ドアを開けた途端、「きゅーん」という間の抜けた甘えた鳴き声が聞こえた。足元を見下ろすと、小さな生き物がひょこひょこと足を引きずりながら、こちらへ駆け寄ってきた。
「おっ!君は相変わらずだね〜。傷はどうなったかなー。どれどれ、そろそろ包帯を替えないとね〜」
シエテはしゃがみ込んで、足元にやってきたこの生き物──狸の頭を優しく撫でた。すると狸は嬉しそうに体を擦り寄せてきて、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。その愛らしい仕草に、シエテの顔にも自然と笑みが零れていた。
今、この騎空団は依頼の流れで傷ついた狸を保護している。
窃盗団が密売目的で別の空域から連れ去ったようだ。ぞんざいな扱いをされていたみたいで傷をひどく負っていた。可哀想に…。そしてこの艇は今、この狸を本来の生息地へ送り届けるため移動中だ。
本来は騎空団の仕事ではなく、きちんとした保護団体に預けるべきだったのだが───。
「あ、シエテも様子を見に来てくれたんだ、ありがとう!」
背後でドアが開く音がしたかと思えば、グランが嬉しそうにシエテに声をかけてきた。手には狸用のご飯を持っている。グランも狸の様子を見に来たらしい。心優しいグランは、無理やり別の空域に連れ去らた狸をひどく心配して、積極的に世話をしている。
「そりゃ、もちろん!乗りかかった船だしね〜」
シエテは柔らかな声で答えながら、新しい包帯を丁寧に巻いていった。
よしよしと腹のあたりを優しく撫でてやると、狸は気持ちが良さそうに目を細め、ふわふわな尻尾をゆっくりと左右に揺らす。
見ているだけで癒されるな──そう思っていた矢先、狸はシュタッと立ち上がり、勢いよくシエテの胸に飛び込んできた。
「あっ、こらこら〜。くすぐったいよー」
ペロペロと顔を舐められ、シエテはクスクスと笑いながら身じろぎする。そんなシエテを、グランは羨ましそうに口を尖らせて見つめている。
「いいなぁ〜、シエテに本当に懐いているよね。僕とルリアにはそっけなくてさ…」
「うーん、動物にはあまり好かれないんだけどねぇ……」
扱いが下手くそなのか、シエテは動物に懐かれにくい。最初はいい感じでも、最後はウザがられて嫌われてしまう始末だ。だからこそ、こうも強く好かれるのは正直珍しかった。シエテ自身も、すりすりと甘えてくるのがなんだか嬉しくてつい構ってしまう。
「え〜、そうなの?でも、この子は違うよ!懐きっぷりが凄くて、保護団体に預けられなかったくらいだもん。シエテ、よっぽど好かれてるよ!」
そう、きちんとした保護団体に預けようとした時、シエテの鎧に穴を開けるんじゃないかと思うほど強くしがみついて離れなかった。おまけに、無理に引き剥がそうとすると荒々しく暴れ出したので、抑えるのもやっとだった。
そんなこんなで、グラン達が責任をもってこの狸を故郷まで送り届けることになり、今に至る。
「もう〜、充分でしょ〜??」
ずっと顔をすりすりしていた狸をそっと引き離し、シエテは抱いたまま優しく見つめた。
キラキラと輝くつぶらな瞳で、首を傾けながらシエテの様子をじっと伺っている。もっともっと甘えたい、可愛がってほしいとこの小さい体全体で訴えかけてくる。本当に可愛い。
その態度が、何だか最近仲良くなった年下の問題児──“彼”を連想してしまい、シエテは思わず吹き出した。
「なんかさー、この子、ロベリアに似てない?」
「えぇぇ〜〜!!!どこがっっっ!?」
眉間に皺をいっぱい寄せ、口をあんぐり開けながらグランは叫んだ。その表情が、まるでこの世の終わりのようなものを見ているかのようだ。明らかにドン引きしている。
