ngr_ps21
2026-07-01 16:01:15
7730文字
Public 参将シリーズ
 

不信を信ずるⅡ

参将シリーズ2話目

全てを信じられない参🎈×全てを信じる将🌟のお話。
※縦読み推奨



 信じる行為は、喩えるならば紙に等しい。

 時に重要な契約を記す宛先。時に何だかんだと幾度も読み返してしまう手紙。何時だって人間は、大切な言葉を紙というものに綴ってきた。綴られた文字は、感情の輪郭そのもの。大きさが。量が。震えが。心の内の想いを表す。──一方であまりに軽すぎる。あまりに薄っぺらすぎる。渡された一枚を、気に入らなければ燃やしてしまえる、破り捨ててしまえる、棚の奥底に隠してしまえる。信じるという行為は、そんなものだ。
 であれば参謀は棚の奥底に隠すタイプだろうか……などと、向かいに座る男を見つめる。両手に握られたカトラリーは何とも不機嫌そうに踊っていた。それでも音を立てた食事はしないのだから、いつ何時も気を抜かない所が美点というか何というか。息苦しそうだ、と感じてしまっては流石に失礼だろう。あまりに可哀想がるのは、参謀の今までの生き方を否定しているような気がして。

……ずっと見られていると、食べにくいのですが」
「すまん、色々と考えていた」

 ささくれだった声色に、あっさりとした謝罪を返す。当然視線を外す気は毛頭なく、数十秒後に参謀の溜息を聞くこととなった。
 ──共に食事をしよう。
 告げると、端正な顔立ちが露骨に歪んだのを今でも鮮明に思い出せる。
 将校が参謀を檻の外から出し。正式に部下として置いてから二週間程が経った。大変の一言に尽きた。それは、もう──否、業務上に於いては何の差し支えもない。元より知性と器用さを持ち合わせている男だ。意外にも、仕事を振れば抵抗もせず完璧に遂行してくれる。問題があったのは、当然自分との関係のことだった。
 業務進捗の会話以外は引き結ばれた唇。
 常に鋭く辺りを観察する金色の目元。
 頑なな心は解けることなく、いっそ将校以外の人間と重ねる交流の方が親しげというものだ。……尤も、他の人間と「親しげ」な社交をすることで仕事が円滑化・効率化するというそれだけの理由の為だろうけれど。
 二週間。二週間だ。焦りを抱くには尚早。しかし僅かながらこう……変化があってもいいと考えていたが。
(いいや……私は、ただ信じ続けなければ)
 彼を欺かず。背かず。ありのままの将校として立ち、彼を生かす。とある記憶が参謀の処遇を定める決定打となってから、将校はそう誓っていた。
 では仕事以外のコミュニケーションを取ってみよう。と設けたのが食事の時間だった。
……これでは"コミュニケーション"という言葉が笑ってしまうな」
「は?」
 参謀と食事をとったことはなかった。かつて共に仕事をしていた時も、各々の仕事の隙間、各自で好きなようにしていたのだ。元より将校は、あまり食事をする方ではない。
