むかいえ
2026-06-27 21:19:09
3315文字
Public シャアム
 

インドア・キャンプ

シャアムワンライ、お題「キャンプorサバイバル」。arhm時空のシャアム。台風ネタあり。

……最初から休みにしておけばいいものを」
 オフィスビルのエントランスで、シャア・アズナブルは忌々しげにスマートフォンをスーツポケットにねじ込んだ。
 台風七号と台風八号――世間ではダブル台風と称されていたそれらが続け様に日本列島へと北上しているというニュースは、数日前から大々的に報じられている。大雨や強風による被害の予測、防災物品や備蓄の推奨、交通機関の計画運休。自然の脅威に対してそれぞれに出来ることを勧められていた。当然、リモートワークへ切り替えが可能な仕事であればそれも推奨されている。
 しかし、シャアの勤務する株式会社ネオ・ジオンは通常通りの出社である。特に役職持ちなどは「台風による不測の事態があった時のために」などとそれらしい理由を並べ立てて呼び出す始末。パワハラではないか? とシャアは社長を恨んだ。
 そんなわけで商品開発部本部長であるシャアはいつも通りにスーツを着こなしネクタイを締め、泣く泣く出勤していた。同じく役職持ちの広報部課長のハマーンと通路ですれ違ったが、彼女もまたどんよりと憂鬱そうな顔をしていた。
 案の定、午前十一時を過ぎた頃には窓の外は世界がひっくり返ったような暴風雨となる。正午を回る手前になってようやく総務部から「全社員、ただちに業務を切り上げて帰宅せよ」との通達が下った。
 遅すぎる。判断が絶望的に遅い。
「今から帰る方が至難の業だろう……
「本当にな……
 退勤命令後にまたしても通路ですれ違ったハマーンは、タクシーを呼んだらしい。相乗りさせてもらおうかと思ったが、彼女が予約した時点で二、三時間待ちらしく、さっさと帰ってしまいたかったシャアは挨拶だけしてエントランスを抜けた。
 その考えが甘かったと思い知るのは、最寄りの駅に到着してからである。
 強風の中、どうにか辿り着いた彼を待っていたのは、電光掲示板に踊る『運転見合わせ』の無慈悲な赤い文字。主要幹線はすべてストップ。再開の見込みは立っていない。もちろんタクシー乗り場には長蛇の列……いっそ会社に引き返して、やはりハマーンと相乗りさせてもらうか? しかし、すでに駅に来るまでの間に雨風にさらされてくたくたになっていたシャアは、逆戻りするのも億劫だった。
 疲れ切ったため息が勝手に漏れる。
 手持ち無沙汰に、雨雲レーダーでも確認しようとスマートフォンをタップしてみる。そこで、ふとある男の存在を思い出した。彼の家ならば、自宅に帰るよりも近い。
 アプリを開いて、トーク画面にメッセージを打ち込んでいく。
 ――『アムロ。突然で悪いが、君の家に寄らせてもらえないだろうか。出来れば泊まらせてほしいが、雨が止むまででも構わない』
 三分ほどして、短い返信が届いた。
 ――『泊まってもいいけど。仕事だったのか?』
 ――『午前だけな。午後になって天気が酷いから帰宅しろと言われた』
 ――『判断が遅すぎる』
 自分と同じ感想に口元を綻ばせる。
 ――『気をつけて来いよ』
 続けて送られて来た承諾の文言に感謝のスタンプを送り、シャアは小さく安堵の息を吐いた。持つべきものは気の置けない友人である。
 彼はへし折れそうなビニール傘を固く握り締め、叩きつけるような雨の中へと一歩を踏み出した。
 
