よる(ひねもす)
2026-06-25 21:34:15
4317文字
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LUCKY

影浦くんの二十歳の誕生日をお祝いする犬飼くんの話です
「ALRIGHT」という話となんとなく繋がっています


 二十歳になったらこうしようと決めていた。住宅街の片隅、ぼんやり光る青と黄色の看板を目指して歩く。目当てのコンビニは個人経営のローカルチェーン店で、表通りに面していないせいか、いつも空いている。だけど広くて品揃えもいいから、存在に気づいてからは行きつけになった。
 時刻は夜十時前。自隊のヤツらと飯を食ったあとの帰り道だった。人の誕生日にかこつけて、いつもより良いメシを食べたかったんだろう。めったに行かない高級志向のファミレスで普段なら絶対に頼まないステーキ定食を平らげて、俺の体はいつもより重い。ヒカリはゾエに任せて、ユズルは家まで送り届けた。この時間なら、他の知り合いに出くわすこともなさそうだ。
 自動ドアが開く。明るい音色で入店メロディが鳴る。いつもいる店員はやる気なく「いらっしゃいませ〜」と声をあげた。
 入り口からまっすぐ、奥の冷蔵庫のショーケースに向かった。天井まで埋め尽くすドリンクたち。いつも手に取るペットボトルの列の左、金属っぽい光を反射する色とりどりの缶を見つめた。上から下まで舐めるように眺めて、俺は後頭部をかき乱した。
 どれもこれも同じにしか見えねえ。どれにすりゃいいんだ。
 家を出る前に兄貴に聞けばよかったかと後悔して、すぐに頭を振る。「初めて飲む酒はどれがいい?」なんて聞いたら、生ぬるくて柔らかい感情で全身包まれるに決まっている。それから母親を呼び出して、常連のオヤジどもに言いふらして、あっという間に俺は酔っ払いどものオモチャだ。それが嫌だから、初めての酒は家族に黙って飲もうと決めていたのだ。
 俺の隊の三人はまだ二十歳になっていない。鋼も、荒船も、当真も、十九歳のままだ。こうなったら一人で飲むしかない。そう決めて、このコンビニまで来たのに。
 巨大な冷蔵庫の前でしばらく立ちすくんでいると、ふいに、首筋にチリリと感情が走った。反射的に振り返る。
「やっぱり、カゲだ。何してんの」
 よりよって、コイツかよ。
 思いっきり眉をしかめて口をへの字に曲げた俺に構うことなく、見知った顔の男は片手をひらりと振った。
「ンでこんなとこいんだよ」
「ここ、おれんちから一番近いコンビニなんだよね。カゲこそなんで?」
「テメーには関係ねーだろ」
 まあ、そりゃそうだけどさ。小声で呟きながら犬飼が近づいてくる。ぺたぺたと軽い音が鳴る。足元に視線を落とすと、素足でかかとのないサンダルを履いている。そういえば、いつもより服もずいぶんラフだ。近所というのは本当らしい。
「お酒?」
「チッ」
「ガラ悪う」
 舌打ちにも怯まず、当たり前みたいな顔で隣に立つ。俺の視線を追って、同じ棚を眺めた。それから、パチっと小さな火花が弾けるような感じがした。
「あ、そっか。誕生日おめでとう、カゲ」
 このシチュエーションでそれを言われるのは、意図を見透かされているようで居心地が悪い。だけど、犬飼が他意なく、ただ単純に、たまたま会った二十歳の誕生日当日の同級生を祝っているだけであることは、クソッタレなサイドエフェクトが教えてくれる。ムカつくが、殴ることも罵ることもせず、俺は黙って頷いた。
「誕生祝いになんか奢ってあげようか?」
「あ?」
「なんでもいいよ。カゲの好きなやつ、買ってあげる」
…………
 奢られるのはいつでも大歓迎だ。せっかくなら、このいけ好かない同級生の財布にダメージを与えてやりたい。なのに、俺は途方に暮れる。視界の隅から隅まで酒が並ぶのに、どれを選べばいいか分からない。「何がいい?」なんて、口が裂けたって犬飼には聞けない。
 押し黙ってしまった俺を訝しむように、犬飼が体を傾けた。俺は反対側に顔を背ける。それで、新商品のデカいポップが天井から吊り下がっているのに気づいた。犬飼も同じタイミングで気づいたようで、声をあげる。
「ハロハロ、もう売ってるんだね。メロン味だって。おいしそ〜」
 タイミングを見計らったように、店内放送のスピーカーから、場違いに明るい女の声が響いた。「あの人気の味が今年も登場!北海道メロンを贅沢に使った限定商品です!」……たしかに、うまそうだな。そういえば、さっきの店でも甘いものは頼んでなかった。
「あれ」
 派手な広告を指差す。了解、と頷いた犬飼がレジに向かうのを見送って、俺は店の外へ出た。このコンビニには駐車場がないから、自動ドアの横の中途半端なスペースで時間を潰すことにした。
 昼間は蒸し暑い夏の気配がするが、この時間は涼しい。人の気配がしないから、マスクを外してポケットにしまう。夜風が通り過ぎていく。どこかから、石鹸の匂いがした。
「うわっ、ヤンキーだ」
「うっせ」
「ホンモノじゃん」
 尻をつけずに座り込んでいた俺を指差す男を小突くために立ち上がった。はい、と差し出されたプラカップを受け取る。冷たい。白いアイスが美しい渦を巻いている。あの店員はいつ見てもやる気がないが、ソフトクリームを盛り付けるのは上手いらしい。
「どこで食べる?」
「ここでいーだろ」
