ngr_ps21
2026-07-01 16:03:41
5609文字
Public 参将シリーズ
 

不信を信ずるⅣ

参将シリーズ4話目

全てを信じられない参🎈×全てを信じる将🌟のお話。
※縦読み推奨



 右から左へと流れゆく車窓の風景は、そういうたぐいの舞台に似ていた。のどかな田畑。小道を駆ける子ども。穏やかな老夫婦の談笑。全てが自分とは無関係な幕の向こう側に存在し、また須らく自分が守るべきもの。
 緞帳を下ろすが如く、瞳を伏せる。

 ──彼ならば、この舞台へどんな演出をつけてくれるだろう。

 平穏な世界に、さらなる笑顔と幸福を与えるために、一体どんな。
「一体何をお考えなのでしょうか」
 精巧に整えられた公演へ、野次を飛ばすように。
 将校へ向けて、大層鋭い声が割り入った。
……何をお考えも何もお前のことなんだが)
 口には出さずに、閉じた瞼をそっと開く。最近、自分でも目の前の部下の機嫌をコントロールする術を身に着けたのではないかと思う。コントロールする、と言っても「マイナス」を「ゼロ」に近付ける程度のもので、決して「プラス」には成り得ないのだけれど。
『私はどうすれば少しでもお前の気分を落ち着かせることが出来るんだ?』
 そう本人に問うたところ。
『将校どのが将校どのである限り、不可能ではないでしょうか』
 と、白い目で返されたのが今朝の話。
 閑話休題。
「貴方は相手方の傀儡になるおつもりか? 誰かの手の内で動く可愛いお人形にはあまりに似合わないと思いますが」
「誰の演出へも柔軟に合わせる舞台俳優という言い方をしてくれ」
「腕の良い演出家も選べない俳優ということですか。成程、理解しましたよ」
 鼻で笑う参謀は、元気そうと言えば元気そうだった。皮肉に富んだ切り返しも、鋭い月色の視線も。少し前にはどこか無気力さと空虚を孕んでいたのに、今は微かな芯が垣間見えていた。背骨を一直線に通る生命線。何かに突き動かされている人間のさまに思えるが、何の変化があったのだろう。何に、もたらされたのだろう。将校には覚えが無い。
(私の預かり知らぬところで、何か)
 あったのだろうな。喜ばしいな、と。額を刺されるような痛みに蓋をする。
「今日のお前は、よく喋る」
「貴方は何も話さない」
 ことこと。からから。
 将校と参謀を乗せた馬車。車輪の音は、二人の間に流れる険悪を煮詰めて。そうして餓者髑髏が顎を鳴らすように嘲笑う。
……必要最低事項は共有したはずだが」
 数日前を思い返す。
 隣国より茶会の招待状が届いた。将校のそばにある「一番賢い者」を「一人」寄越せと。誰がどの角度から読んでも、冷めた顔をしたバイオレットの髪が頭を過るだろうが、それを部下として置いているのは他ならぬ将校だ。ひとまず文面には無視を重ねて、将校一人で向かおうとした……のだが、何故か参謀が「自分も同行する」と言い出して聞かなかった。
 ひとつ。「一人」の約束を反故するより「一番賢い者」の約束を反故する方が相手の機嫌を損ねると予測される。
 ひとつ。優秀な将校とはいえやはり頭脳は参謀の方が一枚上であり、有事の際を考えればそばに置くべき。
 ひとつ。そもそも参謀に向かって「ずっとそばにいる」と言ったのは将校である。ここで自ら離れに行くのは如何なものか。
 ……三点目は半ばこじつけだが、案外将校にはこれが一番効いた。いつもであれば「お前は大人が常についていないといけない幼子ではないだろう」くらいに往なすのだけれど。男に投げ掛けたその言葉は、自分にとって一番裏切りたくはない言葉だった。
 それを知ってか知らずか──知っていて持ち出したのなら、やはり彼は優秀な"参謀"だ──、無事に将校と同行している彼は、向かいの席で不服を隠さない。
「『ヒアイラルムの指定したヒアイラルムの馬車に乗り、ヒアイラルムの指定したルートで来るように。』」
 一言一句違わず。
 彼は相手国から示された「希望」を口にした。ヒアイラルムとは、今回将校──正確には参謀を呼び寄せた相手国だ。低い声は続ける。
「明確に、何かしらの意図があることはお分かりでしょう。ここまで私たちの行動を縛りたがるのは異常だ」
「ああそうだな」
「茶会の内容はともかく、茶会に至るまでの道程にまで指定された条件に、貴方が従う義理はないはずだ。それでもまだ、『相手の機嫌を損ねる恐れが』などと仰る?」
 小さな声が。苛立ちが、将校の耳朶のあたりを撫ぜた。馬車を操る御者だとて、先方から寄越されたもの。少しの会話も漏らしてはならない。油断してはならない。彼の囁きが、言外に警戒心を語る。
 琥珀色の瞳が静かに瞬く。
 ふ。肩も動かさず、息を吐いた。
「参謀」
「はい」
「私は馬鹿ではないが……多少の愚かさは持ち合わせている」
……はい?」
 綺麗な形をした眉が歪んだ。対して、くつくつ、と。将校は笑みを含ませてみせる。いつもの威勢はどうした。ここぞとばかりに、乗じて悪態の一つでもつけばいいものを。
 ああ。近付いてくる。肌の表面が不快だ。血が滾る。言葉よりも余程饒舌な"言葉"が。"説明"が。"意図"が。ご丁寧に、あちらからやってくる。
「つまりは」
 ツン。
「私も軍人、ということだ」

