ゾロは客人の扱いを受けているポーラータング号で、数少ない自由に出入りを許されているトレーニングルームにいた。自重の鍛錬を一通り行い、いっときの余暇を過ごすも、やはり湧いてくる好奇心には勝てずに通りかかったシャチに手合わせを願った。真剣はダメだと言われ、「まぁコイツらの艦だしな」と納得した。もちろん、一本にしろと言われたのでそれも言う通りにした。決まった型に則った動きに合わせ、カンカンと規則的に木刀が鳴り響く。一通り終えた後、ゾロは木刀を肩に担ぎ、少し目を細めた。
「やりずれェな」
前々から感じていたのは、違和感だった。
ハートの海賊団を相手にすると、妙に調子が狂う。その答えをもらえないまま今に至ったわけだが、剣を交えることで何か返ってくるかと思えばそんなことはなく。
今、対峙する男の背格好は普通だ。特別大柄でもなければ、特殊な血筋でもない。見た目には。そうして、太刀筋に変な癖がついている訳でもない。
しかし、どうにも斬る姿が思い浮かばない。
「なんか変か?」
「いや」
短く返事をすると、シャチは「あっ」と何か思い出したように声を上げた。
「もしかして、ロロノアも斬りにくい?」
「は?」
「キャプテン仕込みのハズなんだけど、『やりずれーなオマエ!やる気あんのか!』って海軍に紛れたとき言われて以来なんとなくトラウマっつーか。ちゃんと剣術やってるやつから見ると斬りにくいのかなー、なんて」
「何だそりゃ」
「おれも何だそりゃって思って、ずっと考えてるとこ」
シャチは木刀を軽く振りながら、あははって続ける。
「刀って、斬ろうと思えば思うほど余計な力が入って、うまく斬れなかったりするじゃん」
本音を喋っているのか、自説を語り始めた男の内情はわからないが、手合わせとはいえここまで殺気がないのも違和感のひとつとも言える。
「まあ、つまり、ただの考えすぎかもしれねーけど」
本人は満足げに頷いている。
「へぇ、そんなことあるのかねェ」
ゾロが薄く笑った。
「斬る気になったオマエと、試してみてェな」
そう言うとすっと体を引いて間合いを取り、中段に構えた。
「いや、そこで入るスイッチある!?」
突然臨戦態勢に入ったゾロに、シャチが後ずさる。
シャチを追い、ゾロがじりじりと間合いへ入り込むと、仕方なさそうに木刀を構え直し、二、三歩後退して距離を取り直した。
「おいおい三億の賞金首だろおまえ!手加減してくれよ」
「それじゃあ、試したことになんねェだろ」
「いや、何を試すんだよ」
返事を待たずにゾロが踏み込む。
ヒュッと軽く脅すように切り下ろされた木刀を、シャチは右後ろへ退いてかわした。空を切った切っ先はすぐ頭上へ戻り、流れるように角度を変えて再び迫る。
(人を斬るための最短距離は、やっぱりすげェな)
シャチは思う。
頭上に構えられた刀は全長が見えない。刀身の長さが分からなければ正確な間合いは測れないが、刀身が見えた時にはもう頭を割られている。だから考えるより先に身体が動く。どちらへ動けば刀は届かないか。それだけを勘で拾っていく。
鋭い風切り音。
それでもゾロの切っ先はまた空を切った。
「おい、逃げ回ってたらつまんねぇだろうが」
「いやいや、死にたくねーし。痛いのもイヤ」
「手合わせでそんな返事するやつがあるか」
「わりぃなロロノア。おれは剣士じゃないんでね」
どこまでも真面目な顔で言うものだから冗談には聞こえない。
「子供の遣いじゃあるまいし」
「子供の遣いでこの艦にいるやつはいねーよ」
一瞬だけ心外そうな顔をしたが、すぐ困ったように笑った。
「そろそろメシの時間だから終わりにしよーぜ」
そう言ってシャチは出口を見た。
「ネタバレすると、おれは今、斬る気も斬られる気もない。そういう号令は出ていないんで。だからもう、やりにくいもやりやすいもねェし、ロロノアにいい返事はだせないってワケ」
「じゃあ、お前はいつ刀抜くんだよ」
「そりゃあハートの海賊団のため。キャプテンのゴーが出たら」
即答だった。
迷いのない返事に、ゾロはふんと笑う。
「そうか。アイツは船長だったな」
「そうだよ!ウチのキャプテンなんだよ!
