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篠
2026-06-15 20:09:59
15138文字
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黒鋼とファイと「黒鋼」の話
1
2
・死ネタ、多数の捏造、およびその他地雷になり得る要素を含みます
・メリーバッドエンドです
--------------------
モコナの耳飾りが光る。それが邂逅する国々との別れの合図だった。
すっかり慣れた身支度と後始末を終えたあと、これまたすっかり慣れてしまった次元移動魔法に身を委ねる。自分の周りの空気がうねり、ふわりと身体が浮いた。魔方陣を展開するモコナ、そして前を見据える小狼と黒鋼に目を遣る。それから浮遊感に身を任せ瞼を閉じた瞬間、突然片腕がこわばった。
反射的に目を開ける。不自然に緊張した腕への違和感は、すぐさま何かに引っ張られるような強い力へ変化した。瞬きの間に腕から上半身へ、そして身体全体に力に及ぶ範囲が広がっていく。次元移動とは異なる流れに呑み込まれそうになったファイの手を掴んだのは、焦燥した顔の小狼だった。
吹きつける風がより強くなる。移動魔法の発動に不自然な点はなかった。現に自分以外が影響を受けているようには見えず、懸命に手を握り続けてくれている小狼に負荷がかかっているのは明らかだ。原因は不明だが、この異常事態の根源は間違いなくファイであると考えていい。
次元の狭間ともいえる場所は、いくつもの景色が複雑に混じり合っていた。長居すべき空間ではないと、警告のような不快感を肌で感じる。
「ファイ!」
本来の移動先へ導かれるように遠ざかっていくモコナと黒鋼を見て、できるだけなんでもなさそうに笑った。かわいい子の泣きそうな顔と、おっきいワンコの怖い顔を目にすることになったのは不可抗力だろう。吹き荒ぶ強風に抗いながら、ファイにとってのもう一人のちっこいわんこへ、掴まれている手とは逆の手でほどいた髪紐をなんとか差し出した。受け取った瞬間ほんの少し力の緩んだ小狼の手を振り払うと、あっという間に二人の間の距離が空く。
「持ってて!」
目を見張った小狼が、意図を理解し大きく頷いた。この場に長く留まるのが危険と判断しただけで、彼らと合流するのを諦めたつもりはない。髪が伸びて以降常に使い続けていたものだ。彼らとの関係に加えて、これで少しでも縁が繋がればいいのだが。
それ以上のことを考える暇もなく、小狼は正しくモコナと黒鋼の方へ、ファイはなぜか自分を必死に呼び寄せる力の方へ引きずりこまれ、そして何も見えなくなった。
断りもなく人を引き寄せたくせに、扱いがぞんざいなのは大変頂けない。遥か上空から森林地帯へ放り出されたファイは、無言で魔法を放った。勢いを殺し、故郷でもよく目にした針葉樹の枝に降り立つ。思わずため息が漏れた。
あたりを見回しても木々が並ぶばかりで、魔術はおろか人の存在すら感じない。危険はなさそうだが、同時に問題解決の糸口も見当たらない状況だ。
ひとまず肩の力を抜いた瞬間、久しく浴びていなかった殺気に自然と身体が動いた。魔法ではない。物理的な実体を持った何かが、こちらへ勢いよく近づいてくる。防御態勢を取る前に喉元に強い衝撃が襲った。
気配を感じていたのに間に合わなかった要因のひとつは、単純に相手が目を見張るほど速かったから。そしてもうひとつはその気配の輪郭が、あまりにもこの身に馴染んだものだったからだ。
「ぐ、う
……
っ」
息が詰まる。素手ではあるが呼吸さえも妨げるほど強く締め上げられて、ファイは思わず呻いた。目の前に立ち塞がる体躯によって日差しが遮られる。見上げた先の男の目は、飢えた獣のようにぎらぎらと光っていた。
「
……
てめぇ
……
」
唸り声にも似た声色は、やはりファイの知る男と同じと言ってもいいほど似ていた。
この世界の黒鋼と対面した可能性も思い浮かんだが、彼が身に着けているのは見慣れた日本国の戦装束そのものだ。そのうえ明らかにファイを認識している。けれど先ほど離れたばかりの、ファイの知る黒鋼ではない。
相手の手に込められた力は弱まるどころか強くなっている気すらする。やむなく実力行使も考えたところで、遠くからよく通る声が聞こえた。
「黒鋼!」
耳を澄ます。「黒鋼」を必死に呼ぶ「モコナ」と、それを落ち着かせつつ先導する「小狼」の様子が窺えた。彼らも遅れてこちらへ向かっているらしい。ようやくわずかに緩んだ拘束に、堪えきれず咳き込んだ。