 *
 
「ひどい有り様だな、シャア」
 インターホンが鳴り、ドアを開けたアムロ・レイは、開口一番に呆れたような声をだした。
「ははは。自然の猛威を前にしたら、傘など何の役にも立たなかったよ」
 玄関ホールに滑り込んできたシャアは、まさに水の滴るいい男――を通り越して「陸地なのに着衣水泳でもしたのか?」と言えそうな濡れ具合だった。傘は完全に骨がひっくり返って無惨な姿を晒しており、上質なスーツは当然ぐっしょりと色を変え、自慢の金髪は額に張り付いている。
 アムロは大きなバスタオルを二枚、濡れ鼠になった男の頭に乱暴に被せた。
「床が水浸しになるからもうここで脱いでくれ。そのスーツ、ウォッシャブルか? 洗濯機で洗っていいなら入れといてくれ。……とりあえず、シャワーして来い。風邪をひかれたら、俺が看病しなきゃならなくなる」
「ああ、感謝するよ」
 シャアはタオルの下から顔を覗かせ、満足げに微笑んだ。
 一緒にゲームしたり出掛けたりと休日を共に過ごす時間も長いこの友人は、口ではなんだかんだと言っても世話焼きな面がある。シャアが絡むと面倒そうな顔をしても、こうして当たり前のように手を貸してくれる彼の優しさが好ましい。
 温かいシャワーを浴び、アムロから借りたやや丈の短いスウェットに着替えたシャアがリビングに戻ると、キッチンから香ばしいコーヒーの香りが漂ってきた。
「生き返ったよ。やはり持つべきものは、包容力のある友人だな」
「よく言う」
 アムロがマグカップを差し出した、まさにその時だった。
 ――バツン、と。心臓に悪い短い音がして、リビングを明るく照らしていたシーリングライトが消えた。同時に、唸りを上げていたエアコンの風が止まり、冷蔵庫の低い駆動音も消え去る。
 世界から、人工的な音が完全に消失した。残されたのは、窓を激しく叩く雨音と、遠くで響く雷鳴だけ。
……停電か」
 シャアがコーヒーカップを握ったまま、暗闇の中でわずかに声を強張らせた。彼は都会の快適さに慣れすぎており、こうした想定外のインフラ停止には、少々打たれ弱いところがあった。
「アムロ、懐中電灯はどこだ? スマートフォンのバッテリーも温存しなければ……このまま朝まで復旧しない可能性もあるな」
「落ち着けよシャア。こんな台風だ、ブレーカーが落ちることくらい予想の範疇だよ」
 暗闇の中、アムロの声は冷静だった。彼はスマートフォンのライトを迷いのない手つきで点灯させると、リビングの隅へと向かう。
「一応出しておいてよかった」
 がさがさと何かを漁る音がして、やがてアムロは円筒形の器具をダイニングテーブルの上に置いた。カチ、とスイッチの音がした直後、リビングが温かみのあるオレンジ色の光に照らされる。
……ランタン?」
「キャンプ用のやつだ」
 アウトドア用のLEDランタンである。光量を調節すると、部屋全体がまるで洒落たコテージのような雰囲気に様変わりして、暗闇と共にあった不安も払拭していく。
 アムロは手際良くランタンの周りにキャンプ用品を並べていった。
 以前、ハマーンやカミーユを誘ってキャンプを企画していたが、うち二人が熱でダウンしてしまい、結局アムロとハマーンだけでのキャンプとなったことがあった。きっとその時も、今のように手際良く二人でキャンプをしたのだろう。参加できなかったことを思い出し、少しだけ胸の中にもやりとした感情が湧く。そんなことなど知らないアムロは、次にキッチンからカセットガスコンロと、クッカーを持ってきた。
「鍋? これは……
……どうせだし、キャンプしようと思って。おうちキャンプってやつ? 停電なんて滅多にないから、楽しまなきゃ損だろ?」
 アムロはキャンピングチェアまで組み立てる。リビングには少々不釣り合いなそれらは、なるほど確かに非日常を感じさせてわくわくしてくる。促されるまま、シャアは不慣れな手つきで低いキャンピングチェアに腰を下ろした。沈み込むような独特の座り心地は、思いのほか悪くない。
「今日の晩ご飯は、ストックしておいたレトルトカレーと非常食のご飯にしよう。文句言うなよ」
「文句などあるはずがない。……この前は一緒にキャンプが出来なかったからな。これはこれで、嬉しいよ」
 シャアがそう微笑めば、いつも冷静で表情変化の乏しいアムロもまた、口端を柔らかく綻ばせる。
……それ、俺も思ってた」
 小さな青い炎がバーナーから立ち上がり、シュウシュウと水を沸かす音が静かな部屋に響き渡る。
 窓の外では、ダブル台風が文字通り牙を剥き、ベランダの格子をガタガタと揺らしている。しかし、ランタンの灯りが照らすこの数メートル四方の二人だけのキャンプ地は、不思議なほど温かかった。