ngr_ps21
2026-07-01 16:06:20
15001文字
Public 参将シリーズ
 

不信を信ずるⅥ

参将シリーズ6話目

全てを信じられない参🎈×全てを信じる将🌟のお話。
※縦読み推奨



 目の粗い信用が、この身を浪費し続けている。

 紙のやすりで肌の表面を。瞳の中心を。裸足の裏を。舌を。嬲られているようだった。削られた舌から吐き出す言葉は、既に痛みや悲嘆を通り越している。ただ、つるりなめらかに、相手にとって耳障りの良い言葉が流れてゆくだけだった。滔々と、滔々と……ささくれはまったいらになる。潜ませた棘は淘汰される。鑢に掛けられて、抵抗する気も、失せる。
 気が付けば、なめらかな言葉ばかりが得意になっていた。とても楽だった。男を良い気分にさせておけば、それなりの自由と操縦権が手に入った──場を支配するための操縦権が。
…………
 活用しようとは思わなかった。
 指先の向こう側で開いたセカイでのみ、自分は生かされている。そこからふっと視線を上げて、広がるセカイを支配したところで、到達する場所は何処だと言うのか。
 光は酷い。
 その最中に放り込まれて彷徨う、哀れなひとつの怪物が生まれるだろう。
 ひとの笑顔にも涙にもなれぬ。哀れな怪物。
……ここ、足りないな」
 指先の向こう側で、つくりものが笑っていた。自分よりも、余程上手な笑い方をしている。
「ほう。何か買い足す必要のあるものはあるか?」
 考えるよりも早く背後を振り返った。
 姑息と賢さを、常に瞳に宿した男──大臣。かつてこの身の内側にある脳味噌を買って、自分を招いた人物だ。そうして、目の粗い鑢でもある。
 唇に笑みの形を乗せた。
「いらしていたのですね。作業で周りが見えなくなっておりました、申し訳ありません」
「構わない。お前のそれ・・は、私の力。利益。意味あるはかりごとの種……そうだろう」
 唇に笑みの形を乗せた。
(意味)
 これは、果たして意味の形を成すだろうか。
「それで、何が足りない? 必要なら仕入れる」
「いえ、貴方を煩わせるわけには」
「気にするなと言っただろう。未来の私の可能性が、今お前の前に眠っている。目覚めさせる為ならば、なに、安い買い物じゃないか」
 大臣はこちらの手元を覗き込む。じぃ、と。じろじろ、と。両手で隠してしまいたい衝動を抑えた。突き動かされてしまえば、幾らでも隠すことは可能であったのに。自分の手が、身長相応に大きく出来ていることなど、大臣の前では無意味だった。
……機械人形か。それをどうする?」
「まだ……思案の最中でございます」
「そうか。まあ、機械人形はもの珍しいからな。人の興味を惹きつけて……近付き……触れたところを……
 パァン!!
 一拍。
 目の前で打たれた両手を、他人事のように眺めていた。実際、他人事ではあった。大臣の中では、今、誰かが死んだ。一拍の残響が、こちらの思考を乱して歪める。
(まもれなかったな)
 両手の中の機械人形が、そんなものに成り下がる。
 歪んだ価値で、汚してしまって救えない。
 唇に笑みの形を乗せた。
「ふむ……これは……やはりダメですね」
「? 突然どうした。考えが変わったか?」
「ええ。これはもう要りません・・・・・。貴方の使い物にはなりませんので、後程廃棄いたします」
「お前の考えていることは時々よく分からんが……心意気や結構。私の手足にならぬものに価値はないからな」
「その通り。私の手ずから生まれるモノであれば……私のように、役に立つ存在でなければ。そうでしょう?」
 唇に笑みの形を乗せた。
 すらすらとなめらかにあなたのためのことばばかりをとなえてゆく。
 大臣も満足そうに笑った。
「分かっているじゃないか。期待しているぞ、──。お前は、心の底から信用するに値する男だ」
 信用!
 大声で笑い出したくなった。その代わり、唇に笑みの形を乗せた。ついでに瞳を伏せる。「笑顔」という表情は、口角よりも案外目元が重要だ。開いた目から下手に感情を読み取られてしまっては困るし。それに。
 世界を遮断した瞼の裏の、薄闇は心地いい。

