはいかないけれど。
共に一度嘆いてくれと酒を呷る暇もない。吐いて捨てられるような世間話をする暇もない。
今、感情の引き金が引いている場合でもない。
自分は参謀なのだから。
「っは、ははっ
……
はぁ」
慣れた世界の薄闇に、何を望むだろう。
無意味なのだから望むまいと、念じているというのに、ひたすら鼓動が激しく鳴っている。辺りの暗がりに負けぬと奮い立つほど。或いは奮い立たせなければならない程の。
(将校どの、貴方、私の気持ちが分かりますか)
恐怖。
(私は貴方が生きる為の準備をしながら、貴方が死んでもいいような準備をしている)
尚も当人である将校は輝きを見失わない。
(気が狂いそうですよ)
参謀が参謀のままであれるように、と最初に将校は言った。
今もあの言葉に嘘が無いというのなら、教えてほしいと胸倉を掴んでやりたい。
これ
・・
は一体何なのだ。鼓動が煩いことも。痛いことも。熱いことも。冷徹に仕事を熟そうと封じたものも全部全部飛び出してしまいそうなこれは何だ。自分らしいと少しも思わない。自分のままで居られていると一切感じない。けれど手放せぬと握り込んでしまう。どれが自分なのだ。制御のきかない化け物のようではないか。
「
……
」
唇から笑みが引いてゆく。
馬鹿馬鹿しい。珈琲でも飲んで落ち着くべきだ。しかし部屋に常備していた豆は切らしていた筈だから、取りに行かねば──
……
腰を持ち上げ、扉まで歩む。ドアノブを沈めて、扉を開け
……
。
「おぉ」
「
……
」
ノックをしようとした体勢で、固まる将校と鉢合わせた。
静かな夜だな。呟いた声へ、夜はいつだって静かですよ、と返しそうになる。
そうでもないのだろうか。この男にとっては、夜も鮮やかで、様々なものとことに包まれる時間なのだろうか。深夜零時の帳が下りて、少々陰の落ちた瞳を盗み見る。きっと彼には、参謀とは異なる世界を映すことが出来る。
将校の背を追って歩いていた。彼はどうやら参謀を呼びに来たらしい。こんな深夜に緊急かと問えば、「ただ話がしたいだけだ」と告げられた。職務外の会話など珍しい、ましてやこのタイミングで──そう感じたけれど、どうせ珈琲豆を調達しようとしていた身だ。大人しく廊下を着いてゆくこととする。
館は、寝息も立てずに眠っているかのようだった。うつらうつらと佇んでいる。そのまま人間二人を誤って飲み込んでしまうのではないか
……
そう、思える程の気怠い薄闇だった。
「話というのは、どこで?」
「もうすぐだ」
「将校どのの自室とも、職務室とも離れていっているとお見受けしますが」
「大事な話をするからな」
噛み合わない。大事な話をこそ、職務室でするべきではないのだろうか。
言葉の通りにそれから程なくして目的地に着いたようだ。将校はその扉を開け放ち、迷わず踏み込んでゆく。手招くように参謀を振り返った。
「参謀」
「
……
ここは」
瞬きをする。
──頬を撫ぜる風があった。
涼しい。風そのものだけではなく、五感の全てが心地いい。月光色に染められた白柵。柵に柔く絡みつく蔦。木板を張った床にまで伸びて、先端には小ぶりな花を咲かせている。微笑むようにそれらが揺れた、と、思えば、ふわり香りが鼻を擽った。この身に抱き着くが如く、こちら側へ風が吹いたのだ。遅れてそう認識した。甘やかな涼しさが、感覚を真っ新にする。張り詰めた濁りも、みにくい呼吸も入れ替えて。いくらか思考がしやすい。
そんな青白さの中心に、将校が立っている。
屋外のバルコニー、だった。
「来たことがないか?」
「
……
足を踏み入れたことがなかったですね。必要なかったもので」
「お前はどんな業務であろうと、窓の内側に籠りがちだからなあ」
いつもよりテンポも緩く感じる言葉に、唇を引き結んだ。それから嫌味を込めて返す。
「様々な方とお戯れになって、残業時間を自ら増やしている誰かとは異なりますので」
「関係構築と言え。それとも何だ。自分に構ってもらえずに嫉妬か?」
「おや。夜を共にしてくれる相手もおらず、私なんぞをお誘いになる可哀想なお方がそんなことを仰る」
「ああそんなに卑下してくれるな、自信を持ってくれ。私はお前を誘いたくて誘った」
男がにやりと笑って見せる。こんな表情を目にするのも久方ぶりだ。
告げられた意味を、瞬きで咀嚼する。
「男の趣味が悪い」
「ふむ、困るな。私の評価の為にも、いい男になるよう是非とも努力をしてくれ」
いよいよ困惑が頭を巡った。彼は本当に、こんな戯れなやり取りをするために参謀を呼んだというのか。大事な話、というからには。それなりだと身を固めていたが、こんな開放的な屋外では秘密も何もあるまい。
参謀の戸惑い──段々と通り越して苛立ちにすり替わってきている──を察したのか、将校が肩をすくめた。
「お前と、長く離れることになるな」
「
……
」
「顔を合わせず生活するのは
……
そうだな。お前を檻に閉じ込めていた期間以来か?」
そうかもしれない。
参謀が放たれて以降、将校は仕事という形で常にそばで生活をしていた。ずっと一緒にいる、約束の通り。眩しい世界の中で、隣には将校がいた。
こちらを見つめる視線が柔らかい。月光に輪郭のぼやけた身体へ、反射的に手を伸ばそうとしてしまって、やめた。
しかしそんな参謀の所作を知ってか知らずか。歩み寄ってきた彼が突然その手を取ってしまう。
「踊ろう、参謀」
「
………………
は?」
「心得は?」
心得。踊りの心得のことか?
