ポほ
2026-06-30 13:47:17
4869文字
Public オトメビギナー
 

繋いだまま

痴漢回だけど別にエロではない。
話が話なので店名をぼかしてます(ぼかせてない)。
樹が好きなゲームは何となくJRPGっぽいイメージがあった(ペルソナ、ゼノブレイドとか)のですが見た目の華やかさに漠然と惹かれるのもいいなと思ってこうしました。まのさばとかも好きそう。

 放課後。
 樹は駅前の大型書店へ足を運んでいた。
 目当ては、好きなゲーム会社ポヨバースの新作「崩壊:原神ゾーンゼロ」の公式画集。発売日を楽しみにしていて、学校帰りに近所のイオン内の書店へ寄ったものの、そこではまだ入荷していなかった。
(わざわざ駅の方まで来たけど……
 制服姿のまま、広い店内を見回す。
(売り場、どこだろ……
 普段利用しない店舗だけに、本の配置がまったく分からない。店員に聞けば早いのだろうが、樹にはその一言を口にする勇気がなかった。
 結局、一列ずつ本棚を見て回ることにする。
 もっとも、それはそれで嫌いではない。目的の本が見つからなくても、知らない本との出会いがある。大きな書店を歩き回る時間そのものが、樹にとっては少し楽しかった。
 やがて男性向けホビー誌のコーナーへ差しかかる。
(この辺かな……
 平積みされた雑誌へ視線を落とした、その時だった。
 ふいに――
 自分のお尻に、何かが軽く触れた気がした。
(誰かの鞄でも当たった?)
 振り返るほどでもないと思い、そのまま本棚へ視線を戻した。
 本棚をもう一度見渡してみる。
……ないな)
 樹は小さくため息をついた。
(ゲームの本だから……攻略本のコーナーの近くかも)
 そう思って歩き出そうとした、その時だった。
 
 今度ははっきりと、自分の身体の一部を掴まれる嫌な感触が伝わってきた。
……っ」
 息が止まる。
 何が起きたのか理解するより先に、身体が強張って動かなくなった。
 すぐに振り返ることもできない。
 ようやく恐る恐る後ろを向いた頃には、そこには何人かの客がいるだけで、誰が触れたのかまでは分からなかった。
……早く、ここから出なきゃ)
 心臓が嫌なくらい速く鳴る。
 樹は足早に店内を移動し、攻略本コーナーでようやく目当ての画集を見つけた。
 セルフレジで急いで会計を済ませると、そのまま人通りの多い場所まで移動する。

 そして震える手でスマートフォンを取り出し、宗真へ電話をかけた。
……稽古中だったら、迷惑かな)
 数回の呼び出し音のあと、電話が繋がる。
『どした?』
 宗真の声を聞いた瞬間だった。
 張り詰めていた糸がぷつりと切れたように、涙があふれ出す。
 息がうまく吸えず、しゃくり上げながら必死に言葉を紡いだ。
「い、今……アエルの○善にいるんだけど……怖い目に遭って……
『え!? お前、泣いてない!? 大丈夫か!?』
「ご、ごめん……忙しいのに電話しちゃって……
『謝んなって!』
 宗真の声が一段と強くなる。
『今すぐ行くから! 母ちゃん、車出して! 樹が大変で……!』
 電話の向こうで慌ただしい物音が聞こえた。
『あ、それと今すぐ交番行け! 西口なら近くにあるだろ!』
……うん。ありがと」
 宗真の声を聞いているだけで、不思議と少しずつ呼吸が落ち着いていく。
 涙はまだ止まらない。それでも、一人ではないと思えた。
『もう出るけどさ、電話、このまま繋いどいた方がいいか?』
「ううん……もう大丈――
……全然、大丈夫な気がしねえから。そのまま繋いどけ』
……ん」
 樹は小さく頷いた。
……宗真って、本当に優しいな)
 震える手でスマートフォンを握りしめながら、樹は人通りの多い場所を通りながら宗真が来るのを待った。