***

 遮断した世界を開け放つ為、カーテンを開けてやった。
 それはもう勢いよく開けてやった。故意に埃を立てた。故意に音を立てた。シャッ!! と叫んだカーテンレールの声は、仔猫の威嚇に似ている。ぼんやりとそんなことを考えている内に、本物の威嚇が飛んできた。
「参謀、何のつもりだ」
「何のつもりだ、とは? 日の光を部屋に取り込んだまでですが」
「白い紙に反射して眩しくて敵わん。今すぐ閉じろ」
「私は窓を開けてもいいくらいですけれどね」
「話を聞いていたか? あと窓を開けるのは風で書類が飛ぶからやめろ」
 中々話を聞き通さぬ上司に舌を打ちそうになる。
 参謀だとて、好んで開放を求めているわけではない。換気、など今までの自分には寧ろ遠い言葉だ。日光を遮断し、同じ部屋の中で作業に籠るなど慣れたこと。最長記録は一週間だが、食事と水分さえあれば一ヶ月過ごすことの出来る自信がある。
 しかし、世間一般的に人体は須らく定期的に日光を浴びるべし、外の光は健康に欠かせぬとされている。将校だとて例外ではないだろう。
(この人は自分の体を過信する節がある)
 食を疎かにする。睡眠を削る。人より丈夫な身体を持つ自負があるばかりに、人より働く。前に体調を崩して寝込んだことをもう忘れたのだろうか。男が自滅して倒れるのは勝手だが……勝手、だが。その状況を想像するだけで、腹の奥が紙屑の如くぐしゃぐしゃになる。まっさらであった面に折り目が付き、皺が刻まれて。伸ばしてももう戻らないのだろうという確信があった。
 それが途方もなく許せない。
 何が嬉しくて、自分の輪郭を歪められなければならないのか。戻らない形。それが彼によって植え付けられるのだと思うと、全て捨てたくて堪らなくなった。
 ──機械人形を、自分の手で捨てたあの日のように。
「参謀?」
「何でしょう」
「顔色が悪い。……何かあったか」
 ……これだ。
 溜息は隠さなかった。自分自身を見過ごすくせして、他人のことに目敏い。茎が折れてしまった、物言わぬ花の涙に気付くが如く。
 しかし将校に拾われてしまうとは分が悪い。「何かあったか」と尋ねられる心当たりがある故に……自分の胸中を鞭打った。記憶も。指先の向こうも。見えないよう幕を下ろした筈だ。今更、下ろした幕の隙間を覗き込んでどうする。終わった舞台の裏に侵入することと同様の冒涜だ。
 華やかな舞台上とは違って。
 舞台裏とは、小道具が雑然とし、演者の仮面は剥がれ、誰にも見られないという前提を孕んだ安寧の混沌があり……だからこそ価値がある。
 舞台裏から視線を外し、将校の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「はぁ。漸くお気付きで? この職場環境に辟易とした部下の姿を見て『何かあったか』とは……随分と嫌味なことを仰る」
「突然元気になるじゃないか」
「書類仕事と不健康を重ねる貴方よりは、元気かと」
「不健康だけはお前に言われたくないが……
 ちらり。凛々しい瞳を一瞬落として、呟く。「まぁ、そういうことにしておいてやろう」
「しかし、外せない仕事が山積みなのはお前にも分かるだろう。……あの茶会の一件があってから」
……
 滞りなく意図は通じ、参謀が口を閉ざす。
 将校は続けた。
「話自体きな臭いと感じてはいたが……実際、徐々に足音の近付く気配がする。机上の話に留まらず、現実に争いが忍び寄る予感だ。証拠に、他国との交易が規制されつつあるようではないか」
 コツ。コツ。
 予感とは、ご丁寧に革靴を履いている。足音のよく響く革靴だ──遠く、遠くから、刻一刻と近付く現実を知らせて。いざ目の前に立った時、「気付いていたのに、この音を無視したお前が悪い」と世界を嘲笑う。
きたる摩擦への準備。各国の状況の洗い直しと、通常の事務処理対応……そうして、次回あの男に茶会に呼ばれるとしたら、それは回答を提出する時だ。まぁ答えなど決まっているが、その後どう関係を渡りきるか。考えるだけで時間がない。仕事を休んでなどいられんだろう」
 茶会。話。──それはヒアイラルムで提案を受けた「軍事協定」のことに他ならない。問題の渦の中心にいるカネキは言った。人の疑心は大きな戦争を生むと。今一度〝共通の敵〟を作り出し、一致団結して勝利も平穏も掴み取るのだと。そのために、軍同士が協定を結ぶべきだと、あの男は信じて疑わない。
 人間の悲嘆を一度無に帰し、真っ新に、一からやり直していく方法が、戦争しかないと……あの男は信じて疑わない。
 唾棄すべき考えだ。その間、簡単に、さらさらと。一体どれ程の涙と血と命が流れるだろう。結局カネキが欲しているのは勝利という名の地位だ。黒い油を求めた大臣と何ら変わりはしない。とはいえ、今必要な行動は唾棄ではなく思案と行動だった。唾をつけて治る傷ならば幾らでも舐めるけれど、現実はそうではない。
 この国にも、着実に迫っている。先程の交易の話も然り……欠けた物資や、噂話。日常生活に伸びた影に気付き始めた市民が、少しずつ不安に脅かされているのだから。
 少し前に町を歩いた際にも、とある淑女に「将校さんがまだいるなら、大丈夫よね」と声を掛けられてしまった。きっと彼女は、将校がこの国を長く離れるタイミングこそ、逃れられない戦争の始まりだと案じている。
 皆、声に出さないだけで震えている。
 人の不安に、足音はない。突然に壊れる。誰も彼もが。だからこそ、嘘も裏切りもある。
(そういえば……
 すぐそばにいる男のことを考えた。
 参謀は今、何を考えているのだろう。彼は茶会のあと、カネキ側の参謀に呼び出されていた。何か情報を引き出せるかもしれないという期待で以て、躊躇わず送り出したが……結果は振るわなかったようだった。
『もう一度、私個人へ提案があったのみでした。「こちらと手を組まないか」……と』
 表情や声色に偽りはなかった。だからこそ、将校も納得した。本来、参謀のみが呼ばれていた筈の茶会だ。個人的に引き抜きをしたかっただけなのだと。それ以上に会話を重ねなかったことは残念の一言だが、協定を許諾していない今、あちらも提案以上に口を開くことはないだろう。
 しかし。
(あの時、参謀は浮かない顔をしていた)
 将校を再度裏切るかどうか選定中という表情ではなく……あくまで彼自身が、彼自身に問うているかのような。それは、彼を獄中から引き摺り出し、白日の下に晒したあの日の目元に似ていた。
 何を思っている。
 何を考えている。
 何を……閉じ込めている。
 彼は頑固だ。それこそ問い詰めたとて口を割るまい。そもそも将校と参謀は上司と部下であって、職務に無関係ならば聞き出す義務もない。裏切りの意図が含まれていないのなら尚更。
 将校には、話を聞いてやる理由がない。
 この手のひらに、理由がない。大切な部分へ伸ばして、触れることも許されない。空っぽの契約と、真実を証明すると告げた約束だけで、自分たちは結ばれているのだから。
……私は、参謀を信じている)
 不安になどならない。それだけで良い、と一度瞼を伏せた。
 もう一度目を開くと同時、参謀を見上げる。金色の双眸が、無表情にじっとこちらを見つめていた。先程の顔色の悪さが、じんわりと火傷のように残っている。
「ふむ。一理あるな、参謀」
「一理、とは?」
「人間は時に、窓を開ける必要があるということだ」
 椅子から立ち上がる。ぱき、と膝が鳴く。小さな破裂音で思い立ち、ぐっと体を伸ばしてみると、節々からぱきぱきと非難が飛んできた。
 それから上着を手に取り、迷わず羽織る。金色に訝しさを滲ませた参謀へ、将校は声を掛けた。
「何をぼけっと立っている。外へ出るぞ、支度をしろ」