「美味いか?」
「食べられる味です」
「何よりだ。料理人に伝えておこう」
「憤慨されないよう、伝え方にはお気を付けを」
「感想がそれなりに失礼という自覚はあるんだな。問題ない。作ったのは私だから」
 ぴたり。大きく骨ばった手が一瞬動きを止める。
 流石に驚いたか、とその静止を興味深く観察する。上下関係の厳しい軍の世界で、上司が部下に手作り料理を振る舞うなどまずないと言っていいだろう。さて一言目。どんな棘を発するか。
……普通です」
「ん?」
「普通の味です。私はもう少し薄味が好みだ」
「え」
「あと、緑を入れるのは頂けません。この赤も。貴方はクリスマスがお好きなんですか?」
「待て待て待て。緑とか赤とか言うのは葉物やトマトのことを言っているのか?」
「緑や赤は、緑や赤です」
「お前野菜嫌いなのか……?」
「食べなくてもいいものは食べない、というだけですが」
 真顔。淡々。見れば、確かに彼は器用にも野菜だけを除いて食事をしている。炭水化物や肉だけが綺麗に消えていく皿に瞬きをした。
……次も作ったら食べるのか」
……シェフも雇えないほど人員不足なのでしたら、お好きに」
 ふっと、心が軽くなる感覚がする。ひどく単純だ……しかし、次の一言目でまた落胆を覚えることになる。
「貴方が私の食事を担当するのなら、いつか毒を盛りたくなってもその機会を作るには容易いでしょう」
……!」
 微かに持ち上げられた口元は歪みと共にあった。
 どうやらまだ参謀は……全然、届かない場所にあるようだ。理解していたけれど。
……いや、「食べられる味」と言ったんだ)
 恐らく彼も食事は抜かすタイプの人間。且つ、食べたところでまともなものを選んでいないだろう。野菜嫌いの偏食家なら尚更。
(ならば隠して緑を入れることすらしてみせようではないか)
 そうだ。舐めてもらっては困る。罰ではなく、純粋な嫌がらせでもしよう。
……
「? どうした」
 ふと、月色の瞳がこちらを向いていることに気付く。殆ど返ってこなかった視線だ。あまりに珍しい──しかも、将校と目が合っても逸らさなかった。
……将校殿は、部下一人に食事を振る舞う時間がある程お暇なのですね」
「また嫌味か。調理時間の生成などどうにでもなる」
「自分で作ったものを毒見もせず、余程腕に自信がお有りのようだ」
「毒……実は不味かったのか?」
 尋ねると、何だかじとりとした感情でもって見つめられる。何だ。どういう感情なんだそれは。彼のことがいよいよ分からない。そんなに味が不服だったのか。否、ならば「普通の味」という世辞を告げないだろう。参謀は、今の将校に世辞を言うまい。
 うむ、と思考を巡らせる将校に、参謀が小さく溜息をついた。皿の上には野菜ばかりが散らかっている。