…………あとはおれの大事なモンのため」
「おまえ、あんのかよそんなモン」
「えぇっと
……そうだな」
少しだけ視線を揺らしたあと、当たり前のように言った。
「例えば、そこでコソコソ見てるペンギンとか」
壁際からペンギンが笑って姿を現す。
「あれ、見つかってたのか。邪魔したらわりィと思ってな」
「気づいてんだよ、こっちはとっくに」
シャチが舌を出した。
「じゃあ、その『大事なペンギン』とやらが、お前の後ろで倒れて気ぃ失ってるって設定で」
ペンギンの登場に意識を割くでもなく、タンっと踏み込んだ音がした。
「ああ、そういう
……」
苦笑したシャチの間合いに、上段へ構えたゾロが真正面から飛び込んだ。
がら空きの正中線をわざと晒す。
誘いだった。
慌てる様子もなく、シャチの身体がすっと沈む。腰を落とし、左手を柄から離して左後ろへ体をひねると、大きく振り下ろされた木刀を峰で受け流し、紙一重でかわした。そのまま崩れた姿勢から片手で下から上へと斬り上げる。逆袈裟斬りだ。
(悪くない)
だが、届かなかった。
シャチの切っ先はゾロの胸元を掠めただけだった。踏み込んだゾロの物打ちが左肩を軽く弾く。
「痛ってェ!」
派手な悲鳴を上げ、木刀を落として床へ崩れ落ちる。
「めちゃくちゃ痛い!!手加減しろって、この三億が!!」
肩を押さえてぎゃあぎゃあ子供のように文句を言う。
「十分手加減したけどな」
「でしょうけども」
ぶつぶつ言いながら木刀を拾い上げ、「よいしょ」と立ち上がり、「ペンギン、アザになるかもー」と泣きつく姿には、さっきまでの緊張感がもう欠片も残っていない。
「まあおれが命をかけたって、この程度の時間、敵の足止めをするぐらい」
「そうだな、まァとりあえずその隙におれがキャプテンのもとまで走るしかねーな」
シャチの言葉にペンギンが鼻で笑う。そういう取り決めで、そう言わなければいけないような。まるで、合言葉のような。
「うん、頼む」
「アイアイ、シャチ」
その返事には不思議と迷いがなかった。ふたりは肩を竦めて笑った。
「おい、ペンギン、シャチ」
いつからそこにいたのだろう。ローが顔を覗かせた。
「昨日の報告書、今日中に出せよ」
「あぁ、アイアイ、了解です。じゃあな、ロロノア。すぐメシだから食堂で」
返事だけはやけにいい。
さっきまで肩を押さえていた男とは思えないくらい軽い足取りで歩き出す。
ようやく逃げられると思ったのだろう。
珍しいものを見たというようにローが笑う。
「ペンギンも手合わせしたのか?」
「いや、まァ、ロロノアはどっちでも良かったんだと思いますよ。でも、ほら、今は潜水中ですし」
「まァ、
…………待て、だな」
その返事に、ペンギンではなくシャチは「ですよね」と笑ってローのあとを追いかけようとした。
一瞬だけ、ほんの少しのローの、間。
今、一番ゾロの欲していた〝殺気〟の色を感じた気がした。すぐにふにゃりと溶けて消えていった僅かな振動。
(やりずれぇわけだ)
ゾロは小さく笑った。
「また、頼むな。今度はトラ男の許可が出たときにでも」
一瞬だけ目を丸くしたシャチは、困ったように肩を竦める。
「恐れ多いぜ、それは」
そう返事をして笑う。ヘラりと上がった口角と下げられた眉がチグハグで、どうにもこうにも。
(やりづれぇ)
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