***

 不穏の足音が近付いている。とはいえ、一歩館の門をくぐれば町並みは今日も平穏だった。どんなに苦い甘唐辛子ピーマンも、毒の芽を持つ馬鈴薯ジャガイモも。一つの柔らかい風呂敷に包めば、外側から見る分には丸く収まって見えるように。
 日常がいつも通りに、ただそこにある。否、そう演じているだけかもしれない。
 それでも、悠々と広がる空には悠々と翼を広げる鳥しかおらず。泥を踏んだ子どもたちの足跡が舗装された道に伸びて。本に零してしまった珈琲の染みが変な形だと、顔を見合わせて笑っている。
 こんな風景が、いつまでも流れていたらいいと、思う。
「いつにも増して締まりのない顔ですね」
「何とでも言え」
 若干斜め後ろを、参謀がついて歩いている。脚の長い彼の歩幅と、せかせか歩く軍人の歩調はよく合致した。
 民たちを見て、胸の内に湧き上がるモノが彼にもあるだろうか。かつてこの町の民と、森の民を引き裂き、この風景を奪おうとした彼は……なに、皮肉のつもりは全くないけれど。
(参謀を牢から出してすぐにも、こんな風に散歩をしたことがあったな)
 その時の彼は酷く疲弊して。目に映る光の全てを「眩しい」と遠ざけたがっていたけれど。このセカイは、参謀にとってあの頃より少しは見慣れたものになっただろうか。
……将校どのは」
「ん?」
 ふと、零された言葉に立ち止まる。町の賑やかさの中で、小さな言葉を聞こうと耳をそばだてた。
「目に映るものを確かめては、そんな顔をする」
 それは独り言のようで、言い表せぬ羨望のようだった。
 将校はそっと瞳を細める。
「お前には、『そんな顔』が出来ないか?」
「それ以前に」
 両てのひらを固く握る。すぐに弛緩した。
「確かめられない」
 唇に笑みを乗せることならば、幾らでも出来る。
 そう言いたげだった。
 浅く、息を吐く。つるり。滑る。ただでさえ触れる理由がないのに。触れたところで、彼の表面はまだなめらかなのだと知った。引っ掛からない。擦れない。指紋の無い指では、摩擦をなくして滑ってしまうのと同じで……あらゆるモノは、参謀の表面を滑って通り過ぎて行ってしまう。何も。一つも。紙屑の折り目のように些細なものさえ残らない。
 くしゃ。紙屑を握った時の、情けない音が胸の底で響く。
(私は……お前に何も残せないのかもしれないな)
 信じ続ければ、参謀を巣食う暗がりもいつかは「影」になる。光と隣り合わせに、寄り添ってゆける影になる。それは将校自身も疑ってはいない。
 ではその先は?
 参謀が選び取っていくのは「何」で、「どこ」で、「誰」なのか。
 未だなめらかな参謀の表面に引っ掛かり、跡を残すもの、は。
……
 込み上げた感情のやり場が、途端に分からなくなった。彼から、目を逸らしてはならない。ほんの少しの逃避、躊躇いでさえ、参謀を不信に陥れてしまうから。
(何故だろうな)
 少しだけ、「確かめられない」と告げた参謀の心と重なる。
(私も、確かめずに逃げたくてたまらなくなる)
 金色の瞳を見つめる程、軍人──ひいてはこの体、魂そのものらしからぬ弱腰と卑怯が溢れ返りそうだった。全てを守り、戦い抜くためにも、こんなことではいけないというのに。