***

「しょーこーさんっ!!」
「あぁエム」
 名前を呼ばれて、目を向ける。ほぼ「窓の外に目をやる」の行為に等しい。何故なら小柄な少女の体は、窓から飛び込んでくるからだった。
 短いピンクガーネットの髪を揺らして、彼女は朗らかに笑う。……かと思えば、ほっぺたがぷくりと膨らんだ。
「最近のしょーこーさん、ココから入っても驚かないからつまんないなー!! もっとこう……わわわ、ぎゃぁーーっ!! ってなってほしいのに!」
「はは、流石に慣れたさ」
「今度は天井突き破ってくればいいのかな!?」
「それはやめてくれ」
 現実あり得ない夢想だが、実現しかねない話を差し止める。えー! と響く甲高い声には悪いが、この建物を建て替えるにはまだ早い。
 彼女は森の民。名をエムと言った。将校が「大臣の陰謀を捻じ伏せた英雄」であるならば、彼女は「人と手を取る希望を知る勇者」と言える。
 大臣の計画が無くとも、元々良好とは言えなかった森の民との関係。隔てる壁。或いは地面の亀裂。その全てを軽々飛び越えてきたのがエムだった。
 手を取りたい、と申し出た一言目。それから続けようとした言葉──今まで自分たちの間にあった障壁。取り除く為のこちらの努力。その代わりにそちらに譲歩してほしいこと。メリットとデメリット。──を聞く前に。彼女はきょとんとしてからにっこり笑ったのだ。
『うん!! じゃあ握手しよ!!』
 将校の方がきょとんとしてしまったのは記憶に新しい。手を取りたいとは言ったけれど、こんなにすぐ、本当にその体温を知ることになるとは思っていなかったから。
『それからごはん食べてー、ネネちゃんのこと紹介してー、あ! 一緒にお遊戯するのはどうかな!!』
『それはちょっと待ってくれ』
 やりたいと言われた諸々を一旦止めて。話したいことは粗方話した。エムは差し出された信頼を、嬉々として紙飛行機に折ってしまうタイプだろう。
(その翼でどこまでも飛んでいけるんだろうな……
 ころころと感情を塗り替える瞳に、頬も緩む。
……そうだな。次は驚いてやろう」
「えーーっ驚いたフリするの!? 演技はやだよ〜!」
「そう言うな。こう見えて、昔妹の前で披露した一人の芝居は好評だったんだ。演技には自信がある。それか、窓から入ってくる時の演出をあいつに頼……
 はた。
 声は萎み、言葉を噤む。「いや、何でもない」
 手元に控えてしまったままの台詞を、エムが見逃すはずがない。案の定、大きな瞳がこちらを覗き込む。彼女のことだ。「演出って聞こえた!! なになに!! かっこいいなぁ、しゅびびび、どどーん!! って登場できる!?」とか、声を輝かせるのかもしれない。
 いつかな、としか自分は答えられないけれど。
 いつか。将校が彼の頑なを解いた先にある時間のことだ。
「しょーこーさん……もしかしてつかれてる?」
「え?」
 しかし、掛けられた言葉は意外なものだった。つかれてる……憑かれてる? 否、どう考えても「疲れているのか」と聞かれた。
「私は至って元気だが……
「う〜〜〜ん……うん、そうなんだと思う。しょーこーさんは、自分でそう考えてる。だからあたしも、最初は気のせいかな? って思ったの。でも……
 さんぼうさんのこと?
 将校はゆるり、微かに。しかし確かに首を横に振った。疲れている……のかは分からないけれど、そうなのだとしても。あの男は錘の理由ではない。決して。
「大丈夫だ」
「でもでもっ! しょーこーさん、少しお顔が青いよ。前にごはん食べたのは?」
「む……
「きのうは何時間寝たの?」
……昨晩は眠っていない。でも昨晩だけだ」
 もーーーーーーーっ!!!! とエムが叫んだ。
 廊下にくわんと響き渡る。窓から入ってくる森の民がいることを、屋敷の者が知らなければ、屋敷中のものが「何事か」と思っただろう。屋根裏の蜘蛛も鼠も、吃驚したかもしれない。
「めっ!! あなたが元気なかったら、さんぼうさんだってしょぼぼ〜〜んってしちゃうよ!」
「参謀が? いや無いだろ」
