MaegamiTravis
2026-06-20 21:59:13
1773文字
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シムジャートン家 アーチー×シェパード編

1人だけピーキーブラインダーズをおっ始めようとしてる人がいる…




(参考画像、アーチー知らない人用:向かって右から2番目)

夜は待っていた。埃をはらんだ風を頬に浴びながら、シェパードは意気揚々とイーストエンドの酒場へと急ぐ。窓から音も立てず猫のように飛び降りて家を抜け出してくる前に、アーチーが「お貴族様の仕立物」と呼ぶコートにナイフで目立つ傷をいくつかつけておいた。道中暗闇の中でわざと泥の中に滑り込み、宝石の代わりに泥をまとった。今の自分は、どんな舞踏会で見るより見栄えがする。
酒場のドアを力を込めて開くと、壁全体が喋っているような騒がしい空間へと迷い込んだ。シェパードを振り返るものは誰もいない。シェパードは自分の「変装」がどれだけうまくいったかを実感し、満足感に浸った。深く息を吸い込むと鼻腔を腐った酒の匂いがくすぐった。それは自由の匂いだった。誰も自分を名家の貴族の末っ子だとは思うまいーシェパードが唇の端を上げたのと、誰かが彼の肩を叩いたのはほとんど同時だった。

「お貴族様」

振り返るとアーチーがいた。彼の鼻梁が少し窪んでいるのはボクシングで殴られたせいではなく、生まれつきなのだと教えてくれたいつかの夜から、シェパードはアーチーと彼の住む世界にずっと憧れ続けてきた。裕福さはシェパードを世間の汚いものから守ってくれたが同時に鎖でがんじがらめにもした。地位のある兄を盾に、いつまでも揺り籠の中で守られたまま、自分の足で立つことを知らない自分にとって、荒くれ者の巣窟の中で生き抜き自分の力で地位を切り開いてきたアーチーは、なんと眩しく見えることか。

「やあ」

間抜けな返事をしたシェパードに、アーチーはにやりと笑った。少し覗いた歯は獣の牙のように光っていた。

「随分いいお召し物を着てるじゃねえか?」

アーチーは上から下までシェパードを眺め面白そうに喉を鳴らした。アーチーのコートの裾が汚れているのは本物の泥がついているからで、生地がわずかにくたびれているのは何度も着古しているからだ。偽物の年月を染み込ませた自分のコートが途端に恥ずかしくなり、シェパードは居心地の悪さに右腕をさすった。

「いい場所ですね」
「そう思うか?」
「思いますとも!」

落ち着かない犬のように周囲を見回すシェパードの目には、初めて見るものがたくさん映った。賭け事に興じる薄汚れた男たち、今にも落ちてきそうな古びたシャンデリア、これでもかと白粉を塗りたくった娼婦たち。アーチーが娼婦の1人に流し目を送ったのをシェパードは見逃さなかった。彼女がアーチーを見つめ返す時、色っぽくキセルを噛んだのも。アーチーに初めて会った時から、シェパードは女を抱きたいとは思わなくなっていたが、アーチーの方は違うらしかった。あの目をなんとしても自分の方に取り戻さなければ。

「羨ましい」

口をついて出た言葉に、アーチーが視線をシェパードに戻した。

「私もこんなふうに、自由に生きてみたかった」

あなたのように、と言う前に自分が何か大変な過ちを犯したことに気づいた。アーチーの目の輝きは一瞬泥の中に沈み、再び浮かび上がってくる頃にはその中は濁っていた。明らかな敵意と憎悪をはらんだ見えない塊が2人の距離を遠ざけた。もう二度と近づけないかのように。それでもアーチーはシェパードより10も年上で、忍耐という言葉を体と心の両方で学んでいた。

「お前は恵まれた生まれだからだ」

何も知らない子どもを諭すような冷たい声だった。

「誰が好き好んで、こんなクソの掃き溜めみたいな場所に生まれたいと思える?」

シェパードは子どもだった頃のアーチーを思った。泥の中に生まれ、命の保証も無く、誰にも守ってもらえず、右も左もわからない、盲目のまま暗闇を進んできたアーチーを。満足な食べ物もないせいで両足は棒のように細く、飢えないためには両手を罪に染めなければならなかったアーチーを。

「またな」

人いきれの中に消えていくアーチーを引き止める術も持たないまま、シェパードはその場に立ち尽くしていた。今やアーチーの背中に追いつくためには途方もない距離を走り続けなければならなかった。そして完全な状態で彼の隣の立つために、シェパードがしなければならないことは、すべてを捨て、彼自身が泥の中から再び生まれ直すことだった。