「しょーこーさーーんっ!!」
「ちょっエム! 今出るのは絶対タイミング間違えてるから……!」

 ほわっと突如として空気が和らいだ。
 将校と参謀が同時に我に返り、声の方向を見やる。町民たちが行き交う往来の真ん中、軽い足取りで近付いてくるピンクガーネットの頭があった。後ろから、何だか微妙な顔をしている若草色の髪の少女も追ってくる。
「エムじゃないか。遊びに来たのか?」
「うんっ! あたしもネネちゃんも、久しぶりに将校さんや参謀さんに会いたいな~って思ってて!」
「ちょっと、わたしはそんなこと言ってないんだけど」
「およ? あれから参謀さんになにか変化があったかなあ? ってお話ししてたよね?」
「ちょっ違うから!!」
「というわけで参謀さんも! こんにちは~!」
……どうも」
 にっこりと笑う森の民の少女……エムに、参謀は軽く会釈を返す。一応もう一人の少女・ネネにも視線を向けたが、ネネは「違うから」と念を押すのみだった。まだ何も言っていないのだが。
……本当にごめん。別に今日、こんな目立つところで会うつもりはなかったんだけど」
「ネネが謝る必要はない。元気そうな顔を見られて嬉しい限りだ」
「でも今、完全に入るタイミング間違えたよね?」
……
 そこはノーコメントとして控えておく。
 しかし、少女二人でやってくるとは珍しい。将校の方から森へ赴く際は二人常に一緒で、仲が良いことは承知しているけれど。町へやってくる際は、単独行動のことが多かった。なるべく身を隠し、隠れて行動するには一人が向いているからだろう。
 本日の来訪理由を尋ねる。曰く、本当に様子を見に来たかっただけなのだそうだ。将校も参謀も、近頃仕事で籠りっきりだったから、と。
「ちょ~っと隙を見てお屋敷に行ってみたら、二人ともいないんだもん!」
「ああ……丁度出かけていたのかもしれないな」
 二人して屋敷を空けていたとなると、ヒアイラルムへ足を運んでいたタイミングかもしれない。
 詳細は話せないにしろ、心配は掛けてしまったのだろう。思えばエムと顔を合わせたのは、体調を崩したあの日。ネネに至ってはそれより前のことだ。
「私はこの通り元気だから、安心してくれ」
「どよよ~んってしてない?」
「していない」
「参謀さんも?」
……本調子ですよ」
「どうだか。まだ迷子って顔してるけど」
「ネネには随分と不思議な世界が映っているんだね。君はそんなに夢想家だったかい」
「へぇ。本調子って本当みたいだね」
「ま、まぁまぁ~!」
 エムが慌てて二人の間に割って入る。将校も参謀へ呆れた視線を送る。彼は全く素知らぬ顔だった。
 冷静になって漸く、四人の輪の外の音が耳に入ってくる……将校は眉を持ち上げた。気付いたのは三人も同じようで、そっと周囲へ意識を向けている。
「ねぇ、あれ……
……森の民……
……わ。……んじゃないの?」
……の男の人も、…………
 ひそかに。ささやかに。
 こちらに向いていないようで、向けられている会話たち。在り来たりな賑わいとは打って変わって、喧噪。それは不安や疑心を孕んでいた。
「あーあ……やっぱり騒ぎになっちゃう」
「すまない。最近こういう反応は落ち着いていたと思うのだが……
「別に。アンタのせいじゃないでしょ」
「近頃身の回りが不安定で、また森の民へ負の感情が向いているのでしょうね。何かをされたわけではなく、恨みがあるわけでもないが……ただ、一番近くにある『要素足り得る存在』が、森の民というだけで」
「わわわっ、ごめんなさい~!」
 慌てたエムが顔を向けるが、そんな仕草すら、人々の表情を陰らせた。
 腹の底が重くなる。折角、この少女が飛び越えてくれた垣根が。こんなにも簡単に。素早く。
(元に戻ってしまうというのか)
 百パーセント民たちの心情のせい、というわけではない。揺らぎや歪みに振り回されている。彼らだとて被害者だ。だからこそ歯痒く……悔しい。森の民、もそうだけれど。話の中には参謀も含まれているようだったから。
 ネネはエムの服の裾を摘まんでいる。ピンクガーネットの瞳に、菫色の視線を重ねて。小さく首を横に振った。傍らから見ている将校にも分かる。
 ──余計なことはしないで、大人しく帰ろう。
 これ以上、騒ぎを広める前に。
 ……大きく。将校の体が内側から叩かれる。ある種の熱に似た衝動は、体と魂を突き動かした。息を吸う。背筋を伸ばす。指先まで神経を集中させる。瞳の奥に力を込める。恐れない。怯まない。……魅せつける。

