もろみ(もず味噌)
2026-06-22 00:05:49
4301文字
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(未完)受肉IFデュマオラ(ショチョに記憶無し)

全年齢の予定

 三年か四年ぶりにまみえた男は、青く透明な瞳でキャスターを見た。

「君は誰だ?」
……ボケるにはまだ早いんじゃねえか、兄弟」
「君のような兄弟がいた覚えはないが」
 スノーフィールド市中央区市街に位置するカフェにて。
 心底不思議そうに首を傾げてパンケーキとベーコンを口に突っ込む男の前に無許可で座る。文句を言われたが構わず店員を呼ぶと、厄介な不審者だと認定されたか溜め息を吐いていた。
「朝飯はちゃんと食ってるようで何よりだ」
「今日は時間があるのでな。……何が狙いだ? 私の肩書きは知っているのか? わざわざ仕掛けてきたなら知らないわけがないな。生憎だが便宜を図ってはやれん」
「だから、俺ぁあんたの知り合いだっての。オーランド・リーヴ警察署長殿?」
 今日は数少ない休日らしい。野暮ったいポロシャツにチノパン、老眼鏡に新聞紙といった風体で朝食を摂っている男こそが、キャスターの元マスター、オーランド・リーヴ警察署長だ。キャスターが顔を覗き込むように名前を呼ぶと眉を顰めて「君のような男は知らないと言っている」と吐き捨てられる。
 流石にここまで来れば臍を曲げているわけではないだろう。そもそも臍を曲げられる理由もないのだが。
 紆余曲折の果て、聖杯戦争を生き抜いた(勝ち抜いた、とはあまり言えない)はいいがさして願いのないキャスターは聖杯への願いにキャスターの受肉を望んだ。オーランドは残った魔力でスノーフィールドの社会基盤の復興を。単なる魔力源として扱われたため『泥』の影響はほとんど無く、イレギュラーだらけの聖杯戦争は極めて平和的な幕引きを迎えたと言える。
 受肉したキャスターはすぐに旅に出た。オーランドはそれに反対することなく、金の使い方には気を付けろと苦笑して眠る財産の一部をキャスターに渡して見送ってくれた。はずだ。少なくともキャスターの記憶領域はそう言っている。
「あんた逆に、どこまで覚えてる?」
「どこまで、とは?」
「俺のことは覚えてねえ、それは分かった。一旦飲み込んでやる。……プレラーティの名に聞き覚えは?」
「知り合いにはいない名だな」
 キャスターは眉を跳ね上げた。しかし、単に警戒されている可能性もある。覚えていたとしても、本来『表』に出ていない存在である狂気の残滓、厄介な幻術使いをおいそれと初対面の人間に開示することはないだろう。
 だが、それがキャスターに対する警戒ではなかった場合──聖杯戦争に関わる事柄すべてがオーランドの記憶から消えている可能性が高い。
 無性に腹が立って、キャスターはテーブルの下で荒々しく脚を組んだ。オーランドの記憶を弄った『誰か』への怒りもあるが、今身体を支配するこれは違う。被害者への義憤ではない。ただただ気分が悪い。胸の奥がむかむかとしている。
 単なる知り合いの男が自分のことを忘れていようが、失望はあれど別段腹は立つまい。だがオーランド・リーヴは違う。キャスターが『兄弟』と呼ぶほどには情があり、信頼があり、思い入れがある人間だ。それと同時に、彼がキャスターに出会っていようがいまいが思想も信念も変わらない類の人間であることも確かだった。なるほどそれでこそオーランド・リーヴ警察署長だ。実に好ましく、実に腹立たしい。
 今この時、キャスターの痕跡が有ろうが無かろうが、オーランドには一切影響していないということである。キャスター自身の内にある空白ばかりがぽっかり目立っているばかり。要するに──このままではオーランドにとってキャスターは、『どうでもいい相手』だということになる。
「有り得ねえぜマジで、逆だろ、あんたが俺を欲しがったんだろうがよ……
 聖杯戦争に、サーヴァントとして、と言っていいかどうか分からない。ぶつくさと曖昧な文句を垂れるとオーランドがぱちぱちと瞬きをして、少し呆れたように息を吐いた。
「なんだ、もしや昔クラブかどこかで会ったか?」
「違……あんたそんなところ行ってたのかよ!?」
「若い頃は潜入捜査もしていたからな、ゲイクラブには何度か。別に寝たわけではないし、声を掛けてきた相手を仔細には覚えていないが」
 平然と宣うオーランドを見て少し愕然としたが、すぐにポジティブに思い直す。キャスターは元来明朗闊達たる元英霊である。巌窟の底から希望の星を見出す英雄を、その手で紡いだ男であった。そう簡単に絶望などできるたちではない。
 好機だ。
 彼に思い出してもらわないことにはこの腹立たしさは収まらない。色恋沙汰と勘違いされているのは誠に遺憾だが、現状の打破としてはなかなか良いシチュエーションではないか。少なくとも魔術関連を匂わせるよりは探りを入れやすいのではないか。
 男を口説くのは初めてだが、得意分野ではある。実際に抱くことは出来ないまでも、せいぜいキスまでならまだ何とかなるだろう。運ばれてきたコーヒーとトーストを前に、キャスターは決意した。
 こいつを、オーランド・リーヴを落としてやる。思い出させてやる。一体彼に何があったのか、突き止めてやろうではないか。

