whityyokko_hkg
2026-06-21 05:14:55
5719文字
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誰かにじゃなく僕に笑って

現パロ弓槍のハピバ
「その心臓はオレのもの2」開催おめでとうございます


 激しい雨音でエミヤは目を覚ました。
 遮光カーテンを開け放っていても薄暗いベッドルームは、時間の間隔が朧げだ。
 枕元のスマートフォンを覗く。朝の8時35分。遅刻したと青ざめかけ、日にち表示が日曜を指しているのに安堵した。
 そうだ。恋人と休みを合わせて取ったのだった。
 年若い雇用主に朝から言い訳する必要はない。
 凛のことだから、電話口ではなんでもないことのように振る舞って、遠坂邸へ出勤したと同時にほぼ正解の予測を披露し、エミヤのメンタルをズタズタに引き裂くだろうことは明らかだった。それからおもむろにランサーの勤務先である花屋に予約の電話を入れ、ランサーの休みを確認した後、エミヤを一瞥するのだ。
 過去一度やられて以来、ランサーと休みを必ず合わせるようになった。それはそれで、憶測を呼んでいるとは知らぬが花であるが。

 スマートフォンのスヌーズ機能はオフにしてある。止めた記憶はさっぱりなかった。
 唯一の心当たりは隣で寝ていた恋人だが、部屋に姿は見えなかった。サイドテーブルの灰皿も消えている。付き合い始めた当初、ランサーが一番最初にエミヤの部屋に持ち込んだ私物だ。

「おう、起きたか?」

 ベランダのガラス戸が開き、びしょ濡れのランサーが顔を出した。

「急に降りだしやがった。ひでぇもんだ」

 ランサーはあらかじめ用意していたタオルで頭をと体を拭き、足裏を拭ってからスリッパを履いた。

「雨模様をバックに爽やかな朝を目指したんだがな、湿気で煙草も美味くねぇ」
「この天気では火も着かなかっただろ。君、アイコスはどうした?」
「充電切れ。あ、リビングの電源借りてっから。いやぁ部屋に紙の置いといてよかったわ」

 スウェットのポケットから取り出したボックスケースは、外のフィルムに雨粒が滴っているが、中の煙草本体は死守されていた。

「これを機に禁煙を目指したらどうだね? 煙草代だってバカにならん金額だ。随分と懐が温もるんじゃないか?」
「たわけ。朝の一服抜きに始まる1日なんて生きてるうちに入らんわ」

 ニコチン中毒者の言い分は、起き抜けのエミヤの耳を素通りする。それより気になるのは、ランサーが灰皿とパッケージを部屋に入れた後、再びベランダへ出た事だ。
 追いかけようとして、何も身に付けず就寝したことを思い出す。だが、ここは自分の家のベッドルーム、言わばプライベート中のプライベートだ。誰憚ることがあろうか。
 悩む間も置かず、エミヤはシーツをかなぐり捨て、ベランダへ向かった。

「バカ! 風邪引くぞ!」
「君こそ濡れ鼠じゃないか! いや濡れワンコ、か?」
「テメェ、朝っぱらから喧嘩売ってんじゃねえ! 誰が犬だ!」

 ランサーの手にあったのは、ベランダ菜園の端に置いていた紫陽花の鉢植えだった。

「貴様まで濡れてどうすんだ! ほらさっさと中入れ」

 雨に濡れた手でランサーがエミヤを室内に押しやる。大きな音を立てて窓を閉めると、さっきのタオルの上に鉢植えを置いた。

「マッパで外出る奴いるか普通?」
「この悪天候だ。いたとしてもどうせ見えやしないさ」
「そういうことじゃねーよ」

 ランサーはキャビネットからフェイスタオルを取り出し、エミヤに投げつける。

「さっさと拭きやがれ! あぁもう世話が焼けるな、この寝坊すけ野郎が!」

 言ったそばから、エミヤの頭をタオルで覆い、髪を伝う水滴を拭き取る。されるがままのエミヤは、濡れて額に張り付くランサーの髪をかきあげる。
 秀でた額が露になり、特徴的な赤い瞳がエミヤの目を奪った。研ぎ澄まされた視線が自分に向けられている幸福にしばし浸っていると、今度は、地の厚いTシャツを頭から被される。

「袖に手を入れろ。そうそうおてて上手でちゅねー」
「幼児プレイの趣味はないが?」
「オレだってねーよ。いいからさっさと着ろ。よし、後は自分でやっとけ」

 捨て台詞とともに、タオルを肩にかけ、ランサーが部屋を出ていく。
 まさか冗談が通じないとは思わなかった。
 だが、つまらない返しを反省するより先に、朝から元気そうなランサーの様子にほっとした。
 昨晩はだいぶ無理をさせた覚えがある。
 ベッドの中でのランサーの感触を呼び起こしていると、トレーにマグカップを載せたランサーが戻ってきた。床にへたり込んで半端に上着を着ているエミヤにため息をつく。