「旅の少女! 今日は『すごいもの』を持ってきたのか?」

 瞬間、落ちた。
 不安に包まれた喧騒とやり取りも。伝染する波紋も。空気。音。現実にあるものの全て。
 舞台照明に落ちた。舞台という虚構に、現実が落ちた。と、錯覚した。錯覚してしまう程に、声を張り上げた将校へ人々の注意が向いた。近くにいたエムやネネでさえ、顔いっぱいに驚きを浮かべている。
「どうした? 少女。やはり恐れたのか? 今日という今日は、『すごいもの』を見せてくれると約束したではないか」
 紡ぐ。続ける。先のない物語を即興で編みながら、将校は大きな瞳を見つめる。
 真っ直ぐ。見つめられて、対象が自分であることにエムも察したらしい。くっと一度唇を引き結んで。それから高らかに開く。
「そ……そんなことないもん! あたし、今日こそ用意するよ。あなたと約束したもん。『この世界には、王様になることよりも、一番強いことよりも、もっとすごいことがある。それを見せてあげる』って!」
「うむ、そうだな。だが私は、もう二週間も待ったんだぞ」
「それは……
 旅の少女は眉尻を下げる。
 悲しげに揺らいだ声に、人々は今ここで〝観客〟と化した。
 大丈夫。まだ取り戻せる。何故ならまだ、争いは起こっていないから。ただ皆、先に待ち受ける曖昧な未来を恐れているだけ。実際に見聞きしていない、形のない悪者に、「誰か」を押し付ける必要などない。
「お前が私へ一番最初に見せてくれた『機械人形』……
「!」
 ──誰かが。そばで、息を飲む気配がする。
「あれも、大したことはなかったしな」
 道筋を作る。点を打つ。終わりはここだ。……理解したかどうか、確認はしなかったけれど、預けてみせる。着いてきてくれると、信じる。
「待って」
 男に声をかけたのは、若草色の髪の少女。旅の少女の仲間で、彼女自身も旅人であった。
「『すごいもの』なら、わたしも見せたでしょ」
 唇を薄く開く。

 ──直後、その隙間から奏でられたのは、大層美しい音色だった。

 まるで他者を焦がれさせる金糸雀カナリア。まるで誰かを呼んでいる人魚。心を掴み、虜にする彼女の歌声は、観客をも離さない。うっとりとした空気が流れる。
「このわたしの歌。前に見せた時、あなただって『すごい』って言ってくれたはず。だから、もう十分でしょ?」
……ああそうだな。お前の歌は確かにすごい。だが」
 少女の訴えも、男には届かない。
「私と実際に約束したのはこの少女だ。仲間にばかり任せきりで、自分は『すごいもの』を見せられないというのか?」
 認められない。男は強く首を横に振る。
 万事休すだ! 少女は、男のことを随分と待たせてしまった。このままでは、彼女はうそつきと思われてしまう。何より、一度男が信じてくれた約束を破ってしまう。
 一体どうすれば──……

