ngr_ps21
2026-07-01 16:04:35
6430文字
Public 参将シリーズ
 

不信を信ずるⅤ

参将シリーズ5話目

全てを信じられない参🎈×全てを信じる将🌟のお話。
※縦読み推奨



 空間に満ちた思惑を服毒する。
 最低限に拵えられた茶。趣味の悪い菓子。素朴な木椅子。友好的な唇。例えそれらに毒が塗りたくられていないのだとしても、肺の底が重い。吐血なぞして弱みを刈り取られぬようしっかりと。呼吸をした。息を吸って吐いた。机上の有害さに辟易としている場合ではない。今この瞬間も、上司は凛とした輪郭を示している。毅然とした背筋。虚飾を逃さぬ瞳。威圧に袖を通し纏って。最低限に友好的な唇。
……今、何と?」
 将校の声が鋭く、重たく、そうして険しい。
 生来彼の声は、よくよく聞いていれば寧ろ周囲の男性より高いと言えた。遠くの部下まで指示が届くよう、腹の底から張り上げているという理由もあるが……その声がいっそう低く轟くのは、偏に、鋭さと、重たさと、険しさが層となって重なる時だ。身体に刻まれた傷痕が、嘆いたように錯覚する。参謀がこのレベルの緊張感を向けられたのは、将校に直接断罪を受けたあの日のことだったか。
 尤も、流石に将校も疑心を漏らす程愚直ではない。
 まだ外面は友好を保っている段階だけれど。
「おや、聞こえませんでしたか。これは失敬。長旅の疲れを癒す時間を、もう少し取るべきでしたねえ」
 対して相手──手紙にて、わざわざ遠回しに参謀のみを呼びつけた、彼の招待者その人だ──は、軽く笑ってお茶を一口。喉を潤し、肩を揺らした。偏見は認知を歪めると理解しているものの。
……率直に不愉快だ)
 言葉選びも。「軽さ」を体現したようにくっくっと上下に揺れる体も。その質量はこちらの神経を逆撫でた。
 感情的な人間なら、最初の五分で決壊しているだろう。
「こう言ったんですよ。……ああそれとも、文字に起こした方がよろしい?」
「結構」
「これは失敬」
 男・カネキはもう一度笑みを浮かべて。

