[そばをえらび続ける僕へ]
彼の住まいに初めて招かれ、行きつけだというお蕎麦屋さんの共有。こんな風に、彼の、何気ない日常を。自身のそれのふちに融解できるが、ああ、きっと幸せの語が持つ真実なのだろう。くぐる暖簾が、日常あふれた開拓の折々だ。
「ちわーっす、大将! 二名様で~!」
がらがらっ、と引き戸を元気よく開け切る前からミサオさんはあいさつし始め、体が店内に入るより早くピースサインで二を示す。それが、たとえば獲物を飼い主に見せるどうぶつじみて、どこか得意げなのが和ましくもそわりと鳩尾をくすぐるのだった。二名様、と客側が言うのは、彼の場合茶目か素なのか、未だ不規則で興味深い。店主と思しき人物は、ミサオさんの肩越しに見ても、顔を上げる前からにこにこしていたが、ミサオさんの顔を見て、そのまなじりのまろみをいっそう隠さぬよう増すのだった。それは、隠し味を隠さぬ開けた共有じみる。店主は五十代程だろうか、あるいは若く見えてもう少しとしかさか。白い三角巾を巻いており、深い笑い皺が人柄を物語る。店員は、三十代程に見える男性が店主のほかに一人居るだけのようだった。目元がよく似ている。短絡的に推理するならば、店主の息子なのかもしれない。
「おっ、ミサオちゃん、らっしゃい! 今日はお連れさんが居るのかい。いらっしゃい、お兄さん!」
「こんにちは。初めまして、私、姓は諸伏、名は高明
…ミサオさんの、連れの者です。以後、お見知り置きを」
胸元に手を添え、ぺこりと、僕なりの最敬礼。店主も、ぺこりと、気さくに礼を返してくれた。
「これはこれは、ご丁寧に。どうぞ、今後とも、よかったらご贔屓にね」
「ええ、頂くのを楽しみにしています」
にこり、自然とほころぶ笑みの花が、出汁の香りに包まれる店内のやさしい陽気そのままだ。僕が言い切るを待たぬほどの食い気味に、ミサオさんが、得意げに僕の肩を抱き寄せ、調子よくにこやかな声を返してから、会話するがままに注文を入れた。
「モッチロン、よろしいからご贔屓させてくれちゃいますって! ぼく、いつものやつお願いしまーす」
「はいよ、ミサオちゃん! いつものやつ一丁~」
「いつものやつ一丁ー」
店員が、店主の通しを反唱する。一人とは言え、店員もとうに、ミサオさんの日常を解していることが伝わり、和ましい。店主も店員も、人なつこそうな陽向の抱擁を、決して押し付けがましくなく有している。まるで、ミサオさんと血縁でもあるかのような類似性。どうやら僕は、ひまわり畑に身を投じたらしい。そのまばゆさが、だのに、サングラスをせずとも目を刺さぬのだから、不思議だ。
ひまわりの一輪が、太陽でもないのに僕を向く。その花弁が象る陽光よ、月夜の香さえ帯びながら、きみは、絶対の神秘性でなにか、ぼくを余さずとかしてゆくのだ。
「ぼく、ここに来たらいつも、カレー蕎麦にしてるんですけど、たかあきさんはどうします?」
壁のお品書きを示しながら、ミサオさんが、確認してくれた。なるほど、彼の“いつものやつ”とは、ここではカレー蕎麦なのか。カレー蕎麦。長野でも聞く名だが、食べたことは、そういえばない。
「カレー蕎麦、か」
「そ! こっこのは、ほォんと絶品でェ~!」
僕の注文など、ミサオさんの賛辞よりずうっと前の太古からじみて、当然決まっていた。それは、食べたことがないと、思うより前から。注文はなににするかと、問われるより前から。彼が『いつものやつ』とにこやかに言ったときから、否、この店に向かうことが決まったときから。
…あるいは、僕と出逢うより前、彼が、ここに来始めたときからきっと。そんなことを、ままごとじみてさえ、ああ、おもうのだ。
