一之倉が「美味い酒がある」と言うので、松本はのこのことついてきた。一之倉の店選びに失敗はない。これまでに松本が連れていってもらった店はいくつもあるが、どこも美味くて雰囲気の良いところばかりだった。
そんなわけで松本は、今夜は地魚を出す小料理屋かそれとも隠れ家ビストロか、なんて期待していたのだ。いや、練習後のジャージのままで大丈夫、と言われた時点で疑問に思うべきだった。松本が案内されたのは、商店街の隅にあるスナックだったのである。
そんなわけで松本は煙草臭いソファーに身を沈め、店の女の子が歌うカラオケに拍手しながら日本酒を舐めているのだ。
「この間ここで飲んだNO.6っていう日本酒が美味かったんだけどさ」
店の女の子ではなく、仕事帰りで作業着姿の一之倉が酌をしてくれる。そういえば、作業着のままの一之倉と食事を共にするのは初めてだ。
「ごめんなさいね、あれすぐなくなっちゃって。最近じゃ人気すぎて手に入らないのよ」
キラキラしたドレスを身にまとったママが、済まなそうに眉根を寄せる。松本は盃をテーブルに置いて、首を振った。
「いえいえ、俺みたいな日本酒の良し悪しがわからない人間に飲まれるより、違いのわかる人に飲んでもらったほうがいいですよ」
それは松本の本心だった。ついでに言えば、一之倉が「これを松本に飲ませたい」と思ってくれたことのほうが、松本にとっては希少な日本酒よりもよほど価値がある。
「この間社長さんが入れてくれたボトルも社員さんに飲ませていいって言われてるから、ゆっくりしていってね」
ママはそう言い残して、隣の卓へと移る。途端に力が抜けた松本の肩を、一之倉が小突いた。
「そんなに緊張しなくていいのに」
「いや、なんか……迫力のあるママだな」
「今日はドレスだからまだまだだよ。和服のときなんて極妻みたいだよ」
一之倉が笑い、白い前歯がちらりとのぞく。日本酒の良し悪しはよくわからないし、スナックの柔らかすぎるソファは尻の据わりが悪いが、一之倉と飲む酒は美味い。
ママお手製だという浅漬けをツマミに、松本の酒はいつになく進んだ。一之倉も珍しく顔を赤く染めて、盃をあおる。その喉仏が上下する様から、松本は慌てて目を逸らした。人前で出してはいけない下心を丸出しにしている自覚があった。
気を逸らすために、店の女の子が歌うカラオケに集中する。甲高い歌声を聴いているうちに、松本の眉間には皺が寄っていった。
「……いや、この歌の男、ちょっとダメじゃないか?」
「え?」
「8センチのピンヒールを履いてる女の子が頑張って歩幅を合わせてくれてるのに気づかないとか」
一之倉も浅漬けをしゃくしゃくと咀嚼しながら、ちょっと音の外れた歌声に耳を傾けた。二人が日本酒を舐めながら真剣にカラオケを聴いているのを見て、ママは首をかしげている。曲が終わり、他の客たちと同じように拍手をしてから、一之倉が口を開く。
「……でもこの男、ちょっと松本っぽいかも」
「え!?」
「好き勝手に突っ走ってる姿がカッコよく見えちゃう、みたいな」
「……初めて聞いた」
「そう? 実家からも都会からも離れててバスケチームと社長の人徳しかいいところがないこんな田舎に、なんでオレが住んでるか考えたことないの?」
それから一之倉が、ふっと目を細める。その熱っぽさに、松本の喉が鳴った。
「好き勝手に走る男を好きになったら、自分もピンヒールなんて脱ぎ捨ててでも走らないと。バッシュがあればなお良いけどね」
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