「僕の話も聞いてくれるだろうか」

 そこで。
 少女たちに近寄ってきたのは、一人の青年だった。柔らかで落ち着いた声色。その手には、一つの機械人形が握られている。
 男は、青年と機械人形を見比べて。
「お前は誰だ?」
「僕は……錬金術師」
「その機械人形の作り手か?」
「そうだよ。君が『大したことない』と言った彼女の機械人形は……僕が、作った」
「なんだ。あれも他人の力だったのか」
「だって! 錬金術師さんの機械人形はすごいんだよ!! 心がワクワク~ドキドキ~ってして!! だからあなたにも見せてあげたかったの」
「何が『すごい』んだ? 動きもしない、話もしない、ただの人形だったじゃないか」
 鼻で笑う男が、青年の手元を指で差す。ガラクタだ、と言わんばかりに。
 青年は一度息を吸った。躊躇いと逡巡。抵抗と恐れ。指先の向こう。
「それは……僕、が」
「お前が?」
……彼女たちを、『友だち』だと信じられなかったからだ」
 咆哮しそうになる。
 それ以上に痛い。苦しい。しかし今は。ああ、舞台に立った以上は。
「僕の機械人形は、誰かと誰かの『信じる心』で動く」
 錬金術師はひとりぼっちだった。
 その力を。作り上げたモノを。誰にも受け入れてもらえなかった。誰にも、正しく受け止めてもらえなかった。そんな中、初めて彼の機械人形を「すごい」と言ってくれたのが少女たちだった。
 友だち、と呼んでくれた。
 しかし初めて出来た友人に、錬金術師はまず「疑い」が勝ってしまう。彼女たちは本当に安心なのか? 「友人」と呼んだことは嘘ではないのか? 自分を信頼してくれた少女に頼まれて、つい人形を預けたけれど……錬金術師側からの「信じる心」がない状態で、それが動くはずもなく。
「でも今は、違う」
 動く。
 言い切った青年は、持っていた人形を指先から放した。簡単な運動の信号しか組み込んでいないが、それでもソレは自動で動く。
「おお!」
 男の歓声と共に、周囲からもわぁっと声が上がった。
 かわいい、踊ってる、ひとりで動いてる、あの機械人形は私の店の商品なんだよ、ただの置物だったのに、すごいね、すごい、すごい──……
「僕は、錬金術で様々なものを生み出せる。けれど今これが動くのは、間違いなく少女のおかげだ。諦めないで、ずっと信じてくれた。それこそが、この少女が見せてくれる『すごいもの』だよ」
「そんな! あたしは何もしてないよ!?」
「ひとりぼっちだった僕がここに、人前に姿を見せた。君の助けになりたかったからだ。これは、君自身が引き寄せた結果だよ」
 青年が微笑むと、少女も照れくさそうに笑う。
 それから青年は、男へ顔を向けた。
「そうして、これは君にも動かすことが出来る」
「何? 私にも?」
「そう。何故って、少女は君を信頼しているし……君も、少女との約束を信じて、ずっと今まで待っていたんだからね」
 さっと黄金色の瞳が輝く。その瞳は好奇心と喜びに満ちて、子どものように純粋だった。
 右へ回れ。その場でジャンプしてくれ。男が試しに口に出してみる。瞬間、青年参謀は後ろ手に操作を手動へ切り替えた。繰り出される指示通りに、機械人形を動かす。アドリブで、紙吹雪も舞わせた。先程即席で詰め込んだ、ただの千切った紙切れだ。
 心から楽しそうに、彼は笑っていた。何てことだ。彼は、途中からこれが芝居中であることも最早忘れてはいまいか?
 機械人形が、セカイの中心で踊っている。
 価値。意味。怪物。……あの日、足りなかったもの。周囲の人間たちが、いつの間にやら皆笑顔だった。