気管からひゅうひゅうと耳障りな音がする。さすがにここで息の根を止める気はないのか、ファイが呼吸をしやすいよう更に首元の圧力は収まった。それでも大きな手は自分を逃がすまいと、頸部を木の幹へ押し付け続けている。
「離して」
「
……
」
「
……
離せ」
相手の手首を掴み力を入れた瞬間、男の背後でガサガサと枝葉を掻き分ける音がした。
「黒鋼
……
、そこに誰が居るの?」
いつも明るく朗らかに響く可愛らしい声が震えている。ファイの視界から向こうが見えないように、あちらからも男の体躯に隠れてファイの姿は確認できないようだ。もっとも、それは意図的に取られた体勢だろうと察せられた。
「
……
っ、もしかして本当に」
「ファイ、なの
……
?」
予想通り、小狼はともかくモコナという存在と面識がある時点で男がこの世界の黒鋼であるとは考えにくい。視線を下へ移すと、黒鋼が帯刀する銀竜が見えた。
モコナを連れている以上、彼らは次元移動の旅をしている可能性が高い。すぐそばに居る小狼の気配は写身のそれではなく、銀竜が彼の手元にあるということは既に日本国を経由していることに他ならない。彼らはファイを知っているのに、ここに放り出されてから一度もサクラと、そしてファイ自身の声を耳にすることはなかった。二人、もしくはファイのみが別の場所に居ると考えることもできる。だがおそらく、自分は彼らと行動を共にしていない。
男は、「黒鋼」は、ゆっくりと音も立てず振り返った。一人と一匹の視線が遮るもののなくなったファイへと注がれる。下ろしたままの髪が、汗ばんだ首筋に張り付くのが不快だった。
小狼とモコナの顔が驚愕と悲嘆に歪む。全く同じ存在ではないと察してはいても、辛そうな顔をされるとどうしても胸が痛んだ。しばしの静寂のあと、涙を浮かべたモコナがファイの元へ飛び込む。長く続いていた黒鋼の拘束がやっと解かれた。自由になった身体で震える小さな生き物を抱きしめてあげたいと思ったが、手のひらでそっと受け止めるに留めた。
「ファイ! ファイ!」
「
……
モコナ」
「モコナの、モコナたちのことわかる? 侑子のところで会って、一緒にサクラの羽根を探して
……
」
「うん、
……
わかるよ」
向かいで瞳を揺らす少年も、彼の写身がかつて身に着けていたような服を着ていた。ファイが今身に纏っている、モコナも含め玖楼国で仕立ててもらったものではない。
揃いでない服装、見知ったものより厳しい顔つきの青年と少年。大粒の涙をこぼす魔法生物。今まで辿った道筋への回顧。一つの仮説の元、辻褄が合う状況。
「
……
確かにオレはファイだけど、君たちの呼ぶ『ファイ』じゃないよ」
酷なことを言うようだが、黙っている方がかえって残酷だろう。気づかれぬよう、先刻まで自身の首を抑えていた古い傷跡のついた黒鋼の左腕を見てから、ファイは極力穏やかにそう言った。
不思議なほど動揺はなく、心が凪いでいた。
「この世界のオレは
……
、もう居ないんだね」
俯いてしまった子どもたちを宥め話を始めてからも、黒鋼はファイのすぐ後ろに立ったままだった。隠すことすらせず向けられる、あまりにも強い目線を持て余しつつあるのは事実だ。一方、本来この世界では死んでいるはずのファイの存在に疑いを持つのは当然であり、仕方がないことだとも思う。
自分が知るよりも鋭い印象の男の眼差しは、研ぎ澄まされた刃物を突き付けられているような緊張感があった。少しでも触れれば切れてしまいそうだと思う反面、自らも傷つけかねない危うさすら感じられる。
たとえ受け入れられないとしても、ここに居る自分の気遣うのは筋違いだとしても、少なくとも今は意味もなく気を張る必要などないと伝えたかった。
すっかり乱れた衣服を直しつつ振り返る。ファイは黒鋼を見上げて言った。
「そんなに警戒しなくても、君たちに危害を加える気はないよ。それに今のところはどこにも行かない。というより、行けないって言った方が正しいかな」
その場しのぎの嘘ではなく、本当のことだ。周囲の状況を探っている間に気づいたが、実際に自らの魔力で次元移動を試みずとも、この世界に留められている感覚があった。
「
……
ファイ、魔法が出せないの?」
小狼の元へ戻っていたモコナが、ファイの言葉に小さく耳を動かした。きっと自分の姿を見るのも辛いだろうに、気丈に振舞ってくれている。ファイもまた、できる限り淡々と答えた。
「魔法自体は問題ないんだ、ここに投げ出されたときにも着地に使ったから。