そこまで驚かなくてもいいんじゃない? シエテはグランの反応に苦笑しながら答えた。
「えぇ〜、このつぶらな瞳のあたりとかさぁ?よく、こんな顔しない?あと、なんかこの毛並みのボサボサ感と…か…さぁ…?」
「…………」
グランの視線がさらに冷ややかになった。さらにドン引きしている。冷たい視線が、氷のようにグサグサと胸に突き刺さってくる。悲しくなるのでやめて欲しい…。
「い、いやぁ〜、なんとなーく!そう思っただけだから!そんな顔しないで、団長ちゃん!ねっ、ね!?」
焦るシエテをよそに、相変わらず狸は愛らしい仕草でこちらを見つめ続けている。くりくりとした瞳が必死で、『構って!』と訴え続けている様子をシエテは横目で見ていた。
(懐いてくる時とか甘えてくる仕草が何となく似ているんだけどなぁ…)
と、今は居ぬ、ロベリアの事を考えていた。
過去の所業は十天衆としては気になるが、今は特に大きな問題もなく、大人しく団に馴染んでいるロベリア。何となく気になって、近付いてみたのがロベリアとの交流の始まりだった。
最初はどことなく警戒する素振りを見せていたのに、シエテがいつも通りの親しみやすい態度で接し続けていたら、妙に懐かれてしまった。
最近ではカフェにもよく誘われるし、自室にも遊びに来たりもする。年下らしく甘えてくる様子が何だか可愛らしくて、つい誘いに乗ってしまう毎日だ。「シエテ…」と小動物のように上目遣いでキラキラした瞳で見つめられると、シエテの庇護欲が刺激されてしまう。ロベリアの方が身長が少し高くて、ガタイもいい男なのに、ああいう風に甘えられたらもうダメだ。世話を焼きたくなってしまう。
そんなロベリアだが、狸を保護してから会う機会が明らかに減っていた。
一度、狸を抱きかかえながら歩いている時に、ロベリアに出くわしたことがあった。狸には興味がなさそうな素振りをみせ、むしろ「なんだい?その動物は…」と目を細めながらじろりと狸を睨みつけていた。そして、何か言いたそうな表情をしながらその場を去ってしまった。
あれ以来、狸の世話をしている時はロベリアはシエテの前からぱったりと姿を消すようになった。動物が嫌いなのかもしれないが、それならそう教えて欲しかった。
ロベリアとは仲良くなれたような気がしたが、勘違いだったかもしれない。それが、少しもの寂しく感じる今日このごろだった。
「サリュ、シエテ。ベーカリーで美味しそうなクッキーを見つけたんだ。なかなか噛み応えがありそうだぜ。たまには一緒にどうだい」
昼間に誰か来たかと思えば、満面の笑みを浮かべたロベリアが菓子箱を携えてドアの前に立っていた。甘いバターの香りがふわりと漂ってきて、シエテの鼻をくすぐる。そういえば、小腹が減った。
長い時間ずっと机の上で仕事をしていたシエテにとって、この香りは甘い誘惑だ。無意識に口の中に唾が広がり、喉を鳴らす。
「あ、ロベリア〜。いいねー!今日はずっと書類作業ばかりで、そろそろ甘い物が欲しいなーって思っていたんだよね〜。気が利くね〜!」
「くっは!今日は朝からずっと部屋にいたみたいだからな、そうじゃないかと思ったんだ!トレビアン!」
ロベリアは軽快そうに嬉しそうに喋りながら、シエテの部屋に入ってきた。
箱を開けると、ナッツやベリー、チョコチップ入りなど、噛んだら盛大な音がするようなクッキーが箱の中にずらりと並んでいる。
どれもガツンと音がしそうで、ロベリア好みのものばかりだ。まーた、食べながら咀嚼音を録音するつもりだな…と呆れつつも、シエテの心はどこか晴れやかになるのを感じた。なんだか避けられている気がして気になっていただけに、ロベリアの突然の訪問は素直に嬉しい。