「いや、家で寛ぐのは全く構わんが、流石に腑抜けすぎるだろ」

 慌ててシャツを整え、クローゼットからハーフパンツを引き出し身につける。冷えた体を柔らかい布地がふわりと包み込み、知らずほぅと息を漏らしていた。
 ランサーが差し出すマグを一口含む。ぬるめの白湯が喉をするりと通っていく。

「それ飲んだら顔洗ってこい。一緒に飯作ろうぜ」
「ん」

 飲みながら、首を動かし首肯すると、ランサーが再び溜息をついた。今度は肩まで竦めて大袈裟なジェスチャーを見せつける。

「なんだ?」
「いや、お前さ。いや本っ当ーに天然なのは分かってるけどよ? そりゃいくらなんでもあざとすぎんだろ」

 飲み干したカップをソーサーに戻し、エミヤはランサーの正面に居住まいを正した。

「あざといかどうかは知らんが、君に刺さったのなら本望だ」
「ん〝っ……クソッ! ぜってーよそでやるなよ!」
「君がいるのに? 有り得んさ。それより……
「服に手入れんな! 冷てぇって!」
「君だって冷えきってるじゃないか」

 人の心配は散々しておきながらと責めるニュアンスに、ランサーが目を逸らした。

「煙草はともかく、二回もベランダに出る必要があったかね?」
……紫陽花が折れるかもしれんだろ?」
「紫陽花? 雨で?」

 むしろ水を好む植物だったはずだ。

「強い品種とはいえ、地植えと違って鉢植えはどうしても枝が細いからよ。こんだけ雨風も強けりゃ危険なんだよ」

 ベランダの植物は、ほとんどがランサーの持ち込んだものだ。紫陽花以外にも多種多様の緑が所狭しと並んでいる。とりわけ紫陽花を大事にしている風には見えなかったが、見誤っていたようだ。
 水やりを忘れなければ気をつけることも少なくて扱いやすいと笑っていた記憶をエミヤは思い出していた。あれはいつ頃のことだったか。

「折れても挿し木すればいいのでは?」
「折れて欲しくないんだよ」
「そんなに心配することかね?」

 少なくとも、ランサーが雨に打たれることの方がエミヤにはよっぽど重大だ。
 
「おまっ……覚えてねぇのか?」
「覚えてるさ。君と出会ったきっかけの鉢植えだ」
「だからだろうが!」
「だから私としては、少々ばつが悪いんだよ」
「あぁ、前カノの置き土産だもんな」
「ぐぅっ……

 ランサーはエミヤの心臓にクリティカルヒットを飛ばしたことを気にもせず、続けた。

「お前も大事にしてたから、うちの店に相談に来たんだろうがよ」
「あれは花が折れたからだな……

 すでに別れた女性の顔も声も思い出せないくらい、エミヤにとっては過去の話だ。付き合った期間も短く、付き合い始めにプレゼントした紫陽花の時期が終わる前に別れた。修羅場にはならなかったが、愛し合ったのが嘘のように、冷え切った終焉を迎えた。ただ、当てつけのようにアパートの玄関の正面に捨て置かれた鉢植えは、花のついた茎が全部折れていて、相手の怒りの深さにエミヤは打ちひしがれたのを後悔として記憶に刻んでいる。
 本当は捨てればよかったのかもしれない。だが当時は只管どうしたらよいか分からず、花の寿命を伸ばすことしか考えられなかった。そこで相談に乗ってくれたのが、購入した店に勤めるランサーだった。

「テンパって駆け込んできたお前ほんとかわいかったわ。花の扱いなんて知りませんって感じで、オレの言うこと全部真に受けてよ」
「花に罪はなかろう? もともと綺麗に色づくと君がお墨付きをくれて購入を決めたんだぞ? 私にも買った責任というものがある」

 人為的に折られた花に怒りを覚えたランサーは、恋人からのプレゼントの花を折らせるくらい相手を怒らせたことに落ち込んでいるエミヤに喝を入れ、茎が痛む前に花を切り落とし、罰とばかり残った株の手入れを申しつけた。

「あん時さ、後始末に作った切り落としの花束、オレにくれたの覚えてるか?」

 挿し木に再利用できると言われても、初心者のエミヤには扱いかねる代物だ。まして、別れた恋人に送った花を別れた後の部屋に飾るほどエミヤの情緒は死んでいない。
 丁重な手つきで花を束ねる彼の方が、きっと大事に飾ってくれると、そう思っただけのことだ。

「そういえば君、すごく喜んでたな?」
「喜ぶさ。誕生日に花束貰うんだぜ? 嬉しいに決まってるだろ」

 エミヤが目を見開き言葉を失う。
数秒と言わず目があった。鈍色の瞳に映るランサーは苦笑していた。

「やっぱ気づいてなかったか。……いや、そんな繊細な感情があったら元カノと別れてねぇから、貴様はそのままでいろ。これ以上恋人の女関係で手を煩わせたくねぇ」
「今、非常に屈辱的なディスりを受けた気がする」

