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篠
2026-06-21 15:03:43
6390文字
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blooming
日本国で暮らす花愛でる魔術師と嫁愛でる忍者/φ誕2026
また居ねぇ。
百歩譲って仕事ならまだしも、何が悲しくて帰宅早々一人しか居ない家人の気配を探らなければならないのか。相手はこういった仕事を生業とする己ほど感覚が鋭いわけではないが、そもそもこの家に張っている術とやらでこちらの到着には気づいているはずだ。
夕方と呼ぶにはまだ明るい空を睨む。数日間続いていた雨も今日はその兆しを見せていない。一つ溜息を落としてから、抱えていた荷物を下駄箱の上に置く。姿を見せない魔術師がどこで過ごしているか、大体の目星はついていた。黒鋼は一度玄関から出ると、二人暮らしの家にしては敷地の広い庭をぐるりと回り、つい先日見頃を迎えた花菖蒲を見渡せる縁側へと向かった。
✿
紆余曲折を経て、旅を終えた魔術師は日本国で暮らすに至っている。生まれこそ人の上に立つ血筋であったらしいが、垣間見た記憶の中であの王と共に過ごしていたように、城仕えの仕事はファイの性に合っているらしかった。旅の間も何くれとなく一行の世話を焼いていた姿を思えば納得である。既に面識のあったこの国を統べる天照、月読との関係もすこぶる良好で、三人揃って似たような微笑みを浮かべ黒鋼を揶揄するさまと言ったら、思い出すだけで頭が痛くなるほどだ。
職務に対しては、見張っていないと無理をしすぎる程度には真面目に取り組んでいるようである。知世や他の巫女たちと知識を交わし、着実に研鑽を積んでいるとのことだ。もっともファイ自身から相談されたのならともかく、わざわざ黒鋼が首を突っ込む領分でもないので詮索はしていない。無茶をするなら有無を言わさず止めるが、上手くやっているならそれで充分だ。
こうして故郷を失った魔術師は、無事ひとところに落ち着いた。その一方でこれまでとは異なる暮らしのさなか、想定していなかった新たな一面を見せるようになった。
己が普段気にも留めないような花を見つけては、痺れを切らし声を掛けるまで熱心に眺めているファイの姿は、日本国へ帰った当初からよく目にする光景ではあった。あのころ対象となっていたのは、季節柄か大抵紫陽花だった覚えがある。
魔術師が生まれ育った二つの国はいずれもあのような気候であったし、旅の途中何度か日本国へ戻った際も、花を楽しむほどの余裕があったわけではない。そのため初めは改めて見るこの国の景色が物珍しいのだろうと考えていた。想像以上に植物を好んでいるらしいことに驚きはしたが、それだけだ。しばらくすれば落ち着くことだと、気にすらしていなかった。
違和感がはっきりと形になったのは、季節が一巡し、ファイが二度目の季節を経験したあたりだ。以前の予想とは異なり、魔術師の花への関心は一向に薄れず、むしろますます熱が入っているようにさえ見えた。
ここまで来れば、ただの物珍しさからの行動ではないとさすがに気づく。旅の身だった時分には表立って現れることのなかった、ファイ自身の愛着に因る行動であることは間違いなかった。一見すると魔術師の見た目に似合いの趣味のような、今までの言動を顧みると少し意外なような、なんとも不思議な気持ちで黒鋼はその事実を受け入れた。同時に状況次第では時が経つのも忘れて花木に見入るファイの姿に、今更ながら己とは違う時間感覚を垣間見たのだった。
✿
うんざりするような暑さが続いた夏の盛りのことだ。いつもより更に白い顔色のファイは、明日は休みだからと言い訳をして、寝る間も惜しんで朝顔の鉢に付いた蕾に見入っていた。夜更けから朝方まで、飽きることなく薄紫色の一輪へ視線を向ける作り物めいた横顔に、異質さを感じなかったと言えば嘘になる。あの魔女が言っていたように、確かにこれは黒鋼の何倍もの時を生きてきたのだろう。