……
ただ今このままオレの魔力で次元移動をしようとしても、上手くいかない感じがする」
「
……
貴方もここに来たばかりなのか?」
「貴方も、って言うことはそっちもみたいだね」
こちらの確認に、小狼が小さく頷く。
「この国が君たちにとって『死者と出会うことのできる場所』である可能性は否定できないけど、オレ自身の認識としてはいつもと同じ次元移動の最中、突然外部からの力に引き寄せられて、結果ここへ落とされたって感じかな」
「次元移動の
……
」
「旅を、続けているのか」
弾かれたように問うた少年が、自身の発言を顧みて言い淀んだ。顔を会わせてからというもの、言いにくいことばかり言わせてしまっている。
「うん。オレの世界の人たちと」
振り返らずとも、背後からの眼差しが一層鋭くなったのを感じた。詳しくは語らず、一人ではないことのみを伝える。それでも彼らには受け入れにくい話だろう。せめて動揺を表に出すまいと、重苦しい疲労感を堪えて背筋を伸ばし続けた。
「
……
あのね」
記憶よりいとけない様子のモコナが、必死に言葉を探している。
「モコナたちもね、小狼と黒鋼と、さっきここに来たばっかりなんだよ。でも移動してる途中に前の国でもらった、ファイのお目々みたいな蒼い水晶がぱりんって粉々に割れちゃって」
「
……
偶然手に入れたものだったんだ、おれにもわかるほど強い魔力を感じた」
「そのときは何があったのかわからなかったけど、着いた瞬間突然ファイの魔法の感じがしたの。この世界にもファイは居るかもしれないけど、そうじゃない、モコナの知ってるファイの感じだったから
……
。それで急いで二人に伝えたら、黒鋼があっという間にそっちに行っちゃって」
そうして自分が手荒く捕まった、ということらしい。彼らの説明を受け、ファイは冷静であるよう努めながら考えを巡らせた。
今までの旅の中で、同じ魂をした人に出会うことは少なくなかった。けれど彼らはあまりにもファイの知る彼らと似すぎている。存在だけではない、境遇や巡り合わせまで。まるで次元が異なるのではなく、元は等しい存在だったかのようだ。さらにおそらく、その違いはファイの死というある一点の時間軸から分岐している。
モコナが感知したという自身の魔法が着地の際使用したものだとすると、自分と彼らは時を同じくしてこの場所へ転移してきたことになる。本来滅多に発動されることのない次元移動という魔法が、ほとんど鏡写しのような状態で同時に展開された。おまけに一人を欠いた側は、強い魔力を有した媒体を所持していたという。
そしてそれは一瞬で壊れてしまった。壊れるような負荷が、一瞬でかかった。
あくまで仮説だ。この土地そのものに特異な力があるという見立ても捨てきれない。もちろんそれ以外の可能性だってある。だが今までの情報から考えられるのは、いくつも重なった偶然が水晶によって顕在化し、唯一の差異であるファイが半ば事故のような形でこちら側へ引き寄せられたのではないかということだ。
未だにこの地に縛られていると感じるのは、自身の目に似ていたという石の力が残っているからだろうか。けれどそれに関してはさして心配はいらないだろう。既に本体が粉々に割れてしまったのなら、影響が残る期間もたかが知れている。
「色々説明してくれてありがとう」
「
……
何かわかったのか」
沈黙を貫いていた黒鋼がファイに向かって口を開く。自分へ話しかけてくるとは思っていなかったので、率直に言えば少し驚いた。とはいえここに居る誰に問われても答えは変わらない。ファイは当たり障りのない回答をするのみだ。
「あくまで想像にはなるけど、オレがここに引っ張られたのも、現時点では移動できそうにないのも、その水晶とやらの影響じゃないかな。ただ実物が壊れている以上、効果はそう長くは続かないはずだよ」
「ファイ、行っちゃうの
……
?」
モコナがはっと顔を上げる。視線を合わせるためにファイは身を屈めて笑った。ちゃんと笑えていたかは自信がなかった。
「うーん、時間が経つのを待つ以外他にすることもないんだけど。
……
ただ正直、オレと一緒に居るのってみんなにとってもあまり良くないんじゃないかなぁ」
「そんなことないよ!」
思わず苦笑した。いつだってこの小さな生き物は、ファイたちにとても優しい。
「
……
オレは君たちの『ファイ』じゃない。それにまたすぐに居なくなる人間だよ。それでもいいの?」
一度は視線を落としたモコナが、再びファイを見上げる。その拍子に大粒の涙がぽろりと落ちた。