「僕も、カレー蕎麦がいい。大将、私のぶんもお願いできますか?」
「はいよっ! いつものやつもう一丁ね!」
「いつものやつもう一丁!」
店主の通しを、店員が反唱した。僕は少し意表を突かれたようで、どこか、わかりきっていた気もし、にこりとも泣けそうともつかず、眼尻と目頭とにこの出汁の香に包まれたやさしいまろみを、帯びる心地がした。既に確定した常連だからか、あるいは僕の真意など接客のプロの前お見通しか? ともすれば距離感の詰め方が急速で、だのにそれが不快でない絶妙の匙加減が、スパイスを掌握するマエストロのそれなのだろう。ああ、たがいなくここのそばは、絶品だ。
「たかあきさんも、お好きなんですね! カレーとお蕎麦なんて、夢の結婚式場で、ホンット最高ですよね~!」
にこにこ、ああ、かれだけが真意をしらぬよで、なごましい。
――好きなのは、きみのことをだけれどね。
思うけれども、言わぬ程度には“高明”とはイジワルなもったいつけ屋のようだ。ぼくのしらない僕を、彼は何故かすべて、掌握している。彼の持つ僕の百科事典が、僕に不規則にページを開き、次々に、知恵を授けるのだ。
「
……、
…ああ。夢のようだね」
僕は今、なきべそ顔をしてるろうか、それとも微笑んでみえるだろうか。彼にとっては、いずれなのかはこのとき些末。ぼくが本当に苦しいときを、彼は見極められる。だから、僕がしあわせを噛みしめて泣きそうでも、しあわせで微笑んでいても、彼にとって、さして変わりはないのだ。彼は、表象としての表情でなく、どこか、その奥の感情を見極める嗅覚を持つ。
…少なくとも、僕に対しては、だが。
ああ、きみよ。陽光まばゆいをかみしめるような一転なきべそめく目元よ。動と静とのギアチェンジを識るきみは、僕というコンバーチブルカーにほろを気付かせた張本人なのだろう。幌の、開閉スイッチを司るはきっと、きみなのだ。開けるも閉めるも自在に、オープンカーめいて陽や風を諸共浴びるも幌を閉じて共に雨を避けるも自在に、それがきままめいてその実ぼくへの自然な寄り添いであることで、ぼくをああ、幾らも自然と馴染ませるのだ。
ころころ、にこにこと、陽気がほら、もう、月夜の南のビーチだ。風がさわりと、開いたほろから撫ぜる。車内から跳ね降りて砂浜駈け出すのを、青い衝動がまま、自身に自然とするのだ。
「
…ん。にゃへへ、こォんなゆめみたいなの、
…ほんと、ボク
……、うれしいです。だって、夢の披露宴みたいなカップルを、
…ほかのだれでもない、あなたと
…ご一緒、できちゃうんですから!」
そう言う彼があわいぬくもり満ちた笑みを軽く挟んでずいぶんとなきべそがおをしているから、ああ、僕もやはり今、同じような顔をしているのだろうと結論づく。『僕にも同じものを』、と、常連にならう常連見習いが、これからを思い、注文するように。彼のそばを選び続けることがきっと、僕に、与えるものを僕は、ありがたくもとうに知っているのだろう。
まるきり同じでなくていい。だからこそ、のともに歩ける道へ。この道のそばを、ぼくの道として、えらび続ける僕へ。カレーとお蕎麦のマリアージュを、超えることはきっと、僕らにはできるのだろう。だのに僕らは、きっと、その味がぼくらに匹敵して、うれしいのに、対抗するのだろう。ああ、これがきっと。しあわせと、いうものなのだ。
彼のそばを、えらび続ける僕へ。きみたちのゆくさきに、多幸を確信する。
終
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