 樹が交番へ向かう間も、宗真は電話を切らなかった。真冬の運転する車でこちらへ向かいながら、宗真はなるべく今の出来事とは関係のない話ばかりしてくれる。
『そういや今日さ、体育でバスケやったんだけど、バスケ部のやつら相手にオレが一番点取ったんだ』
……うん」
『そのあと調子乗ってたら、次の授業で居眠りして先生にめちゃくちゃ怒られた』
……ふふ」
 樹は短く相槌を打つことしかできなかった。それでも、宗真の他愛もない話を聞いているうちに、震えていた呼吸が少しずつ落ち着いていく。
 やがて交番が見えてきた。
……着いた」
『交番?』
「うん……
『そっか。電話切っても切んなくてもいいけど、オレらももうすぐ着くから。着いたら交番の方行くわ。あ、それと母ちゃんも一緒に降りるって』
……わかった」
 犯人が捕まるかどうか。そんなことまでは考えられなかった。今はただ、安全な場所へ行きたい。
 その一心だった。
 
 樹は意を決して交番の扉を開け、中にいた警察官へ声を掛ける。
「あ、あのっ……アエルの一階の本屋さんで、ち……ちか……
 言葉が喉につかえ、声が震える。
 警察官は樹の様子を見るなり、何があったのか察したようだった。
……怖かったでしょう。ここなら大丈夫ですから、落ち着いて話してください」
……は、はい。本を探してたら……
 あの瞬間を思い出しただけで、胸が締めつけられる。
 吐き気まで込み上げてきた。
 その時だった。
「樹!」
 勢いよく交番の扉が開く。
「樹ちゃん!」
 宗真と、その後ろから真冬が駆け込んできた。
「宗真……と、宗真のお母さん……
 宗真は思わず樹へ駆け寄り、抱きしめようと手を伸ばす。
 しかし、その一歩前に真冬がそっと樹を包み込んだ。
「もう、大丈夫だからね……
 優しく頭を撫でられた瞬間、張り詰めていた糸がまた切れてしまった。
……はい」
 安心した途端、こらえていた涙が再び溢れ出す。
 真冬は何も言わず、そのまま樹を優しく抱きしめ続けた。

 少し落ち着きを取り戻したあと、樹はすぐには被害届は提出せず、情報提供という形で当時の状況を警察官へ説明した。
……辛いことを話させてしまいましたね。最近多いんですよね。この辺りは巡回を強化して……
 警察官がそう言ってくれた、その時だった。
 
 交番の扉が勢いよく開く。
 〇善の店長と、客らしきサラリーマン、彼らに取り押さえられた男性、そして女子高生が入ってきた。
「え、静姉!?」
 思わず宗真が声を上げる。
「あんた、なんで!?」
 静乃は一瞬驚いたものの、すぐに犯人の腕を掴み直した。
……じゃなくて。この人痴漢です! 証拠もあります」
「わ、私はこれから仕事が……
 男が情けない声を上げる。
「知ったこっちゃないわよ」
 ぴしゃりと言い放つ静乃に、宗真は思わず呆気に取られた。
(静姉、つよ……
 すると店長が樹を見て気づいた。
「あ、そういえば君と同じ制服の子も監視カメラで確認した時に……って、じゃあ君もか」
「えっ!?」
 樹は思わず目を見開いた。
 そんなわけで、今回の犯人はあっさりと現行犯逮捕された。
 
 樹は犯人の顔をはっきりとは見なかった。
 けれど、特別目立つような人物ではなく、どこにでもいそうな、ごく普通の男だったことだけは印象に残った。
 その後、警察官は念の為駅前だけでなく樹たちの中学校や静乃の高校周辺についても巡回を強化すること、そして何かあれば迷わず110番通報して構わないことを説明してくれた。
 