「うん
……
、それでも、それでもせっかく会えたんだもん。ファイと一緒に居たい」
「おれも同じ気持ちだ」
今度はさすがに自分が笑顔を取り繕えなくなったのが、はっきりとわかった。同じではないと切り捨てるにはあまりにも似すぎている。そしていじらしいほどまっすぐだ。
振り向いた先の男は、腕を組んだまま我関せずといった顔をしている。初めの穏当とはいいがたい対応が嘘のようだ。この素気無い態度が、黒鋼のとる承諾の形だということを知っている。この人もそんなところまで一緒らしい。そう感じることに言いようのないやるせなさを覚えた。
自分も彼らも土地勘がない中、幸運にもさほど離れていない場所でロッジを借り受けることができた。そもそも貴重品をモコナの腹に預けたまま一人別の場所へ放り出されたファイは、ほぼ一文無しと言っていい。魔法自体は使えるため、魔物や人による襲撃の危険性が低いあの場所で野宿をするのもそう難しくはなかったが、結局彼らの好意に甘えて行動を共にすることとなった。
調理も必要としない程度の簡素な食事を終え、少々手狭ながら綺麗に整えられた室内で過ごす。モコナは疲れたのか、少し会話をしたあと腰を下ろしたファイの膝の上ですぐに眠ってしまった。
意外だったのは、小狼が進んでファイに話しかけてきたことだった。写身の彼ならともかく、この小狼は平素であればもう少し警戒心が強いはずだ。けれど二度とない機会で、彼を拒む気が起きるわけもない。ファイはそれに応じ、彼らの状況を知るに至った。
有り体に言えばファイの予想はおおよそ当たっていた。
多くの人間と世界を巻き込み望みを叶えようとしていた飛王は、既に一行によって打ち倒されている。そして小狼はその影響により背負うこととなった対価を払うため、同行の意を示してくれた一人と一匹と共に旅を続けていた。
ファイの胸を深く抉ったのは、こちらの世界とは異なり、玖楼国で暮らすサクラもまた大きな代償を負っていることだった。決着の場であるあの遺跡で、サクラの魂は浅くない傷を受けたのだという。決して治らないものではないが彼女の身体はその回復に努めるべく、写身のサクラが旅の序盤そうであったように、眠っている時間が極端に長くなった。旅に同行していないのは彼女自身の意思だそうだが、元より物理的に難しいという理由が大きいのだろう。
語られた事情はファイを苦しめたが、それを伝えてくれた小狼や旅の仲間、また玖楼国の人々の方がよりつらいに違いなかった。
「そんな顔をしないでくれ。初めは戸惑ったし悲しみもしたけど
……
、おれもさくらも乗り越えられると信じているから」
「小狼君
……
」
「それに起きているときは本当に元気なんだ。夢の中でもたまに君尋に会えると言っていた。だから
……
、大丈夫だ」
そう言って、ファイの記憶より大人びた顔をした小狼が微笑む。現況から少しずつ話は遡り、そうしてついに核心へと触れた。
「こっちのオレのこと、聞いてもいい?」
小狼はしばし躊躇いを見せたのち頷いた。
「多分だけどオレは、君たちと一緒にセレス国からは出られなかった。違うかな」
琥珀色の瞳が揺らぎ、一度瞼の下へと隠される。モコナの寝息だけが聞こえる静寂の中、ごく小さい肯定が返された。膝の上に置かれた拳が、強く握りしめられる。
その事実そのものに気づいたときと同じく、ファイは自分でも不思議なほど平静を保っていた。元々旅の途中で命を落とすことを覚悟していたからだろうか。
現在目の前に居る小狼たちの状態、そしてかつての自分が辿った過去から考えて、「ファイ」が彼らと別れた時期を推察するのは難しくなかった。未来はほんのわずかな選択の違いで変わるものだけれど、想定しうる中で一番影響が少なく、そしてファイ自身が命の危機に瀕していたのはあの国だったからだ。
「
……
貴方は、呪いが発動する中でおれたちだけを送り出してあの国へ残った。日本国へ移動してからも貴方が死ぬはずはないと信じていたんだ、でも」
「
……
でも?」
「傷を負い意識を失っていた彼の腕から、突然弾き出されるように蒼氷が現れた。それに
……
」
「そのあとに対面した写身の小狼君の魔力も、なくなっていた?」
「
……
ああ」
「魔力の主が死んだことで、その人がかけた魔法も、その人を元にした魔力も消えたんだろうね」
小狼の拳に一層力がこもる。ファイはモコナを起こさぬようそっと小狼へ手を伸ばし、握りしめられた手の上に指先を置いた。
「オレが言えることじゃないけど、自分を責めないでほしい。