久しぶりにロベリアとゆっくりした時間が取れそうでシエテは嬉しい気持ちを抑えながらクッキーと一緒に飲む紅茶を用意した。この前ソーンから貰ったストロベリーティーは酸味があって、香ばしい甘みと合いそうだ。
お菓子を摘みながら、いつもと同じような何気ない談笑が始まった。
ロベリアはあいも変わらず、最近のお気に入りの音を楽しそうに教えてくれる。シエテ自身はそこまで惹かれるものでは全くないが、まるで子供のように目をキラキラさせて話す姿は本当に可愛らしい。見ているだけで、なんだか安心する。
顔を輝かせて、嬉しそうに話すロベリアを眩しく想いながら、紅茶を飲んでいた。なんだか心がぽかぽか温まってきた、その時──。
カリカリカリ、とドアを引っ掻く音がした。続いて、「クゥーン!」と不満げで少し拗ねたような狸の鳴き声。怪我も治ってきて、自由に移動できるようになった狸は自力でシエテの部屋に辿り着いたようだ。
「………」
部屋の空気が一瞬で変わった。
シエテが立ち上がろうとした瞬間、ロベリアの表情が明らかに変わった。ドアの方を冷ややかな目でじっと見つめている。
(いやいや、動物相手に何やってんの…)
シエテは違和感を感じながらドアの方へ向かっていった。
「あれ〜、どうしたの?よく俺の部屋がわかったねぇ。…お前もお菓子が欲しいのかな?…って、うわっ!」
ドアを開けると、勢いよく狸が飛び込んできて、シエテの足元にすりすりと絡みついてきた。「くぅぅぅっ!!くうっ!」と勝ち誇ったような高い鳴き声を上げながら、わざとらしくロベリアの方を向く。
ロベリアの視線がさらに鋭くなった。
「………」
「えっ…、なに、この空気……」
一瞬、ロベリアと狸の間にバチバチと雷のような空気が流れたようなな気がした。
訳がわからない情景で、混乱しているシエテをよそにロベリアは狸から視線を逸らない。
「へぇ……やっぱり、ね……。でも、キミの思い通りにならないと思うぜ……?」
小動物に向けられるとは思えないほど、その視線は鋭く、凍てつくように冷たい。ロベリアは何か意を決したような表情で、ゆっくりと息を吐いた。
シエテは目が点になりながら、ロベリアを見つめた。
「…え、ロベリア。どゆこと?」
「いや、こっちの話さ。パルドン、シエテ。ちょっと用事を思い出してね。また後でくるよ…」
にっこりと微笑んだものの、目は全く笑っていない。ロベリアはそう言い残すと、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
「え、えぇ〜〜????な、なに、今の…??」
突然の展開に、シエテは呆然と立ち尽くした。足元ですりすりしている狸を思わず抱き上げる。
せっかく、久々にロベリアとの時間が取れそうだったのに…。
シエテの胸の奥が少し冷えついたような気がして、狸を抱く腕か無意識に強くなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はぁ…」
初夏とはいえ、まだ夜の甲板は肌寒い。シエテはぼんやりと夜空を見つめながら、大きなため息をついた。
シエテの心とは裏腹に夜の空気は綺麗に澄み渡り、煌びやかに光る星々はいつも以上に美しくシエテを照らしている。
足元では狸がローブの裾にじゃれついて遊んでいる。風にゆらゆら揺れる布が面白いらしい。
この子の怪我もすっかり治ってからは、いつもこうしてシエテの後をついて回るようになった。まるで、親を追いかける雛鳥だ。……狸だけど。
あの日以来、ロベリアとはまともに顔を合わせていない。この子がずっと傍にいるせいもあって、シエテ自身も気まずくて声を掛けづらくなっていた。あの時のロベリアは明らかに態度がおかしかった。どう考えても、狸が苦手なのだろう。