 §

 気が合わないながら気の置けない年下の友人のポジションを得るまでに掛かった時間はおよそ一ヶ月だった。単純接触効果とは恐ろしい。プライベートタイムが極端に少ない堅物魔術師兼クソ真面目仕事人間に対してはなかなかの成果であると言えよう。
 名前をすぐに覚えてもらえたのは僥倖だった。というか覚えるも何も、大文豪としての名をそのまま名乗ったのだから著書を知る程度の教養があれば心に留め置くスペースが既に準備済みである。偽名と断じられたのはいただけないが、受肉した折他でもないオーランドが偽造した身分証明書というカードがこちらにはある。目くじらを立てるほどではない。
 しかし彼にアレクサンドルだのデュマだの呼ばれるのがどうにも一行ずれた臨書のように据わりが悪く、オーランドには「キャスターと呼べ」と言ってある。どういう渾名だそれは、と首を傾げていたので聖杯戦争の基礎知識も失っていると見えた。
 そして今、キャスターは猛烈な不安に襲われている。
 ホテルを追い出されたと適当に法螺を吹いてオーランドの家に転がり込もうとしたのは確かにこちらだ。彼が魔術師であり一般人に私生活を晒さないことは承知の上で一晩くらいソファを貸してくれないかというちょっとした賭けだった。
 まさか彼の寝室に案内されるとは思わなかった。
……あんたはどこで寝るんだ?」
「? 一緒に寝ればいいだろう」
 若い頃は同僚と雑魚寝もよくしたものだ、と懐かしげに言う男には、何と言うのが正解だったのだろう。
 大柄なオーランドに合わせてかベッドも相応に大きいとはいえ、キャスターとて立派な体躯を持つ成人男性である。猫の子のように招かれたところで到底懐で丸まることができるサイズではない。並んで横になれば体のどこかしらが触れ合うか、身体半分宙に浮く羽目になるのは間違いない。
 というか、出会って一ヶ月程度の男をこうもほいほいと家に上げるような神経の持ち主だっただろうか。キャスターのことを思い出しかけている、或いは無意識下に刷り込まれていると仮定しても所詮はマスターとサーヴァント、緊急時以外に同じベッドで眠るような関係ではない。
 ではつまり、そういうことなのか。
 キャスターはここに覚悟を決めるべきなのか。
 始まりの勘違いを訂正しないどころか利用してきたキャスターの自業自得と言える。性愛を匂わせて口説くには至っていないがオーランドも思うところがあったのだろうか。困る。しかし彼がそういうつもりであったとして、ここでおめおめと逃げ出そうものならきっと二度と彼を探る機会は訪れない。いや、しかし、うーん。
 ぐぬぬと考えている間にとっぷりと日が暮れた。夕食も共にしたがどんな味だったか覚えていない。アレクサンドル・デュマともあろう者が。オーランドはさして気にした風もなくソファに座って新聞を読んでいる。ガラス越しの青い瞳は至って真面目だった。老眼鏡を掛けるようになったのか。そんな歳か。やけに似合う。現実逃避の感想が頭の中に途切れ途切れに浮遊する。そんなところに突っ立っていないで座ったらどうだ、とオーランドがソファを叩いて示した。茫洋と回り込み少し離れてそこに座る。
 沈黙が落ちる。元よりオーランドは口数が多くない。キャスターが黙り込めば喋らないのも道理だ。横顔をじっと見つめていると、視線が気になったのか首を傾げてこちらを見た。
「なんだ?」
 切り込むべきか。
 勘違いだった場合、切り込まれたら彼は逃げるだろうか。
 キャスターは逡巡する。そしてふた呼吸の裡に腹を括った。どちらにせよ勘違いにしなければいいのだ。つまりオーランドの出方にかかわらず、キャスターが彼を口説けばよい。
……なあ、触っていいか?」
「? なにを」
 あっこいつ全然その気ねーわ、と丸わかりの返事にキャスターは天井を仰いだ。俺の時間と飯を返せ。
……あんたなぁ……その気もねえのに男をベッドに誘うんじゃねえよ……誰にでもすんなよこんなこと……
「ああ……そうか、そうなるのか」
 オーランドはぱちぱちと大きな瞬きを繰り返している。目から鱗を落としているようだ。それから困ったように眉を下げた男は新聞を畳んでローテーブルに置き、老眼鏡もその上に置いて、キャスターに向き直った。目が合う。視線が絡まる。数秒ののち、男が両手を広げるように差し出した。
……触るか?」
 許しも同然の仕草に、頭がくらりとした。
 叱咤。訂正。違う、キャスターは手段として性愛を含む距離の詰め方を選んだだけで、本当にオーランドに性愛をもって触れたいわけではない。そのはず。そのはずだが、今見せられた許しがあまりにも甘美に見えてしまって脳がぐらついた。いやこの言い方は正確ではない。正直に、明け透けに、赤裸々に言えば──かなりムラッときた。何がって、性欲と独占欲と優越感である。
 落ち着け。コイツが悪いが、まあ落ち着け。下半身に言い聞かせながら深呼吸をする。性欲の他責はポルノ以外では許されない。
 まず冷静になれ。いよいよおかしいだろう。あのオーランド・リーヴが、こんな風にあっさりと、出会ってたかだか一ヶ月という認識であるはずの男に許しを与えるなど。流石に罠ではなかろうか。
 あるいはそう、自分の身体などどうでもいいとでもいう無関心を通り越して、まるで──まるで?