……
それにきっと、こっちのオレもそう言うんじゃないかなぁ」
ファイの慰めで折り合いがつくほど、簡単な話でないのはわかっている。けれど少しでも、彼に課された重荷を軽くしてあげたかった。
「
……
うん、貴方ならきっとそう言ったと思う。そういう、優しい人だった」
乱暴に目元を拭って、小狼が顔を上げる。
「おれはおれを助けてくれた貴方とあまり話せなかったから、今度こそちゃんと伝えたかったんだ。貴方はおれの知る貴方はでないのだろうけど、それでも、話せてよかった」
「
……
オレも、小狼君と話せてよかったよ」
思えば小狼と親しく話をするようになったのは、ファイの秘密が全て知れたあとのことだ。それまで小狼はファイを警戒していたし、ファイもまた自分の抱える事情に精一杯で、和気藹々とした会話を楽しんだ覚えはない。
こちらの小狼と自分は、その機会を得られぬまま別れたことになる。改めてファイが得たのが、何もかも紙一重の先の未来だったのだと思い知る。
未だ眠ったままのモコナを抱え、小狼が自室へ戻った。物思いに耽るファイの前に、間を置かず黒鋼が現れる。こうなるだろうとは思っていたので、さして驚きはない。男は無言で向かいに座った。酒もなく彼と向かい合うのは珍しいなと、我ながら見当違いなことを考えた。
「
……
本当におまえなのか」
「本当に、っていうのが何を指すのかが曖昧だけど、オレは君の知ってる『ファイ』じゃない。でも極めてそれに近い存在ではあるだろうね」
「小僧から聞いたんだろう」
「何を?」
「おまえがあの国に残ったときのことだ」
「少しだけね」
「俺はおまえの手を離す前、『迎えに行く』と伝えた。『待ってろ』とも」
「うん」
「おまえは確かに頷いて、『待ってる』と言った」
「
……
うん」
ちゃんと知っている。彼は黒鋼だ。どんな手段を使っても本気で迎えに来てくれるつもりだったのだろう。それだけでなく、同じ条件でさえあれば記憶と同じように、自分の腕と刀を犠牲にしてまでファイを助けてくれたはずだ。
だがそうはならなかった。
小狼の話では、彼らのどちらもセレス国では致命的な怪我を負うことはなかったらしい。その前に「ファイ」が魔法で守ったのだと。こちらのファイは、自分よりも更に魔力が強かったのだろうか。それとも別の要因があったのか、今となってはそれを知る術はない。
いずれにせよ何かが少しずつ異なり、黒鋼は死の淵を彷徨うような一撃を受けることも、死に際の夢で主君の言葉を聞くこともなかった。ただそれだけだ。
「次に目が覚めたときは日本国の城の中で、横に刀が置かれていた。そばで座していた知世は、それを見て『治療の最中に術が解けたのだろう』と」
「術者が死ねば、よっぽどの術式でない限りその人がかけた魔法も解除されるから」
「その様子を見るに、おまえは俺たちと同じ道筋を辿り、あの国からも抜け出したんだな」
「
……
」
「俺のところの魔術師と、今目の前に居るおまえは、一体何が違った」
「
……
わからないし、たとえわかっててもオレが伝えられることは何もないよ」
ファイは目を伏せた。生きた人間は王と自分たちしか居ない、あの凍てついた国のことを思い出す。ファイはたくさん誤ったけれど、サクラを小狼に預けて、一緒に旅した人たちが無事であることを見届けて、王と片割れとやっと眠りに就いた。ファイが、ユゥイが辿り得たひとつの未来だ。
今のファイを引き留めてくれたものに感謝はしているし、遺された人たちのことを思えば、生を願われていたことを疑う気持ちはない。けれどこの結末も「ファイ」にとっては悪いものではないと考えてしまうから、こんなにも落ち着いているのかもしれなかった。
「
……
約束、守れなくってごめんね」
「それを言うべきは、おまえじゃないだろう」
「うん
……
。でもごめん」
セレス国で別れたならば、彼のことを再びあだ名で呼ぶこともなかったのだろう。
目を逸らさずにこちらを見据える男に与えられる答えなど、最初から持ち合わせていない。ファイに言えるのはこれだけだった。
「そもそもてめぇ、元の場所とやらに戻れる算段はあるのか」
話を切り上げようと立ち上がったファイに向かって、黒鋼はそう問うた。この複雑な状況への解決策に対する単刀直入な疑問をぶつけられて、場違いにも少しおかしくなる。もしもファイが首を横に振ったら、この人は一体どうするのだろう。
いたずらに思いついた考えを振り払って、ファイは改めて頷いた。
「確かに通常の次元移動とは少し勝手が違うけど、条件さえ揃えば問題ないはずだよ」