あるはずもなく首を横に振る。
「そうか良かった。私もない」
何も良くない。非難は喉の奥でつっかえて出てこなかった。
自分のそれより少し小さな手が、けれど軍人らしい確かな硬さを帯びた手が、自分の手の内にある。あたたかい。凸凹としている。指先が絡んでいる。傷痕がある。硬い、けれど。
生きている人肌の柔らかさがある。
「
……
」
「社交界の見様見真似でやってみるか。
……
こうか?」
男は全てお構いなしだった。
ぎこちなくステップを踏み込んでくるので、一歩後ずさってしまう。追うように踏み込まれた。また逃げる。来る。後ずさる。踊りというよりかは滑稽な追いかけっこ。幼児でももう少しまともに踊るだろう。
──とん。とん。つま先が鳴る。とん。ととっとん。不規則で不格好。とっとっと。体の中心も鳴っている。目下、見下ろすと金色の旋毛が目に入った。垣間見える表情は酷く必死だ。何に必死って、踊ることに、だ。手順もルールも分からずに、真剣に悩んでいる。あの将校が! ただ参謀と調子を重ねたくて。ああ、触れ合っている箇所が両手だけで良かった。十数センチの体の距離感が、この動揺を伝えずにいてくれる。
けれど。
だけど。
もう。
「
……
ほら、もう少しこっち寄ってください」
「え? うわっ」
将校にしては容易く。こちらの胸に収まってくれたのは、覚束ない動作の最中だったからだろうか。胸を密着させると、彼は目を白黒させていた。
「貴方、ちゃんと社交界を観察しておいでですか? 体はこれくらい近付けなければ」
「いや、しかしこれは」
「お恥ずかしい? 人肌恋しくて、夜を共にするお相手を探して徘徊していらっしゃったのに」
「そういう意味で探していたのではない!! し、都合のいい誰かを探していたのではなく、真っ直ぐお前だけを誘いに来たんだ!!」
躊躇いもなく放たれた言葉には、一瞬息が詰まりかけた。
しかしゆっくり調子を整えて、改めて将校を見つめる。
「私がリードして差し上げます。踊るのでしょう?」
「
……
」
大臣の下で過ごしていた時代は勿論、それ以前だって社交で踊ったことはない。記憶のレベルで言えば将校と同様くらいだろうが。
「何か
……
慣れていないか?」
「将校どのよりも器用な質でね」
くるくる。可笑しいくらいにリズムが調子良く回り出す。晴れた日の鼻唄のように。立ち寄ったお店で丁度商品の値引がされているように。何気なく視線を向けた時、思いがけずタイミングが合致して、ふたりの目が合うように。
きちんとした踊りの形が、微かに気分を高揚させた。
動きが合えば呼吸が合う。
自分が息を吐いた瞬間に、将校は笑った。
「ふは」
「っ」
重ねた手を握り込んでしまう。
その力の強さに、心底楽しそうな顔をしている彼は気付かない。
楽しそうだ。とても。輝いている。とても。人の前に立つ彼も大層な光を抱いているけれど。
(
……
)
壊してしまいそうな程に、握り込んでしまう。
それでも将校は、「どうした」とも「痛い」とも言わない。だから止まらない。
止めようともせず、内側に渦巻く濁流に身を任せた。受け入れてみれば、途端に許せなくなった。国の境の一歩向こう。あと数回夜を超えて訪れる時間の向こう。自分から彼を奪おうとする全てのことも。
輝きを失わぬまま前線へ立とうとする彼のことも。
(何故、私を呼んだのですか)
その理由を教えてほしかった。
自分の感情を言葉にしてほしかった。
そんな風に、参謀の前だけで、笑うくらいなら。
(こんな)
苦しくて。
息が出来ない。
(僕の中で、大きい存在にならないでほしかった)
諦められなくなる。
楽だったのだ。薄闇の中であれば、多少世界が冷たくても気にならない。信じずにいられたら、多少裏切られても気にならない。決めつけた現実だけを見れば、多少理想が追えなくとも気にならない。
楽だったのに。
重ねた手の力を緩めた。
すると、こんな時ばかり将校がふっと首を傾げる。強く込められた時には気が付かないくせに、何故弱さにばかり気付くというのか。
「参謀?」
何が出来るだろう。
離れた場所から。その表情も。声も。人柄も。輝きも何もかも、奪われないために。そうして自分が、彼を明るい場所で一層輝かせるために。一体何が。否、何でもする。そんな感情が止められない。
「大丈夫か?」
その言い草に腹が立つ。
「貴方こそ」
「私? 私は大丈夫だが
……
何だ、怒っているのか?」
「貴方の『大丈夫』は信じません」
「はぁ? またいつもの不信か。じゃあ聞くな」
つんと答えながらも、将校の目元は優しい。
踊りを止めて、夜に二人。参謀は片足を半歩、後ろに置いて。恭しく微かに背中を丸め、将校の左手を持ち上げた。
「え」
自分の、いっとう柔らかな部分を指先へ寄せる。
「
……
誓いです」
何かを言われる前に、告げた。
「信じることは貴方の得意分野ですからね。私は全てを疑い、あらゆる可能性を潰します。どんなことをしても
……
悪役になってでも」
少しの沈黙が落ちる。
顔を上げずに暫し待っていると、声が落ちてきた。「いや
……
悪役は、もう、十分だろう」なんて。震えた声も中々聞くことがない。何だか胸がすっとした。
「貴方を生かすと誓います。親愛なる、将校どの」
星とは、ひとりでに輝くものだ。
──
……
何億光年にも及ぶような闇が、自分たちの間に広がってしまうのならば。どうか。
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