あと数日で、この艇は目的地に辿り着く。この子とも、もうすぐお別れだ。こんなに動物に懐かれたのは初めてだったから、寂しくなるだろうな……と思いながらぼんやりしていたら、背後に気配を感じた。
「シエテ…、狸よりもオレに構ってくれ…」
低く甘えた声と共に、ロベリアに後ろからギュッと強く抱きしめられた。懐かしい、甘くて重いロベリアの匂いが、シエテを包み込む。
「……えっ……」
シエテが驚いて体を強張らせると、ロベリアはさらに腕に力を込めて首筋に顔を埋めてくる。いつもの軽快でリズムに乗った声ではない。ねだるような、切なくて甘い響き。シエテの心臓が、ドキリと大きく跳ねた。
「き、急にどうしたの…?ロベリア…」
シエテは慌てて腕を解こうとするが、ロベリアは簡単には離してくれない。
やっとの思いで向き直らせると、ロベリアは珍しく頰を膨らませて、ふてくされたような表情をしていた。
「あっ、もしかしてお兄さんと最近会っていなくて恋しくなっちゃった?」
いつも通り茶化すような軽い調子でシエテが言うと、ノリの良いロベリアならここで乗ってくれるはずだ。しかし、ロベリアは真剣な瞳でシエテを捉えたまま、離そうとしない。
「そうだと言ったら、キミはもっとオレと一緒にいてくれるのか…?オレは、キミが……」
「え……」
いつもの軽めなニヤケ顔の雰囲気とはちがって真面目な瞳。その表情は眩い月の光に照らされ、ロベリアの端正な顔立ちをより引き立てる。
まるで別人のような大人びた姿に、シエテの鼓動はどんどんと速くなってくる。ロベリアの次の言葉が妙に気になって仕方がない。
「────いや、ここで言うのはエレガンスじゃないな…」
ロベリアはふっと自嘲するように笑うと、言葉を飲み込んだ。
「続きはまた…ね。ボンニュイ、シエテ…」
シエテの耳元で低く、甘い声で囁き、ロベリアは風のようにその場を去ってしまった。
「……えぇ……」
嵐のように掻き乱された心で、身体が全く動いてくれない。足元で狸がなにか鳴いているような気がしたが、今のシエテの耳には入ってこなかった。
そのまま、混乱する頭を抱えながら、狸を部屋に戻したあと、シエテは自室に戻る。
ベッドに横になるも、なかなか寝付けない。真っ暗な部屋に、窓から青白い月の光が美しく差し込んでいる。シエテはその光芒をぼんやりと見つめていた。
「………」
あれから、ずっとロベリアのことを考えている。あの言葉の続きの意味は…どう考えても「好き」という意味しか捉えられない。
あの時のロベリアの真剣で熱を帯びた表情が頭から離れなくて、ずっと胸がバクバクしている。
過去の所業を受け入れるつもりは毛頭ないけれど、やり方はどうあれ最近は団長の為に頑張っている。そこはとても評価していて、年下らしく甘えながら懐いてくるのが可愛いなぁ…と思っていただけなのに…。
今度ロベリアに会ったら、いつも通り接することができるのだろうか…。正直、自信がない。もし、あの言葉の続きを聞かされたら、自分はどうすればいいんだろう──そう考えながら、ようやく瞼を閉じた。
「………ん…」
ふと強い視線を感じ、シエテの意識は微睡みの世界から戻されていく。瞳を開けると、目の前にロベリアの姿があった。
「ロベ…リア?なんで……?」
何だか、いつも見るロベリアとは少し雰囲気が違う気がする。どこか幼くて、可愛らしさが増しているように見える。
「はは…、ずっとお前のこと考えていたからかな…?それともまだ夢を見ているのかなぁ…うわぁっ!?」
もそりと体を起こした瞬間、強く抱きしめられた。ぎゅうっと遠慮のない力で締め付けられ、心なしか痛みを感じる。
これは夢じゃない、現実だ!
(な、なになに!?)