 ──劈くような血の匂いが、迸る。

 ギィィィィッ!!
 ヒィィィン!!

 立て続けに音。馬の鳴声。衝撃。慣性。ぐらり、馬車は揺れて中身は振れる。子どもが気紛れに生卵を振るように。
……ッ」
 参謀は、何とか瞬時に受け身の態勢を取る。馬車は横倒しにこそならなかったものの、多少身体を打ち付けた。血の匂いは、開幕を知らせるカーテンコール。もしもそれを逃していたら、どうなっていたことか。開いた窓から投げ出されていたやも。
「参謀、無事か……は、問うまでもないな」
 凛とした軍人の声が響く。
 彼は参謀よりもっと前、鉄の香りが鼻に触れるより前にこの事態を予知していたのだろう。視線を上げれば、全く体勢も表情も変えない男がこちらを見下ろしている。片手は剣に添えられて。無事でなければ……これ程でくたばってもらっては困る、と。告げている。
 上等だ、と睨み上げる。
 それから咄嗟に視線を巡らせて状況把握を行った。
「奇襲は三人。御者に斬り掛かり……開演の狼煙と言ったところですか」
「そのようだ。尤も……この程度、肩慣らしにもならんが。他に潜伏する者は?」
「いないかと。『本気』で貴方を討つにはあまりにも杜撰です。加えて辺りには一般民衆もいません。幸いなことに・・・・・・
 そうか。
 参謀の言葉に、将校は頷く。静かに。喉の奥で唸る獣の如く──ぴり、と。痺れる。現在は仮にも「味方」であるはずのこちらの右肩までもが、固まって軋む。彼に罪を暴かれ、制裁の傷を受けたあの日を思い出す。冷静で無表情な……しかし、ああ。一方でこの男は。
 今、興奮状態にある。
「お前はお前の為すべき事を」
「は」
 部下の旋毛を見届けるが早いか、一人の軍人は外へ飛び出した。
 刹那……刃物同士が重なる音が響く。参謀は垂れた頭を上げた。呆れ混じりの溜息。
……これだから軍人は)
 大凡。将校は故意にヒアイラルムの行き過ぎた指示に乗ったのだ。それが虚偽であろうと罠であろうと関係ない。その時はその時・・・・・・・だ。
 敵襲があればこそ、相手の思惑を測ることが出来るし。
 将校には彼らを返討にする腕と自信がある。
 彼が自らを「愚か」と称したのはそういうことだ。全くもってその通り。その身を呈する方法で、真意や狙いを引き出すなど。
(私には到底真似出来ませんよ)
 届かぬ棘を上司へ贈り、参謀は立ち上がる。斬り合いの反対扉から外に出て──外気に触れた瞬間、やはり錆びた鉄が鼻につく──御者台へ回った。ますます香りが濃くなる。嗅ぎ慣れたそれに眉一つ動かさず、状態を確かめた。
 六十代ほどの男が、腹から赤色を流して倒れている。やはり最初に襲われたのは御者らしい。馬車の揺れは、彼が切られた瞬間のものだ。馬二頭は驚き、興奮しているものの傷はない。尽く策略の粗さが目立つ。馬鹿にされているのか否か……は、今は後回しだ。
 膝をつく。そばに人の気配があるのを察したのか、男は呼吸を大きくした。何か言葉を吐こうとする。ゲホ。そういう玩具のように、代わりに吐いたのは血だったけれど。
「お静かに。貴方から話を聞きたいのはやまやまですがね」
 ここで死なれては困る、と心中で告げる。誰に雇われたのか。ヒアイラルムと関係はあるのか。目的を知らされているのか。男から情報を引き出すだけで、こちらの状況は幾らでも変わる。
 震えた灰色の瞳が、縋るように参謀を見上げる。それだけで。何処となくコレは「使い捨ての駒」なのだということを察せられたが、それはそれだ。折れたポーンにも使い道はある。
 溜息。手袋を嵌める。ねとりと濡れる布一枚越しの指先。傷の一時的な処置。

