イト
2026-06-27 18:18:29
2478文字
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阿蘭陀のあまくてまるくて大きいおいしい苺について

お題「苺」
苺の旬を大分過ぎている?木苺の旬だからいいんだよ
ワンドロワンライ企画のお題をお借りしました
作成時間は分からない

 食事というのは生物の基本とも言える行動だ。人間に限らず、単なる栄養素の摂取以外の意味がある。
 無味乾燥な白色の世界で、日時の感覚を失わないために三食を定時に、毎日同じメニューではなく違うものを。そして失われた季節感というのも必要だ。マスターの心の安寧に多少なりとも寄与するために。この人から日常を消し去らないために。資源に限りがあろうとも。それはカルデア全員の総意である。
 というわけで本日の昼食にはイチゴが添えられた。小皿の上に二粒、真っ赤で大きな日本で一般的に食される品種をできうる限り再現した一品だ。ビタミンCもたっぷり。食堂のエミヤ氏もにっこりである。
「これは……何だ?」
 武市瑞山は赤い果実を箸でつまんだ。
「イチゴですよ。美味しそうですね。」
 茶をくみに席を立っていたマシュ氏が通りすがりそう言う。苺……これが?
「我々の時代とは随分と違うな。」
 時代の移り変わりで言葉の意味は変わる。だが私の記憶が正しければ、苺と言うと草むらに生る小さな果実で、粒が密になって実る赤や黄色の物だったはずだと訝しんだ。
 ——こんな表面がぶつぶつしているのは初めて見た。未来の日ノ本では異国の苺により、慣れ親しんだあの苺は滅んでしまったのか?
「日本の品種ですが……栽培品種は後の時代に取り入れられたのかもしれません。お嫌いでしたか?」
「いや、好きだった。」
 子供の時分、苺といえば貴重な甘味であった。
 日本において苺は自生種であり、利用は石器時代にまで遡るが、現代一般的に言われるイチゴ——オランダイチゴの栽培種——とは違いイチゴと言うと主にラズベリーの仲間を指していた。日本に自生するナワシロイチゴやモミジイチゴと、オランダイチゴは属から異なる。外見も集合果であるキイチゴ類と、肥大化した花托を食するオランダイチゴは全く異なるものである。当然、武市瑞山はそれを知らない。
 江戸までの道中で見つけた黄色い苺を以蔵に知られないないようこっそりと食ったのを思い出しながら、未来の苺の強い芳香を嗅いでいた。
……見慣れないな。」
 精一杯、言葉を選んで言った。阿蘭陀の苺か、と聖杯から引き出した知識を反芻する。阿蘭陀ならば、まあ、古くから貿易関係があったことであるし、オロシャやメリケンとは違う。植物に国や派閥は無い。これを食うからといって開国派にはならないと思い直し、赤い実を口に入れる覚悟を決めた。
「先生、ご一緒してもよろしいか。」
 マシュ氏は一言ことわってマスターの席の方へ行った。マスターは食事をあらかた済ませイチゴを頬張っている。
「ああ、座れ。」
 田中君が来た、四角い盆の上に今日の膳を持って。
「先生もその苺が気になりますか。」
 彼の膳にも当然奇妙な苺が乗っている。
「ああ、マスターは違和感が無いようだから、これは現代の日本では当たり前に見られる苺らしい。」
 ふん、と田中新兵衛は鼻息を立てた。
「何度か菓子に入っていたと聞きました、煮詰めたり乾かしたりした物が。覆盆子ふくぼんしのたぐいとは気付かなんだ。」
 覆盆子、おそらく薬の名だ。彼は時折草花を知らない名で呼ぶことがある。薬種商の次男だと聞いたが、本草学に造詣があるらしい。
「覆盆子は何に効くんだ?」
 何となく、聞いてみる。
「滋養強壮に。それと尿漏れに効きます。」
 そしてこれに同じ効用があるかは知らないと付け加えた。あまり食事時に聞くべきではなかった。
 彼の膳は支那うどん……らしきものだ。献立にはちゃんぽんと書かれていた。彼がこうして食べ慣れない物を平気で食うのだから、いつも和食えーやびーばかり食べるのではなく、何か目先を変えてみるのもいいかもしれない。
 ではまずはこいつだ。一口、尖った先の方に噛みつく。二、三噛んで残りを口に放り込んだ。
「田中君。」
「何でしょうか。」
 手に持った苺を差し出す。
「食べなさい。」
 非常に美味であった。
 香りが強く、酸味と甘みがある、……とても甘い、美味い!
 驚くほど美味いぞこれは、野に生る苺とは全くの別物だ。サクサクと歯ごたえがあり、表面の種がぷつぷつとした食感を与えている。
 田中君は……黄色い麺をくわえたままに少し困惑している様子だ。
 だって仕方ない。田中君にこれを食べさせたいのだから。
 彼はこれを口にしないかもしれない。なぜなら異国の見知らぬ果実で、私同様抵抗があるかもしれないからだ。
 そしてこれが美味いぞと言うと、良かれと思い私に譲ってくるかもしれない。
 いずれにしろ、これの味を知らないままでいるのは不幸だ。
 よって即食べさせることにした。うどんより先に食うべきだ。有無を言わさず食べさせてから、味について語ればよい。
「あの……。」
 麺を半端なところで噛みちぎった田中君が口を開いた。
「いいから、食べなさい。」
 ずいと口の前まで持って行く。
 口の中の物をまだ噛みながら、何か返事をしている。嫌だとかいらないとかではないようだ。では食べなさい。
 さらに押し出す。唇に当たって、むにと口元が歪んだ。
 があ、と口が開く。牙が赤い実に突き刺さり、指からむしり取っていった。
 片眉を吊り上げて黙々と咀嚼している。随分長く噛んでから、ゴクンと飲み込むまで見守った。
「どうだ。」
……美味いと思います。」
 よし。美味いだろう、そうだろう。いい物だこれは。それを田中君と分かち合えて良かった。
「ですが……
……何だ。」
 気に入らないのか? 何故だ。こんなに甘くて丸くて大きい美味い苺を。
「ちゃんぽんとは合いません。」
 水を一口含んでから、残りのうどんを食い直し始めた。
「くっ……!」
 これは私が悪かった。口の中にうどんの汁気の残るまま食ったら、この果実の魅力は半減しただろう! 本当は美味しいんだ、阿蘭陀の苺は。
 後で食べると言う田中君が本当に苺を食うのか。それを確かめるために空の皿と残った苺の前で、しばらく食後の茶を飲んだ。