慌てて目の前にいる「ロベリア」を見る。シエテを見つめるその瞳が、いつも以上にキラキラしていて、どこかで見た仕草だった。
これは、もしかして…そう思っていたら、頬をペロペロと舐められた。
「あっ、ち…ちょっと…お前っ!」
やっぱり、この動きはどう考えてもあの狸としか思えない、でもなんでロベリアの姿に…?そう混乱するシエテの耳に、バタン!と部屋の扉が勢いよく開く音が入ってくる。
「シエテ!?」
「──っ、ろ、ロベリアッ!?」
突然、自室に入ってきたロベリアの方を見て、シエテの頭は一気に冷静になる。ロベリアにそっくりな人物に、組み敷かれている……どう見ても、誤解を招くどころか致命的な状況だ。シエテの心臓がヒヤリと焦る。
「い、いやっ…ち、ちがっ!!こ、これはさぁ…」
「………」
ロベリアはじろりと鋭く睨みつけた瞬間、目の前に小さい青白い雷光が飛び散った。ロベリアの姿をした人物は「きゅうっ!」と可愛らい声を上げながら、慌ててシエテの傍を離れていった。
「ち、ちょっと、ちょっと!?何やってんの?ロベリア!?」
「やっぱり…。ただの生き物にしては、不自然な音だったし、変な魔力を感じていたからね…。オーララ、キミの部屋にこっそりクラポティを置いておいてよかった」
刺し殺すような瞳で己に扮している狸を見つめているロベリアだが、問題の人物はきょとんとした瞳でロベリアを見つめ返している。
(な、なに、この光景…。ってか、ロベリア…お前、俺の部屋に何置いてるの…)
目の前に、ロベリアが二人いるという、意味不明な状況に混乱しているシエテをよそに、ロベリアはため息をつきながら、呆れた様子でシエテを見つめた。
「……全く。キミは無防備過ぎなんじゃないか?この狸が普通じゃないことは、キミも少しは気付いていただろう…?」
「いやいや、特に殺意は感じなかったし…。ただ戯れているだけでしょ!?今の状況は流石に予想外だったけどさぁ…」
何も悪いことはしていないはずなのに、尋問されているような気分になる。
カツカツと足音を鳴らし、ロベリアはシエテに近付いてくる。距離が縮まるにつれ、シエテの鼓動が強く高鳴った。そんな二人の様子を、ロベリアの姿のままの狸は静かに見つめていた。
「シエテ……」
甘く、熱を帯びた声で名前を呼ばれ、ビクリと身体が跳ねる。先程の甲板でのやりとりが脳裏をよぎった。なんだか、変に意識してしまって、ロベリアの顔を見られない。
思わず目を逸らそうとしたら、ロベリアの手がシエテの頬に触れ、無理やり顔を向けさせられた。
ロベリアは真剣な表情でシエテを見つめている。いつものエメラルドの瞳が熱く、情熱的に揺らめいているような気がした。
「シエテ、オレに似たあれに抱きしめられていたけど…どう思ってたんだい…?」
「え……?」
少し、悪戯めいた声で問われ、シエテは思わず言葉に詰まる。
ロベリアの指が、さっき狸に舐められた頬を、すりすりと愛おしそうに撫でる。まるで、さっき舐められた場所を書き換えるかのように。
「嫌じゃなかった…?」
「……ぁ……」
急に迷子になった子犬のような切羽詰まった声になりながら、甘えた視線を送るロベリア。その熱い眼差しに捉えられ、まるで魔法にかかったみたいに動けなくなっていた。
──嫌?嫌じゃなかった…。
でも、あれはロベリアの姿をした狸で、いつものじゃれ合いなわけだから…。別にどうだって…。
それは、たとえロベリアの姿だっても同じなはず…。だから、深い意味は──
口は全く動かないというのに、シエテの頭は必死にロベリアの質問の答えを導こうとしていた。ただ、上手く考えが纏まらない。
ずっと瞳を丸めて呆然としているシエテを、ロベリアはまるで宝箱のように見つめ、ゆっくりと微笑んだ。