魔術師という人種が皆こういった浮世離れした面を持っているのか、それとも黒鋼にとっての魔術師であるファイがそうなのかは不明である。少し驚きはしたものの、ひとところに落ち着いたからこそ表出した側面であることはわかっていたので、そう悪い気はしなかった。もちろんその程度にもよるが。
日常生活に問題はない。決まった時間に寝起きし、城へ出向き、食事をし、変わらず人々に馴染んで暮らしている。だがひとたび他人からの制約を受けずに生活するとなると話は別だった。
知世からの命により、黒鋼が数日間城を留守にしたときはひどかった。ちょうどそのころ、ファイは大規模な術式の完成に貢献したとして、今まで根を詰めていた分を含めた長期の休暇を与えられていた。月読からの仕事と黒鋼という同居人、二つの軛から解放された魔術師の思考など容易に想像がつく。
案の定ファイはその機会を最大限に満喫することを選んだ。具体的に言えば、折しも満開だった城下でも一番の大きさを誇る木蓮の枝の上に陣取り、ほとんどそこから降りることなく昼夜過ごしていたらしい。
あれの見た目やら外面に騙されている者たちは、白い花びらの中物思う魔術師は大層美しかっただとか、遠出した黒鋼の帰りを健気にも待っていたのではないかなどと噂していたようだが、己から見れば疑いようもなくただの不精である。そしておそらくその考えは間違っていない。そもそも件の木蓮の木が植えられている場所と、黒鋼が発った方角は全くの別方向だ。
大方自身の体質が少し特殊なのをいいことに、食事も疎かにして酒だけを嗜みつつ花を眺めていたに違いない。帰ってきてから不在時の詳細を聞き出し、それでも口を割らなかったファイを叱り飛ばしたのは記憶に新しい。
✿
これに限らず、魔術師の変わった振舞いは当然周囲にも目撃されている。そしてなおかつ、どういうわけか至って好意的に受け止められていた。
異なる世界の人間と共にいくつもの次元を超えて旅した黒鋼にとって、今となっては外見の差異など大した問題ではない。こと魔術師に関しては、もはや誰よりも見慣れた容貌と言ってよかった。
だが実際のところ、ファイの容姿は日本国で通常目にすることのない色と造形をしている。透けるような白い肌も、金糸よりも淡い輝きの柔らかい髪も、魔力の色だという硝子玉に似た蒼も、ほっそりとした印象の輪郭に納まる優しげな顔立ちも、すべてが際立って希少で人目を惹いた。
稀有な外見に知世が用意した上等な着物、柔和な立ち居振舞い、覚束ない言葉。それら全てを纏った姿は誤魔化しようもなく異質であり、それでいて「自分たちとは異なるもの」として真新しく受け入れられたのだった。
あれが排除されるのを許容するつもりはないが、そもそも主君たる知世に受け入れられている時点で要らぬ心配はしていなかった。ファイ本人の努力も実を結んだといえる。しかしながら、ここまで諸手を挙げて歓迎しろと言ったつもりはない。
なにやら必要以上に目をかけられている節がある魔術師への対応に苦言を呈した黒鋼へ、天照は笑顔でこう宣った。
「まぁ、知らないのですか」
「何をだ」
「我が妹に仕える者ながら旅に出る前は鬼もかくやの振舞いだった男に、あれほど技量にも器量にも優れた麗人が連れ添ってくれるなどどう考えてもおかしいでしょう。きっと羽衣を隠されてしまったからに違いないと、まことしやかに語られているそうですよ」
「
……
あぁ!?」
「近頃城下では羽衣はやはりこの城に隠されているのではともっぱらの噂だとか。皆が優しくするのも道理ですね」
黒鋼でも羽衣伝説の逸話は知っている。天上から舞い降りた天女を返さぬよう、人間の男がその羽衣を隠してしまうというあれだろう。結末はいくつか種類があるようだが、そもそも己がそれに例えられているなど、ぞっとしないにも程がある。
「てめぇら俺をなんだと思ってんだ