「軍事協定を結びたいと、そうご提案差し上げました。……優秀で、賢い、ツカサどの?」


***

 悪魔も嗤う、魅惑のティータイム。登場人物は四人いる。
 一人目は将校。茶や菓子の並んだ机の前に着席している。今し方名前を呼ばれた男だが、表情一つ変わらない。この冷静さと、否と言わせぬカリスマ性で、本国に帰れば軽々しく真名で呼ぶ者など一人もいないだろう。どこか穏やかな地で暮らすと聞く妹くらいだろうか。当然、参謀も口にしたことはない。
 二人目は当の参謀。着席した将校の斜め後ろに立っている。自分の役割はやはり、頭脳として真意を見極めることだ。この国──ヒアイラルムにやってくる道中、受けた敵襲の、真相も含め。命を拾った御者からも何もそれらしい目論見を収穫出来なかった今、機会はこのティータイムに掛かっている。
 三人目はカネキ。将校の向かいの席に座る軍人の男で、この席の主催者にして支配者。くすんだ金髪と、軍人らしい大きな体格が特徴だ。「貴殿将校の元にある一番賢い者を」「一人で」寄越せ……その手紙の希望に背いた将校に、ひとまず憤る様子はない。しかし当初の狙いは参謀だ。何かあると考えていいだろう。
 四人目はカネキ側の参謀。こちらと同様、軍人の傍らに立っている。彼は茶会が始まって以降、一言も声を発していなかった。顔つきは穏やかで、纏う空気にも一見厭らしさはない。思わず油断をしてしまいそうになる程だったが、勿論不信を緩めるつもりはなかった。
「軍事協定……まつりごとの話とお見受けする」
「ええ。世界が物騒な今、戦力を有するものが国の状況をも支配しますからね。国政の話と言ってもいい」
「私とカネキ氏で、それを結びたいと?」
「ええ」
「国の決断に関わることを、軍の上層個人間で結ぶことが可能とは思えないが?」
「流石、聡くていらっしゃる」
 カネキは机に肘をついた。拍子に、ティーカップの中身に波紋が広がる。
 両手の指を組み、男が続ける。
「私が望むのはクーデターです」
……くだらない」
 思わず、と。
 言わんばかりに、低く呟く。温和に談笑をしたいのであれば今のは明らかな失言だが、将校自身、後悔はなかった。
 主催者にして支配者、そうして首謀者の席に着こうとする男は、気を悪くするでもなく目を細める。いっそ、将校の反応を面白がっているようでもあった。
「まあまあ最後まで話を聞いて。……後ろの参謀どのも。私は貴方にも判断を仰ぎたいのですから」
……
 参謀は答えなかった。
 それで良い、と将校が背中で認める。
「先の黒い油の件。お噂はかねがね聞いております。一人の貴族……地位の名称で『大臣』と呼ばれておりましたか。とある貴族が自らの野望を満たすため、暴走した事件を貴方が止めたと」
「それが?」
「今回露見したのは大臣かもしれません。だがしかし、近頃同じような貴族が……他者を破壊し得る上層部の存在が、増えているとは思いませんか」
「否定は出来んな。当の大臣に対する過ぎた制裁の議論と、次なる有権者争いは、私の国でも少々問題になった。民衆たちの一部には騒ぎ立てる者もいたのだから尚更──」
「ああ、やはり見込んだ通りの方だ!!」
……
「今この状況に、いったいどれだけの人間が気付いていると言えましょう。同国の者同士ですら疑心は燻り、思惑は踊る……互いに利益を得る為に、今度は他の国へ矛先を向けてみれば……どうでしょう。共通の〝敵〟を作ることで、国が団結すれば民も喜ぶ。貴方の国で言うところの大臣の断罪がその証拠だ。そんな風潮が蠢いているのです。これまでに大きな戦争が起こらなかったことが不思議なくらいだ!」
 カネキは雄弁に語る。茶菓子の為に用意されたカトラリーの照り返しが、ちゃちな舞台照明に見えた。男は、そんな道具を使用するでもなく、手掴みで甘味を口にする。
 将校は顔色を変えない。
……かなしいことだ」
 視線を一つも動かさない。
「疑うこと。信じる者が涙を流すこと。それによって、僅か掌の中で守っていた光さえ閉じること。全くもって、かなしく、さみしい」
 ふわり。言葉が、毛糸で編まれているかのように錯覚する。誰も傷つけず、しかし肌には少しだけむず痒さを与える感触が。編まれて。解けた端が、少しだけ。参謀へと伸びているように思えて、呼吸を詰めた。誤魔化すように瞬きを繰り返せば、元のつめたい世界を取り戻す。
 上司は、自分のセカイを見失わない。
「貴方はそんな世界を加速させたいと仰る」
 くつくつ、すぐに含み笑いが返ってくる。
「まさか! その逆です。私は平穏を取り返したい。誇りを奪われたいですか?より強大な力に喰われ骨までしゃぶられたいですか? そうなる前に、私たち軍人が手を取り動くしか、ない」
 呼吸に織り交ぜ、参謀は溜息を吐いた。
 真意を測るまでもない。仕草が持つ心理的な意味を拾うまでもない。この軍人は何処までもこれが「本音」だ。愚直なさまは参謀自身の上司とよく似ているけれど、抱く野望が野望故に馬鹿らしく思える。全て種明かしをしてしまえるのは、潰される前に潰す自信があるからか。
……道中の敵襲)
 あれは警告。
(御者の男は何も知らなかった。それは本当だろう。……無関係な人間を巻き込める程に本気、そうして手段を択ばないと言いたかったのか)
 カネキ一人、勝手に暴走しているだけならば造作もないが……コレに賛同する者。背後に潜む人間。どのくらい存在するのだろう。
 そこが不明瞭である内は、単純な冷笑で済ませられまい。将校もそれを分かっているから、ただ琥珀色を冷めさせるだけに留めている。
(分からないのはあの男だ)
 参謀は、カネキの背後を盗み見た。
 静かな表情で。言葉一つ。眉一つ。動かさぬヒアイラルムの参謀が立っている。立っているだけの、男。彼も「参謀」だ。常に頭は動いているのだろうか。自らの主君に同調も補足もせず立っているのが気になる。
 話を聞いているだけ。
 空気を、読んでいるだけ。
 血生臭い香りをチラつかせるカネキよりも、参謀にとってはいっそう不気味だ。
「貴方ははじめ、参謀のみを呼んだな。この茶会に」
「おや、理解していらっしゃったか。お二人で仲良く来られたものですから、てっきりもう少し易しい言葉で書いた方が良かったかと思いましたよ」
 嘲笑すら軽く流し、将校は最後に尋ねる。
「何故、参謀一人を呼んだ?」
「はは、何。簡単なことですよ」