「条件?」
「強い魔力と望む行先への明確な繋がり、かな。それを利用して道筋を辿ることになるから。あとはまぁ、運次第だけどね」
現状ここに居るファイの存在自体が、おそらく分岐したと考えられる未来間での移動が可能であることの証明だ。偶発的な事故による転移だとしても、決して不可逆ではないというのが当初からの考えだった。そうであると信じたいという、ファイの願望が含まれていることもまた否定はしない。
黒鋼はそれ以上こちらを引き留めることもなく、ファイは今度こそ自分に宛がわれた部屋へ戻った。どんな兆候も見逃さず意外なほど状況を把握しているであろうこの男に、恐れにも等しい感情を抱いていたことを思い出す。久しぶりの感覚に、扉を閉めてやっと息を吐いた。眠れる気はしないが、それでもここに居るのは自分だけだと思うと、少しだけ緊張感が和らぐ。
結局一睡もすることなく朝になった。だんだんと部屋の中に朝日が差し込むのを見つめる。いつも通り移り変わる風景に、たまらなく安堵を覚えた。こんな状況に置かれていても変わらず時は過ぎ、ありふれた朝の景色がやってくる。
ファイは目を閉じて、ここに飛ばされる前の記憶をひとつずつ確かめた。自分の手を掴んでくれた小狼、泣きそうな顔をしたモコナ、怒った顔をした黒鋼。あの国を旅立つ前に過ごした時間、そこに至るまでの全て。今もなおファイとして旅を続けるユゥイにとって、そばに居たいと思う人たち。
この場所で彼らと出会って感じたことに偽りはない。それでもファイが選び取った帰るべき場所は、ファイにとっての彼らが待つ世界だった。それだけは間違えてはいけない。
自分の身体に残る違和感を検めた。目に見えない呪文が足元にまとわりついている心地がする。残念ながら、まだ自力での次元移動はできそうになかった。
表面上は平穏な一日が始まる。とはいえファイがすべきことは特になく、かといってロッジを離れるのも子どもたちが難色を示したため、屋内でできる作業をするに留まった。
軽い朝食を食べ終えたあと、ふと小狼の視線がこちらに向けられた。
「
……
どうかした?」
「いや、その、随分髪が伸びているなと思ったんだ」
「そうだねぇ。いつもなら結んでるんだけど、移動のときに色々あって髪紐を失くしちゃったから」
「そうだったのか。何か使えそうなものがあればいいんだが
……
」
「モコナも探してみる!」
「気にしなくて大丈夫だよー」
そう言ってファイは笑った。一時だけのことだから、と付け足すのはさすがに憚られる。
大分日が高くなったころ、いつの間に戻ってきていたのか、外出していたはずの黒鋼に声を掛けられた。
「使え」
相変わらず飾り気のない言葉と共に、何かが差し出される。
「なに? え、これ
……
」
大きな手に握られていたのは華奢な作りの簪だった。シンプルなデザインだが、一目見て上等なものだとわかる。先端に付属した揺れる透明な飾り玉は、大した照明もないロッジの中ですら眩く光っていた。
戸惑うファイに痺れを切らしたのか、黒鋼が渋々といった体で話を続ける。
「ここに来る前に居た国で、金目になりそうなもんはまとめて持ってきたんだよ。白まんじゅうが言ってた砕けた水晶とやらもな」
詳しく聞けば、彼らが滞在していた国はかつての夜魔ノ国のように、長く続く戦いの最中にあったらしい。そこで小狼と共に雇い兵として功を上げていた二人は、移動にあたりのちの足しになればと、場所を取らず換金が容易そうな代物をまとめて運び出したとのことだった。
少々意外に感じたが、同時に納得もする。黒鋼も小狼も決して人付き合いが苦手なわけではないが、自ら初対面の人間と積極的に関わっていく性質でもない。モコナは友好的だが、そもそも場所によっては姿すら見せられない可能性がある。ファイが知るより威圧感を覚える雰囲気の二人であれば、なおさらだ。その場合、武功のみを求められる場所はかえって生活しやすかったのかもしれない。
「でもこんな高価そうなの、もらえないよ
……
」
元よりこれは彼らの財産だ。首を振って断るも、差し出された手は動かない。黒鋼はじっとこちらを見下ろしたあと、おもむろに口を開いた。
「もらいっぱなしが気に食わねぇなら、こっちの頼みも聞け」
「頼み?」
「髪を切らせろ。まとめるのに支障がない程度でいい。無理ならそれで構わん」
「どうして
……
」
「あいにくてめぇは、何も遺さず消えやがったからな」