……
」
「黒鋼ですね」
「黒鋼ですわ」
もはや反論をする気力も湧かない。姉の隣で話を聞いていた知世が、部下を庇うどころか口元を隠し楽しそうに笑うばかりだったのを黒鋼はよく覚えている。
✿
要するにあの魔術師は、性別はともかく自国の伝承になぞらえた奇しくもこの国に降り立った存在として、周囲の人間から温かく見守られているということらしい。訂正したい箇所しかない。とりわけ黒鋼が無理強いして連れてきたと見なされるのが一番腹立たしかった。あくまでファイは、自分の意思でここへ来たのだ。
魔術師が好き勝手に騒ぐ外野の事情を、どこまで察しているのかは定かでない。ただ黒鋼が見ている限り、おおむね思いのまま過ごしているようだ。そうでない場面もあるにはあるが、あの性質が一朝一夕で治るようなものではないと理解もしている。その都度黒鋼が手を引けばなんら問題はない。
ファイ自身の意思で来たとはいえ、連れてきた身として面倒を見てやるつもりはある。ただ近頃黒鋼が城内や城下を歩いていると、部下だけでなく侍女や町人まで魔術師の目撃情報が伝えてくるのは、歓迎すべき状況であるのか未だに考えあぐねている。
すっかり知れ渡ったファイの習慣には、黒鋼自身も何度か付き合ったことがある。何もせず一晩中開花を見守るような真似をする気はないが、満開の桜の下で酒を楽しむくらいは可能だ。
魔術師はかの国で力になった巧断のように黒鋼ごと身体を浮かせると、木々の内側へと着地させた。飛び移ること自体は訳ないが、この枝を折らぬよう長い間腰を落ち着けるとなるとファイの力を借りざるを得ない。外へと伸びる細枝の先では、ぼんぼりのように薄桃色の花が咲き誇っている。桜の花に包まれたような空間で、黒鋼はファイと二人きり、肩を並べて酒を酌み交わした。
風が吹くたびに、花びらがはらはらと散る。あの姫と同じ名の花の中で、ファイは独り言のように言った。
「アシュラ王の元で、魔法の勉強をしてたころにね」
持ち込んだ猪口を傾けながら、視線で続きを促す。ファイは殊の外穏やかな顔をしていた。
「どうにかして治癒魔術が使えないか、何度も何度も練習したんだ。結局ダメだったんだけど」
魔術師が小さく笑う。
「練習って言っても、いきなり人相手にやるわけにはいかないでしょう。だから鉢植えで育てられていた苗を準備して、小さな蕾にこうやって手をかざして」
夜の闇の中でも浮かび上がるような白い指先が、何かをなぞるように動いた。
「本に書いてある通り、繰り返し試してみたなぁ
……
。呪文は正しいはずなのに、いくら描いても何の変化も起きなかった」
「
……
そんな魔法が使えなくても、花は勝手に咲くし人の傷だっていつか治んだよ」
「ふふ、そうだねぇ。オレも最近気づいたよー」
春の夜は肌寒い。黒鋼の上着を羽織った薄い肩が、こちらに凭れかかった。お互いの肩先が触れる。相変わらず楽しそうに桜を見つめているファイを見ながら、黒鋼は再び猪口を煽った。まぁ悪い時間でなかったことだけは確かだ。
✿
旅に出る前の黒鋼が最後に花を意識したのは、おそらく臥せる母への見舞いの品としていたときだろう。少しでも慰めになればと、折に触れて持ち帰っていたのを思い出す。両親と民、そして故郷を喪い仕える主を得てからは、己の視界にそのような彩りが入る余裕はなかった。知世の部屋には常に華美な花が活けられていたが、ただそこに在るにすぎなかった。
それが今では異国の魔術師に付き合って花を意識し、眺めるために時間を割くことすらあるのだから、何が起こるかわからないものだとしみじみ思う。
二人の居を構えた際、知世の采配により庭先は通常よりも広く作られた。ファイが喜んだのはまぁいい。だが周囲の人間にあれやこれやと相談した結果、周囲の方が張り切っていたのには辟易した。
「南天とか柊は魔除けになるんだって。黒様と一緒に住むならなおさら植えておきなさいって言われたよ」
「
……
そりゃどういう意味だ」