 かしこいから、と。

 男は言った。
 貪欲な視線が、参謀へ移る。
「貴方の参謀は疑心を知っている。裏切りを知っている。その手段を取る瞬間を知っている……貴方に言わせれば『かなしい』ですか? 私はそう思いません。私の意見をすぐに分かってくださると、考えてのことですよ」
……本日は帰らせてもらう」
 行くぞ、と声を掛けられて、首肯の代わりに一度瞼を伏せた。
 カネキは引き止めなかった。ただ部屋の出口へと体を向けた将校の背中に一言。「考えておいてくださいね」
 ──男の言葉に、参謀自身は何も感じてはいない。大臣の野望のため、一度将校を「裏切る」選択を取ったのは事実だ。だからといって「カネキの意見にすぐ賛同する」と思われていたのは舐められたモノだが、それ以上の感想は無い。
 だが。
 目の前を歩く将校の背中が小さく見える。それでいて、揺らめく感情の影で大きく、大きく見える。
 部屋を出る直前。カネキの後ろに立つ参謀と一瞬だけ目が合った。
 やはり彼は、言葉を発さなかった。

***

「参謀さん」
 肩書で呼ばれる。
 西日。通常より色付く肌。続いて微笑。言葉を続けずとも、自分に一切悪意がないことを笑みのみで示す。……中々出来る技ではない。笑顔、とは、曇りのない空と同じだ。少しでも曇れば簡単に見抜くことが可能であり、嘘が混じれば不快感を覚える。雨が肌を叩くような、顕著な不快感を。
 だからこそ、騙す目的の笑みを作るならば相当な鍛錬と時間が必要だと知っている。……身をもって知っている。
(ならば)
 この笑顔は、〝侮れぬ人間〟を顕すサインか?
 それとも、本当に悪意を持たぬと伝えたいのか?
 見極めなければならない。後ろから首を取られることのないように。──ぬるり。心臓に、濡れた芋虫が這うような感覚がする。
「まさか本当に顔を合わせてくださるとは思いませんでした。しかし貴方は僕の見込んだ通り、やはり聡いお方だ。とても嬉しい限りです」
「ご挨拶は結構。その為だけに呼ばれたのであれば、私は将校どのの元に戻らせていただきますが」
 続いた声も柔らかい。しかし参謀は表情一つ崩さずに、目の前の男を見据えた。