「さすがに邪魔じゃない?」
「つっても……
 辺りを見回すが、近くに腰を落ち着けられそうな場所なんてない。周りはアパートや一戸建てばかりだ。
「じゃあ、こっち」
 角の斜め向かいのコインパーキングに向かい、空いた縁石に腰かけた。ここなら、通行人と目が合うこともない。こんな時間にわざわざこんな場所に駐車しにくる車もほとんどないだろう。コンクリートが固くて尻が痛くなりそうだが、アイスなんてどうせすぐ食べ終わる。
 俺の提案に犬飼は呆れたように片方の眉を持ち上げたが、短く息を吐いてから、隣の縁石に腰かけた。他にロクな場所がないと分かっているのだ。
「おれ、駐車場でアイス食べるひと見るの、はじめて」
 嫌味なんだか皮肉なんだか分からない声を聞き流し、プラカップの底からスプーンですくって、一口。いい匂いがする。甘い。冷たい。うまい。
「うめぇ」
「そりゃよかった」
 メロンなんてめったに食わないが、たまに食うとうまい。すこし青臭いのがソフトクリームの甘さとよく合う。無言で食べ始める俺の隣で、炭酸が勢いよく抜ける音が響いた。そちらを見ると、犬飼がペットボトルのジュースを飲んでいる。
「オメーは?」
 食わねえの? と言わずに聞く。犬飼は首を振った。
「この時間に食べると太るから食べない」
「ふーん。かわいそ」
 チクチクと責めるような感触に、俺は喉を鳴らして笑う。なんとなく、いい気分だった。
「一口やるよ」
「えっ」
 メロンの果肉と、ソースと、アイスをバランスよくスプーンですくって、腕を伸ばして犬飼に差し出した。街灯のまばらな薄暗闇のなかで、いつもより気の抜けた姿の男が何度もまばたきを繰り返している。風呂上がりなのかな、と、なんとなく思う。俺の右手にいくつも感情がぶつかるが、どれも痛くない。その感触を追いかけるように、犬飼の左手が手首を掴んだ。そのまま、口にスプーンを運ぶ。
……ほんとだ、おいしい」
「だろ」
 解放された右手で、自分の口にアイスを運ぶ。二口、三口と食べ進めるうち、なんであんなことをしたのか、自分で自分が分からなくなる。アイスは冷たい。六月の夜に外で食べると、体の内側から冷えていく。
「カゲ、おれの誕生日覚えてる?」
 中途半端な距離を挟んで、犬飼が問いかけた。俺はすこしの間、喉を滑り落ちる冷たさを追いかける。
「知らねえ」
「冷たいなあ」
 傷ついたような声をあげるが、非難するような感情は刺さってこない。……本当は、うっすら、記憶に残っていた。俺より早生まれで、たしか、ゴールデンウィークのあたり。ゾエにむりやり買わされたコンビニの袋の重さを覚えている。
「それなら今、覚えてよ。来年の五月一日にプレゼントちょうだい」
 痛くもない、柔らかくもない、不思議な感触に呼ばれるように、隣を見た。
 ちいさな縁石にむりやり座るから、体を窮屈そうに折りたたんで、膝のうえに腕をだらしなく投げ出している。目も口も笑顔のかたちになっていない。期待と諦めがごちゃ混ぜになったような横顔で、アスファルトの地面を見つめている。
 あ、今、何かが分かりそう。
 分からないままで死んだっていいことが。
……じゃあ」
 甘いものを食べると喉が渇く。無意識に唇を舐めた。
「夜十時に、あのコンビニで」
 あごを持ち上げて、さっきのコンビニを指す。犬飼がこっちを向いて目を開いた。パチパチと肌の上で驚きが弾ける。実際、俺自身も驚いていた。なんで、こんなことを言ったんだろう。手のひらの熱で、プラカップがじっとり汗をかく。開いた目を細めて、犬飼が笑った。いつもの胡散臭い微笑みじゃなく、ガキみたいな笑顔だった。
「犬飼りょーかい。夜勤のシフト入れないようにしなきゃね」
 それから、手に持ったままのペットボトルを傾ける。上を向いた喉仏が上下する。なんとなく、見つめてはいけないような気分になって、目を逸らした。プラカップの中身を見る。白と緑とオレンジが混ざって溶けていく。それからは余計なことを考えないように、もくもくとスプーンを動かした。
「ごちそーさま」
 最後はカップを傾けて中身を飲み干す。うまかった。吐いた息が冷たくて甘い。縁石から立ち上がり、大きく伸びをする。帰って、風呂入って、寝よう。
「帰るわ」
「俺も帰ろうっと」
 遅れて犬飼も立ち上がる。腰に手を当てて、上体を逸らすように伸びをする。ほとんど地面に座っていたようなものだから、短時間でも体がバキバキになるのだ。
「おやすみ」
…………おー」
 駐車場を出てすぐの曲がり角で別れた。背を向けたあと、すこしだけ淡い感情がぶつかって、中身が分からないうちに滲んで消えていった。
 薄手のブルゾンのポケットに両手を突っ込んで歩く。結局、酒は飲めなかった。まあ、いいか。来週になれば穂刈と鋼も同い年になる。どうせ祭り好きの穂刈が何かの集まりを企画するんだろう。
 人気のない夜道を行く。二十歳なんてただの一年だ。誕生日なんてただの日常だ。だけど、誰かから祝福を受け取って、美味いものを食って、それをくだらないとは言えなかった。たとえ相手が犬飼だったとしても。
 約束とも呼べないような曖昧な言葉を、アイツは来年まで覚えているだろうか。本物を買ったこともないくせに、宝くじを買ったような気分で、ポケットの中の右手を開いては閉じる。アイツが来ても来なくても、どっちでもいいような気がした。