 ──キーン。ズッ。

 少し離れたところでは、依然として鋭い音と、鈍い音が入れ替わっている。一対三と数の有利があるのもそうだが、あの将校がまだ全員を捻じ伏せていないということは、一応「三」の個々にも実力があるのだろうか。
……まぁ)
 それでもあの人には敵うまい。
 そこでふと、目下の男が視線を音の方へ向けた。「傷の治療を受けている」ということが分かり、周りへ感覚を向ける余裕と安堵が生まれたに違いない。
 刹那。参謀も乱舞の中心を見遣る。

 ──華々しく踊っている。剣の。服の裾の。柔らかな色を帯びる髪の毛先の。残像が振れて。飛沫で飾って。まるで春だ。尤も、これは暖かな季節とは程遠い、冷たい命の遣り取りだけれど。そんな温度差がまた可笑しい。流麗な動作が生を貫いている。琥珀色の瞳が悲劇を惜しまない。彼だけに目が惹かれる。彼だけがいっとう美しい。

 視線を外す。
 あの美しさだけで、勝利がどちらか明白だ。

***

「む。手が届かん」
 勘弁してくれ、と、思った。
 朝日が東から昇る事象より明らかな勝利が将校の手に渡り、ひとまず馬車の中。有事に備えてと早めに出発はしていたので、ヒアイラルムに再度向かう前に体勢を立て直す。体勢を、というより身なりを、だった。軍人には傷一つ無いものの、返り血で何とも酷い有様である。
 そうしてこれも有事に備えて。替えの服やタオルも持ってきた……のだが。
「やはり退席して構わないでしょうか」
「何故だ? そんなことより手を貸してくれ。背中が拭けない」
 上裸の将校が濡らしたタオルを差し出してくるが、本当に勘弁してほしい。
 替えの服に袖を通すより先に、返り血を拭いて落とす。当然のことだ。それは分かる。しかし、仮にも一度は命を狙われていた相手の前で無防備な姿を晒すのは如何なものか。
 白い肌に、大小問わず夥しい数の傷。
 嫌でも目に入る。参謀が彼のことを何一つ知らない証も。
「自分でのた打ち回ってください。最後に確認くらいはします」
「お前はそんなに私の憐れな姿を見たいのか?」
「彼の優秀な軍人が、背中を拭きたくて藻掻いている様は確かに滑稽でしょうね」
「滑稽だろうな。……おい待て何処へ行く」
「少しばかり外へ」
「だから外はまだ危険かもしれないと言っているだろう。参謀が外へ出ると言うのなら私が出る」
「いよいよ馬鹿ですか? そんな『襲え』と言わんばかりに隙だらけの御姿で外に出る馬鹿がありますか?」
「そうだ。今の私は危険だ。だがそれは外も中も変わらん。お前はこの"隙だらけ"の私を馬車の中に一人残して何処かへ行く気か? この中では、寧ろ逃げ道も少ないというのに」
 ア、と思った瞬間には遅かった。
 将校の言葉に虚を突かれた一瞬で、両手に濡れタオルを押し付けられる。しとりと濡れる指先。
「ほら」
…………
 渋々。
 諦めて、眼前に広がった背中にタオルを──ひいては手を伸ばした。触れる。目に見える赤を、ゆっくり拭う。
……
 ゆっくり。
……
 ゆっくり。
……
 さっと拭いてしまえば十秒にも満たない作業、だけれど。時間を掛けてしまった。気になって、しまった。呼吸に上下する表面が。体温が。跳ねる脈が。あの日自分が奪おうとした全てが。感じ入る程に、自分の手が真っ赤に、はたまた真っ黒に染まっていくような錯覚を起こす。触れてはいけない。この男の美しさに咎められ殺される方がマシだ。汚すくらいなら。この目に映る世界は醜い。拭う。全て拭う。自分の世界に触れてしまった彼の肌を拭う。
「参謀」
 我。に、返る。
「なんでしょう」
「力を入れすぎだ。痛い」
 何てことを宣うか。たとえ誰かの刃に身を裂かれようと、「痛い」などと口にしないような男が。
 参謀は金色の瞳を細めた。
「ああ、すみません。貴方の肌を抉ろうかと考えていました」
「タオルで抉るとは新しい拷問だな」
 素っ気なく返される。
 冗談じゃないのに。
「御者の男は?」
……一時処置の上、荷台に転がしてあります。眠りにつきましたが命に別状はありません」
「そうか。よくやった」
 小さな賞賛が、微かに体を巡りかけたので小さく首を横に振る。全ては情報のため。戦況のためだ。拭う。手元のタオルが赤く染まっていく。
 擦られた肌も、また、赤く。
「参謀」
「何でしょう」
 彼は歌うように尋ねた。
「今、一体何を考えているんだ」
 それは、数刻前に自分が将校へ投げ掛けた言葉と同じだった。何故、今それを問うのだろう。そういえば結局彼からの回答は得られなかったな、と思い返しながら。

 何を考えているも何も貴方のことなのですが、と。
 口には出さずに、開いた瞼をそっと閉じる。