「あたしには分かるよ! さんぼうさんは……
「失礼」
 きらきらとしたひだまりに、一筋の影差すような。
 切り込みに、二人は同時に振り返った。
 少し奥から歩いてくる人影がある。夕刻の紅茶色に染まった廊下に、ひとひら浮かべたヴァイオレットの花びら。鋭い瞳は、月でも持て余すような金色。いっそ地平線に沈む前、最期に抗った太陽が放つ鮮烈な光に等しい。
「参謀」
「さんぼうさん……
 現れた男は暫し何も言わなかった。すらりと背丈の高いだけで、絶妙な威圧感を覚える。
……話の最中に割り込んで失礼。貴女の声が聞こえたもので」
……ううん、あたしは大丈夫だけど……ねぇさんぼうさん、しょーこーさんの『じりじりしょもしょも』って」
「貴女には関係のない話です」
 小さく、しかし鋭く言い放った参謀に、少女が一瞬気圧された……本当に一瞬のことだったけれど。
「さんぼうさん! ムズムズってしてるなら……ぎゅーっわーーってしてるなら! しょうこうさんがキリリってしてるのを、隠して、にこにこしないように……!」
「まだ、森の民との関係は完璧に良好とは言い難い。貴女が長くここにいればいるほど、事態が悪化し、将校殿に降り掛かる重圧の可能性は拭いきれない……分かりますか」
 いや、何故エムの言っていることが通じているんだ……という謎は飲み込む。何だか分からないが、参謀は森の民を一刻も早く追い返したがっていた。それだけは理解が出来たから。
「おい参謀。そんな言い方は……
……うん。わかったよ」
「エム?」
「さんぼうさんに、任せていいんだよねっ」
「貴女には関係ない、と最初に言いました」
「うんうんっ!」
 徹頭徹尾。冷めた体温であしらわれたはずなのに、何故だがエムは心底嬉しそうだった。それから小さな体いっぱいに、腕を大きく振る。
「じゃあねしょーこーさん!! またネネちゃんとお料理教えるから!」
「え……あ、あぁ。元気でな」
 今、さりげなく本人の前でしれっと隠し事を暴露されたような気がするが──事実、単語を聞き取った参謀が「料理」と一言呟いている──。快活な去り際に、別れを告げるしかなかった。
 沈黙の帳が降りる。参謀は、エムのことも信じられないらしい。当然と言えば当然だ。彼が策略の中、彼女たちの暮らしを燃やそうとしていた経緯を考えれば、彼は彼女たちにとって「恨みの対象」。一歩間違えれば、復讐の形にだってなっていた。
 参謀が信じる信じない、などと選ぶ以前の問題である。
……私は、参謀の不信を信じると約束した)
 ここで頭ごなしに責めることは出来ない。が。
「たとえ信じられないのだとしても……今の応対は褒められたものではないぞ、参謀」
「貴方に危害があるわけではない」
「いいや、ある。エムでなければきっと、『かつてのかたきに冷たく追い返された』と触れ回られていた」
……
「お前は『エムが長居すると、降り掛かる責任が』と私を慮ってくれたな」
「幸福な解釈をなさる」
「しかし森の民を邪険にし過ぎても、気苦労するのは私だ」
 真っ直ぐと。
 珍しく視線が絡み合っている。それが何より、エムを帰した理由に将校が含まれる証拠に思えてならなかった。
……貴方、身体は」
「ん?」
「身体は大丈夫なのですか」
 この期に及んで、彼は不思議なことに将校の体を案じた……あぁそうか。エムとの会話を聞いていたのか。彼女が「つかれてる?」と尋ねる場面を、きっと聞いていて。
 すぐに首を横に振った。大丈夫。大丈夫だ。だから参謀に近付かせてほしい。もう少し。あと少しで、輪郭が捉えられるような気がする。今、手を伸ばせば──考えた、瞬間に。目の前が霞む。端正な顔立ちが濁っている気がする。見えない、見えない……
……あれ)
 ぐらり。脳が柔くくだける感覚がする。もしかして、参謀が霞んでいるのは本当の本当に。
(私、の……から、だが?)
 重力を感じた。吸い込まれるように身体が傾く。意識の遠くで、「将校どの」と呼ぶ声を聞いた気がした。