ファイの脳裏に、アシュラ王と出会ったばかりの頃の記憶が過った。身長よりも伸びた髪の毛を切り落とし、片割れと離れたあの日を忘れたことなどない。ファイもアシュラ王もセレス国と共に眠りに就いたため、二人を弔おうにも物理的な繋がりは何も遺らなかった。黒鋼も同じ気持ちだったのだろうか。
逡巡するファイを急かすこともせず、黒鋼はじっと待ち続けている。ややあって、ファイは静かに頷いた。他に道具もないからとわざわざ銀竜を持ち出されたのには驚いたが、反論もできないうちに毛先を断つにはおよそ不釣り合いな刃が宛がわれる。伸びた髪の毛の先、ほんのひと房が音もなく切り離された。
黒鋼はそれを手にすると、今度こそファイに簪を持たせてその場を離れた。想像していなかった展開に未だ戸惑いつつ、受け取ってしまった簪を眺める。今になって気づいたが、これが髪留めだという知識はあってもどう使うのかまでは把握していなかった。とはいえ黒鋼が使い方を知っているかは疑問である。簪を手にしたまま悩んでいたところ、最終的にファイの様子を見に来たモコナが、丁寧にやり方を教えてくれた。
日が昇りそして沈みかけたころ、不意にここに来て以来絶えず感じていた違和感が消え去った。夕食の支度をしようとしていた小狼に声を掛ける。ファイの顔色から何か察するものがあったのだろう。小狼は眉を寄せてから、モコナと黒鋼を呼びに行ってくれた。
お互い簡潔に別れの言葉を交わす。この状況でそれ以外にファイが言えることなどない。涙を浮かべる子どもたちの温かい身体をそれぞれ一度だけ抱き締めて、隣に立つ男を見上げる。彼からの別れの言葉はついぞなかった。それでいいと思った。
呪文を描き、最初にファイが降り立った場所へまで移動する。かつて彼らを送り出し一人その場に残った「ファイ」とは対照的に、ファイは彼らを置いて一人旅立つことになる。誰が意図したことでもないのに、なんだか皮肉に感じられた。
外した簪を懐へ仕舞い、今しがた別れた声や視線を振り払い、ファイにとっての彼らのことだけを考える。魔術を行使するのにこれほど緊張を覚えるのは久方ぶりだった。何もかも、魔術師たるファイの指先に委ねられている。小さく息を吐き、そっと目を閉じた。
目を開けた先の景色が見慣れた人たちの頭上だったと気づいたときの歓喜は、言葉では言い表せないほどだった。ファイは勢いそのままに、一行の中でも一際大きな身体に飛びついた。衝撃を堪えなんとか踏みとどまった男が何やら騒いでいるが、気にせず首元にしがみつく。後頭部に軽く拳をぶつけられたような衝撃が襲ったあと、一際強く抱きしめられた。両腕の隙間から子どもたちの体温も伝わってくる。思わずこぼれた涙は、全員揃いの衣装である白い布地にすぐ吸われていった。
彼らと引き離された先で何があったのか、そこで誰と出会ったのか、ファイが仲間たちに語ることはなかった。黒鋼は露骨に顔を顰めたが、「二度と勝手に離れるな」とだけ言って、それ以上深く詮索せずにいてくれた。
問題はそのあとだ。これ以降、モコナの呼ぶ「お父さん」というあだ名が冗談にならないくらい、彼が口うるさくなったのには少し困ってしまった。年頃の娘や息子に対してならいざ知らず、過保護と称してもいいほど日夜注意深く見張られている対象は、本人と比べるのもおこがましいくらい年上のファイである。とてもじゃないが納得がいかない。
迷惑や心配を掛けたのは事実だ。けれどあくまで突発的な事故に巻き込まれただけであって、ファイ自身が何かをしたわけではない。だというのにいくら説明しようと黒鋼は自分の意思を曲げず、日々の行動に口を出され、次元移動のたび物理的にしっかりと確保されるようになった。小狼やモコナに助けを求めても、黙って首を横に振られるだけである。ここにはファイの味方しかおらず、それでいてファイの味方は一人もいないのだった。
出会うはずのなかった近しくも遠い彼らとの短い時間は、自分だけの記憶として大切に仕舞ってある。思いがけず受け取ることになった簪も同様だ。絶えず思い出すわけではないけれど、ずっと忘れることはない。そういう思い出になるのだと、思い違いをしていた。
あれからまたいくつもの時が過ぎ、ついに旅の終わりが訪れた。玖楼国で小狼と、それを出迎えるサクラたちに名残惜しくも別れを告げる。本来帰る場所のないファイは、思いがけない巡り合わせの結果今も黒鋼と行動を共にしていた。宣言通り日本国へ戻った男の隣で、最後の次元移動を行うモコナを見送る。見慣れた魔法陣も感じ慣れた風も、何事もなかったかのようにすっかり消え去ってしまった。本当にここへ残ってしまった、と今更ながら考える。