***

「と~~っても……わんだほい! だったね!」
「な、何だそれは? 初めて聞いたが……
「何か最近エムの中で流行ってるみたいなんだよね。どこでそんな言葉思いついたんだか」
 エムは目を爛々とさせて。将校は首を傾げ。ネネは肩を竦めている。
 即興芝居は無事成功を収めた。将校自身、真剣に芝居をしたのは久方ぶりのこと。何より、妹の前で披露していた時は一人きりだったのだし……どちらに転ぶかは分からなかったけれど。
「エム、ネネ。……それから参謀。上手く乗ってくれてありがとう」
「はいはーい!! あたしもとっても楽しかったよ!」
 元気に少女の両腕が上がる。もう一人の少女は微笑んで静かに頷いた。もう一人の男はと言えば……両腕を組んでやけに静かにしている。その双眸はじっと何かを言いたげで。思わず苦く笑ってしまった。嫌味も文句も、後で二人きりの時に幾らでも聞いてやろう。
「将校さんにお芝居のこと聞いておいて、本当に良かった!」
「ああ。森へ足を運んだ時、何かの折に舞台の話をした時はエムがとても興味を持ったからな……
「ネネちゃんもすっごいわくわく、キラキラァ! ってしてたよね!」
「キラキラはしてないけど……まぁ、歌の話には興味あったから」
 彼女たちはすごい、と心から思う。
 咄嗟に本来の人柄に近い役を振ったとはいえ、二人とも上手く自分を役に落とし込んでくれた。ネネに至っては、本当に歌ってくれるとは。それに何より……舞台の終わりはココだと、言葉なく預けた信頼に応えてくれた。
 終わりには人々の笑顔があって。エムもネネも笑っていたし。
(気付いていなかったかもしれないが……
 終幕。視界の端に見えた彼の、一瞬の柔らかさ。明確ではなかったにしろ、満面の笑顔ではなかったにしろ、滲んだ淡さを離さない。自分の右手に閉じ込めて、胸元に添えた。
……本当に良かった」
「ふふっ、将校さんうれしそうだね」
「噛み締めちゃって……気持ちは分かるけど。悪くないんじゃない? ……アンタも笑ってたみたいだし」
 微かに零す。少女の声は耳に届いていたのか否か、沈黙を守る男は何も答えなかった。
「じゃあ……あたしたちは今度こそ、そろそろ帰るね! 今度はもうちょっと気をつけて遊びに来るから!」
「気兼ねなく来てほしいものだが……そうだな。お前たちのためにも、暫くは気を付けてくれ」
「わたしたちの心配ばかりしないで。そっちこそ、また倒れたりとかしないでよね」
 別れを告げて、少女たちの背中を見送る。
 足音も、背中も遠ざかり。完全に二人きりとなった頃。さて罵倒されるだろうか、はたまた物理で殴られるか? 双方予想されたので、若干その用意をしておく。力であれば負ける気はしない。ある程度の痛みも覚悟しているが、それでも必要以上に受けたくはないので。
 将校はゆっくりと。参謀へ向き直った。自分よりも背の高い男を見上げる。……参った。すぐに怒りが降ってくると思ったというのに、中々彼は動かない。
(それどころか)
 そんな顔を、するなんて。
 ふっと口元を緩める。彼に痛い思いをさせた。だのに、将校は痛い思いをしないなど。
……これでは私ばかりが悪者だな」
……
 参謀は、憤りを感じたって良い。
 まだ恐れていること。要らないと閉ざしたこと。捨てたことで守ったこと。舞台上でだけとはいえ、将校は全てを壊したのだ。肌の弱い部分を、晒せと押し付けた。欲望に、切れ込みを入れた。
 それを自分自身で受け入れることは、今の彼にとってどれほどの不快感を覚えたことか。
……何故」
 たったの二文字。
 それだけを、口にした。将校は「なぜ、か」と同じ二文字を舌の上で転がす。参謀は、それをただ見つめていた。問い、その仔細は測れなかっただろう。
 しかし彼はすぐに口を開く。
「覚えているか? 私がお前の裏切りを知る前のこと。偶然、機械人形の設計図を見つけたことがあった。参謀が書いたものだった。それがひどく楽しくて、面白いものだったとあの瞬間に思い出してな」
 刹那。記憶を封じようとしたが間に合わない。陽だまりの中で、瞳を輝かせる目の前の男のことが過る。