「はー……疲れた」
 ようやく肩の力を抜いた静乃へ、真冬が心配そうに声を掛ける。
「静乃、大丈夫? ケガとかしてない?」
「平気。……ちょっと気分悪いけど、まあ、あのクズ捕まえられたからよかったわ。……ていうか、なんでお母さんたちがここに?」
 宗真が事情を説明すると、静乃は静かに頷いた。
「そっか……
 そして樹へ向き直り、柔らかく微笑む。
「樹ちゃん、怖かったよね。よく頑張ったね」
 その一言だけで、また涙がこみ上げそうになる。
「はい……でも、宗真がずっと電話を繋いでくれてたから、安心したっていうか……なんとかなりました。それに、お姉さんも怖い思いをしたのに犯人を捕まえてくれて……ありがとうございました」
「いーのいーの。それにしても、あのあんたが?」
 静乃はにやりと笑い、弟を見る。
「かっこいいとこあるじゃん」
「お、オレは別に……ただ電話してただけだって」
 宗真は照れくさそうに頬をかいた。
 その様子を見て、真冬は二人へ穏やかな口調で言う。
「今回は捕まえられて本当によかった。でも、静乃みたいに周りの人の力を借りて取り押さえるのも一つの方法だけど……あんまり危ない真似はしないでね」
「だって、絶対泣き寝入りなんてしたくなかったんだもん」
 静乃は悔しそうに唇を噛む。
「理不尽じゃない。ただ買い物に来ただけなのに、こんな目に遭わなきゃいけないなんて」
……そうね」
 真冬も静かに頷いた。
 しばらくの沈黙のあと、宗真がぽつりと呟く。
「なんか……女の人って大変なんだな」
「え?」
 樹が顔を上げる。
「こんな怖い思いすることあるなんて知らなかったし。正直、今日みたいな話もさ……今までは他人事っていうか、漫画とかニュースの中だけの話だと思ってた。でも、違うんだよな」
……俺も、知らなかった」
 思わず本音が漏れる。
(宗真だったら、手を握られても……胸を触られても、多分……平気なのに)
 そんな考えが頭をよぎり、樹は胸の奥が重くなるのを感じた。
 宗真は真っ直ぐ樹を見つめる。
「これから駅前行く時はちゃんと言えよ。オレもついてくから」
……ありがと、宗真」
「名取さんと出かけることもあるかもしれないけど……名取さんだって女子だし、二人まとめて怖い目に遭うかもしれないだろ」
 少し照れ臭そうに視線を逸らしながら続ける。
「だから、オレのことはいつでも呼んでいいから」
 一拍置いて、小さく付け足した。
……その、オレも、ちょっと寂しいし」
……う、うん」
 樹が微笑み返すと、静乃が意味ありげに弟を見つめた。
「んー? あんた、女子の遊びに混ざりたいってわけ?」
「ち、違ぇよ!」
 宗真は真っ赤になって否定する。
「樹が心配なだけ!」

 帰りの車内。
 静乃が助手席に座り、後部座席には宗真と樹が並んでいた。
 交番を出た時には少し落ち着いたと思っていた。それでも胸の奥に残る恐怖は、まだ完全には消えていない。
 樹はそっと視線を上げる。バックミラーに映らないことを確かめてから、隣に座る宗真の手へ、おずおずと自分の手を重ねた。
……お前」
 宗真が小さく目を丸くする。
「なんかね……こうしてると、ほっとするの」
 樹は少し照れくさそうに笑った。
「さっき電話を繋いでた時もそうだった。だから……今だけ、いいかな」
 宗真は一瞬だけ言葉を失った。
……しょうがねえな」
 ぶっきらぼうな返事。
 けれど、その手は振り払われなかった。むしろ、逃げないように少しだけ握り返してくれる。
 もちろん本人は、そんなつもりはないのだろうが。
(宗真と手を繋ぐの、久しぶりだな……
 
 宗真は相変わらず小柄なのに、手の大きさは今の自分とほとんど変わらない。
 少し骨ばっていて、ごつごつした感触。
——紛れもない、男の子の手だった。
(宗真って……昔から、かっこいい奴だよな)
 運動もできて、誰かが困っていたら迷わず助けに行ける。自分にはない強さを持っていた。
(俺なんかとは違って……
 だからこそ、隣にいると少しだけ引け目を感じることもあった。
 でも今日は、その頼もしさが何よりもありがたかった。
 一方の宗真は、必死に平静を装っていた。
(い、樹のやつ……何考えてんだよ……!)
 手を離そうとは思わない。
 むしろ、このまま安心してくれるなら、それでいい。
 ……なのに。
 心臓だけが、妙にうるさい。

 樹もまた、自分でも説明のつかない鼓動を感じていた。
(なんでこんなにドキドキしてるんだろ……
 ただ安心したかっただけなのに。
 それだけのはずなのに。
 繋いだ手の温もりを意識するたび、胸が少しずつ熱くなっていく。
(私が今……女の子だから?)
 その答えは、まだ樹自身にもわからなかった。