***

 焼けた体を覚えている。
 妹の体はいつも火傷しそうに熱くて。それでいて、霜焼けしそうに冷たかった。温度を鮮明に覚えているのは、ずっとずっとずっとずっと手を握っていたから。
 一人芝居をしている時間以外が恐ろしかった。
 手を握り、ただ。祈り信じることしか叶わないことも。無力な自分に打ちひしがれることも。嫌だったから、身に着けた。戦術を纏いずっと乱舞を。鉄の処女の恐怖と痛みを。生まれ落ちた世界で生き抜けるように強くなった。
 しかし時々、考える。
 強くなったのは身体ばかりで、頭も心も置いてけぼりなのではないかと。自らの頭で戦線に立てるよう、勉学にも励んだけれど将校は。やはり最終的に「信じる」ことから離れられずにいる。

 信じることしか叶わない。
 信じることしか出来ずに、涙を隠して笑った少年が、今度こそ声を上げて泣いている。片隅の方。そんな気がする。

 妹の体温が手のひらに熱い。強く握ったのは自分か相手か。指の間に絡む圧迫感で、ひどく安堵を覚えた。



 ──指の間に絡む圧迫感。

 意識がほとりほとりと歩む。地上へ辿り着いてもなお、感覚があるかのような気がして、将校はうっすら目を開けた。指。手。体温。全て夢の中の住人であるはず……
……そう、だよな……?)
 うすら何回か瞬きをする。はっきりと意識を覚醒させて、手元に神経を注げば、やはりそこに握られた手など無かった。
 ──すぐそばに自分より大きな手があったし、その根本を辿って行けば、見たことのない不機嫌を露わにした参謀がいたけれど。
「さん、」
「貴方は愚かだ」
 鋭く射られた責文句に、ぐうの音も出ない。縫い留められて、ただその身を叩く雨風を受けた。逃げも言い訳も出来ない。参謀も逃す気はなく、こんな時ばかり将校の目を見て話す。

『身体は大丈夫なのですか』

……ちがう)
 こんな時ばかり、ではない。
 案じられた時だって、参謀は将校を見ていた。食事の際に、何か言いたげだった時も。
 彼はきちんと目を合わせていた。
「これだから貴方は信用なりません。だから私に食事を提供する前に毒味でもすれば良かったのです」
「どく……
 あれ。
 唐突に思い立つ。あの、食事の際の何か言いたげな瞳。あのタイミングから、参謀が将校の不調を察していたのだとしたら。
 毒見をしろ。
 イコール?
 食べろ。
 イコール?
 将校が体調不良に見えるから、食生活を見直してきちんと食べて欲しい──……
「わ…………っ」
 かりずらいな、お前。
 こちらも責文句があったが飲み込んだ。ますます参謀が不機嫌になりそうだから。将校の一言に対して、参謀は「わ?」と眉を顰めている。
 いや、しかし、でも。
 仮にも。些細でも。そこに利害の思考があっても。下手くそでも。
(心配を……してくれていたのだろうか……
 そうでなければ、彼が、眠る将校のそばにいる理由もない。
 心なしか、怠い身体が軽くなる。脳までふわふわに軽くなったのか、思ったことはそのまま口から飛び出した。
……ありがとう」
 憎々しげな舌打ちが返ってくる。かつて良好な上司と部下だった頃には無かった棘。良いのか悪いのか。どうにも、感情を隠さなくなったものだ、と苦笑いさえ浮かんだ。
 参謀は尚も吐き捨てる。
「貴方がどうあろうと勝手だ」
 ただ。
「私からの信用を得たいのであれば、私の前で嘘の一つもつかないことですね」
…………
 ふいっと金色の瞳が逸らされる。
 彼はきっと、「大丈夫なのか」と問われたことに対し、「大丈夫だ」と答えた将校のことを言っている。突き付けられて漸く気付いた。自分は一つ、彼に小さな小さな嘘を付いてしまったのだ。真実を証明する、と示したのに。
 しかし逸らされた金色に、哀しさも冷たさも……失望もなかった。
 素っ気ない言葉の温度に、重い全身が包まれる心地がする。微かに目を見開いて。それから、苦く笑った。
「そう、だな」


 参謀。胸中で呼び掛ける。
(すまない、参謀)
 背けた横顔に伸ばしたい手が、すくむ。こんなにも、信じる顔した臆病で良いのだろうか。彼にはもっと強引な人が……若しくは彼にはもっと同じ駆け引きで土俵に立てる人が……向いているのでは、無いのか。
 自分はあくまで生きる環境を整えただけ。あとは「信じる」という力技を押し通し、参謀の変化に委ね、待っている。居場所を作ったくせして、その手を握ることが出来ない。導く手を持ち合わせていない。
 信じることしか、叶わない。
 あぁ。体調の不調にとんでもなく弱っているらしい。人間とは結局、一人で立つものだ。周囲の支えがあったとて。最終的に生き抜くのは自分。この男だとて子どもではない。分かっているのに。
(私は……信じ続けることしか)
 何もしてやれない一縷の痛みが、再びの微睡みの中で溶けていく。
 さみしくはなかった。一人の存在の気配が、そばにずっとあったから。