ぼんやり立ち尽くしていると、隣の男から乱暴に腕を引かれた。こちらを見ず、言葉を発さず、けれど手を離すこともなく大股でどこかへ進んでいく。ひとまず主君である知世姫の元へ向かうのだろう。転ばないよう後を追いながら、ファイは小さく笑った。日本国で共に生きろという黒鋼による誘いという名の決定事項に頷いてから、ずっとこんな調子だからだ。
ありがたいことに彼の上司たちから歓迎を受け、今後のおおまかな見通しを立てたのち、ひとまず解散となった。知世姫の姉はまだ黒鋼を揶揄い足りない顔をしていたけれど、さしあたって今日は見逃してくれるらしい。とはいえ眠気はまだ訪れず、用意された部屋に下がり二人で引き続き酒を酌み交わしている。
用意された徳利が軒並み空になったところで、黒鋼が腰を上げた。
「待ってろ」
「はぁい」
追加の酒を取りに行ってくれるのだろう。やっと戻れた彼の母国だというのに、黒鋼本人が据わりの悪そうな顔をしていることについ表情が緩んでしまう。ファイが笑うと照れ隠しとばかりにより顔を顰めて視線を逸らすから、状況は一向に改善されないままだ。
空になった猪口を置いて、散らばっていた徳利を並べておく。いつになく自分が浮ついているのがわかる。満たされた気持ちで手持ち無沙汰を持て余していた瞬間、強烈な違和感に肌が粟立った。
ファイのすぐそばで、時空が歪む。
ゆっくりと空間がひしゃげ、歪に曲がり、時折緩んだ。異様な光景である。けれど何よりファイを呆然とさせたのは、異質な現象そのものではなく、その先から感じる隠しきれない気配だった。誰よりも知っている、そして先ほどまですぐ隣に居た男と同じ感覚がする。
感情がいくら否定しようとしても、自身の感覚が目の前の事実を認めていた。それにもうひとつ。これが部外者による侵入だとするならば、この城に張り巡らされた知世姫の結界がとっくにそれを感知しているはずだった。介入自体が防がれるか、仮にそれを打ち破ったとしても、すぐさま城全体への警戒が呼びかけられているはずだ。
しかし動揺するファイだけを置き去りにして、周囲は平穏そのものだった。つまり今まさに侵入を試みている相手が、元より知世姫に許容されているからに他ならない。それがたとえ、異なる次元の者だとしても。
『強い魔力と望む行先への明確な繋がり、かな。それを利用して道筋を辿ることになるから。あとはまぁ、運次第だけどね』
かつて自分自身がある人へ伝えた言葉、それが不意に思い出された。
まさか、そんなことがあり得るのだろうか。でもそれ以外考えられない。だってこれは「黒鋼」の気配だ。
ファイの数少ない私物は部屋の隅に置いてあった。そこにはもちろん例の簪も含まれている。あのとき彼の手に渡ったファイの一部、そしてモコナたちが話していた水晶のような外付けの魔力があれば、当時の偶発的な事象を故意に引き起こすことができるかもしれない。
彼自身に魔力がないからと侮っていた?
いや、違う。「黒鋼」ならそんなことをするはずがないと無邪気にも信じていた。「ファイ」が死んだことを受け入れて、ファイという存在にも動じることなく、前だけを向いて生きていける人だと勝手に思い込んでいた。だからあの頼みだって引き受けたのだ。
どうして忘れていたのだろう。黒鋼はずっと前からこちらの予想なんて意に介さず、するはずもないと思っていた行動すら取って、ファイの手を掴みとる人だったのに。
後ずさろうとした身体がこわばり、近くの机にぶつかった。並べたばかりの徳利が落ちる。耳を劈くような複数の陶器が割れる音がした。少しして、焦ったような気配が近づいてくる。黒鋼が戻ってきたのだろう。
回らない頭を必死に動かしている間に、歪みはどんどんと大きくなる。そしてとうとう、見慣れた形の袂を揺らして切れ目から腕が現れた。今視認できるのは片腕のみであるにもかかわらず、あの目にした飢えた獣のようにぎらぎらと光る視線が、すぐそばで自分を見つめている気がした。
二つのよく似た気配が一層近くなる。
こちらに向かって伸ばされた古傷の残る大きな手のひらは、迷いなくファイの腕を強く掴んだ。
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Fatal error:致命的なエラー、プログラムの処理が停止してしまうほどの重大な誤り
→あとがき
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