カネキ様の・・・・・参謀どの・・・・?」

 二人の〝参謀〟の視線が絡まる。
 一人は歩み寄りを、一人は疑心を伴って。
 目の前の彼は肩を竦めた。そんな仕草すら、この上ないほどリラックスしている証拠を突き付けている。仮にも他国の参謀を前にして? ここが彼陣営のテリトリーであることも味方しているのかもしれないけれど。
「ええそうですね。貴方を主君のもとから引き剥がしてしまったのです。時間は大切にしなければ」
「相応のお話でなければ困ります」
「相応の話だと察したから、素直に足を運んでくださった。……そうでしょう?」
 ひどく、饒舌だ。あの茶会の場では一言も言葉を発さなかった男が。
 眉を顰めぬように、表情に神経を注ぐ。戸惑いも。隙も。何も零してはならない。
 ──彼の言う通り、参謀は自分自身の意思で彼に会いに来た。茶会の最後、将校のあとに続いて退室をしようとしたその瞬間。将校は部屋の外に、参謀はまだ左足を部屋の中に残している刹那。数秒にも満たぬ。僅かな空白。すれ違い間際、音もなく動いた唇を読み取ったのだ。
『このあと西日の差す廊下にて貴方をお待ちしています』
 着座したままのカネキには当然見えず。退室した将校にも見えない。参謀一人に届くタイミングで、誘いを口にした。当然それもまた、カネキと事前打ち合わせの上での罠である危険を孕んでいたが。
(であれば他にも方法があった筈だ)
 読唇ではなく手紙、とか。
 参謀が一人で彼に会う時点で、将校にも遅かれ早かれその情報は共有されるのだから、直接呼び出す手段も取れた。
 即ち。
(私と将校どのには伝わっても問題ない……しかし、カネキに伝わってしまっては支障が出る・・・・・話)
 そうである可能性が極めて高い。
 主君に隠れて、参謀単独で行動する。その意図は分かりかねるが、これから探れば良いことだ。
 将校には当然、待たせる上で話を共有している。先方の参謀に呼ばれた、と。
 男は少し考え込む素振りをして只一言。『分かった。報告を待つ』
 そこにあるのは心配でも期待でもない。「情報の収穫があるだろう」という参謀に対する当然意識。しかしそれが、参謀の背筋を伸ばすような心地をもたらす。
「長く時間を確保出来るわけではありません。要件は?」
「これは僕からの申し出です。あなたと手を組みたい」
 続いた言葉の、端から端。
 最後まで耳にした上で、参謀は短く告げる。
「お断りします」
「ふむ……理由は?」
「ここはヒアイラルムの陣地。私にとっては他国。手前に聞いた話はあの有様。そうして私は、貴方を知らない……十分かと思いますが」
「これから知っていけばいいでしょう」
 これから。
 四文字の裏側に存在するであろう無期限の時間。それが参謀には、途方もなく長く思えた。他人を知る。言うだけならば簡単だ。受け入れ、信じる領域に踏み込めるまで、時間を掛けたいとも思わない。
「疑っているのですね?」
「ええ。端的に言えば」
 具体的な状況を提示されたので、お言葉に甘えることとする。
 乗っかって見せれば、しかし参謀は笑みを深くした。同じ参謀でも、自分が策略と空気で場を支配する演出家なら。彼は表情で場を支配する役者なのかもしれない。
「もう一度問います。何故、こちらと手を組まないのですか?」
「もう一度答えねばならない?」
「あの将校さんのことだとて疑っているのでしょう?」
 はじめて。
 しまった、と、気付いた時には遅い。呼吸が詰まり、刹那、反応がズレる。建付けの悪い窓。締め損ねた螺子。解れた糸。不格好で、危うい。決して零してはならない隙間だった。
 しかし意外にも、男は付け込んでこない。気付かなかった、ということは有り得ないだろう。参謀の動揺を誘う目的で、意図して吐かれた言葉だ。ただ……回答を、待たれている。
 同じように「これから」と言った。
 あの日の光を、思い浮かべる。記憶の霞みに紛れても、ひどく眩しく辟易とした。
……証明する、と。言われたからです」
 それだけ述べる。理由になっていない。説明になっていない。分かっていた。自分だってよく分かっていないのだから。分からない。分からない。どうして。
(「将校どのを疑っている」と他者から口にされて、つっかえた?)
 どうして。
 その通りだ。参謀は未だ将校を信じられない。不信でい続ける。決して世界を肯定してはならない。静かで無機質な冷たさの中はいっそ安心する。不確実で。曖昧で。吐きそうなそれを捨て続ける。口の中が乾く。望んだ懐疑。それなのに。
(私は、疑っている……将校どのを。私が今、ヒアイラルムを疑うのと同様に)

 本当に?

 並べてみると、違う気がする。
 そう、気付いてしまった。

 ──『〝信じられない〟気持ちと、〝疑う〟行為そのものの間にある違いが、本当に分かってないの、って言ってるんだけど』

 いつしか森の民の少女に告げられた言葉を思い出す。
 西日の差す窓の外へ目を遣る。ひどく。ひどく、曇りのない空だ。