 エミヤのジト目をランサーは無視した。

「あれはもともと売るつもりはなかったんだ。オレが個人的に育ててた非売品。でも、ちょうどの時期に紫陽花の鉢植えが欲しいって言われりゃ売るしかねぇだろ、花屋なんだから。とはいえ、大事な鉢植えが嫁に行ったかと思えば、ボロッボロにされて戻ってきてよ。あんな扱いした奴にムカついてしょうがなかったし、オマエに売ったオレの見込み違いにも腹が立った」

 初めて聞く話しにエミヤの顔色が悪くなる。
 花が好きで仕事にしている相手へのデリカシーのない己の言動を今更思い起こし、奈落の底に落ちそうだった。

「でもまだ十分に綺麗に咲いてるのがオレの手元に戻ってきた。しかも誕生日に花束になってだせ? そりゃオマエのことちょっといいなと見直すだろ?」

 照れたようにランサーが告白する。関係を深めて初めて聞く好意の出発点に、エミヤの顔が青から赤へと色を変えた。
 エミヤの泣きつきから始まった仲は、最初は店員と常連客から始まり、仲の良い友人を経て、恋人へと落ち着いて今に至る。
 エミヤの主観では、自分から押して通じた恋愛だが、ランサーと周囲からすれば、もだもだと煩悶するエミヤを見守り、時には尻込むのを引っ叩き、もどかしくも彼の心の準備が進むに合わせて関係が進展するのに一喜一憂したものだ。

 初めてエミヤの部屋を訪れた時、エミヤが持って帰った株が生き生きと葉をつけているのを見て、ランサーは関係を持つことを躊躇わなかった。
 変なところで鈍いし八方美人すぎてむしろ薄情にしか見えないが、憎めなくて信頼できる男。それが、ランサーの愛するエミヤの正体だ。

「まぁ、だからこの紫陽花は特別なんだよ」
……早く言ってくれれば。……否、気づかないオレが問題だな」
「そう落ち込むなって。せっかく誕生日に休みとったんだから、目一杯イチャイチャしよーぜ。な?」
…………

 髪を下ろしたエミヤは、素の童顔が際立つ。まるで年下の子どもみたいに寄るべない顔が曇っているのを見るのは、楽しくなかった。
 俯く顔を持ち上げる。降りた髪を撫でつけて、いつものオールバックに戻してやった。
 上から目線にも見える構いたがりで愛情表現がツンデレなエミヤも、学生のようなあどけなさを残す甘ったれなエミヤも、どちらにしたってランサーの男だ。

「な? ちっとはあったまったか?」

 ランサーの軽いハグと頬を擽るバードキスにエミヤの顔が上向いた。

……君が温めてくれたら」
「おぉう、言うようになったじゃねぇか」

 梳いた髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、もう一度降ろす。前髪の降りた若見えの顔に、表情だけは腹に欲を抱える男の色気を纏い、エミヤはランサーを抱きしめた。
 軽いハグに返すには強い締め付けに、ランサーが背をノックする。

「時間はたっぷりあるんだ。まずは飯食おうぜ。パンケーキ焼くから、付け合わせ揃えてくれよ」

 エミヤはランサーの肩に顎を沈め、背に回した両手をさらに巻きつける。

「ギブ、苦しいっておい」
「君が生まれてきてくれた感謝を」

 見上げた先では、愛おしさを隠さぬ赤い瞳に自分が映っている。幸福感が内から溢れ、エミヤは突き動かされたようにランサーに口づけた。
 舌を入れずとも唇を合わせるだけ触れ合うだけで、零れた思いが口腔から体内へと伝わっていく。
 深くなる前に離すことができたのは、ひとえにすぎる時間が勿体無いからだ。
 名残惜しい気持ちをそのままに、ふたりは連れ立って部屋を出る。

「飯食ったあと、紫陽花診ていいか? 確か玄関に支柱置いてた気がすんだよな」
「私も手伝おう。いや、後学のためにやり方を教えてくれ」
「そうだな。あれは咲くのが青だから、次は赤い花を増やしたいし」
「入手は君に任せるせ。私が知る中でとびきりのガーデナーだからな」
「言い過ぎ。単なる花好きのお兄さんだっつの」

 ランサーがエミヤの脇を小突いた。その腕を取り、エミヤは手の甲に恭しくキスをする。植物を取り扱う傷だらけの指一本一本にも尊敬と愛情を届ける。

「花もいいが、今日くらいは私を構ってくれ。紫陽花どころでなく扱いが難しいぞ」

 虚をつかれたランサーが破顔した。

「知ってる。多分世界中で、オレが一番な」

 ぐいと掴んだ肩に腕が回され、エミヤはタタラを踏んだ。

「待て! 急はやめろ。転ける!」
「そういやまだ聞いてねぇんだけど?」
「何をだ?」
「あれだよ。定番の」
「あぁ、そうだったな。失礼した」

 足取り軽く今にも歌い出しそうなランサーの耳に、エミヤは厳かに今年最初の寿ぎを吹き込んだ。

「Happy birthday “lancer“.」