「試して、みないかい…?」
低く、甘い声で囁く。
ロベリアはシエテを強く抱きしめた。甘く重いロベリアの匂いが一気にシエテを包みこむ。あの甲板で、後ろから抱きしめられた時と同じ、甘美で胸が締め付けられるような香り。
ロベリアの熱い息遣いが耳にかかる。呆然としているうちに、頬に柔らかくて温かい感触が落ちてきた。ちゅっ…と控えめで甘いリップ音が響く。
──嫌じゃ、なかった…全然…
でも、どういうことだろう。さっきから心臓が煩いくらい高鳴っていて、頭が沸騰しそうなくらい熱い。それなのに、ロベリアの瞳からずっと目を逸らせない。
口を震わせ、頬を真っ赤に染めているシエテを、ロベリアは蕩けるような瞳で愛おしそうに見つめていた。その宝石のように煌めいた瞳に、シエテの胸はますます苦しくなる。
こんな表情のロベリアなんて、知らない、見たことない。なのに、この腕の感触が心地よくて、離したくないと思ってしまう自分がいる。
ロベリアの腕がさらに強くシエテを抱きしめ、顔がゆっくり近付いてくる。
「ジュテーム……シエテ」
掠れた甘い声と共に、ロベリアの唇が、重なった。
まるで砂糖菓子のように甘くて、微かな温もり。シエテは頭が真っ白になりながらも、初めて感じるロベリアの唇の感触に思考が溶けていく。
「ロベ、リア……んぅっ!!」
永遠に感じていたい…と思いたくなるような甘美な時間は一瞬で終わった。しかし、一度唇が離されたかと思うと、再び唇が塞がれた。角度を変え、深く、貪るように…。
少し離れてはまた重ね、まるで味わうように繰り返しキスをする二人。
嫌悪感など一切感じない、むしろ気持ちがよくて嬉しくて…。さっきから頭が酒を飲んだかのようにふわふわする。まるで浮いているみたいだ。
ああ、この感じは…。満たされているはずなのに、この蕩けるような胸の甘い痛みは…。
そうか、ただ年下で可愛らしいだけと思っていたけど、俺は、ロベリアのことが───。
その想いに気付いた瞬間、ロベリアへの想いが急に洪水のように胸に溢れてくる。
シエテは思わずロベリアの背中に腕を回し、ギュッと強く抱きしめ返した。そして、ロベリアからのキスを求める。
ロベリアの瞳が嬉しそうに細まり、獰猛さと愛おしさが混じった表情でシエテの唇を啄む。まるで、もう逃さない、とでも言うように。そのまま、ロベリアは深く、貪るようなキスを続けた。
ぽんっ!
突然まるで何か小さな魔力が弾けるような音が響いた。
キスに夢中になっていた二人だったが、思わず音の方角へ視線を向けた。
そこには元の小さな姿に戻った狸が、嬉しそうに鳴いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから数日後、例の狸は故郷の島へと帰っていった。
ぽてぽてと嬉しそうに、山へ帰っていく姿が今でも目に焼き付いている。
後で知ったことだが、この島に生息する狸は稀に不思議な力を持ち、時と場合によるが、人に“福”をもたらすと言われているらしい。なるほど、あの盗賊団が狸を所持していたのもそういった邪な理由があったからなのかもしれない。
結局、あの狸がなぜあそこまで俺に懐いていたのかはわからなかった。でも、もしかしたら……。俺に何か“福”をもたらそうとしていたのかもしれない。
俺にとっての福、ね…。果たしてこれがそうなのか分からないけど…。
恋人ができた。
嫉妬深くて、すぐに機嫌を損ねて、手のかかる年下。
でも甘えん坊で、俺を離さないように一生懸命で…。そんなところがたまらなく可愛らしくて、愛おしい。
そんな恋人が、俺のものになった。
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