九夏
2026-06-21 22:25:43
3682文字
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狼の恋路は狐も食わない

2026エイプリルフールネタの杏こはSS。こはね視点。全10ページ。ウルフ杏こはと妖怪狐志歩のお話。志歩が杏の幻覚を見せてわちゃわちゃする話です。

『狼の恋路は狐も食わない』


 歌の修行から皆が集まる村に帰ってきた私は、一旦杏ちゃん達と解散して目的もなく村を散策していた。
 やっぱりここは落ち着くなぁって村の空気感に尻尾が揺れるのを感じていると、少し離れた先に見覚えのある後ろ姿を発見する。
「志歩ちゃん!」
「あ……こはねとしら……って、違ったんだ」
 駆け寄りながら名前を呼ぶと、志歩ちゃんは狐耳をぴくぴくと震わせて振り向いてから呼び返してくれたんだけど。
 あれ? って感じで少し怪訝な様子なのが気になって、志歩ちゃんの前まで近づいてから尋ねてみた。
「志歩ちゃん、どうかしたの?」
「ああ、ごめん。ちょっとね、こはねに呼ばれて意識をそっちにやった時にこはねと白石さんの匂いがしたから、こはねと白石さんが一緒に来たのかなって勝手に勘違いしただけ」
「えっ! そ、そうなんだ……志歩ちゃんもキツネさんで私達と同じぐらい鼻が良いからそう感じたのかな」
 眉を下げて苦笑混じりに言う志歩ちゃんの言葉にびっくりして、つい手元をクンクンと嗅いでみる。
 そんな私を見て志歩ちゃんは口元に手を当てると微笑みながら言った。
「こはね、鼻が白石さんの匂いに慣れすぎてるんじゃない? 私からすると、今も目の前のこはねの背後に立っているようにすら感じるよ。……ほら、そんな感じでね」
「えっ? ひゃあぁっ!?」
 志歩ちゃんが私の背後を指さしたので振り向くと、いつの間にか俯き気味でぼんやりと立つ杏ちゃんの姿があってたまらず大きな声をあげちゃう。
「あ、杏ちゃん、来てたなら声を掛けてくれれば……って、あれ?」
 杏ちゃんに声を掛けている最中にふと違和感を抱き、くんくんと鼻をひくつかせる。あれ、いつもの大好きな杏ちゃんの匂いがしない……? これって……
「! 志歩ちゃん、もしかして……!」
「うん、幻術で見せてる幻覚。良い反応見せてくれてありがとう、こはね」
「あ、あはは……叫んだの見られたのは恥ずかしいけど、志歩ちゃんが満足そうで何より、かな?」
 志歩ちゃんがこうして悪戯するのは親しみを抱いてるからこそって、一歌ちゃん達に教えて貰い知っているから。恥じらいで熱を持ったほっぺをさすりながらはにかんで、改めて幻覚の杏ちゃんを覗き込んでみる。
 幻覚の杏ちゃんは見た目はそっくりでも、よく見てみれば突発的に生み出した幻覚だからなのか薄っすら透けていて足元辺りはぼんやりと揺らいで形を作りきれてなかった。
 まじまじと幻覚を見つめる私に、志歩ちゃんが言う。
「思いついたまま作ったから突貫工事みたいな幻覚になったけど、ぼんやりとしている方がお化けっぽくて驚かす分には良いかな。……白石さん大好きなこはねには、出来がご不満だったり?」
「えぇっ!? そ、そんな、こんなにそっくりだなんて志歩ちゃんすごいよ……!」
「それはどうも。ああ、一応補足しておくけど。こはねから感じる白石さんの匂いで、これぐらいこはねの間近に立っているって感じる程なのは本当だから」
「そ、そうなんだ、こんなに近くに……
 杏ちゃんが毎日欠かさず私を抱きしめ、尻尾をもふもふしたり、耳を甘噛みしてきたりするからかな。自分の身体に大好きな杏ちゃんの匂いが染みついている事が嬉しくて、私の尻尾は自然とゆらゆら喜びに揺れ始めた。
……こはね、尻尾」
「はっ!? あ、こ、これはね……!」
「白石さんの匂いがついてるの、そんなに幸せなんだ?」
「し、志歩ちゃん~……!」
 志歩ちゃんからやさしい表情でそんな風に言われちゃうと恥ずかしくって。私は揺れが止まらない尻尾を手で抱えて止めようとしていると、元気な声が耳に届いた。
「おーい! こはねー! あっ、それに日野森さんだ! 何してるのー?」
「! 杏ちゃん」
 尻尾から手を離し、声のする方へ振り向けば大好きな人の姿。
 杏ちゃんは手を目一杯振りながら笑顔のまま駆け寄ってくる。喜びに揺れる私の耳と尻尾は解き放ちもうそのままに、杏ちゃんが両手を広げて私を抱きしめる体勢になったのを見て受け止める為に私もまた手を広げて杏ちゃんを待った。
「こーはーねっ……って! きゃあああっ!?」
「ひゃあっ!? あ、杏ちゃん? どうしたの?」