「お仕事柄危ないこともあるし、心配されてるってことじゃないかなぁ。多分」
「多分かよ」
「えへへー」
誤魔化すように笑った魔術師の小さな頭には、当然強めに力を込めておいた。
とはいえ「ありがたいことですわね」と静かに言った知世の意図がわからないわけではない。旅に出る前ならいざ知らず、この日常が得難いものだということくらいは承知していた。
ファイに関しては少々神聖視されているきらいがあるが、黒鋼はこいつがただの人間であることも、未だに生魚と酸味の強い物が苦手であることも、閨では訳も分からず乱れて、子どものように泣くことも知っている。それで充分だった。
✿
わざと砂利を踏みしめる音を立てる、予想通り、魔術師は庭先を眺めながら縁側で呑気に茶を飲んでいた。
「おかえりー、今日は早かったねぇ」
「ちんたらしてっと間に合わなくなるからな」
「何に?」
「土産がある」
「おみやげ? オレに?」
「夕方あたりから花が開くらしいぞ、玄関に置いてきたが」
「お花? 持ってきてくれたらよかったのにー!」
慌てて立ち上がったファイが、裾を翻して家の中に消えていく。
黒鋼に月見草という名の植物の種を授けたのは、任務後の己を呼び止めた知世だった。
「
……
なんだこりゃ」
「見た目はとても可憐ですけれど、丈夫で育てやすい品種ですのよ。粗雑な初心者でも問題ないかと」
「誰が粗雑な初心者だ!」
「ほほほ」
いつも通りのやりとりをやんわりと咎めた蘇摩が、なぜか件の植物の育て方までを伝えてくる。
「なんで俺がこんなこと
……
」
「大きくなるまではここに置いておきましょう。蕾がついたら是非見せて差し上げてくださいな」
「
……
」
誰に、などと問うつもりはなかった。墓穴を掘って、口ばかり達者な主に言い包められるだけだ。
認めたくはないが知世の言葉通り、鉢に植えた種は黒鋼の適当な世話だろうとすくすくと育ち、こうして膨らんだ蕾を確認して持ち帰るまでになった。魔術師の習慣に付き合うことはあっても、さすがに自ら植物を育てたことはない。黒鋼としては話さぬままでいたいが、いずれ知世あたりから話が伝わりそうだ。口止めしようにも意味がないことは、今までの付き合いでよくわかっている。
両手に鉢を抱えたファイが、先ほどよりも慎重な足取り戻ってきた。
「かわいいねぇ、なんて名前?」
「月見草だとよ」
「月見
……
、だから夕方から咲くのかな? 不思議だねー」
「朝には萎んじまうらしいがな」
「そうなんだぁ
……
」
ファイは目を細めて白い蕾に視線を落としている。黒鋼は黙ってその姿を眺めた。
「ありがとね、黒様。でもいきなりどうしたの?」
「
……
なんでもねぇ」
「えー、絶対何かあるやつじゃん!」
「うるせぇ、さっさと入るぞ」
「もう、仕方ないないなぁ」
物言いたげな魔術師の目線を躱して自宅へ入る。
辺りは未だ明るい。ファイが黒鋼の手を取り日本国へやってきたのも、ちょうどこれくらいの時期だった。言葉の通じなくなった魔術師は、黒鋼と共に城の廊下を歩きながらこちらを見上げて笑った。あの無防備な表情を、黒鋼は今も忘れられずにいる。
柄にもない真似をする程度には、鬱陶しい雨も多いが日が長く夏の訪れを感じさせるこの季節を、少しばかり特別に思っていた。あえて言葉にするつもりはない。あの花を贈った理由も、あのとき感じた胸が締め付けられるような感覚も、全て自分だけが知っていればいいことだ。
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blooming:花の咲いた、花盛りの、全盛の
この話のファイさんは自分の誕生日を伝えていないけど、黒様が野生のカンで特別視しています。えらい。
ファイさん、もといユゥイさんお誕生日おめでとうございます!
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