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ひなげし
2026-06-28 21:13:02
2682文字
Public
狛日
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Germination.
令和8年6月悪意の証明無配
天悪狛日「Apostate.」の二人の後日談。
初夏の話。お前と夏を待つ。
集落にある日向の庭は、朝の洗い立ての光に包まれていた。初夏の朝ほど光と風が心地の良いものはない。
日向はしゃがみ、満足げな息を吐き出した。
青々と伸びた緑がゆらりと風に葉を揺らす。しみじみと育てた緑を見つめていると、頭上に影が差した。
「日向クン、帽子は持ってないの? 暑くて倒れちゃうよ」
背後で、穏やかな声がそう言った。振りあおぐと、そこには同居人の堕天使──狛枝がいた。フードを被った狛枝は黒い翼を大きく広げ、日向に日陰を作っている。
「はは、悪い。ありがとな。ちょっとのつもりだったんだ。だけどほら、これ見てくれよ。かわいいだろ」
日向はからりと笑み、目の前のトマトの花房に指をさした。すくすくと伸びた緑の枝の先には、いくつもの黄色の小さな花が咲いている。
「無事に育ってよかったね」
「ああ。いい土を南部までもらいに行ったおかげだな。このままいけば夏には実がなるんだよな」
「うん。そうだよ。ねぇ、日向クン」
「どうした?」
「ここって夏はどうなるの?」
「どうって
……
、やっぱり暑くなるぞ。黒い服は蒸すし暑い。狛枝のその羽も、熱がこもりそうだな」
夏の日差しと青々とした大地への懐かしさが込み上げてくる。服を脱ぎ捨て、日頃窮屈に閉じ込めている悪魔の翼を広げ、暑い日差しを避けて飛び込む滝壺の冷たさと、日向の水浴びを真似ようとちらちらとこちらをうかがっていた子どもたちの視線を思い出す。
想像してみる。自分が生きる世界に──あの日差しと胸が弾むような緑と水の中、狛枝がいたらどうだろう。古ぼけた椅子と本に埋もれる姿も様になっているけれど、夏の青々とした空と、暑さと、木漏れ日、冷たい水に白い足首を浸す姿もきっと絵になるくらいに様になるだろう。悠々と広げられる六枚の黒い翼と、白い顔が浮かべる心地よさそうな顔が、日向に振り向く。
見てみたい。
日向は眩しいものを見るように目を細め、想う。
生命力あふれる季節の中に、お前がいたらどんな日々になるだろう。お前との生活を、自分の目で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、皮膚で感じたい。その感動を、情動を、分かち合いたい。
ただ、この男は存外めんどくさがるところもある。この土地にはセンターのように整えられた空調も、冷水機も、ミストシャワーもない。不便で暑いこの小さな居場所に、笑ってお前はいてくれるだろうか。
「あは、残念。キミにくっついていられる理由が一つ減っちゃった」
狛枝が日向の隣に座り込む。座り込みながら、腕同士が触れ合う。黒い羽が日向の頭の角に触れながら、日向に日陰を作る。
日向は丁寧に身体を包む羽の影を見つめながら、唇を尖らせた。
「り、理由なんて、なくても
……
いいだろ。そもそも俺とお前の間には、そんな堅苦しい秩序なんてないはずだ。それなのに、お前がそんなこと言い出したら、俺は納屋にしまってる麦わら帽子を全部焼かないといけなくなっちゃうだろ」
狛枝が顔を俯ける。その肩が小刻みに震えている。
「狛枝?」
「
……
っふふ。ああ、ゴメンゴメン。ちょっとおかしくってさ。ボクの幸運のせいで麦わら帽子どころか納屋とボクたちの家まで燃えたら困るから、好きにさせてもらうね」
「俺の家まで勝手に燃やすな。そ、それぐらいならお前の自由にしてくれ。俺は別に
……
お前が本当に俺を望んでくれるなら
……
拒否したりはしない」
狛枝が日向の目を見つめる。薄灰がゆるりと緩む。
「うん。そうするよ」
「
……
なぁ、それより狛枝はその、何かしないのか? お前の自由にしてもらって構わないんだが、ここでの生活は暇になってないか?」
日向は息を吸い込み、指を軽く握った。
「ここにいる理由は、前にも言ったようにもう十分にあるんだけど
……
。日向クンが心配になるならそうだな。
……
ねぇ、日向クン。花は好き?」
「ああ、かわいくて見ていて癒されるから好きだ」
「よかった。じゃあ、キミの隣でボクも一つ育ててみようかな」
狛枝はスラックスのポケットから一粒の種子を取り出した。日向は狛枝の手元を覗き込む。種子は、焦茶色に白い線が縦に入っている。小指の爪のような形をしていた。
日向はこっそりと深く息をつく。素肌の上を優しく慰撫してくる言葉だった。小さな希望が胸に咲く。ささやかだけれど、未来の約束だ。悪魔の日向にとってその感情は、あまりに甘美でおいしい。心が踊った。
うれしい。お前は夏の日も俺の隣にいてくれるんだな。
「ははっ、元天使先輩のお手並み拝見だな」
「あんまり期待しないでよ。環境が完璧に整えられた人工プランターでしか育てたことないし、ただ知識だけがあるってだけだからさ。外のままならない環境の中で育てるって意味では、日向クンの方が先輩だね」
「で、これはどんな花が咲くんだ?」
「日向クンにぴったりの花だよ。花が咲くまでに時間はかかるし、一人でには大成しないけど、荒地でも逞しく育つ丈夫で、大きくて太陽みたいな花が咲くんだ」
「へぇ、それは見てみたいな」
「そうだね、キミにあげたい花なんだ。ボクも頑張ってみるよ」
狛枝が種子を手のひらに包み、ふわりと笑った。
「じゃあ、今日はお前の畑も作らないとな」
日向は立ち上がる。善は急げだ。
「えっ、あ、ちょっと。日向クン、ボクの花にそんなに張り切らなくてもいいんだよ? この花は強い子だから荒地でも咲くってさっき言ったよね?」
声が背中を追ってくる。日向は納屋の日陰にまとめて置いてある農具の選定を始めた。石を避ける籠と、壁に立てかけていた鍬を手に取る。
「何言ってるんだよ、お前がせっかく花を育てるんだぞ。植物は天気もそうだけど、土が大事ってお前が言ったんじゃないか。花のためにもちゃんと土地を整えてやらないとな」
「そんなにはしゃがなくても。日向クンさっきちょっとのつもりって言ってたけど、朝からトマトのお世話してて疲れてるでしょ。ボク、キミにそろそろ休まないって声をかけに来たんだよ? その、冷たい紅茶を作ったんだ。だから」
「狛枝、どのくらいの大きさの畑が欲しい? その花は水が好きなのか」
「ねぇ、聞いてる? 日向クーン?」
降り注ぐ太陽の光が眩しい。だけど、額の汗を拭うように心地の良い風が吹いた。畑仕事には向いている日だろう。雲ひとつない空に、大きく息を吸ってみる。隠しきれない高揚感に、口元が上がる。
きっと楽しい夏がやってくる。
日向はすぐ後ろに駆けてくる足音を聞きながら、ゆっくりと日差しの中へと歩いていった。
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