 私の身体を抱きしめる一歩手前で、杏ちゃんは悲鳴を上げると急ブレーキをかけて更には後方に飛び退いて私から距離を取ってしまう。
「ななななっ、なんでっ! 私がこはねの後ろに居るの……! 私がもう一人……ドッペルゲンガーってヤツ!?」
「あ……
 私の背後を振り返ると、杏ちゃんの幻覚はぼんやりとまだ佇んだままだった。
 視線を志歩ちゃんの方へ移せば、志歩ちゃんは眉を下げてごめんと謝って幻覚を消す。
 杏ちゃんへと駆け寄り見ると、ぶるぶる身体を震わせ頭を抱えてしまっている杏ちゃんは。大きな耳はぺったり垂れて尻尾も足の間で丸めてしまっている様子に……可哀想と言うより、愛しさを感じてしまったのは申し訳なくて口に出せないな。
 ぶるぶると頭を振って邪念を振り切ると、杏ちゃんの頭を私の胸元に寄せるように抱きかかえて優しく声を掛けた。
「杏ちゃん、もう幻覚は消えたから大丈夫だよ」
「ほ、ほんとに……?」
 おそるおそる顔を上げてクゥンと弱々しく喉を鳴らしている杏ちゃんはやっぱりかわいくて愛しくて、何より早く安心して欲しいなと想いを込めながら頭を撫でていく。
「んぅ……こはね……
 徐々に杏ちゃんの怯えた感じは薄れていって、震えはなくなり尻尾は柔らかく喜びに振れているのが見え始めて私も喜びから笑みが漏れた。
……? あっ!?」
「あ……
 そこでようやく何だか視線を感じるなと思い顔を向けると、顔を赤くした志歩ちゃんが気まずそうに口元を押さえて視線を逸らしているのが見えて……
 わーっ! って恥ずかしさから叫びたいけど、杏ちゃんを驚かせるのも撫でる手を止めるのも憚られて一人あわあわするしかない。
「ん? こはね、どうしたの……って、あっ! 日野森さん、ご、ごめん、情けないとこ見せちゃった! はずかしいなぁ……
「ううん、こっちこそごめん白石さん。さっきの白石さんの幻覚、私が作ったものなんだよね」
「えっ!? そうだったんだ……もー、あまりに出来が良すぎてびっくりしちゃったよ」
 志歩ちゃんの説明ですっかり安心しきった杏ちゃんは、私に頬ずりをしてから一旦身体を離したかと思えば、そのまま私の肩に手を回してくる。
「? 杏ちゃん?」
「あー……ほら。幻覚って分かったらさ、安心してさっきこはねの背後に居た幻覚の事を思い出したんだけど。幻覚とは言え、ちょっとこはねに近づきすぎてたの、悔しくなっちゃって……みたいな?」
 そう言って、私を自分の方へ引き寄せると、ぐりぐりって強く私の頭に顔を擦り寄せる杏ちゃん。
「わっ、わっ……! 杏ちゃん、そんなに強くすりすりしちゃうと……って」
 匂いがついて、志歩ちゃんが言ってたみたいに居ない時にも一緒に居るように思われちゃうよ。
 思った瞬間志歩ちゃんに目をやると、志歩ちゃんは私の思考を読んだかのように言った。
「なるほどね。こう言う事ずっとやってるから匂いが染みついてるんだ」
「あ、あぅ……!」
 毎日の私達のスキンシップの深さを察せられたみたいで、私は恥ずかしさのあまり言葉に出来ず情けない鳴き声だけを漏らす。
「ん? 何の話?」
「こはねと白石さんは熱々なんだなって話。馬に蹴られる前に、私は帰るね。それじゃ」
「し、志歩ちゃん~……!」
 熱さが溢れてきっと真っ赤になってるだろう私の顔、そしてちらりと私の腰辺りを見てから微笑んだ志歩ちゃんは、満足気に帰っていく。
 きょとんとした杏ちゃんは私の顔を覗き込みながら言った。
「? 何で馬? 私達、狼ですけど? こはね、意味分かる?」
「く、くぅん……
 杏ちゃんの言葉に答えられない私の代わりに、私の尻尾はふりふり喜びに揺れている。
 それは志歩ちゃんに色々と見られたり察せられたりしちゃった恥ずかしさよりも――杏ちゃんから身に染みつく程の愛情がずっと与えられているんだって喜びが勝っているからで。
 私の心情をそのまま表現してしまう尻尾を、私は隠すようにぎゅっと抱きしめるしかなかったんだけど。
「んー、結局よく分かんないけど……こはねがかわいいから良いか! こはねっ、こはねの一番傍でずっと一緒に居るのは本物の私なんだからね。こはね、大好き!」
 そんな私と尻尾ごと全部、大きな愛情で抱きしめて頬ずりしてくれる大好きな杏ちゃんのおかげで、喜びは振り切れて強く大きく振れた尻尾はもう手には収まりきらない。恥ずかしさすら霧散させてしまう杏ちゃんの真っ直ぐで眩しい愛が嬉しくて、大好きで。
「ん……私も、大好きだよ杏ちゃん」
 私は尻尾の代わりに大好きな杏ちゃんの背中をぎゅっと抱き返して、大好きと幸せに身を任せたのでした――……