 ──設計図が見つかった。落書きのようなそれだった。
 珍しく疲労していたのかもしれない。意識がぼんやりとしていたのかもしれない。子どもが気まぐれに残す子猫のイラストのように、何気なく。〝可愛らしい〟とも言える出来のそれ。
 ああ、何をしているのだろう。
 紙一枚を突き出された瞬間、浮かんだ感情は呆れと、覇気を失くした後悔だった。だって。これは。
……捨ててください、将校どの。それはかつて、私が恥ずかしくて捨てた機械人形の設計図です。可笑しいですね、あの時捨てたのにどうして……
 そう。これは、かつて大臣に見つかって捨てた、あの日の機械人形の設計図だった。実物は塵と化したのに、構図は頭に残っているものらしい。それをぼんやり書き表してしまうなど、何て愚かなのだろう。
 上司へ向けて、唇に笑みの形を乗せた。
 ついでに瞳を伏せる。自分を味方だ、と思わせるための柔らかな笑み。この館にやって来てからというもの、参謀はコレを幾度となく繰り返してきた。将校に、なめらかで耳障りのいい言葉は通用しない。表情や、立ち振る舞いでもって信じさせることの方が楽。そう気付いたのは、彼と出会ってそう日が経たない頃の時分だった。
 将校は暫く黙り込んでいた。仏頂面の仕事人間である男のことだ。落書きに現を抜かした部下に怒りを覚えているのかもしれない。
(それならそれで構わない)
 説教されて終わり。
 紙っぺら一枚も、破り捨てられて終わり。
 破り捨てられるなど贅沢か。雑に丸めて捨てられるだけ。終わり。残らない。自分の中から、再び去ってしまえ。
……これは、お前が書いたものなのか?」
…………え」
 無意識に、間抜けな声を漏らしてしまったのは。
 将校の声が、存外上擦っていたからだった。僅かな興奮と好奇心。
「すごいじゃないか。頭の良い男だとは思っていたが、もの作りが得意だったとは。私には疎い方面だから分からないが、これは組み立てれば形になるのか?」
「ええ……まぁ……それは落書きですから、修正は必要ですが」
「ほう。機械人形ということは……何か機能があったりするのか?」
 す、と。
 心臓に、冷えた布をあてられた感覚がする。寒々しく、気持ち悪い。
(それはそうだ。このひとも、軍人だ)
 力。価値。利益。
 ああ、本当に愚かだ。こんなものを再び書き上げたばかりに、もう一度あの人形を汚さねばならないなど。
「敵を制するための武器にするつもりでした……と、申し上げたら、貴方は喜びますか?」
 笑って見せる。故意に問うた。返答を求めてはいなかった。
「将校どののお役に立つモノを作りたいのはやまやまですがねえ、生憎そちらは失敗作ですので今からお作りするのは無理……
「武器なのか?」
 きょとん。彼にしては素朴な色を含んだ問いに、またしても虚を突かれる。武器なのか、とは。まるでそんなものとは無関係と予想していたようではないか。
 黄金色の視線は、設計図を見つめる。その指先が、やわらかいことに気が付いてしまう。力を入れるあまり、紙に、皺が寄らないように、して。
「私はてっきり、踊ったりするものなのかと思っていたのだが……
「踊ったり……
「あ。花を持って歩くのもいいんじゃないか?」
「花を持って、歩く……
「これだけ体が小さいんだ、子どもに花を渡したら喜ぶだろう」
「そんな……それだけ、ですか。そんなことだけ出来たって、何も役には……
「それだけとは何だ。私はそんな機械人形が目の前にいたら、楽しくて笑顔になるに違いない」
 窓から入った日の光に、瞳が輝いている。
 誰もその機能が正解なんて言っていないのに。
 彼は微塵も、この機械人形が武器ではないと断定して疑わなかった。

 人を楽しませるものだと、信じていた。

 指先からセカイと繋がる。辛いことだと理解してなお、その時に参謀は一度だけ視線を上げてしまった。
「自動で動くのか?」
……手動に切り替えることも可能な想定です」
「なるほど、自分で動かすのも面白そうだ」
……中核部分を外して他の物に取り付ければ、そちらも機械のように動きます」
「何!? たとえばこのブローチに取り付ければブローチが動くのか」
「ブローチは手足がないので動かすには不格好かもしれませんが……まぁ、サイズ的には」──……


 この取り外し可能な中核部分は、今改良が施されて参謀のペンに使用されている。手首の負担を軽減し、手書きの動作を助ける機能があって……いつも、胸ポケットに入れてある。
 それを今日も所持していると、将校は確信していた。
 だからこそ、舞台の中で「機械人形」などと口に出し、参謀の役割を決定した。人形の実物は、その辺の露店から適当に借りてきたものだ。
 あの時も。
 今だって。

(どうして)

 痛い。苦しい。もう確かめたくない。信じられない。信じたくない。止まらなくなる。理解してしまう。戻れなくなる。怖い。感情の濁流が。素直な名前で渦巻く。

(どうしてそのように私のことを信じる?)

 あれは裏切りが発覚する前のことだ。参謀が明確に「裏切った罪人」と判明している今、どうしてこの期に及んで、あの設計図が「武器ではない」などと「信じ」続けていたのか。
 参謀に預けた。舞台の大切な部分を。参謀の判断一つで、結末をぶち壊しに出来る部分を。
「お前のアドリブでの演出もとても効いていたな。紙吹雪もそうだが……正直、最後に私へ機械人形が回ってくるとは考えていなかった」
「信じる力」を証明して、少女が持つ「すごいもの」を男へ披露する。それだけでも十分なハッピーエンドだったはずだ。それでも彼は、男をもさらに巻き込んだ。
「私はやはり、お前の作り上げるものが……それによって変わる空気が好きだ。お前の周りは、笑顔で溢れていてほしいと思う」
 将校は、こちらを見てあまりにも眩しそうに、小さく微笑む。

 真実を理解してしまった。
 将校の言葉に、行動に、そうして参謀を信じるという想いに……何一つ、偽りがないのだと。怖いくらいに、疑いようがないくらいに。一方で最初から分かりきっていたはずの真実に、追いついてしまった。